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神様も耽る謎解き

 2015年6月28日。芳林堂書店高田馬場店でイベントが催された。
 第15回本格ミステリ大賞受賞記念と銘打たれたトークショーとサイン会である。
 式次第は勿論のこと、授賞パーティーの翌日に開催されること、東京都内もしくは近郊の書店が持ち回りで会場を用意すること等、例年通りのイベントではあるけれど、昨年までとは大きく異なる点もあって。
 前日譚になるのだが、参加するための競争倍率がとてつもなく高くなった。これは誇張でもなんでもなくて。

amazon:[新書] ベスト本格ミステリ2015 (講談社ノベルス)  本格ミステリ作家クラブのイベントがミステリ好きにとって魅力あるイベントだというのは、SNS全盛の情報社会において広く知られるようになった。だから年々競争倍率が高くなるのは実感できていたけれど、今年のそれはこれまでにないレベル。
 参加申し込みの受付は6月6日の午前9時に開始したのだが、当該時刻に芳林堂書店に電話をかけてもまず繋がらない。プーップーッと通話中であることを伝えて、気の急くこちらは苛つくばかり。
 この瞬間にも参加資格を得たライバルがいるわけで。
 どうにか申し込みを終えて安心していると、ほどなく衝撃の事実を知ることになる。
 なんと、受付開始から一時間を経ずして定員に達したという。
 これは新記録。驚嘆すべき事実だ。
 予定されている参加者数は110名。決して多くはない定員数ではあるものの(それでも読書系のイベントとしては大きな数字といえよう)、そして参加費を支払うイベントではないことを鑑みても、それでもイベントの内容を考えるとやはり驚くべき人気の高さと言わざるを得ない。
 だって作家の話しを聴いて、籤に当たった外れたと一喜一憂し、サイン会の列に並ぶ。我ながら酷い纏めだとは思うけど、本格ミステリ大賞受賞記念イベントの内容は今ここに述べた通りだ。
 東京在住で各種イベントに事欠かず、趣味生活において充実感を覚えている向きには実感が無いかもしれないけれど、それにしたって上に挙げたそのどれもが得難い経験であるのは確かだ。
 作家の肉声を耳にする機会は少ない。作家が持ち寄った"お宝"を手にする機会も、サイン会の機会の少ない作家にサインを頂戴することも、こういったことに意欲的に参加できる状況にあるならともかく、特に地方在住でなかなかスケジュールの都合のつかないミステリ好きには千載一遇のチャンスといえよう。
 だから人気が出るのも頷けるのだが、それにしても今回は破格である。来年からはこれが普通となるのか、今から戦々恐々としている。

amazon:[DVD] 刑事コロンボ傑作選(構想の死角/指輪の爪あと)  イベント当日。
 受付開始時刻は午前11時。これと書籍販売は6階の一室で行われた。
 その部屋は床がブルーシートで養生されていて、血が流れてもシートさえ始末できればルミノール反応も出ないな、とケン・フランクリンのようなことを考える。
 そして目の前には買い物カゴを提げた人の群れ。ここはスーパーマーケットでも量販店でもない。本屋だ。しかも一部のミステリ書籍しか売ってない。
 一冊や二冊の購書では済ませやしないゾとの強い意思をもって本を手に取る参加者たち。鮎川哲也先生が「本格の鬼」と呼ばれていたのなら、ここにも違う意味での「本格の鬼」が。否、「本格的な餓鬼」が!
 今回のイベントは参加者の定員が110名。予約はしたものの来られなかったであろう人もいたみたいだから、約100名が開場からトークショー開始までの二時間で千冊近いミステリ書籍を購入したことになる。ひとりあたり十冊買ったわけだ。
 私の友人知人のように四万円以上を遣った強者もいれば、限られた予算で悩みに悩んで買う本を厳選した向きもあろう。
 それは数時間の後に、世界にたった一冊、自分だけの特別な本になる。
 先に挙げた友人などは買うのを我慢して、それでも四万円以上の金額である。自宅の蔵書と重複するとかしないとか全く関係なく買う。座右の銘は「来た見た買った」に違いない。
 かく申す自分も他人のことはどうこう言えない。いろいろと事情があって、今年のイベントでは買い控えるつもりだったのが、なんだかんだと理由をつけて自分を納得させてアレコレと買い求めてしまった。
 げに物欲は恐ろしい。

 午後1時。場所を8階の多目的ホールへと移し、いよいよトークショーの開始である。
 まずは司会を務める鳥飼否宇氏が登場。出演者を呼び込む。
 第15回本格ミステリ大賞の小説部門受賞者である麻耶雄嵩氏。評論・研究部門の受賞者である霜月蒼氏は覆面作家なので姿を現さず、舞台裏に待機。推薦者の法月綸太郎氏、北村薫氏、佳多山大地氏が登壇。
 ここからはトークショーの内容を述べてゆくのだが、その前に断っておかねばならない。
 正味一時間に満たないトークショーであったけれど、そこで話された事柄を記憶するのも解釈するのもこの私サテヒデオであります。でもってサテヒデオはいろいろとポンコツです。
 記憶違いだの解釈を間違えるだのと、発言者の意図とは異なる事柄をここで述べてしまうかもしれません。
 ですので、この記事にある記述のすべての責任はサテヒデオにあることをご了承くださいませ。
 よろしくお願い致します。

amazon:[単行本] さよなら神様  麻耶雄嵩氏は第11回(2011年)の「隻眼の少女」に次いで二度目の受賞となる。そしてノミネートはというと四度を数える実力派。
 これだけならば「麻耶雄嵩という作家が凄い」ということなのだけれど、そしてその通りではあるけれど、小説部門はここ三年というもの京都大学推理小説研究会から受賞者が出ている事実。京大閥が強いですなあ、とは司会者の言葉。
 煽っております。
 推薦者の北村薫氏は、本当なら麻耶雄嵩作品に投票したくなかったと吐露。
 いつもなら麻耶作品の厭なところが気になって、作品自体は面白いけどその点を理由に「投票しない」を選択できた。ところが、今回の「さよなら神様」は従来のノミネート作品とは違って、マイナス点が無い。
 受賞歴のない作家に票を投じるようにしてきたのだが、いかんせん今回は麻耶雄嵩だな、と。
 推薦者の佳多山大地氏が続く。受賞作品は通常の「犯人当て」ミステリではない。探偵役が「神様」である。
 また、講談社ミステリーランド「神様ゲーム」の続き。それだけに同じことを繰り返すまいとする作家根性で、作者は新たな挑戦をしている。
 このことが表われているのが、本書収録の第4話だ。「バレンタイン昔語り」は物凄いことになっている。
 ちなみに「バレンタイン昔語り」については、麻耶雄嵩氏の京都大学推理小説研究会の先輩にあたる綾辻行人氏が、「このネタは昔、自分も考えた」と言い切ったという。
 ここで発言を求められたのは、評論部門の推薦者として登壇した法月綸太郎氏。
 まず「京大閥と云われましたが、京大出身者は麻耶クンに投票しないです」とフォロー。
 フォロー?
 京都大学推理小説研究会の出身者は、総じてミステリ作家麻耶雄嵩へ課すハードルが高い。麻耶雄嵩がちょっとやそっとの作品を物したところで、そんなことでは納得しない。
 自分も「さよなら神様」を出オチとして、しかも二度目の出オチとして受けとめた。
 京都大学推理小説研究会の「犯人当て」路線から考えると、手筋から「神様」の設定を「犯人当て」のロジックに落とし込むと、「バレンタイン昔語り」にあるようなかたちになるのがおのずと読めてしまう。
 むしろ「さよなら神様」が真っ当なミステリであるから、だから逆に「神様ゲーム」の続編として向き合うことをしなくてもいいのにな、と思った。
 本格ミステリであるが故に、シリーズ物の忠実な続編であるが故に、むしろ枠組みからの脱却があってもよかったのではないか、ということか。縛りを解いて天井をブリ破るくらいに飛翔するところを期待したわけかしら。
 私の想像(妄想)はともかく、法月綸太郎氏のこのあたりの発言は、先輩としての思いが込められているのだろう。業界の先輩というだけでなく出身大学の先輩としての。

amazon:[単行本] 神様ゲーム (ミステリーランド)  受賞者が語る。
 長編小説は七割から八割を考えてから書き始める。短編はその場その場の流れで締め切りと戦いながら書く。
 この発言のどこまでが本当なのかわからないが、「さよなら神様」は短編集である。つまり、長編小説とは異なるアプローチがあったというわけだ。
 ここで設定に触れる。
 本作は、前作「神様ゲーム」と同じく、探偵役が「神様」である。つまりは「神様」を「神様」たらしめる「信仰」が為されるところの手続き、つまり描写が必要となる。
 この手続きを短編作品でいちいちこなさなければならないのが面倒臭い。
 だから、「信者」を子どもに設定した。
 大人は「神様」を簡単には信じてくれない。身につけた分別が邪魔をする。また、信じたら信じたでそれは狂信へと行き過ぎてしまいそうだ。
 ミステリ評論家佳多山大地氏は、本作を「意地悪」なミステリと表する。
 そもそもミステリというのは、作者は犯人を知っている。それもそのはず。作者は作品世界における神なのだから、知っていて当然である。事件も犯人も作者が作り出したものだ。
 そのうえでロジックを編み上げて作品を織り成す。
 この方法論を踏まえたうえで意地悪く作品化したのが「神様ゲーム」であり「さよなら神様」である。
 作者曰く、「神様」を信じてくれるか、「神様」の託宣について周囲がどのように受けとめるかが大事だった。

 今回、「神様ゲーム」の続編「さよなら神様」が評判となり、受賞となった。では第三弾は?
 この問いかけに麻耶雄嵩氏は、現時点で「神様」の設定で考えられることはすべてやり尽くしたと答えた。
 新しいことに挑戦したいので同じ設定や作品に拘りたくない。こう話した後に付け加えた。「でも何か思いついたら作品化するかも」と。
 これまでは子どもが「信者」だったが、それを老人にするというのは面白いかも。小学校のような子ども社会と同じく老人ホームもまた閉じた社会である。クローズな社会と「神様」は親和性が高いのかな。
 打てば響くとはこのことだ。水を向ければ着想が湧き出るのだから、作家というのは凄いね。

amazon:[単行本(ソフトカバー)] アガサ・クリスティー完全攻略  次は評論・研究部門。
 霜月蒼氏は「アガサ・クリスティー完全攻略」で受賞となった。
 なぜこんなことをしたのかという問いに答えて曰く、そもそもはミステリ読みを標榜しているくせにクリスティー作品を読んでない。「ならば、全作品を読んで、そのすべてについて評論を書いてみろ!」とけしかけられたのが発端である。
 そんなわけでインターネット上でレビューを連載していたら、原稿用紙約八百枚分の分量になってしまった!
 金にならない原稿が八百枚。どうしよう?
 これを講談社が拾ってくれた。受賞した。
 この『アガサ・クリスティー完全攻略』は第15回本格ミステリ大賞の評論・研究部門の受賞のみならず、第68回日本推理作家協会賞の評論その他の部門においても受賞を果たした、栄誉あるダブルクラウンの一冊なのである。
 実際に裏話を聴いてみると(そこに誇張があるにせよ)、人生というのは何が起こるかわからないもんだねえ。

 ここで評論部門の推薦者として登壇していた法月綸太郎氏が発言を求められる。
 何はともあれ「完全攻略」である。
 大変な労力ではあるが、作家論的手法としては全作品を読むのは当然のこと。
 だから一作ずつ虱潰しに読んでゆく。ポアロにマープル、短編集だ戯曲だと。
 そして、それぞれの作品において「パターンを暴き出す」かたちでレビューする。ここがこの本の面白いところだ。
 霜月氏は面白い本を紹介するレビュアーでありたいと自ら謳っている。己の立ち位置をきっちりと定めているのだ。
 その表明であるかのように、「アガサ・クリスティー完全攻略」もひとつひとつのレビューを積み重ねてゆく。それにつれて、アガサ・クリスティーという作家像を、21世紀にミステリを読む者にとって刺激的なアガサ・クリスティー像を、読者に提示してゆく。
 アガサ・クリスティーは「騙しの天才」である。
 読者を騙すことについて、「どのような方法があるか」と新たにシステムを構築し、構築したシステムを極めてゆく。
 多数あるクリスティー作品のうち面白くないものも確かにある。霜月氏は、「面白くない作品はどうして面白くないのか」という観点から「クリスティーの理想とするミステリ」というものを、個別のレビューに浮かび上がらせている。
 個別に作品レビューを積み重ねておいて、それでいて作家論を成し遂げてしまっているのが凄い。
 だいたいミステリのレビューは難しいものである。ネタを割らずに面白さは伝えなきゃならない。  作品の面白さを伝えて(もちろんネタを割らずに)、読みたくさせてしまう霜月蒼氏の筆力は素晴らしい。

amazon:[文庫] そして誰もいなくなった (ハヤカワ文庫―クリスティー文庫)  アガサ・クリスティー全作読破のきっかけは先に述べた通り。読む順番は、早川書房のクリスティー文庫のナンバリングに従ったとのこと。これについては、年代順でないことに作家論的アプローチとしての弱点だと自覚はあるが、どうしても譲れなかったとのこと。
 そもそも霜月蒼氏は自身を本格ミステリの徒だとは思ってない。海外のノワール物とかが本芸で、本格ミステリについては門外漢だと認識している。
 門外漢だからこそ自分のミステリ観を総動員して挑まなければならないと覚悟したそうだ。でなければ「負ける!」と。
 ここで発言を求められた北村薫氏。
 クリスティー作品はここ四十年ほど読んでない。未読のまま積んであるのもあって、この状況で「アガサ・クリスティー完全攻略」を読むと、これが実に便利。作品ごとに星付けが為されていて、星の力の強さ、偉大さを改めて思い知った。
 星付けができるのも、そしてその星の数に納得できるのも、執筆者が全作品を読んだところに説得力が生まれているのだろう。
 次いで佳多山大地氏。
 まずクリスティー文庫の番号順で読むことの破格。
 そしてマープルがポアロ以上に正義のヒーローであることに気付かされた。「ミス・マープル」のシリーズ作品は の評価は高い。マープル物の全部を読んでないから、マープル物の有名作品だけで評価を下すから、実は安楽椅子探偵ではないマープルの活躍を知らないままに「」という評価に乗っかってしまう。
 そして霜月氏と自身の評論のスタイルの違いについても語った。
 霜月蒼スタイルのレビューは、クリスティー作品のような過去の作品についても、今の時代の新作として読むことの評価を下す。それに対して佳多山大地スタイルの評論は、刊行当時にどのように読まれていたのか、同時代における衝撃はどうだったのかを書く。
 霜月蒼氏はあくまでレビュアーであることに拘っていて、佳多山大地氏は評論家としての自らの在り方を認めているのだろうなあ。
 鳥飼氏も「クイーンやカーはミステリ作家を志すからには全作を読むなんてことをするけど、クリスティー作品についてはそんなふうに考えたことがない」と発言した。
 そして麻耶雄嵩氏。
 クリスティー作品は八割ほど読んでいる。「だいたい読んでるけど読んでない作品もある」というのはこれまでに発言した作家諸氏と同じである。
 それでは芸がないと思ったものか、「有名作品を読んでいって、次にだんだんと有名じゃない作品に進んで、正直、面白くない作品に出くわすようになっっちゃって」と続ける。ハズレが増えてきたとまで言い放って、仕舞いには「この時間を他の作家の有名作品を読むのに費やしたほうが良いのではないかと思うようになった」とまで!
 なるほど。クリスティー作品を二割ほど読み残している理由はわかった。では、霜月蒼氏が全作読み通したことを聞いて何を思う?
 すごい時間のある人だな、と。
 オイ、小説部門受賞者よ。恐いもの知らずだな。
 よせばいいのに鳥飼否宇氏。舞台裏に向かって「すごく時間があったんですか?」と。
 姿を見せない受賞者は「いろいろ忙しかったんですけどね」と答えて、でも麻耶雄嵩氏の仰るように途中で挫けそうになりましたと告白する。
 途中でやめてしまったら意味がない、というのは理解できる。全作品を読み通して、そのうえでレビューを書ききってこその「完全攻略」だもの。一揃いで完品だ。一作でも欠けたら価値が半減する。
 ちなみに、霜月氏は他の作家で「完全攻略」を果たそうとは思わないらしい。クリスティーだからこそ成立した企画だと考えている。クリスティーが思い浮かんだときは我ながらホームランだと思ったとか思わなかったとか(「完全攻略」するにしてもクロフツじゃ銭にならない、とも)。

 トークショーの後は小休憩とその間を利用しての椅子の撤去と会場設営があり、続いてお宝抽選会。そしてサイン会。
 これらについては毎年恒例の流れなので特には触れない。ただ、千冊以上のミステリ書籍が買われ、そのすべてにサインが為されたわけだから、これを受けてくださった作家の方々には頭が下がる思いだ。
 本当にありがとうございます。
 ちなみにサイン会を含め、今回のイベントで100名からのミステリ好きの猛攻をドシンと受けとめたのは、そのお名前のみ敬称略のかたちで記載すると、芦辺拓、乾くるみ、大倉崇裕、大崎梢、太田忠司、佳多山大地、北村薫、鯨統一郎、小島正樹、小森健太朗、篠田真由美、霜月蒼、千澤のり子、知念実希人、柄刀一、辻真先、鳥飼否宇、法月綸太郎、東川篤哉、麻耶雄嵩、水生大海、三津田信三の22名。こうして挙げてゆくと大変な人数である。ちょっとしたプロレス団体だよ。

 午後5時。サイン会で最後まで残った行列は、小説部門受賞者である麻耶雄嵩氏のそれだった。
 閉会の辞を述べるのは、本格ミステリ作家クラブ会長の法月綸太郎氏。
 作家に編集者、書店員に賛助会のメンバー。そしてふだんは読者として作家活動や出版活動を支援してくださる参加者。これらの人々への感謝を告げて、後に自ら「長々と話してごめんなさい」と謝るほどにじっくりと言葉を紡ぐ。

 年に一度、本格ミステリ大賞を選出するのが本格ミステリ作家クラブの創設の理由であり、存続する理由である。この点は変わらない。
 ただし、最近はそれだけではないように思われる。
 このイベントを経ることで、それによって引き起こされる新陳代謝が本格ミステリ作家クラブを活性化してくれる。
 本格ミステリ作家クラブも創立して十五年経った。正直なところ、世代間の広がりが大きくなってきているのを感じる。
 こうしたイベントを開催することで、作家の間や作家と編集者との間において、曰く言い難いものが引き継がれてゆくのを実感する。
 ふだんはひとりで机に向かって作業する小説家だけれど、他の作家や編集者、書店員の方と協力してひとつのことを成し遂げる機会を持つことで得られる経験は、それはものすごく貴重なものだと思う。
 だから、こういうイベントはずっと続けてゆきたい。

 法月会長の穏やかで、それでいて熱量を感じる言葉が胸に沁みた。最後まで居残っていた価値があった。

 今回は前回と同じように、受付でリストバンドと書籍販売リストが配られた。
 イベント関係者はネックストラップをしていたので、参加者のリストバンドと同じく、部外者との区別がたやすくできた。
 書籍販売リストは、蔵書リストを持参の向きには重複防止の役に立ったろうけれど、私の友人知人のようにダブろうがいっさい気にしないタイプには、「配付資料」という意味合いしかないだろう。
 尤も、今回取り扱いのあったタイトルは絞られていたようだから、このような感想を持ってしまうのかもしれない。
 受付と書籍販売を6階で、イベントそのものを8階多目的ホールというふうに人の流れを分けたことは今回の特徴だ。
 建物最上階を会場としたことは、サイン会の際に列を屋上部分に逃がすことができたのも大きい。列を捌く人員は必要になるが、室内でギュウギュウ詰めにされることなく並べたのはありがたかった。
 法月会長の言葉によると、来年、第16回のイベントは八重洲ブックセンターが会場となる。
 その運営がどのようなものになるか、参加予約を取れるかどうかも含めて、今から楽しみであり不安も覚える。

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