ケープを纏った半可通 | HOME | アメコミ強化月間突入?

黙示録警報発令

 さて、何から話そうか。

amazon:[Blu-ray] 【Amazon.co.jp限定】ダークナイト トリロジー スペシャル・バリューパック (4枚組)  最近、といってもここ二年ほどだろうか。アメリカのコミックブックを積極的に読むようになったのは。
 アメリカン・コミック、平たく言うとアメコミだ。
 ひとくちに「アメコミ」というけれど、アメコミはヒーローを描いたものばかりではない。12月に公開の迫っていることで知られる「ピーナッツ」、つまりチャーリー・ブラウンとスヌーピーの物語は、アメコミといえばアメコミだ。
 また、海外ドラマで話題となった「ウォーキング・デッド」も、やはりアメコミのドラマ化作品だ。
 どちらの作品もコスチュームを着たスーパーヒーローは出てこない。
 スーパーマン誕生前からアメコミは存在したし、ヒーローたちの黄金時代が過ぎて斜陽となった時期にもアメコミは他ジャンルに活路を見出し、そして今がある。
 多様な物語のジャンルがあり、それがアメコミの豊饒を示しているが、私自身はいま現在、ヒーロー譚に惹かれている。なので、今後、私が語る「アメコミ」とは彼らを描いたものと了解してほしい。
 物事には起点となる一瞬がある。クリストファー・ノーランの手になるダークナイト三部作の完結から、私のなかのアメコミ熱がグンッと上昇し、ついにはまたもや翻訳本に手を出すようになって。
 いや、バットマン以前にもアメコミのヒーロー物については勿論のこと知っていたし、いくつかの映画化作品を観てもいた。
 これはDCに限らずMARVELもそうである。つまり、2008年公開のロバート・ダウニーJr.主演「アイアンマン」をはじめとする、「MARVEL CINEMATIC UNIVERSE」であり、スパイダーマンであり、X-MENである。
 そのときはそうとは知らず、あるいは気にも留めず、いまとなって「あれはアメコミの映画化作品だったのだな」と思い返すこともある。
 それぞれに面白かったし興奮もした。これらのアメコミ映画は、はっきりいって好きだ!
 それでも翻訳本とはいえコミックブックに手を出さなかったのは、それはトラウマがあったからである。
 ここで「精神的外傷」と表するのは大袈裟ではあるけれど、自分史のなかの黒い歴史であることは確かだ。その正体は「エイジ・オブ・アポカリプス」である。

 そもそも私がアメコミのキャラクターと親しんだのは、対戦格闘ゲームがきっかけ。
 そう。CAPCOMがMARVELと提携して作った、一連のゲームだ。そこでX-MENらMARVELヒーローと出会った。
 スパイダーマンこそ東映ヒーローとして見知ってはいたものの(そういえば「超人ハルク」も名のみ知っていたかな)、ミュータントのヒーロー集団ともロボット男ともザ・星条旗とも初対面だった(厳密には"ロボット男"ではない。アイアンマンは着脱式兵装を纏った生身の人間だ)。
 しかしこのときの彼らは、太平洋の向こうで活躍するヒーローというより、対戦相手を倒すためのプレイアブルキャラクターとの認識であり、自分の戦法に合致するかしないかとか、コマンドが入れやすいとかの使い勝手で各キャラクターを評価していた。
 たとえば、オプティックブラストはガードの上を削れるだのウルヴァリンやキャプテン・アメリカの突進技はガードを削れるだの。って、ちょっと待て。しょっぱい対戦しかしてこなかったみたいじゃないか!
 ともあれ、こうした事情でMARVELヒーローと知己を得た私は、数年後に「エイジ・オブ・アポカリプス」の翻訳本を読む機会を持った。むしろ旧友たちとの再会を期待して、勇んで読んだところがある。
 ところが、知己を得たとはこちらの勝手な思い込み。実際はまったくの一方通行だと思い知らされた。
 一読して唖然。誰が誰だかさっぱりわからない!
 いや、見知った顔はある。ただし、まったく知らない名前で呼ばれている。ウルヴァリンが「ローガン」ってどういうこと? サイクロップスが「スリム」って?
 それにキャラクターの見分けがつかない。男も女もマッチョだらけ。ヒーロー活動時のコスチュームならまだしも私服に着替えられたら「どちら様?」と言いたくなる。
 輪をかけてわからないのが彼らの人間関係だ。やたらと多い登場人物がアチコチで好き勝手に動き回り、過去の因縁から衝突したり和解して団結したり。
 今ならわかる。X-MENをはじめ、MARVEL世界は何年も何十年も続くメロドラマみたいなものだと(DCも似たようなものだと)。
 メロドラマは大袈裟にしても、長い年月の間に様々な出来事や事件があって。「エイジ・オブ・アポカリプス」にしても、くっついただの別れただのは序の口で、死んだの生き返っただのが当たり前のように出てきて、だから最終巻まで読み通したのだけど「結局、何がどうしたわけ?」と匙を投げてしまった。
 生まれついての鳥頭。実際に痴話喧嘩や無念の死だの奇跡の復活だのがあったのかは、もはや茫洋として定かではない。記憶にあるのは「さっぱりわからなかった」という一事のみ。
 今ならば、あの作品がクロスオーバー大作であり、それだけに大勢のキャラクターが登場するのだということを知っている。そして、キャラクターそれぞれの背景を知らずとも、筋立て自体が面白ければ楽しめることを。各人の内情を、作品世界における勢力の趨勢を、これらをちゃんと把握していればいっそう面白いということを。
 このときの私はMARVEL世界について対戦格闘ゲームの延長線上にしか見ていなかったし、数少ない既知のキャラクターについては必殺技のコマンド程度しか知識はなかったのである。
 つまり、何も知らなかったのだ。
 だから単行本の帯に躍る「クロスオーバー」の文字にも、「意味はわからないけど格好良さそう!」くらいにしか思わなかった。
 右も左もわからぬとはこのことである。

 かくて非力なこの私はX-MENに挑んで敗走し、MARVELへの、否、アメコミへの興味を失った。アメコミを題材にとった映画を避けるほどではないにせよ。
 それでも、公開当時に大いに話題となった「スパイダーマン」は、シリーズを通して映画館では観なかったな。「バットマン ビギンズ」もDVDでの観賞がはじめてだったか。
 今さらだけど、思ったより傷は深かったようだ。

 こんな私だが、今や百冊以上のアメコミ翻訳本の蔵書を抱えるわけで。いやはや、自分でもびっくりだ。
 二年前、ザック・スナイダー監督作品「マン・オブ・スティール」の公開を間近に控え、『スーパーマン:アースワン』を買ったのが久しぶりのコミックブック邂逅だ。
 読んだ。面白かった。
 アメコミのなかでもお馴染みのヒーロー、「スーパーマン・リターンズ」で改めてこのクリプトン人と旧交を温めていたことが幸いして(これもDVDで観たのだった)、すんなりと物語の中に没入できた。
 映画化作品の善導に恵まれて、私のアメコミ読まず嫌いは払拭された。
 しかし問題は、次に手に取る本が面白いかどうかだ。この読書体験が、アメコミと末永く付き合ってゆくか訣別するかの分水嶺。自分としても「エイジ・オブ・アポカリプス」の二の舞は避けたい。
 アメコミ本を買ったのが書泉ブックタワーだったことが、この後の状況を好転させた。
 あの店のアメコミ翻訳本の売り場は、全部がそうではないけれど、平置き書籍には試し読みの一冊が用意されている。幸いにしてある程度まで内容を確認できる。カバー絵と中身が違って期待外れ、なんて事態は回避できる。勿論、面白さに関しても、なんとなくチェックできる。
 こうなると、どのタイトルを選ぶかが思案のしどころだ。

 ここで「次に続く」だ。

 この「コミックブック」カテゴリは自分の体験を絡めつつ、日本の漫画とアメコミとの違いを拙いながらも誤認を恐れず、間違ってもその都度コッソリ訂正して、そうして語ってゆこうと思う。
 そうは言っても、こちらはアメコミ冥府魔道に迷い込んで二年ほどのヒヨッコだ。コミックブックに関して語れる事柄は少なく、翻訳家や出版編集者の方々が丁寧、且つ、的確に言及なさっているサイトがあるだろう。それを読むほうがよっぽど「為になる」。
 自分自身の理解を深めるべく始めた企画だと考えていただきたい。

 ここに至って、語彙の説明を忘れていたことに気付いた。
 混同しがちな用語を挙げて、その意味を規定する。それだけで未知の内容も比較的すんなり理解できるようになるものだ。
 この先、語ってゆくテーマで誤認の起きやすいのは、「アメコミ」だ。
 特に日本の漫画との比較で語ることが多くなると考えられるので、「日本の漫画」に対しても用語を定めておく必要がある。
 そこで、今回の記事を含む、今後の一連の記事においては、以下のように語彙を規定する。
 まず「アメコミ」だが、これは 「アメリカのコミック」あるいは「アメリカのコミックブック」を意味する。コミックとコミックブックではマンガとマンガ本ほどの意味の違いが生じてしまうが、本国アメリカでの表記が「comic」だったり「comic book」だったりするので、厳密には表記別の意味があり本来的な違いがあるのかもしれないけれど、ここではっきり言うと「わからないので一緒くたにする!」のだ。
 だから、書籍を強調する場合は「マンガ本」と表現するように「アメコミ本」と記す。
 そして「漫画」は「日本のマンガ」を意味し、日米のいずれのものと区別することなく、発表媒体の如何を問わず、表現形態としての、創作ジャンルとしてのマンガ(コミック)を「マンガ」とする。
 だから、「マンガがどうのこうの」とあればそれは、日本もアメリカも関係なくマンガそのものを指しているし、「漫画云々」とあればそれは日本のマンガに関して述べている。「日本の漫画」と記す場合もあるが、これは「日本」を強調する意図があるものと受け取ってほしい。
 勘違いしやすいのが「アメコミ映画」だろうか。
 これも落ち着いてみれば簡単なことだ。「アメコミ映画」を因数分解すると、「アメコミ」と「映画」に分けられる。つまり、「アメコミを題材にした映画」だ。
 ここで留意すべき点がある。その「アメコミ」が個別のタイトルや作品を指しているのか、それともアメリカ文化の一端として取り上げられているのか、ということを明示しなければならない。個別作品の映画化と、アメコミ文化を正面から捉えたりアメコミを補助線にして現実を風刺したりする映画作品とは、語る文脈が異なるからだ。
 たとえば前者でいうならば、「ダークナイト」は、「アメリカのコミックブック、『バットマン』を題材にした映画」ということになり、「バットマンのアメコミ映画化作品」という表現ができる。後者ならジェームズ・ガンの「スーパー!」やウディ・ハレルソン主演の「ディフェンドー 闇の仕事人」、M・ナイト・シャマランの「アンブレイカブル」でもって、アメコミ文化のロマンと厳然たる現実との対比を述べることができる。
 もしここで「アメコミ作品」に「アメコミを題材にした映画化作品・映画作品」という意味を付与してしまうと、この用語は紙媒体であることと映像媒体であることの二つの意味合いを内包してしまうことになる。どちらもアメコミ作品には違いないが、そうなれば混乱するのは当たり前だ。
 世の中には「テレビのマンガ」との珍妙な表現をする人がいるが、「それはテレビのアニメーション番組のことですね?」と修正を入れたくなる。紙媒体のマンガと映像媒体のテレビアニメとを混同しては会話が成立しづらいのも無理はない。
 このようなことのないように、マンガはマンガとして、映像作品は映像作品として扱う。
 映像作品は、実写かアニメーションかで個別に分けなければならない場合があるかもしれない(アメコミのアニメ作品は観ないのでそれは無いとは思うけれど)。そうなれば適宜、「アメコミの実写映画化作品・実写映画」や「アメコミのアニメ化作品・アニメ作品」等の表記をとるつもりだ。これは「漫画」においても同じ。
 以上!

 次はそうだな、ひとつのタイトルが75周年を迎える事情について取り上げるとしようか。ここで宣言したとおりの内容になるかどうかは、いまはわからないけど。
 いつになるかわからないけど!

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