外国映画 Archive

欲望のままに

amazon:[DVD] あるスキャンダルの覚え書き 「あるスキャンダルの覚え書き」を観た。
 本作はミステリ作品というわけではないので、巧妙に仕組まれた謎も特に秘すべき事柄もないのだが、そうであっても未だ観ていない者からするとネタを割ってほしくないだろう。これは尤もである。
 この後、私は本作についていろいろと語るが、登場人物の評価から事件の顛末から、何から何まではっきり明かしている。伏せておいた方が興味をそそるであろう事柄に触れるし、何が結末に待っているのかということにも言及する。
 映画に限ったことではないけれどネタを割ることにかけては人後に落ちない自信が、私にはある。昔、朝松健『私闘学園』を読んでいると、不意に登場人物のひとりに「本陣殺人事件」の犯人をバラされてしまった。それからというもの、ネタを割るのになんの抵抗も感じなくなったよ。ハッハッハ!
 ネタを割られることに慣れている、寧ろネタを割ってほしくてたまらない奇特な向きだけがこの先を読み進めるように。そうでなければ、きっと後悔することになるだろう。

 十五歳の教え子と性的関係を持つ教師と教育現場における経験の豊富な同僚ということで、この構図を持つある作品を想起した。「ダウト あるカトリック学校で」だ。この時点では本作も「ダウト」も観ていない。ただし二作とも物語におけるおおまかな流れを知ってはいた。そのうえでの予断だ。ああ、似てるんだなあ、と。
「ダウト」のフリン神父と本作のシーバ。「ダウト」のシスター・アロイシスと本作のバーバラ。フリン神父とドナルド・ミラーの関係は疑惑のまま明かされはしなかったが、本作においてシーバは男子生徒と肉体関係を結び、その事実をバーバラにつかまれる。シスター・アロイシスならばフリン神父を追い出す絶好の口実ができたとばかりに喜んで公にする事実を、バーバラは自分ひとりの胸にしまう。
 疑惑と事実の違いはあれど、「ダウト」にせよ本作にせよ、教師と生徒の間の不適切な関係というモチーフを扱っていながら、その出来事に接した年長者の対応によって物語の展開に大きな違いが現れる。
 シスター・アロイシスには、キリスト教徒として守らねばならない戒律と、校長として正さねばならない学校内の規律があった。これらが彼女の行動に影響を与えていた。
 バーバラの行動原理はシンプルだ。それだけに彼女がこれを求める気持ちの強さは尋常ではない。なぜなら、バーバラ・コヴェットは空っぽだから。彼女のなかには何もないから。バーバラは飢えているのだ。だから彼女は求める、自分が満たされることを。ぽっかりと空いた虚ろにぴったりと嵌まる"友人"を。

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疑えば疑うほどに

amazon:[DVD] ダウト あるカトリック学校で  前回の記事で、ジョー・ライト監督作品「つぐない」を取り上げた。作中登場人物のブライオニー・タリスに関する疑惑を幾つか挙げて、彼女の欺瞞を糾弾した。探偵はそれに介入することで事件を自分の物語に書きかえてしまう。私は「つぐない」に入り込んで、「歌うタイプライター」という自分の物語を生み出した。
 他人の事件に土足で上がり込み、全ての事情に通じているような顔で自分語りを繰り広げる。探偵という生き方はよほど鈍感であるか精神が強くなければ為し得ない。物語に対するヘボ解釈をブログで開陳する私は、どちらかというと鈍いのだろう。いや、鈍い! 鋭利な刃物で刺されたなら、三日後に失血死していたことに気付くほど鈍い!
 では、本作の探偵はどうだろうか? そもそも探偵は登場するのだろうか?
「ダウト あるカトリック学校で」を観た。
 聖ニコラス・スクールの校長であるシスター・アロイシスは、厳格な宗教人だ。生徒にも同僚にも規律を求める。そのシスター・アロイシスが教区のフリン神父に対してある疑惑を抱く。その疑惑に関する状況証拠を握ったとき、彼女の疑惑は確信に変わる。

 さて、ここで警告。映画作品を取り上げた記事では毎度のことながら、この記事では本作のネタを割っている。本作を未だ観ていないならば、これ以上は読み進めないのが賢明だ。さあ、他の記事に進むか、PCに火を点けるかするのだ! できの悪い冗談だから本気にしないように!

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歌うタイプライター

amazon:[DVD] つぐない  移動サーカスのテントを次々と覘いてゆくような海辺の光景。引き揚げ船の到着を待つ兵士たち。銃殺される馬、あん馬をする兵士。観覧車は回り、兵士たちは賛美歌を合唱する。長回しが効果をあげるなか、ダンケルクの情景は幻想めいて......。これは本当に現実なのだろうか?
 2011年9月現在公開中の「ハンナ」で主演をしているシアーシャ・ローナンの、十三歳の頃の透明感に驚いた。彼女の少女時代を切り抜いてフィルムに焼き付けたと云う一事をもって、この作品は絶対の価値を有する。ジェームズ・マカヴォイの好演もキーラ・ナイトレイの薄い胸もシアーシャ・ローナンの前に霞む。
 ジョー・ライト監督作品、「つぐない」を観た。
 本作の原作小説、イアン・マキューアン『贖罪』を読んでいない。『贖罪』を読みさえすれば了解できる事実関係をつかまずに本作を語ることは、作品を正しく理解していないことを露呈するのではないか? 一抹の不安を覚えつつ、あくまで映画化作品を評価するのだから123分間に現れた事象から物語を再構成すればよい、とも思う。そのうえで私は評価する。この素晴らしい"物語"を。
 死を控えた女性作家が通算21冊目にして最後の作品を書き上げた。小説のタイトルは『つぐない』。これは自伝的要素の強い作品で、作家自身を含め、多くの関係者が実名で登場するという。本作はその作家、ブライオニー・タリスの『つぐない』の内容をなぞっているようだ。そして、この点こそが本作を語るうえで重要になる。
 作中に示された客観的事実はとても少ない。作中に現れる事象のどこまでが事実でどこからがブライオニー・タリスの創作なのか、これを探る為の手掛かりが厳密にはまるでないことに気付く。

 1935年、十三歳のブライオニーは既に物語に遊ぶ少女だった。創作意欲の豊かな彼女はタイプライターに向かって物語を紡ぐ。物語の冒頭から世界をタイプの音が支配する。この時点で、これから始まるのは作中作なのではないかと考えられる。物語はタイプライターの立てる音と共に進行してゆく。タイプライターが物語世界を構築してゆく。
 物語を紡ぐタイプの音は、おかしな表現になるけれど「タイプライターでのみ奏でられるのではない」。それらはピアノの音であり、ライターをカチャカチャ弄ぶ音であり、路面を踏む靴音であり、照明が点いてゆく音であり、通りを行く馬の蹄の音であり......。細かくリズムを刻む音は、あるいは生を刻む拍動を意味しているのかもしれない。いくつかの例を挙げたように、本作はリズム隊が頑張っている。ルロイ・アンダーソン作曲のその名も「タイプライター」という楽曲があるが、本作の劇伴はそれに引けを取らない。特徴的で、明確な意思を感じる。
 タイプライターの音が示しているのは、本作の内容の大部分がブライオニー・タリスが物した小説だということである。自伝的要素に満ちていようと、実在した人物が実名で登場しようと、これは人の創作物だ。そこには嘘があって然るべきである。
 事実を羅列したところで小説にはならないし、作家本人の内なる要請によって書かれた告白であっても脚色は為される。ましてブライオニーは十代の頃から、自らの過ちとそれが招いた悲劇をテーマに創作してきたのだ。強迫観念的に取り憑かれた罪の意識を浄化し、自らの迷える魂を救済する為ならば、事実の改変すら手を染めるだろう。いや、後悔を抱えて老境に到り、思考力を失いつつあるブライオニー・タリスの目的はひとつだけかもしれない。死を前に用意しておかなければならないことがあったのだ。そうして完成させたのが『つぐない』である。
 本作を観る限りでは、その内容がブライオニー・タリスの創作であると明示されない。女性作家の少女時代から成長してゆく様と、彼女の姉と庭師との悲恋が描かれているにすぎない。それでも、それらが事実ではなく創作であると捉える以上は、論理的にこれを証明してみせよう。よって、ここからはミステリ作品に対するアプローチで本作を読み解くことにする。例によって、いつもの病気である。
 ミステリ的アプローチをすることは、本作の内容についてその多くを細かな点まで言及するということだ。事実関係を伏せて考察を進められない。ネタを割ることも辞さない。
 忠告しよう。未だ「つぐない」を観ていないならば、ここから先へは進まないことだ。本作を先入観無しに愉しむにはこの記事を読まずに先ず観る!

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鬼女の幸せ

amazon:[DVD] ブラインドネス  ジュリアン・ムーア主演作品「ブラインドネス」を観た。
 ジュリアン・ムーア主演と強調するのは、本作における彼女の役どころがとても"ジュリアン・ムーアらしい"ものだから。怒りの沸点が低く、感情の赴くままに行動するほど若くない。すべてに疲れて諦めて、流れに身を任せるほどには枯れてない。静かに着実に自分の居場所を勝ち取る、中年の既婚女性。
 ジュリアン・ムーア演じる中年女性は眼科医の妻として登場する。夫は決して悪い配偶者ではないが、仕事を家庭に持ち込む嫌いがあり、夫婦の時間を大切にしているとは云えない。医療に携わる者としては満点なのかもしれないが、妻にしてみれば二人で同じ時間を共に過ごしているのに孤独を感じる。自分の酒量が増えていることを夫は気付いていないだろう。現在の状況を不幸と嘆くつもりはないけれど、幸せでは決してない。
 何が原因でそれが発症するのか、どのような感染をするのかわからないが、普通ではない失明が広がっている。眼科医である夫も視力を失った。そして、これも理由はわからないけれど、自分は今まで通りに見えている。視力を保っている。わからないことだらけだけれど、今の私は他の誰よりも必要とされる人間だ。苦労も多いし幸福とまでは云えないけれど、不幸では決してない。

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三位一体の神話

amazon:[DVD] ブロークン 「ブロークン」を観た。
 レントゲン技師のジーナ・マクヴェイは建築家のステファンと交際している。今夜のパーティは主賓には内緒なので、現場をかかえる恋人は仕事が忙しいだろうけれど時間厳守が絶対条件。
 アメリカ大使館に勤めるジョンは定年を間近に控えている。ひとりきりの誕生日を寂しく過ごそうとする彼は物音に体を強張らせた。得物を手にドアを開けると、そこには彼の見知った顔が並んでいる。「サプライズ!」の声で、ささやかな誕生パーティが始まった。そのパーティのさなか、突然に鏡が割れた。その後、ジーナたちを追いかけるように彼女の自宅の鏡が割れる。
 ジーナは職場からの帰りに、自分の車に乗る女を見掛ける。女は自分にそっくりだった。車が地下駐車場に入ったので追いかけると、そこは見知らぬアパート。女を追ってある部屋に入ったジーナは、部屋の様子に驚く。写真立てに飾られているのは自分と父親のツーショット写真だ。これはどういうこと?
 車を走らせるジーナの脳裏に浮かぶのは、その直前に見た光景。運転中だと云うのに注意力散漫になっていた彼女はハンドル操作を誤ってしまう。その結果、対向車とほぼ正面からの衝突事故を起こしてしまった。
 退院したジーナは恋人の異変に気付く。外見は変わらないが中身は以前と違う気がする。入院時に顔を合わせたカウンセラーはジーナの違和感を事故の後遺症と云うが、自分ではそんな実感はない。自分は医者の云うように、カプグラ症候群なのだろうか?
 ステファン宅のバスルーム、天井の一点から水漏れがするのだが、あの上はどうなっているのだろうか?

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洞窟観光協会

「サンクタム」公式サイト 「サンクタム」を観た。
 ジェームズ・キャメロンが製作総指揮を務めた3D映画。実は私、公開当時あれだけ話題になった「アバター」すら未だに観ていない。観たくなかったわけではないんだけど、なんとなく行きそびれているうちに上映館が少なくなり、「ま、観られないなら観られないでいいかな」なんて思うようになった。3D懐疑主義者ではないけれど、3D至上主義者でもないし。で、3D懐疑主義者とか3D至上主義者とかってナニ?
 このことからわかるように(わかるか?)、本作は特にどうしても観てみたいわけではなかったのだが、足を運んだ映画館で食指が動いたのは本作だけであった。ジェームズ・キャメロン印の3D映像というのがどんなものか、遅ればせながら実際に体験してみるとしようか。せっかくここまで来たのだからこのまま何も観ずに映画館を後にするのは業腹、と考えたのだ。
 本作を観る数日前に、3D上映の「プリースト」を観ていた。それで感じたのだが、「3D体験を提供する」ことについて、二作品はこの点で完成度に差があるようだ。どちらが優っているかは敢えて云わないけれど、さすがはジェームズ・キャメロン製作総指揮。3D表現についてはノウハウの蓄積があるんだろうな。
 話題になった「アバター」が実際にどれくらい3D体験を堪能できるのか知らないが、本作における「奥」と「手前」との配置は「プリースト」とは比較にならない。絵コンテの段階でメチャクチャ考えられているのが、素人目にもわかった。大したものだ。正しく見世物だよ。

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北緯38度線

「プリースト」公式サイト  2011年9月13日、秋葉原は富士ソフトビル2Fのアキバシアターにて映画試写会が催され、「プリースト」を観た。
 当日は上映前にゲストを招いてのトークショーが行われて、トークゲストに椿鬼奴ならぬ「ヴァンパイ奴ハンター」が登場したが、これについては省略する。

 本作を普通の吸血鬼モノと思って観に行くと、その期待は裏切られるかもしれない。というのも、人類に敵対する存在として描かれているヴァンパイアは、一般的に人が吸血鬼と聞いて思い浮かべるイメージとはかけ離れているからだ。本作におけるヴァンパイアはそもそもが人類ではない。闇のなかで進化を遂げた結果、視覚は眼球から失い、その生態は蟻や蜂に近い。頂点に女王が君臨し、これが兵士を産んで殖えてゆく。粘ついた唾液を用いて巣を作るというのも、人類というよりむしろ昆虫寄りだ。
 ここまで挙げた点を見る限り、本作の"ヴァンパイア"は「別に吸血鬼ということにしなくても作品として成立するのでは?」といった、その設定であることの必然性が希薄だ。たしかに人間を凌駕する身体能力を有し、日光に弱い。ヴァンパイアに噛まれると"感染者"となって人間ではなくなるようだが、これによってどのような変化を遂げるのかは明示されない。見たところ、さして強くなったようには思われないのだが、これは対ヴァンパイア最強兵器として描かれているプリーストとの比較だ。人間より強いのかもしれないが、プリーストの前では街の不良学生ほどの脅威すら感じられない。そのうえ"人間ヴァンパイア"なるものが登場する。こうなると、もうなにがなんだか。吸血鬼モノという先入観は頭から追い出して観るべき作品だ。そうでないと、いろいろと納得できないまま物語は進む。

 本作は23日からの公開だ。まだ観てないという方のほうが多いハズ。ここから先は、ネタを割られることも辞さないという、苛烈なる覚悟で進んでもらいたい。ここまでの内容でも、設定や展開について少なからず明かしてしまっている。
 ネタを割られるのが大嫌いで「そういうんだったら次にしますぅ」というそこのキミ、今日はここまでにして「回れ右!」だ。アディオス。

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殺人事件の作り方

amazon:[DVD] クッキー・フォーチュン  ロバート・アルトマン監督作品「クッキー・フォーチュン」を観た。「クッキー・フォーチュン」である。リンジー・ローハンとジェイミー・リー・カーティスの「フォーチュン・クッキー」ではない。グレン・クローズとジュリアン・ムーアとリヴ・タイラーの「クッキー・フォーチュン」だ。
 倒叙あるいは倒述形式のミステリは一般的なそれとは物語の構造が異なる。それはどういうものかと云えば「倒叙(倒述)」の言葉が示す通り。文章表現に倒置法というものがあるが、これは言葉の順番を逆にすることだ。例えば「ぼくは映画館へ行く。」という文章は「ぼくは行く、映画館へ。」と云い換えられる。この場合、倒置法を使うことで目的地である「映画館」を強調できる。倒叙(倒述)ミステリは一般的なミステリの在り様とは反対に、犯人の正体を冒頭で明かす。物語の最初に犯罪の様子が描かれる。それでは、この形式で強調されるものは?
 倒叙(倒述)ミステリの作品では、犯人の正体や犯行方法等は読者(観客)に提示される。それはつまり、犯人の人となりや犯罪へ至る際の内面の様子を詳細に描くことができるのだ。この点が一般的なミステリとは異なっている。そしてこの点からわかることは、犯人の正体や犯行方法といったものはミステリにおいて絶対に秘匿すべき情報ではないことだ。ミステリのジャンルの奥深さが窺える。
 倒叙(倒述)ミステリがどんなものかを言葉を尽くして説明するよりも、具体的なタイトルを挙げてイメージしてもらったほうが手っ取り早い。例えば物語が殺人事件を扱う場合、犯人が殺害を実行する場面を冒頭に置いて読者(観客)に提示するのが、このタイプだ。代表は「刑事コロンボ」のシリーズ。コロンボの名を目にして「ああ! 犯人の正体が最初にバラされるやつね!」と思い至った向きもあるだろう。その理解でかまわない。日本のテレビドラマ、「古畑任三郎」も倒叙(倒述)ミステリだ。
 私が考えるところの倒叙(倒述)ミステリの魅力は、犯人や犯行を目撃した読者(観客)すら気付かなかった犯人の落ち度が論理的に指摘されるところだ。犯人にも読者(観客)にも視えていなかった犯罪実行過程に瑕疵があって、これが論理の輝きを鋭く反射するのを目の当たりにして、ミステリ好きとしての私の心は打ち震える。あるいは完璧であるかのように描かれた犯行計画が、探偵の一撃によって見事に瓦解するところに滅びの美学を認めるのだ。日本的に云うならば「もののあはれ」だろうか。
「刑事コロンボ」では犯人とコロンボの対決の構図が完成しており、この点が多くのファンを獲得していることは否定できない。犯人が絶対の自信を誇る犯行計画を盾にコロンボに挑めば、コロンボは犯人が見落とした計画の瑕疵を攻撃する。互いに相手を敵と見做して、その緊張感のなかで闘争を繰り広げる。コロンボの乾坤一擲の攻撃が鉄壁を誇った犯人の牙城を陥落させる結末を、それはシリーズ作品の約束事であるにもかかわらず、常に新鮮な驚きをもって迎える。「刑事コロンボ」における対決の面白さは、しかし倒叙(倒述)ミステリ全般にそなわるものではない。それとは別に、ミステリ作品がそなえていなければならないものがある。
 ミステリ作品において作者が守らなければならないのがフェアプレイの精神だ。ミステリは作者と読者(観客)との正々堂々の勝負だからである。一人称視点で綴る場合や伝聞の体裁をとる場合を除いて、地の文において虚偽の記述があってはならない。探偵が犯人を指摘する段になって、それまで物語に登場していなかった人物が犯人として現れてはいけない。他にもミステリにはジャンル全体に通じるルールがある。それらはフェアプレイ精神を反映したものである。フェアプレイが守られてこそ、遊びとしての文芸が成立するのだ。だから、一般的なミステリでは作者と読者(観客)の勝利条件の象徴である犯人は、秘匿しつつも物語の中盤までに登場させておかねばならない(犯人の正体だけが物語における謎とは云えないが、多くのミステリ作品がフーダニットであることは事実だ)。しかし、倒叙(倒述)ミステリにおいてはこの前提が揺らぐ。
 犯人の正体が序盤から明らかなればこそ、作家は犯人の殺人に到る心の動きや行動を詳らかにすることができる。また、登場人物に対しては彼らの行動原理にそぐわない行動をとらせることをせずに済む。出来の良くないミステリには、トリックを成立させるためにそれまでの行動原理に沿わない、人格が破綻しているかの如き登場人物が現れる。全然納得できない。架空の存在であれ、物語世界に生きる一個の人間である。人として選んだ行為であり犯罪であるが故に、その人物造型に則した犯罪方法やトリックの創出が求められる。犯人を含めた登場人物は物語の為に作家が用意したギミックではないのだ。
 倒述ミステリは正々堂々と人間を描きつつミステリを完成させることのひとつの手法と云えよう。但し、たったひとつの冴えたやり方と云うわけではない。

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シュレディンガーのニコラス・ケイジ

amazon:[DVD] NEXT -ネクスト- スタンダード・エディション 「NEXT ネクスト」を観た。
 業界きってのサラブレットながら出演するB級映画をC級臭くする男、ニコラス・ケイジの主演作品。共演にジュリアン・ムーア。そして、ピーター・フォークが出演。主人公の友人を演じて、好好爺然とした立ち居振る舞いのなかに一筋縄でゆかないしたたかさを覗かせている。
 でもC級映画!
 2分先の未来を見通すことのできる男、名をクリス・ジョンソンという。クリスはこの能力に手品の装いを施して生きてきたが、彼は自分の知らないうちにFBI捜査官に目をつけられていた。クリスにある仕事をさせたいFBIは彼の追跡を始めるが、時期を同じくしてテロ組織もまたクリスに目をつける。2年に渡って進めてきた計画を実行するためには、些細な障害であっても全力をもって排除しなければならない。FBIがクリスにさせたい仕事とは、テロ組織が秘密裏にカリフォルニアに持ち込んだ、10Kトンの核爆弾の捜索だ。

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この世には不思議なことなど何も無いのだよ

amazon:[DVD] シェルター 「シェルター」を観た。
 ジュリアン・ムーアという女優は演技の引きだしが多くて、しかも出演オファーを選り好みしないかのようなキャリアの持ち主だ。だから、「こんな役柄も演じられるのか!」という嬉しい驚きと「こんな作品にも出ちゃうんだ」という嬉しくない驚きを味わうことがある。皆様、ジュリアン・ムーアには騙されないように気をつけましょうね。

 その夜、ある囚人の死刑執行を前に最後の精神鑑定が為された。弁護側の主張は、今は死刑を待つばかりの囚人に罪はない。彼が犯したとされる殺人は囚人のなかの別人格によるものであり、囚人に責任能力はない。刑の執行は不当である、と。しかしこの夜、精神鑑定を担当したカーラ・ジェサップは多重人格をファンタジーと断じて、弁護側の主張を退ける。死刑は執行された。
 三年前に夫を亡くしてからというもの、カーラは変わった。精神分析医の父親にとっては、これが心配の種。好奇心を失い、確立された学説のみを頼りに縋っている。そんなことでは医師としても科学者としても成長しない。そして人間としても、そのありようには若さが感じられない。
 ハーディング医師は娘のためを思って、友人が担当していた患者を自分の病院に転院させた。その患者の症状は多重人格を疑わせるのだが......。

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