外国映画 Archive

コピペで綴る"真実"

amazon:[DVD] ジェニファーズ・ボディ(完全版) 「ジェニファーズ・ボディ」を観て思った。女の友情というのは、維持しようと努めないと続かないものなのね。それともうひとつ。せっかくミーガン・フォックスとアマンダ・セイフライドの若手肉感女優をメインでキャスティングしたんだから、もっとギラギラしたエロス要素を前面に押し出して、ニキビ面の男子を釣り上げなきゃダメだろうよ。また、ミーガンとアマンダも若さにあかせて黒歴史を刻んでおかなきゃ。ベテランになってからだと取り返しのつかない汚点になりかねない。今から安定志向でいると大物にはなれないぞ!

 ニーディとジェニファーは幼馴染み。互いの胸に光るペンダントトップには"永遠の友情"を示す「BFF」が記されている。
 町名の由来となった滝のほかにはこれといって特徴があるわけでもない田舎町。それがデビルズ・ケトル。ある夜、町で唯一のバーに都会からバンドがやってきた。その演奏を見に行った二人は、そこで火事に遭遇する。燃え上がるバーを辛くも脱出した二人に、こちらも無事だったバンドのボーカルが声をかける。自分たちの車で送ってあげるよ、と。この申し出を断るニーディと車に乗り込むジェニファー。二人の運命はここで分かれた。
 火事の現場に居合わせて、パニックの起きるさまや人の焼け焦げる匂い。そしてジェニファーと別れる際に感じた不吉なイメージ。ニーディは帰宅しても混乱と動揺のただなかにあり、そんななかで何者かの気配を感じる。現れたのはジェニファー。怪我を負っているようで血まみれの彼女は、勝手に冷蔵庫を漁るも真っ黒な反吐をぶちまける。ニーディの見たところ、その反吐までが普通じゃない。
 翌日、多数の死傷者を出した前夜の火事で町全体が悲しみに包まれるなか、何事もなかったかのように登校するジェニファー。夜を徹して血と反吐を拭き取ったニーディには、前夜のジェニファーが夢だったとは思えないのだが、こうして本人を目の前にしてみると、あれはいったいなんだったのだろうとわけがわからなくなる。その日、不幸に沈むデビルズ・ケトルは新たな死者を出した。彼はアメフト選手で、死体の様子は惨たらしかった。
 彼はジェニファーが殺した。いや、食った。

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書を捨てよ町へ出よう

amazon:[Blu-ray] ハンナ 「ハンナ」を観た。
 本作の監督であるジョー・ライトと主演のシアーシャ・ローナンのタッグと云えば、年老いた女性作家の虚飾に彩られた回想を描いた「つぐない」である。この作品でシアーシャを見て、そのどこまでも透き通る存在感に魅了された。またシアーシャの魅力は勿論のこと、それをフィルムに焼き付けた監督に称賛を送るべきだ。この作品は、可憐で狡猾で愚かな少女を描いたことで成功は約束されたようなものである。
 その二人が再びタッグを組んだ。「つぐない」では物語の語り手であるブライオニー・タリスの少女時代を演じたシアーシャだが、本作「ハンナ」では完全なる主演。
 さあ、シアーシャ・ローナン祭りだ!

 この記事の更新は2011年8月27日。この日付けは「ハンナ」の公開初日である。初日の混雑を避けてまだ映画館に足を運んでない向きも多かろう。いずれ観に行くつもりだけど、どんな感触かなあ。こんな気持ちで映画ブログをハシゴすることもあるだろう。
 この場合、厄介なのがネタを割っている記事だ。まだ観てないのだからネタを割るのはなしの方向で願いたい。でも、そうはいかないのが世の常だ。人生はままならない。ホント、厭ンなるねえ。
 ここに宣言する。この記事では「ハンナ」のネタを割る。バッキバキだ。想像どころか妄想をも付け加える。
 まだ観てないならこの先へは進まないほうがいい。進むなら私を倒してからにしろ!

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レナニヌイ

amazon:[DVD] ニュームーン トワイライト・サーガ スタンダード・エディション 「ニュームーン トワイライト・サーガ」を観た。
 18歳の誕生日を迎えた朝、イザベラは悪夢で目覚めた。悪夢の舞台は異国の地。晴れわたる空の下、塔の時計が正午をさすと同時にエドワードが陽光に身をさらして、自分の正体を居並ぶ人々に明かす。場面はかわって、森の中。樹々を抜けて開けた草地に出ると、視線の先に祖母の姿が。そこへエドワードが現れる。ベラは彼を祖母に紹介しようとするも、祖母に近付いて違和感を覚える。祖母に正対しても相手から声もかけられない。気づいてみれば眼前にあるのは大きな鏡で、祖母と見たのは年老いた自分の姿。隣にいるエドワードは鏡に映っておらず、そして彼の実体は相変わらず若い姿のまま......。
 アリスの発案でベラの誕生日パーティが催されることになった。そのさなか、ちょっとした不注意からベラは出血する。たった数滴の血が居合わせたジャスパーを狂わせて、彼はベラに襲いかかる。エドワードをはじめとする彼の家族がこれを防いだが、このことをきっかけにエドワードは思い悩むようになる。
 ベラは訪ねてきたエドワードに別れを切り出される。カレン家はこの地を去ると云うのだ。尤もらしいことを云っているが、原因は自分が人間であることとベラはわかっている。自分に流れる人間の血が彼ら吸血鬼を狂わせる。自分の存在が人間の血を断っているカレン家、特に自分と家族の間に立っているエドワードを苦しめている。
 いきなり降ってわいた別れ話は、互いに十分話し合う暇もなく現実のものとなり、カレン家は町から去っていった。喪失感を抱えたまま、死んだような日々を送るベラ。その前に現れたのは幼馴染みのジェイコブだ。この年下の少年は、見事な体躯を持ち、賢明で優しくもあり、なによりベラに思慕を向けている。彼の恋心をわかっていて、自分がエドワードを忘れられないことを自覚しながら、ベラは喪失感を埋める為にジェイコブとの時間を楽しむ。
 楽しかった時間にも終わりは訪れる。ジェイコブはベラを避けるようになった。

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ときめきトワイライト

amazon:[DVD] トワイライト 初恋 スタンダード・エディション 「トワイライト 初恋」を観た。
 陽光降り注ぐアリゾナから北米一降水量の多いワシントン州フォークスにやってきたイザベラは、これから父親との二人暮らしをはじめる。両親の離婚後、母親と暮らしていたベラだが、母親の再婚を機にこれまで離れて暮らしていた父親との生活を選んだ。継父となる男と反りが合わなかったわけではない。継父が遠征や転地が日常的なマイナーリーグ所属の野球選手であり、生活のリズムが安定しないこともあって、新婚夫婦の邪魔をしてはいけないと自ら距離を置くことを選んだのだ。
 地元の警察署長を務める父親は、その真面目過ぎる性格が原因で妻と別れることになったが、娘は彼の性格やその距離感を嫌っていない。幼馴染みとも再会した。心配することがあるとすれば、これから通う学校での生活だ。幼馴染みは居留地の学校に通っているので、一緒に通うことも学校で相手をしてもらうこともできない。
 飛び込んでしまえば新しい環境に対する心配は杞憂にすぎなかった。季節外れの転入生ということで、物珍しさも手伝ってベラの話し掛けられることと云ったら!
 気さくに話し掛けてくる同級生のなかで、彼らとは対照的に神秘的な雰囲気を漂わせる少年をベラは発見した。その少年の名はエドワード。カーライル・カレンの養子のひとりだ。学校にはカレン家の養子が五人通っていて、いずれも独特の雰囲気を醸成している。特にエドワードは、とても同年代と思えないような佇まいを持っている。カレン家の子供たちは自分たちのなかでそれぞれパートナーを持っているが、エドワードだけがその限りではない。だからと云って、誰彼構わず手当たり次第に女性と付き合っている、というわけでもない。
 エドワードは孤高なのだ。それ故に、特に女子生徒から注目される存在となっている。
 生物の授業でエドワードと隣り合わせたベラは、ときめくより先に気分を害した。エドワードがあからさまに自分を避けているのがわかったからだ。ほとんど初対面と云ってよい間柄なのに、どうして避けられなければならないのか。その理由がわからない。特に失言をしたわけでもない。そもそも会話を交わす間もなくエドワードは避けはじめたのだから。
 ひょっとして、ワタシって臭い?
 そうかと思えば急に話し掛けてきて、親しげな態度をとる。神秘的と云えば神秘的だが、要は何を考えているのかわからない!
 そんなある日、ベラが愛車の傍らに立っていると、友人の運転する車が雨に濡れた路面を滑ってこちらに向かってくる! 愛車との間で潰されるのを覚悟したとき、ベラはエドワードが傍らに現れて片手で車を制止するのを見た。
 エドワードの人間とは思えない動きを目の当たりにして、ベラの彼への興味はいや増すばかり。そんな彼女の気持ちを知ってか知らずか、エドワードは思わせぶりな態度と言葉に終始する。ベラの心は掻き乱される。
 幼馴染みが洩らした言葉をもとに検索サイトを駆使して集めた情報を総合すると、エドワードの正体として考えられるのはひとつ。彼は吸血鬼だ。

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おとぎ話は死んだ!

 好きな映画のハリウッドリメイク作品を観た。そのリメイク作品を語るのに「ハリウッドリメイク」ほど端的、且つ明確に云いあらわす言葉はない。
 潤沢な予算はギャラの高い俳優をキャスティングできる。また、撮影にも金をかけられるので、大掛かりなセットを組めたり贅沢なロケを実現できたりする。腕利きのスタントマンを雇え、CGは細部にいたるまで精度を上げられる。すべては調達できる資金の額が桁違いに大きいからこそできること。この点についてままならない日本映画を思うと、ハリウッドの状況は羨ましいかきりだ。
 今、「この点については羨ましい」と云った。しかし、莫大な予算をかけられるということは、裏を返すと相応の興行収入をあげなければならないということだ。金額が金額だけにヘタはうてない。コケる要素は徹底的に排除され、その過程で企画立案当初にはあったかもしれない冒険心は削ぎ落とされてしまう。採算度外視なんて蛮勇をスポンサーは求めていない。旨味があるから資金を提供する者がいる。映画製作は資金運営の手段として有効であり、それ以外のメリットがあるから産業として成立する。
 ハリウッドが今日の隆盛を誇るのは、アメリカ合衆国が広大な国土を有し多民族を抱え、しかも国として若いところに理由があるように思われる。そもそもは国家政策による映画産業の振興があったのではないか。地域や人種、価値観や信仰の違いに経済格差、なにからなにまで違う個人を集めても国にはならない。アメリカはそのはじまりから移民によって建国されたのだ。土地に根付いた愛国心は希薄。だから国家は国民に刷り込まなければならなかった。何を? 愛国心を、アメリカ合衆国が必要する正義を。
 なにからなにまで違う相手に抽象的な観念を伝えるのは困難が伴う。なにせ共通認識に乏しくて、伝えられた言葉にも実感が伴わない。送り手と受け手が同じ言語を使っていても、双方ともに相互理解が成立しているんだかどうだかさっぱりわからない。表情や素振りから忖度するにも、それらがどんな感情の発露だかわからない。わからないことだらけの状況のなかでたったひとつわかったことは、「コミュニケーションははっきりと、わかりやすく!」だ。どんなに些細なことでも、こちらの状況や要望を相手に伝えなければならない。慮ってもらおうとか以心伝心とかを期待するのは間違いだ。そういう国なのだ、アメリカは。
 伝えるべき事柄はきちんと伝える。それだけでも難しいのに、全国民に共通する認識を植え付ける。どれほどの難事業であろうか。しかし世界的な帝国主義隆盛の時代を、ましてや新興国家が生き残るには、まずは内なる憂いを取り除かなければならない。そこで用いられたのが"物語"だ。理解を促し実感を伴わせる手段として"物語"は有効だ。物語はその機能として、受け手に登場人物への感情移入をさせて、ついには同一化をなしとげる。物語のなかで登場人物が見聞きし経験したことを、物語の外に身を置く受け手に追体験させる。この「追体験」こそが重要なのだ。
 人は、自分の身に実際に起こったわけではない、作り物の出来事に対して、自分が起こすであろう行動を、心に浮かぶであろう気持ちを、物語のヒーローやヒロインの言動や心情のうちに示されて、これに共感を覚える。物語と同じ状況に置かれたならば、自分の意思において物語のヒーローやヒロインと同じ行動をとるつもりでいる。そして、この選択を内なる衝動に従った結果であり、あるいは理性でもって下した決断の結果だと自ら信じる。正しいアメリカの男たるもの、正しいアメリカ女性として、ごく当たり前のようにそなえている価値観によって為された選択だ。どのような状況においても、アメリカ合衆国市民である以上はかくあるべし、といった行動原理。これは生まれながらにしてそなえているものだろうか。建国以来、物語から指標として与えられて身につけたものではないのか? 刷り込まれたものではないのか? ここで云う指標とはアメリカ合衆国への愛国心だ、アメリカ合衆国市民としての正義だ。
 だから"物語"による刷り込みは、云ってみれば思想教育である。洗脳と断じるのは大袈裟にすぎるが、その危険がまったくないわけではない。アメリカの土地に住まう者をアメリカ合衆国市民へと"教化"するのに"物語"が使われた。そのことに目新しさはない。昔からよくある手だ。ハリウッドを語るにおいて重要なのは、"物語"に映画という新しいメディアが導入されたことだ。視覚と聴覚に訴えかけることで、情報の伝達力は段違いに向上し、観客に作中登場人物への感情移入と自己同一化を促す。"教化"を押し進めるのに、映画ほど適した方法はなかった。
 かくして映画産業の発展はアメリカ合衆国の国家政策となり、ハリウッドは政策上の重要な拠点となったわけである。

 政策として保護される産業は、いずれ既得権益という化け物を生む。政策がそもそも持っていた政治的理念より優先されるべきものがハリウッドの中心に巣食うようになった。今や映画産業は餓鬼畜生の如き強欲に衝き動かされるのみ。
 かつて映画産業を後押ししていたのは国策だが、いまや市場原理がその役割を果たしている。ウケるためには万人から理解され共感を得る作品に仕上げなくてはならない。観客は長い間の教化で愛国心とアメリカ的正義に染まりきっている。これらの価値観をただ単純に裏切る内容など歓迎されない。裏切るならそれをするだけの意味を付与しなければならない。はっきり理解できて、しかも納得できるだけの理由が。観客は映画を観る前にアメリカ合衆国市民であり、愛国心とアメリカの正義に燃えるアメリカ合衆国市民ははっきりしない状況に慣れていない。アメリカ合衆国市民にとって、すべては明らかにされなければならない。
 かくして"優等生"的な作品ばかりが生み出される。リメイク作品であっても例外ではない。祖国では云わずもがなの事柄でも、ハリウッドを経由した時点ですべてを明示しなければならない。
 さあ、ハリウッドリメイクの話題に戻ってきた! そうだ。私はハリウッドによるリメイク作品を観ただけなのだ。なぜ、こんな内容を長々と語ることになってしまったのか?

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明日のために

フロスト×ニクソン 「フロスト×ニクソン」を観た。
 政治に無関心な私であっても、リチャード・ニクソンのウォーターゲート事件についてはある程度を知っている。ある程度しか知らないとも云える。お恥ずかしい。
 本作は、アメリカ建国以来、史上はじめて任期中に大統領の職を辞したリチャード・ニクソンと、イギリスのトーク番組の司会者であるデビッド・フロストとの、息詰まる熱戦を描いている。監督はロン・ハワード。実話をもとにした作品ということで「アポロ13」や「シンデレラマン」の実績がある。監督はフロストによるニクソンのインタビュー番組をボクシングの試合に見立てて、これを一流の娯楽として完成させた。

 世界王者として栄華を極めたニクソンだが、防衛戦において反則の判定が下った為にタイトルを返上しなければならなくなった。既にベテランの域に達していて引退を囁かれていたニクソンだが、現役復帰に対する気持ちは誰よりも強い。彼にとって目的のない人生を送ることは、つまりリングをおりることは絶対に考えられない。先ずは復帰戦に相応しい対戦相手を探すことが重要だ。いわゆる噛ませ犬だ。
 イギリスとオーストラリアでは勝利を得フロストだったが、この程度の成功で満足できない。男が望むのはアメリカでの成功だ。アメリカで成功するにはランキング上位の相手、しかもネームバリューのある相手との対戦が早道だ。そしてネームバリューのある対戦相手なら、今は何といってもリチャード・ニクソンだ。栄光への道を駆け上がる為、ぜひともニクソンとの試合を実現させたい。
 元世界王者と若き挑戦者、それぞれの思惑が絡み合って、世紀の一戦が実現する。
 1977年3月23日、第1ラウンドのゴングが鳴り響いた。

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マックス王国興亡記

amazon:[DVD] かいじゅうたちのいるところ 「かいじゅうたちのいるところ」を観た。
 マックスは小さな暴君だ。ペットの犬には圧倒的な身体能力の差をよいことに好き放題。除雪車が道をかいた雪が路肩に山を成したなら、雪山に穴を穿って"イグルー"をこしらえる。そこを根城に自分の相手をしない姉や彼女を遊びに誘うその友人たちを雪玉で襲う。先制の奇襲攻撃も多勢に無勢だ。マックスが雪の城に籠城すると、イグルーもろともペシャンコに潰されてしまう。頭のなかでは堅固な城であっても現実はただのイグルー。簡単に破壊されたことに傷ついたマックスは、その悲しみと怒りをどこにぶつければよい?
 雪にまみれ、感情のおもむくまま姉の部屋に突撃して暴れまわるマックス。ふと我に返ると、自分のしでかしたことの大きさに戸惑い、後悔する。とんでもないことをしでかしてしまった。どうしよう?
 マックスは母親が大好きだ。彼女は年長の娘のようには息子を扱わない。どんなに仕事が忙しかろうともマックスとふれあう時間を優先する。彼女が懸命に働くのも家族の時間を大切にするのも、母子家庭であることの引け目を子供たちに感じさせまいと考えているのかもしれない。
 マックスは母親を愛しているけれど、それでも気に入らないことはある。家に知らない男を連れ込んで仲良くしている母親を見るのは嫌だ。男がどんなヤツだかは知らないけれど、本当はとてもいいヤツなのかもしれないけれど、嫌なものはとにかく嫌だ!

 オオカミの扮装をして夕食の団欒を破壊したマックス。当然の如く母親に叱られて、そのまま家を飛び出した。

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赤と白の鯨幕

amazon [DVD] ぼくのエリ 200歳の少女 「ぼくのエリ 200歳の少女」を観た。
 映画こそ観たけれど、原作小説を読んでいない。この点で本作について誤った認識をしているかもしれないが、それはそれでサテヒデオ的「ぼくのエリ」考としてこの記事を読んでいただきたい。
 吸血鬼として「在る」ということをどう捉えるか。それにはまず、吸血鬼とはどんな存在かを規定しなければならない。
 人間をゆうに凌駕する強大な力を有し、ときに霧や狼に変化すると伝説にある。条件付きではあるものの、その肉体は"不老不死"を誇る。
 ゾンビのように思考を失った存在というわけではない。ただただ新鮮な肉を求めてひたすらさまよい、あたかも餓鬼地獄に足をとられているのとは違う。言葉を使い、娯楽を解し、喜怒哀楽の感情を持つ。価値観はそれまでと一変するが、第三者に強いられて変節するわけではなく、魂のありようが変わるべくして変わるだけだ。その本質と表層から、彼らは"最凶の紳士淑女"と云える。
 血を唯一の糧とし、それが故に人間を狩って生き血を啜る。それは、空腹時にたまたま遭遇した人間を襲うという、一種のアクシデントとは違う。食物連鎖において人間の上位に立つ存在だ。人間に対する完全なる"捕食者"なのだ。
 日暮れから夜明けまで、その間は最強の称号をほしいままにし、恐怖と絶望をその身に受ける。まさに"夜の絶対君主"。
 ここに挙げた特性から、吸血鬼は人間の天敵であることがわかる。

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1-10 11-20 21-30 31-40 41-50 51-60 61-70 71-78

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