コミックブック Archive

世界にひとつだけの花

 さて、アメリカのコミックブックについて、初心者に毛の生えた程度の、いわゆる「半可通」が云々する記事の第9回である。
 今回の記事はコミッション(commission)について語る。ただし、私はアメコミ初心者ならコミッションについても当然の如く初心者である。このことを念頭に置いて読んでいただきたい。いろいろと事実誤認があるかもしれない。
 ちなみに、14日に開催されたライブペインティングのイベントでは、事前に依頼していたコミッション数点を受け取った。そのどれもが素晴らしく、それを眺めてはウヒウヒ笑みを浮かべる日々を送っている。
 前回の記事に書いたけれど、私のコミッション初体験は、海外マンガフェスタ2014でサミ・バスリ氏が受けてくれたキャットウーマンである。会場で申し込んで、その日のうちに受け取った。
 その日のうちに遣り取りを終える。言い方を変えると、「当日に成立するコミッション」ということになる。だから、これを「当日コミッション」という。それがスケッチのレベルかペン入れがあるのか、はたまた彩色を施されるのかは、また別のハナシだ。
 でもって、そもそもコミッションとは何か?

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地球の歩き方 アメコミイベント編

 さて、アメリカのコミックブックについて語る記事の第8回となる。
 今回はこれまでと趣向を変えて、この週末に開催を控える「海外マンガフェスタ2015」とその前日に催されるライブペインティング・イベントに先駆けて、アメコミのイベントについて述べてみる。
 とはいえ、私自身が海外マンガフェスタに参加するのは今年で三回目となる。そして、それ以外のアメコミイベントに参加した経験は無い。申すまでもなく、アメコミイベントに関しましても初心者なのであります。
 こういう事情なので、他人様に偉そうに蘊蓄を垂れられるほどに詳しいわけではない。だから、これまでの経験とこのたび参加するにあたって掻き集めた知識を総動員して、この記事を書き上げる所存。
 さあ、どうなりますことやら!

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原書読みなら三倍段

 さて、自分でも驚くことによく続くもので、この「アメコミひとり語り」の記事もこれが第7回となる。
 前回、馴染みのない用語を並べて「これらの説明をする」と宣言した手前、やらないわけにはゆかないのだが、すごく気が重い。なぜなら、あれらの用語はアメコミ読者、特に原書を購読する向きには常識であり、つまりは"言わずもがな"の事柄を初心者が事実誤認を覚悟で語らなければならないわけで。しかも語彙は自家薬籠中のものにできているとはいえない。だから誤った記述や文章運びにも不安が残るという具合だ。
 武道に曰わく、「剣道三倍段」らしい。得物を持つのと持たぬのとではそれほどまでに差が開くということのようだが、私に言わせると「原書読みは翻訳頼みの三倍段どころじゃない!」のだ。英語を解するということとそうでないことの間には、越すに越されぬ田原坂があるのだ。
 英語どころか日本語の読解すら怪しい身にとって、海の向こうでリアルタイムに展開しているアメコミ趨勢なんてものは、手を出すことを考えることすら身の丈をこえている。無理! 今生では無理!
 これまでの記事で、アメコミは雑誌掲載をとらず、個別のタイトルで刊行されることを述べた。つまり「月刊DCジャンプ」に「バットマン」や「スーパーマン」や「ジャスティス・リーグ」が連載されるというかたちをとらずに、「バットマン」だの「スーパーマン」だの「ジャスティス・リーグ」だのがそれぞれに定期刊行されるのだ。
 一号はたいてい32ページ。中綴じのフルカラーでB5版。この刊行物をアメリカでは「コミックブック」と呼び、日本では「リーフ」と称している。

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KINGDOM COME

amazon:[単行本] キングダム・カム 愛蔵版 (ShoPro Books)  さて、アメリカのコミックブックについて語る第6回の記事だ。
 いよいよ「キングダム・カム」について語るところまで到達したわけだ。とはいえ、これはレビュー記事ではない。取り上げはするものの、「キングダム・カム」の内容に深く踏み込むことはしない。
 あくまで私のアメコミ史とそれにおける位置、「キングダム・カム」とその後の体験が私のアメコミ観にどのような影響を及ぼしたかを述べるつもりだ。
 私にとって「キングダム・カム」は特別だ。第2回の記事にも「人生の転機となる読書体験」について述べたが、実は『キングダム・カム』を読んだときもアメコミ観の転換が起きた。
 それまでのアメコミ観は酷いものだ。股間もっこりタイツ姿のマッチョが勧善懲悪の約束事で他愛のない追いかけっこを繰り広げ、たまに映画や対戦格闘ゲームに出る。
 そのうえ「エイジ・オブ・アポカリプス」でのトラウマから印象はますます悪くなった。傍から見ると誰が誰だかわからないだの人間関係がクソみたいにややこしいだのと、悪口ならいくらでも吐き出せるくらいには。
 その価値観を持ちながらも定価2400円(税込み)の本を買ったのは、表紙に描かれたスーパーヒーローの姿に惹かれたからだろう。帯の「映画のように美しく、小説のように骨太」との惹句にも心動かされたかもしれない。
 いまとなっては何が理由でその本を買うに至ったのかわからない。とにかく私は『キングダム・カム』を買い、そして読んだ。

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特攻野郎Aチーム

 さて、せっかく作った「コミックブック」カテゴリを無駄にしないための「アメコミひとり語り」の記事、その第5回である。
 これまでの記事で、日米のマンガ事情とその違いを上辺だけでも浚ってきたわけだが、今回は制作現場における違いを述べるつもりだ。
 作品を完成させるのに、ひとりの作家が作業のすべてを担う。これ自体は作家性を追求するのに最良の方法なのかもしれないが、日米のマンガ制作の現場はいずれもそんなやり方を採用してない。原稿を完成させるのに要する作業を、一から十まで自分ひとりで成し遂げる作家は、絶対にいないとまでは断言できないが、ごくごく稀であることは確かだ。
 そもそもマンガ原稿を仕上げるのは、読者が考えるよりずっと手間がかかるものだ。何ひとつとして指標の示されてない白い紙に、真っ白な世界に、絵を介して物語を描き込む。作業量は膨大だ。
 だから独力で成し得ないと判断されても、それは無理からぬところである。
 膨大な作業量を数で攻略する。日本の漫画家は、作業を手分けして完了するために、自腹でアシスタントを雇う。他人に任せられるところは任せて、一定のレベルの完成原稿を仕上げる。また、週刊誌や月刊誌に連載を持つ漫画家にとって、休む間もなく迫り来る締め切りに原稿を間に合わせる必要がある。
 完成原稿の質を高め、それを維持すること。作品を定期刊行物に載せ続けること。この二点を実現するのに、作業の人手を増やす意味でアシスタントを雇い、分業制を採り入れる。
 日本の漫画業界における分業制について述べるなら、このようなところだろうか。つまり、主たる業務の質と量を十全にこなす目的から、人員を雇用し彼らに補佐を務めてもらう。臨時、あるいは恒常的に雇い入れたアシスタントは、その現場においてはあくまでもアシスタントにすぎず、作家が担うべき主たる業務を行うことはない。
 対して、アメリカのコミックブック制作の現場は、やはり分業制が確立しているが、日本のそれとは意味合いが大きく異なる。

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一国一城の主

amazon:[DVD] バクマン。 1stシリーズ DVD-SET  さて、アメリカのコミックブックを語る、第4回目の記事。
 厄介な代物「クロスオーバー」をざっと語り終えて、しかしそもそも「個人誌」なるものが何なのかを述べていなかったことから、結局は大して説明できていない、というのが判明した前回記事。
 そうなのだ。この「個人誌」が日本の漫画とアメリカのコミックブックとの大きな違いのひとつである。
 ここで三度目の登場を願うのは週刊少年ジャンプだ。集英社の誇る少年漫画雑誌。
 ご存知のとおり、週刊少年ジャンプは漫画雑誌だ。この「雑誌」であるという点がアメコミ事情と異なる。
 少年ジャンプは様々なタイトルを擁する。それこそ「こちら葛飾区亀有公園前派出所」に「ONE PIECE」、「ハイキュー!!」が誌面を賑わす。大ベテランも中堅も新人も「週刊少年ジャンプ」という土俵の中で「面白い漫画を描く」ことを競う。
 これは少年サンデーも少年マガジンも少年チャンピオンも同じ状況にある。また、事は少年誌に限らないし、週刊誌に特有のことでもない。
 雑誌においては少なくない数のタイトルが連載され、その中で人気を競っている。安定した人気を誇る老舗タイトルがあり、飛ぶ鳥を落とす勢いの話題作が現れ、そんな群雄割拠の誌面に新人の意欲作がページを割かれる。
 いろいろなタイトルが集められることで、"雑誌"という形態は新人育成に繋がっているといえよう。人気タイトルや話題の作品につられて少年ジャンプを手に取り、そこに掲載の新人漫画家の作品を読む。この御披露目で露払いはむしろベテランや中堅の作品だ。
 新人が育つには実戦が一番だ。読者の反応に触れるには、やはり作品を発表することからはじめなければならない。しかし、海のモノとも山のモノともつかぬ新人の作品をわざわざ手に取るのは、それ相応の理由を必要とする。
 それが雑誌ならば可能となる。
 両津勘吉やモンキー・D・ルフィや日向翔陽の活躍が従来からの読者に週刊少年ジャンプを手に取らせ、贔屓のタイトルを読むついでに新人作家の掲載作品に彼らの目を留めさせる。
 要は「週刊少年ジャンプ」という"漫画雑誌"は、読者に新人漫画家を、その作品を紹介するのだ。
 新人にとっては千載一遇のチャンス。ここが勝負の場だ。作品が面白ければ名前を覚えてもらえる。つまらないと感じられたり好みじゃないと見切られれば、次に作品を読んでもらう機会はないかもしれない。
 評判次第では連載の目がないではない。そして連載を手にしたなら次の段階へ足をかけた、ということ。
 経験を積むことで新人作家は中堅となり、いつしかベテランと呼ばれるようになる。勿論、ここに至るには、面白い作品を描き続ける必要がある。
 かつてベテランや中堅の作家の作家が誇る人気に乗じて、読者の前に新人として現れた作家は、時を経て新人作家の前に読者を導く存在となるのだ。
 新人育成の役割を果たすことから、雑誌の形態は"護送船団方式"と表することができる。そして新人育成の一点において、雑誌が出版業界に果たす役割は大きいのだ(これは漫画ジャンルに限らない)。

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錯綜する大場さん

 さて、アメリカン・コミックを語る記事の3回目となる。
 前回は第1回の内容を振り返るのに文字数を使いすぎた。繰り返しになるので大して意味はないのにもかかわらず。これは反省すべき点だ。
 だから今回は、スッキリとスマートな筆致でズンズン進めようと思う。
 まずはトラウマの「エイジ・オブ・アポカリプス」から語ろう。
 聞こえる。「オイ、またかよッ!」とのツッコミが聞こえるぅ!
 とはいえ、今回語るつもりの事柄については(ハナシが横道に逸れて語れずじまいになるかもしれないけれど)、「エイジ・オブ・アポカリプス」でのトラウマを踏まえるのは必要な手順なのだ。
 何も知らないも同然なのに「エイジ・オブ・アポカリプス」に挑み、手出しできぬまま敗走した私の脳裏に刻まれた、「クロスオーバー」。
 かの作品はクロスオーバー大作だった。「クロスオーバー」の何たるかを知らず、異常なほどの数のキャラクターが登場することも錯綜する人間関係にも戦慄するばかり。
 この人数の多さは「クロスオーバー」が関係しているらしい。ヨシ、わかった。クロスオーバーは、敵だ。
 時は流れて十余年。アメコミ作品の映画化はひとつの流行となってハリウッドを席巻しつつあって。撮影編集技術の革新は夢のような光景にある種の現実味を持たせることに成功した。
 時間の経過と状況の変化によって、私のアメコミ読まず嫌いは払拭された。
 ただし、トラウマは完治したわけではなかったようで。

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ケープを纏った半可通

amazon:[単行本] スーパーマン:アースワン (ShoPro Books)  さて、アメリカのコミックブックについて素人が語る第2回の記事だ。思ったよりも早く実現した。ここ二年ほどの更新頻度からすると、マッハですよ。音速の行進!
 CAPCOMの対戦格闘ゲームで親しんだキャラクターについて、ゲームで紹介される程度の知識で「知己を得た」レベルにまで勘違いし、調子に乗って「エイジ・オブ・アポカリプス」に挑むも返り討ち。
 昔から読み慣れている日本の漫画とは異なるアメコミの様式に、この初心者は為す術なく敗走し、心に深い傷を負う。
 その後、十年以上の時を経て、「アメコミも悪くないなあ」と思い直すきっかけとなったのが、「スーパーマン:アースワン」だ。
 クリストファー・ノーランの「ダークナイト・サーガ」三部作に熱狂し、ザック・スナイダーの「マン・オブ・スティール」を心待ちにするようになって。その頃には、かつて距離をとっていたアメコミ映画に親しむようになっていた。
 強大な力を有するヒーローが活躍する雄姿に喝采をあげる、心の底から楽しむ。彼ら"超人"の個人として抱く思いと使命感との間で葛藤する背中を見て、我が事のように胸を痛める。
 既にしてアメコミの魅力の一部は感得しているわけで。
 ただし、「リメンバー・アポカリプス!」が脳裏にチラつくのも事実。
 それに加えて、アメコミ翻訳本の購入に足踏みする、しごく尤もな理由がある。
 アメコミの翻訳本は安くない。フルカラーで判型はだいたいB5判、ページ数は三百に満たない、いたって薄い単行本。それであっても二千円をオーバーする。『スーパーマン:アースワン』は136ページで定価2000円(税抜き)だ。
 かつて私を苦しめた「エイジ・オブ・アポカリプス」は各巻3000円以上したのではないか。
 だから、「ちょっと手を出してみようかしら」なんて気軽に買える金額ではない。
 悩む。「買ったはいいけどハズレだったらどうしよう」の不安がつきまとう。冷静に考えると、「ハズレ」レベルの作品がわざわざ翻訳の手間をかけてまで出版されるわけはない。編集会議と営業会議を通った企画なのだから、世に問うだけの価値は有すると判断されたに違いないわけで。
 ただし、物語としての面白さや完成度において「ハズレ」はなくとも、相性が合わないということはある。文章のリズムがしっくりこない、絵柄が好みじゃない、主張やテーマが気に入らない等。
 アメコミのアートスタイルは、日本の漫画のそれとは一線を画している。そして私は、アクの強くバタ臭い、いわゆるアメコミらしい絵柄が苦手だ。その手の作品を積極的に読みたいとは思わない。
 だから、「スーパーマン:アースワン」の次に何を読むかとなると、最後まで倦まずに読める絵柄であることが最低の条件だった。

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黙示録警報発令

 さて、何から話そうか。

amazon:[Blu-ray] 【Amazon.co.jp限定】ダークナイト トリロジー スペシャル・バリューパック (4枚組)  最近、といってもここ二年ほどだろうか。アメリカのコミックブックを積極的に読むようになったのは。
 アメリカン・コミック、平たく言うとアメコミだ。
 ひとくちに「アメコミ」というけれど、アメコミはヒーローを描いたものばかりではない。12月に公開の迫っていることで知られる「ピーナッツ」、つまりチャーリー・ブラウンとスヌーピーの物語は、アメコミといえばアメコミだ。
 また、海外ドラマで話題となった「ウォーキング・デッド」も、やはりアメコミのドラマ化作品だ。
 どちらの作品もコスチュームを着たスーパーヒーローは出てこない。
 スーパーマン誕生前からアメコミは存在したし、ヒーローたちの黄金時代が過ぎて斜陽となった時期にもアメコミは他ジャンルに活路を見出し、そして今がある。
 多様な物語のジャンルがあり、それがアメコミの豊饒を示しているが、私自身はいま現在、ヒーロー譚に惹かれている。なので、今後、私が語る「アメコミ」とは彼らを描いたものと了解してほしい。
 物事には起点となる一瞬がある。クリストファー・ノーランの手になるダークナイト三部作の完結から、私のなかのアメコミ熱がグンッと上昇し、ついにはまたもや翻訳本に手を出すようになって。
 いや、バットマン以前にもアメコミのヒーロー物については勿論のこと知っていたし、いくつかの映画化作品を観てもいた。
 これはDCに限らずMARVELもそうである。つまり、2008年公開のロバート・ダウニーJr.主演「アイアンマン」をはじめとする、「MARVEL CINEMATIC UNIVERSE」であり、スパイダーマンであり、X-MENである。
 そのときはそうとは知らず、あるいは気にも留めず、いまとなって「あれはアメコミの映画化作品だったのだな」と思い返すこともある。
 それぞれに面白かったし興奮もした。これらのアメコミ映画は、はっきりいって好きだ!
 それでも翻訳本とはいえコミックブックに手を出さなかったのは、それはトラウマがあったからである。
 ここで「精神的外傷」と表するのは大袈裟ではあるけれど、自分史のなかの黒い歴史であることは確かだ。その正体は「エイジ・オブ・アポカリプス」である。

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