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メタル超新星

amazon:[Blu-ray] LIVE ~ LEGEND 1999&1997 APOCALYPSE  またBABYMETALだ。
 というより、前回の続きだ。
 彼女たちは「アイドルとメタルの融合」を企図して結成されたわけだが、そもそもが互いに交わることなどおよそ考えられなかった「アイドル」と「メタル」の両ジャンル。それを見事に融合せしめたのだから、この仕掛け人の手腕たるや端倪すべからざるところがある。
 三人の少女が並ぶ光景はただのアイドルグループでしかない。赤黒二色のシャープな印象を抱かせる衣装とて、現在のアイドル戦国時代においては特段に奇異と受け取れない。
 普通だ。普通のアイドルグループだ。「普通」と「アイドル」とが両立するものかわからないけど、特別に目を引く集団ではない。
 ただし、ひとたび「神バンド」の演奏が始まると、彼女たちは変貌を遂げる。ステージにBABYMETALが降臨する。
 BABYMETAL体験は前代未聞。ガツンと一撃のインパクトでもって思考力は奪われ、大脳新皮質の皺をブラシでガシガシ洗うが如き奇妙な感覚に溺れる。
 こればかりは実際に身をもって経験するしかない。非常にユニークな感覚を味わう。
 まずは聴こう。否、観よう!
 BABYMETALはメタルダンスユニットだ。彼女たちのパフォーマンスは、ダンス込みで完成とする。
 この唯一無二の存在を語るのに、またもや日本SF史を敷衍するわけで。もはや何に興味があるのか判然としないね。
 BABYMETAL?
 それともSF?

 前回の記事で、日本SF史における大流行と、それに伴う「浸透と拡散」について述べた。
 SFのジャンルは、ブームのさなかにプロパーのファンを獲得できなかった。一時は多くの人で賑わったSF村も、そのまま居着く人の数は古参住民が期待したほどには多くなくて、むしろ以前からの住民さえも出て行く始末。
 備えをしないまま、日本SFは冬の時代を迎えた。
 かつては「SF」と銘打つだけで売れたのが、「SF」を感じさせただけで発売に難色を示される。れっきとしたSF作品なのにSFとして発表できない。
 なぜなら、「SFは売れないから」。
 いつの間にかSFは「売れない」ことの代名詞となった。ここで注意すべきは、「売れない」と「面白くない」は等号で結ばれないということ。
 個々の作品が面白くても、「SFは売れない」との認識に変化はない。こうなると、決めつけだとか思い込みだとかいうより、むしろ忌避感と表すべきだろう。
 では、なぜSFは忌み嫌われるようになったのか?

 ブーム到来とともに、世間にSFの類似品が出回るようになった。このことは前回記事で述べた。これも「浸透」現象のひとつといえるのだろうが、類似品が粗悪品である場合、これを放置するのはSFジャンルの発展のためにならないのは言うまでもないことで。
 新たにSFに興味を持った層を取り込むため、つまりは一見の客を逃さないため、歓迎一色のSF業界はいろいろと頭を悩ませる。こんな事態は今までになかったから、なにせ慣れてないのだ。
 SFの神髄に触れてもらい、永続的なSFファンへと生まれ変わってほしい。ファンの裾野が広がることで日本SFは一段階も二段階ものレベルアップを望める。
 夢が広がる一方で不安を覚えることも。
 味噌も糞も区別のつかないSF初心者が、クソつまらない粗悪品ただ一作をして「SFはつまらない」との評価を下し、それを吹聴するのではないか。そして、自分がつかまされたのは味噌ではなく糞かもしれないとの想像を巡らすこともできない粗忽者は、粗忽者であるが故に自分が間違っていることを思いもしない。
 こんな経緯でSFを否定されるなんて堪ったものではない。
 ただでさえ偏見と先入観とに苦しめられてきた経緯がある。ようやく日の目を見る機会を得て、ジャンルをあげてファン獲得に向けて努力しているというのに、何も知らない連中に邪魔されてたまるか!
 とはいえ、SFに仇なす不心得者をそれを理由に誅するわけにもゆかず。相手は何も知らないド素人なのだ。悪意を持って個別の作品を腐したりSFジャンルを攻撃しているわけでないなら、問題は個人に帰するものではなくなる。
 つまり、見当違いのSF知識やSF観をもとに、SFに関して誤解を招くような言説を繰り返す個人は、たとえひとりを「適切に処理」したところで、いずれ同じような心得の持ち主が現れる。
 草の根活動が重要だとしても、この手の個人を相手にしたところであまり意味がない。問題点は、一般世間におけるSF的教養の欠如にある。SF自体の認知度は文句ないレベルにまで高まった。これで満足していてはいけない。
 だから、教化が必要なのだ。
 誤ったSF認識を広めない、SF作品への理解を助ける等の理由があったとして、だからといって無知蒙昧な輩の蒙を啓く心づもりで事に当たれば、たいていはその理念に見合わない結果を迎えることになる。
 傲慢な態度を示す輩から何かを学ぼうとは思わない。学業や仕事に必須の情報や技術についての教えを乞うのならともかく、趣味に関してそういう態度に出られたら鼻白む。
 SFはジャンル内の議論が活発化し、やがてそれは内部闘争へと意味合いが変わった。
 これが「冬の時代」を招いたものと考える。

amazon:[DVD] ゼア・ウィル・ビー・ブラッド  かつてニムロドなる王がいたという。
 神の座を目指さんと天高く塔を築きあげ、その傲岸不遜なる企みが神の怒りに触れたものか、このバベルの塔は崩壊する。そのうえ、人はそれまで同一の言語を使っていたのだが、罰として神によって言語を分かたれた。
 それまで通じていた言葉が急に通じなくなった。人々は混乱した。
 同一言語による意思疎通の容易さが神をも畏れぬ事業へと向かわせたというのなら、今後それをさせぬためには「同一言語」という道具を取り上げれば事足りる。これ以降は、互いに異なる言語を用いて、互いに苦心して意思疎通を図るがよい。
 世界にたくさんの言語が存在する理由の、キリスト教としての解答がこれである。唯一絶対の神を戴くと、「不完全な世界」との整合性を保つのに苦慮するということだな。
 同じ神を戴き、同じ預言者の教えを守るキリスト教徒であっても、幾つかの宗派に分かれる。それをもとに死者を出すほどの対立が起こる。
 人類の幸福(たとえキリスト教徒に限ったものであっても)を謳う宗教においてさえ、同じ神の言葉を共有していながらも、人は諍いを起こす。況やSFをや。

 SFジャンルの発展を願えばこその試みであっても、それがジャンル全体を窮地に陥れることもある。
 SFにはジャンルに特化した専門用語があり、これらのタームを初心者にもわかりやすく説明しようとすると、ここで「待った!」がかかる。
 説明するとなるとその前段階としてタームについての概念が規定されていなければならないわけで。つまり、ジャンル内で専門用語の解釈が統一されていなければならないのだ。
 それでなくともSFは、想像に負うところの大きいジャンルだ。特に文字による情報の他に想像の助けとなるもののない小説においては、脳内で再構築する物語を「面白い!」まで導くために、読者はジャンルに特有のタームを正しく認識しておく必要がある。
 たとえば、「時間旅行」の概念のない者が、何の説明もないまま「タイムマシン」なる単語と遭遇したなら、どう思うだろうか。文意を正しくつかむことができるだろうか。
 共通認識の重要性を理解しながらも、解釈は十人十色というところがあるのも事実。当然だ。専門用語に限らず、この世のすべてにおいて、他者と真に共有できる精神世界など無い。
 とはいえ、共通認識を摺り合わせてゆかなければ、ファンタジーを共有できない。
 ブームを経て、ジャンルの人口が増大するなかで、SFは難問と直面したのである。

 たとえば「SFとは何か?」といった基本的な疑問がある。これに答えるのすら、ジャンル内部で議論百出する始末。
 ファン一人ひとりにそれぞれのSF観があって当然なのだが、SFファンの議論好きな性質が災いしたものか、ちょっとした意見の相違が侃侃諤諤の大騒ぎに発展する。
 SFは、ジャンル内にたくさんのサブジャンルを有する。それぞれのサブジャンルには、自らの偏愛するサブジャンル至上主義者が存在して、これが政治闘争を起こす。「SF界最強の称号は我らのものだ!」等と鬨の声をあげるのは、盛り上がっている一団から離れてみると、ただ気持ち悪い。ちょっと恐い。
 SFというジャンルについてファン同士が話していても、同じ言語を使っていながらも、彼らの間に通じるものは少ない。
 傍からは、同じことを話しているのになぜ喧嘩に発展しているのだろう、と不思議に感じられる。
 内部抗争の滑稽は離れて観察することで目に映るもの。また、騒動の起きている所に足を運ぶ理由はない。仲間内の喧嘩に首を突っ込んで怪我してもつまらない。近寄りたくない。
 せいぜいが勝手にやっておればよいのだ。自分には関係ない。
 無関係を決め込まれたら、もうおしまいだ。無関心まで目と鼻の先。
 かくして寄らぬ触らぬのSF包囲網ができあがった。いわゆる隔離政策である。そして流行は遠い日の思い出となり、SFは冬の不毛を長く味わうこととなった。

amazon:[ムック] ヘドバン PRESENTS 史上最高の英国メタル・フェス完全レポート&永久保存版! (シンコー・ミュージックMOOK)  これがSF冬の時代への顛末と断言するつもりはない。我田引水に牽強付会を重ねて、それを何度も何度も繰り返してミルフィーユ状態にしたのが、前回と今回の記事だ。「恣意的」というには控え目すぎる。SFファンにとっては噴飯物だろう。
 では、何が言いたいのか。それは、かつてのSFの状況は今日のアイドルとメタルのそれに似ているのではないか、ということだ。
 それぞれに「浸透と拡散」の段階は過ぎており、現在はジャンル内の抗争から一般人を遠ざけてはいまいか。
 かつて幾つもの出版社からSF専門誌が刊行されていた。今や老舗が孤軍奮闘している。アイドル雑誌をめぐる状況はどうだろう? メタル専門誌は?
 なぜ商業的に成立しなくなったのか。当事者たちは何を思うだろう。
 一番気になるのは、BABYMETALが世界を席巻しているこの状況について、それぞれのジャンルの古参はどのように考えているのか、だ。
 誇らしい?
 信じられない?
 それとも、こんなものは認められない?

 先に挙げた疑問、「SFとは何か?」だが、その答えを「SF愛をもって作られたものはすべてSFだ」などとするつもりはない。タームの規定に情緒は要らない。
 けれど、SFへの愛情がこもってない作品に、人の感情を揺さぶることはできない。このようにも思うのだ。
 我ながら甘っちょろいことを、と呆れる。
 しかし、ジャンルを違えて事は既に始まっている。
 アイドルとメタルという冗談のような組み合わせから生まれたメタルダンスユニットは、今年に入ってワールドツアーを敢行するまでに至った。今後はこれまで以上に活躍の場を広げるだろう。
 二つのジャンル、特にメタルの住民の中には、彼女たちを偽物呼ばわりする向きもあるだろう。メタルを冒涜していると激しく非難する者もいるだろう。
「BABYMETALはメタルではない!」
 声高に叫ぶ者に問いたい。ならば、メタルとは何か?
 メタル内部にもサブジャンルはある。それぞれに自分たちこそがメタルだと申し立てるがよい。内部抗争に明け暮れている間に、少女たちは前へと進む。
 メタルレジスタンスの成就がBABYMETALの使命なのだから!

amazon:BABYMETAL[BABYMETAL WORLD TOUR 2014 限定ステッカー・ジャケット仕様]  紆余曲折を経て、SFは市民権を得た。ジャンル内の優劣があるのかどうか知らない。タームについてよくわからないものがある。けれど、SFに由来する概念がジャンルを超えて用いられる今日がある。
 スーパーノヴァの爆発力たるや凄まじいものがある。その余波はだんだんと小さくなるものの、輝きは果てなき宇宙の隅々まで届く。
 そしてSFがそうであるように、BABYMETALもまた「浸透と拡散」から逃れられない。ただしその輝きと業績は、いつまでもメタルのジャンルの中で後進に影響を及ぼし続けるだろうし、一般世間におけるメタルへの認識を変えることだろう。それはあたかも超新星のように。
 私たちは今、まさに時代の転換期にいるのだ。
 前回の記事でもこの一文で締めたけれど、もう一度繰り返す。
 BABYMETAL去りし後に訪れるものこそ、メタルレジスタンス成就後の世界だ!

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