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渡る世間にキョロキョロリ

amazon:[単行本(ソフトカバー)] サンリオSF文庫総解説  今となっては考えられないことだけれど、かつてこの国にはSFブームがあった。
 当時、とりあえずSF仕立てにすれば売れる受け入れられるという状況があって、猫も杓子もSFエスエフで日も夜も暮れるといった具合で。
 なにしろ「SF」と銘打っておけば売れるものだから、ちょっとでも目端のきく者ならこのジャンルに飛びつきたくなるのも無理からぬところ。ビジネスチャンスを逃さない、というわけだ。
 そういう状況があって、センス・オブ・ワンダーの何たるかを知らぬ、体験したこともそれについて考えたこともない自称SF作家によって、凡作珍作出来損ないがポコポコ生まれたという。
 受け手も送り手もその数が一気に増えたことで、SFはジャンルとしての裾野が広がった。それは確かなことだ。そこにマイナス面もあったにせよ、ジャンルの隆盛という観点から考えると、SFをめぐる状況はたいそう好ましいものとなったのではないか。
 及第点に満たない作品が世に出る弊害がある一方で、ジャンル認知度の急上昇がある。SFジャンルが流行の恩恵に浴することも事実だったのでは?
 しかし実際のところ、SFブームは長くは続かなかった。

 というわけで、BABYMETALについて思うところを述べる。
 エッ、BABYMETAL?
 何がどうしてBABYMETALを取り上げるのにこんな流れになるのか。「なぜSFブームは終わったのか?」という疑問はBABYMETALにどう関係するのか。
 いわゆるアレか、因果律の乱れってヤツ?
 謎が謎を呼ぶ展開に面食らう向きもあるだろう。不思議に思うのが当然だけど、とりあえず付き合ってほしい。ハーメルンの笛吹き男よろしくとんでもない場所に連れて行かれるかもしれない。

 SFブームの終焉について考えてみる。
 とはいえ、それをリアルタイムで見届けたわけではないので、幾つかの証言をもとに推し量るしかないのだけれど。
 また、「SFブームの終焉」それ自体は本来語りたいことの傍証であり、こうした扱いでありながらもその内容は「事実」と断言できるものではない。
 これから述べるのは、事実を基にした「考察」であり、そこには恣意的な解釈が入り込む。
 つまりは私的な歴史認識の開陳であり、その内容から謝罪と賠償を求められても困る。困るのです。
 この点についてあらかじめ断っておきます。

amazon:[Blu-ray] スター・ウォーズ オリジナル・トリロジー ブルーレイ スチール・ブック仕様<3枚組> (5,000セット数量限定生産)  本邦のSFブームは「スター・ウォーズ」の上陸とともに始まった、と考えられている。
 ただし、それまでにも宇宙を舞台の映画やテレビドラマ等、様々なSF作品は存在した。有人ロケットの打ち上げをはじめとする、まさに人類の夢を実現する科学技術の発展を、日常生活において身近に感じられるようになった。
 科学技術の発展が人々の心に希望の光を点し、一方で産業廃棄物の生み出す公害が経済活動至上主義の行き着く果てに何が待っているかを示す。
 人類は、未だ経験したことのない新たな社会の到来を目前としていたわけで。ここにおいて、思考実験の側面を有するSFは、時代に即した娯楽ジャンルだった。
 つまり、SF流行の萌芽はそこかしこにあったのだ。
 英雄の成長物語と、軍部主導型の管理社会の恐怖とを描いて、「スター・ウォーズ」は楽観主義者と悲観主義者の心の琴線に触れた。
 世界的ヒットを記録した「怪物」の襲来は、日本のSFブームの決定打となった。ジョージ・ルーカスの「スター・ウォーズ」は、作品のみならずSFジャンルそのものを牽引することになる。
 かくてSFブームは到来せり!

 流行の狂熱に煽られて、SFプロパー作家とは認められないような作り手もこのジャンルに参入するようになった。このこと自体は何の問題もない。しかし、彼らによって生み出された作品の多くは、やはり傑作や名作との評価を下せるようなものではなかった。
 そもそもジャンルプロパーの作家であっても、必ずしも傑作を物することができるわけではない。考えるまでもなく当たり前のこと。
 ジャンル意識に乏しい者がとんでもない名作を生み出すことはあっても、それはあくまで稀な出来事。天性の才能が花開くことがあるかもしれないし、優秀な編集者の導きがあるかもしれない。しかし、たいていは出涸らしのような作品が生まれるわけで。
 番茶も出花とはいう。卓抜な着想を作品に昇華するのは、ジャンル内の勢力図を塗りかえるような、革新的で記念碑的な作品を物するのは、やはりそのジャンルに精通した作り手だろう。
 後進のジャンル乗っかかり組は、出涸らしをそのまま供して恥じない。それが出涸らしであることに気付いてない場合すら考えられる。
 そうはいっても、既存のアイディアを用いて先行作品とは異なるアプローチで新たに物語を生み出すことは、これもひとつの冒険である。作品をひとつでっちあげるために先人の偉業を掠めるのとは、天地ほどの違いがある。
 SFは、ただでさえ「説明不要の便利が素敵」と勘違いされるところがある。荒唐無稽な設定や展開を、「宇宙の」「未来の」「異次元世界の」と示唆することで受け入れられるものと思い違いする作り手がいるわけで。これらを言い訳に、面倒な手続きから逃げる意気地無しがいるわけで。
 こうした作り手の不誠実は受け手に伝わる。

 SFの真髄を味わうことのできる作品は、凡百の「SF作品」の中に埋もれてしまう。
 SFの魅力を十全に伝えられない作品が世に蔓延することで、にわかファンや一見のお客さんの足はこのジャンルから遠のく。彼らは「期待していたより面白くない」との感想を抱き、当然の帰結として「SFは要らない」との判断を下すからだ。
 面白いSF作品は、脳汁がだくだくと溢れるくらいに強烈な体験を味わわせてくれるし、このジャンルに夢中にさせてくれる。いわば極上の麻薬である(これに関してはSFの専売特許ではなく、他の娯楽ジャンルに等しくいえるものである)。
 そういうSF作品と出会わなかった不幸。本当なら獲得していたファンを逃した不幸。受け手も送り手も残念な結果へと行き着く。
 だからSFブームが終焉したのだ、とは言うまい。つまらない「SF作品」がブーム縮小を呼び込んだのは確かなことだろう。ただし、それだけが理由ではない。
 それだけで流行が去るわけがない。

 流行は、それに夢中になる人間の数でその大きさが決まる。
 兄弟姉妹の間で大流行の遊びも、家の外に一歩踏み出せば誰も知らないなんてことはあるわけで。また、地方都市で大活躍の芸能人が、全国区の番組に出演した際は無名扱いされることも。
 これはつまり「世間の広さ」と「流行の大きさ」とが比例することを示している。
 SFブームがあったのは、大衆メディアが今よりずっと影響力を持っていた時代だ。マスメディアによって情報の平均化は成され、SFジャンルは世間に広く浸透した。
 それは、SFが「理数系男子のみが夢中になる趣味嗜好」から「どんな物語にもその要素が入り込む余地のあるもの」への転換したことを意味する。一部の好事家にのみ愛される、「特別なもの」という認識がSFにはあったが、数多のSF作品に触れるうちに、誰しもがジャンルに特有の発想を受け入れられるようになった。「特別なもの」が「一般的なもの」へと変わったのだ。
 たとえば、かつては驚きをもって迎えられていた「恒星間有人飛行」も「時間旅行」も「平行世界」も、いささかの動揺もなく受け入れられるようになった。人々は、ロケットやタイムマシンや別世界に通じるトンネルといったSF特有のタームを、特に説明を受けずとも使いこなすまでになった。それどころか、それらには手垢さえ目立つようになって。
 しかし、認知度が上昇したにもかかわらず、SFジャンルはファンを獲得できなかった。
 これが痛い。
 SFを受け入れるだけの下地はできあがった。SF要素をして荒唐無稽だの子供騙しだのと即断する風潮ではなくなったのだから、ここはファン獲得に邁進すべきであったのだが。
 結果としてSFに「我が世の春」は訪れなかった。それどころか、日本SFはやがて冬の時代を迎えることになる。

amazon:[文庫] 時をかける少女 〈新装版〉 (角川文庫)  SFが冬の時代を迎えた理由。そのひとつにジャンルを代表する作家の他ジャンルへの移行が挙げられる。つまり、SF作家がSF作品を書かなくなったのだ。
 創作意欲に溢れる作家ならば、自らの創作欲求に忠実たらんとするだろう。SFの枠組みに収まることを潔しとしないのを、誰が責められようか。
 だからこれは「SFジャンルからの移行」というより、「他ジャンルへの挑戦」とすべきなのだろう。
 幸いにしてSFは流行のさなかにある。SFプロパーの作家の挑戦に興味を持ち、これを後押しする者も少なくない。
 チャンスは眼前に転がっている。挑戦しない理由はない。
 自身もそのひとりである筒井康隆は、このあたりの消息について「浸透と拡散」と表している。
 また、「浸透と拡散」が意味するのは、先に述べた事柄にも関係している。SFに対する「特別なもの」から「一般的なもの」への意識の変化。
 SFというものについての認識は一般世間に広く知られるようになった。そして、ジャンルの核たる作り手が他ジャンルに活躍の場を求めた。
 流行の大きさと世間の広さとに相関関係があるのなら、SFジャンルにおいて求心力を持つ存在の離脱は、その後の趨勢に影響するものであった。

amazon:BABYMETAL(通常盤)  BABYMETALは「アイドルとメタルの融合」がコンセプトだ。
 この稀有なる存在は、「アイドル」を意味するところの円と「メタル」を意味するところの円の重なり合う部分に咲く花である。青い花弁を持つ伝説の薔薇の如く(BABYMETALのテーマカラーは赤と黒だけど)、存在することそれ自体が奇跡である。
 アイドルもメタルも、時代の変遷とともにその在り方や受容のされ方が変わってきた。
 いずれ「どのような偶像を提案するか」「多くのファンを獲得するにはどうすればよいか」といったモデルの変遷であり、外見も音楽性もファンとのお約束も、当該ジャンルが構築する「枠組み」と「世間」から逸脱せず、むしろ強化するものである。公序良俗に反するものでない限り、個々にその在り方が問われることはない。
 どちらのジャンルも紆余曲折を経て、それぞれに「浸透と拡散」の洗礼を受けた。少なくとも、この日本では。
 こう考えるのが正しいのかもしれない。「アイドル」も「メタル」も分野として成熟期に入った、と。袋小路に入り込んだのでも停滞しているのでもなく、それぞれに狂熱の時代を経て今は落ち着いているのだと。
 でも、本当のところはどうなのだろう?

amazon:[単行本] 名画で読み解く「世界史」  BABYMETALは、超新星だ。ジャンルの隔壁を吹き飛ばす、常識の破壊者だ。革新の旗を掲げて民衆を導く自由の女神たちだ。
 前回の記事でBABYMETALを、「旨いと旨いを組み合わせてデラ旨い!」とする名古屋飯の如き発想の結実、というふうに表した。発想はバカバカしいほどシンプル。しかし、それを実現するために為された努力を思うと、これは凄まじい。
 BABYMETALが本物だ。「アイドルとメタルの融合」との発想に目が向くけれど、その完成度の高さこそを称賛すべきなのだ。ここまで高められたパフォーマンスの裏側にある努力に思いを馳せることは、それが絶対でないにせよ、ファンとしての心意気だろう。
 人知れずの努力なんか関係ない。眼前のパフォーマンスこそがすべて。プロフェッショナルなら過程ではなく結果で語れ。そういう価値観も理解できるけどね。
 でも、プロセスを魅せるのが、そしてファンに感情移入を促して応援させるのが、「アイドル」の方法論だろう?

amazon:[Blu-ray] LIVE~LEGEND I、D、Z APOCALYPSE~  それぞれに「浸透と拡散」を経て、「枠組み」も「世間」もその在り方が定まった感のあるアイドルとメタルの両ジャンル。誕生して久しい二つのジャンルは、「枠組み」においても「世間」においても、ガチガチに硬直しているわけで。
 このような状況にあって、BABYMETALの爆発力はジャンル意識を考え直す契機となる。「かわいい」と「メタル」とが両立するなんて、普通は考えないでしょ?
 かくして、BABYMETALは「アイドル」の枠組みと「メタル」の枠組みのそれぞれに変化を齎し、双方の世間を混乱の極みへと導いた。
 求心力を失った「アイドル」と「メタル」のそれぞれのジャンルにおいて、彼女たちは中心的存在となる可能性を持っている。
 だから、BABYMETALは事件なのだ。
 存在自体がジャンルの変革を表現している。その活動の一つひとつが芸能史と音楽史の記念碑となる。
 やがて一般世間においてBABYMETALは、「過去に一時代を築いた」存在になるだろう。彼女たちの限りある少女時代を思うと、それは決して遠くない未来に訪れる。妙齢のお嬢さんが「右左キョロキョロリ」「ヤダ、ドキドキ止まンなぁい」もないだろう。
 そのとき「アイドル」と「メタル」の「枠組み」と「世間」は、今とは違うものとなっているはずだ。
 つまり、メタルレジスタンス成就後の世界だ。

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