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編集者だって青田買い?

 この春、3月18日の出来事を今さらブログに取り上げているのだから、自分のことながらにのんびりしているといわざるを得ない。
 この日、飯田橋の日本出版クラブ会館で催されたのは、「東京創元社 2014年新刊ラインナップ説明会」である。
 東京創元社は、ミステリやファンタジー、SFにホラーといったジャンルに強く、その点で読書人に知られる出版社だ。件のイベントは、今年、創立六十周年を迎えるこの会社が、刊行を予定している出版物の紹介・説明を大々的に行うというもの。
 東京創元社としても初の試みであり、出版物を対象とした新商品説明会というものは寡聞にして知らなかったので、この面白そうな企画に飛びついた。
 でも、本なんだよね。
 普通、説明会の名目で催されるイベントならば当然のように為されることが、本を対象にするだけで事情が変わってくる。少なくとも「東京創元社 2014年新刊ラインナップ説明会」ではそうだった。
 たとえば、完成品の実物を目にするわけではない。たとえば、サンプルなりの商品を実際に手にして操作性等を確認できるわけではない。刷りあがってないどころか校正も脱稿もまだ、という作品もあって。
 このように、詳細な仕様が明らかになるわけではないから、そこから商品の性能を予測することもできない。そもそも、明らかにできるスペックといっても、それは著者が誰だとか、ある程度の梗概だとかであって、これらは「この作家は信用できる」とか「この手の内容は好きだ」とかの指標とするくらいのものだ。
 それでも刊行にまで漕ぎ着けたのだから、天下の東京創元社が世に問う価値ありと認めたのだから、そのこと自体がひとつの指標になるわけで。「だから面白いのではないか」と期待できるわけで。
 勿論、著者が読者から信用されていても不思議はない。むしろ当然だろう。
 好きな作家が面白い作品を発表する。それを歓呼とともに迎える読者。幸せな関係がそこにはある。
 これまでの業績が作家への信用を生む。面白い作品を紡ぐ書き手として認められるわけだが、「面白い出版物」は作家ひとりで生み出せるものなのだろうか?
 商業レベルでは勿論のこと、同人活動におけるそれであっても、あるいは規模の大小はあっても、出版業務には編集者の存在があって。彼らが必要なのであって。

amazon:[単行本] ゴースト≠ノイズ(リダクション) (ミステリ・フロンティア)  東京創元社の「エディターズ・チョイス!」。これは、新人文学賞を経ない、編集者によって発掘された作品ということだ。
 十市社『ゴースト≠ノイズ(リダクション)』は「エディターズ・チョイス!」の第一弾作品である。
 この作品は、amazonが提供する電子書籍出版支援サービスのKDP(Kindle ダイレクト・パブリッシング)を介して、2013年にオリジナル版上下巻が発売された。ここで注目を浴び、加筆訂正を施したものが東京創元社から刊行、という経緯を持つ。
 ミステリ・フロンティアの一冊として出版がなされたので、どうやらミステリの範疇に入るようだが、東京創元社はミステリの新人賞として長編作品に「鮎川哲也賞」、短編作品に「ミステリーズ!新人賞」を主催しているが、『ゴースト≠ノイズ(リダクション)』はどちらの登竜門をも経ていない。
 資料には「新人離れした筆力で紡がれた、瞠目のデビュー長編」とある。物語の面白さもさることながら、地力があるところがデビューへと繋がったのだろう。
 新人賞を経ずにデビューというのは、新本格ミステリの幕開けとなった『十角館の殺人』がそうだったし、その後に続いた多くの作家も編集者が発掘した人材だった。新本格ミステリの書き手の後ろ盾となった島田荘司御大も、自身が新人賞を獲得せずにデビューしたことで不遇をかこち、それを恨みに感じたことをエッセイに書いている。だから、自分と同じように新人賞を経ずにデビューした若者を応援する、と。
 新本格ミステリの時代、東京創元社はミステリ叢書「鮎川哲也と十三の謎」で新人作家を発掘した。だから、「エディターズ・チョイス!」は今はじまったものではないのだ。

amazon:[単行本] 星の羅針盤 (サラファーンの星)  遠藤文子『星の羅針盤(サラファーンの星)』はファンタジー。
 著者は、1989年に理論社から『ユリディケ 時をこえた旅人たちの物語』を上梓。その後も詩画集や絵本の翻訳等で活動。
 緻密な世界観に魅力的な登場人物。これらがぐんぐんと牽引する、異世界ファンタジーが『星の羅針盤(サラファーンの星)』である。
 デビュー作品もファンタジーであり、この作家のこのジャンルへの想いはひとかたならぬものがあるようだ。ムッキムキのマッチョが咆哮とともに暴れまわるような内容とは趣きを異にするようだが、「平和を願い暗黒に立ち向かう少女の姿を描いた」ものだそうだから、いずれにせよ血湧き肉躍る読書体験となるだろう。

amazon:[文庫] ロマネスク (創元推理文庫)  血湧き肉踊るといえば、「故郷の神殿より盗まれた秘宝を追って砂漠を旅する主人公」の設定は、それだけで胸にふつふつと炎のたぎるというもの。
 瀬尾こると『ロマネスク』の主人公は、その名もバシリスク。
 ケ・イキョー国に足を止めたのバシリスクは、前王の崩御に始まる内憂外患の脅威に揺れるこの国で様々な難関に挑むことに。
 ケ・イキョーに三択の刑あり。重罪人は「胡戒魯の迷宮」「芽出臼の回廊」「占犂牟の坩堝」からひとつを選ばなければならない。こういう設定がある場合、主人公が刑に科せられるのは当然であり、バシリスクはまず回廊に、次いで迷宮に挑むことに。
 この作品はファンタスティック・ミステリということで、新刊ラインナップ説明会に登場した米澤穂信の傑作、『折れた竜骨』を思い出させる。
 いやあ、読みたいね。すごく興味がある。むしろ、なぜまだ買ってないのか自分でも不思議だ。
 著者は、1997年に「地獄(インフェルノ)―私の愛したピアニスト」で第4回小説現代推理新人賞を受賞した経歴を持つ。ただし、デビューは『ロマネスク』であるということだ。十数年前に新人賞を獲るほどの実力はそなえているわけで。このの活躍が楽しみである。

 新刊紹介であるはずが、のんびりしていたらすっかり刊行済み。三作品ともに四月末までに書店に並んでいるとは。
 本日はあいにくの雨で、本を買いに出るのに適さない。いずれ『ロマネスク』だけでも買ってやるさ。待っていろ、バシリスク!

amazon:[文庫] 配達あかずきん―成風堂書店事件メモ (創元推理文庫)  さて、「エディターズ・チョイス!」にもゲストあり。2006年、東京創元社から『配達あかずきん』でデビューの大崎梢女史だ。
 駅ビルやスーパーマーケット内の書店での勤務経験を持ち、小説家を目指していた女性は、いくつもの新人賞に応募するもデビューを果たせなかった。
 そんなとき、朝日カルチャーセンターにて戸川安宣氏による、作家を目指す人のための短期集中講座が開催されると知る。
 ミステリ好きにとって神とも崇める作家を何人も世に送り出した、伝説の編集者。プロ中のプロが自作を評価してくれる得難い機会とあって、作家志望の女性はこれに申し込んだ。
 件の講座だが、小説を書いた経験のある者を対象としていて、そのため受講に資格が設けられていた。それは「自分で書いた作品があること」だという。それら受講者の実作品を題材に講座を進めてゆく予定だったようで。
 女性は自分やまわりの書店員の体験を基にした作品をこれに提出した。
 しかし、受講希望者が少なかったものか、受講資格が厳しかったのか、結局、講座自体は流れた。
 ただし、提出した作品は編集者戸川安宣の目にとまった。この辣腕編集者は行動がはやいようで。
 講座受講のために作品を提出した後、「企画編集会議にかけてもいい?」と打診されたのが2005年の9月。12月には「ミステリ・フロンティアで出すことが決まりました」との連絡が。このとき戸川氏に提出した作品こそ、つまりは『配達あかずきん』の原形。作家志望の女性とは、大崎梢その人である。
 短期集中講座に申し込んだら小説家になっていた。何を言っているのかわからないと思うけれど、私も何をされたのかわからなかった。催眠術だとか超スピードだとかそんなチャチなものでは断じてない。もっと恐ろしいものの片鱗をあじわいましたよ。
 時節柄、「クリスマスパーティをやりますよ」と誘われ、「なんてきらびやかな世界だろう!」と感動し、しかし「クイズをやります」とのことで恐れをも抱いたとのこと。「ただの懇親会じゃないの?」と。
 戸川安宣氏との個人的な付き合いからデビューに繋がったので、そこのところの実感があまりない。パーティでその思いを坂木司に吐露すると、同じような経緯でデビューを果たしたこの覆面作家も大いに共感してくれた、と。
amazon:[単行本] 私がデビューしたころ (ミステリ作家51人の始まり)  このあたりの事情は、先に紹介した『私がデビューしたころ ミステリ作家51人の始まり』に「大崎梢」の章があるので、それに詳しいかと。この単行本は今月末の発売なので未読だが、きっと読む価値のある一冊に違いない。
 デビューより八年。中堅作家となりつつある女性作家はこう述べる。
 新人賞に挑戦していた頃、最終的にデビューにまで到達しなかったあの頃。つまりはボツを食らってばかりいたわけで。でも今は、細かなダメ出しはあっても作品自体がボツになるということはないそうだ。書いたものはちゃんと出版される、と。
 素人の頃と今現在との違い。それは編集者がついてくれている、ということ。
 素人がひとりで、あるいは仲間内でウンウン唸っていたところで、プロフェッショナルの職業的客観視点の前では無力に等しいということなのだろうか。商品としてバイアスをかけずに評価されるというのは、創作においては確かに強みであろう。
 プロフェッショナルのチェックが入ることで、原稿に向かう前段階から作品をブラッシュアップするのが可能となり、そのおかげでボツ作品を生まずに済むだろうなあ。
 大崎女史がいうには、編集者のブラッシュアップが無かったので素人時代は新人賞を逃してきたのだろう、と。

 作家は作品を、編集者は商品を生む。
 それは勿論のこと、対立するような関係ではない。補い合って完成する間柄だ。
 作家と編集者との信頼関係が面白い出版物を生み、面白い出版物が世に出ることへの信頼が出版社と読者の間に生まれて。
 だから「エディターズ・チョイス!」は、否、それだけではなくてすべての出版物は、作家と編集者、出版社と読者との間の信頼のもとに世に問われて。

 これにて「東京創元社 2014年新刊ラインナップ説明会」についてのアレやコレやは終わりである。
 第三部の「六十周年記念フェアの紹介」も第四部「メディア化情報」も取り上げない。特にメディア化に関しては、今となってはテレビ放映や劇場公開が終了しているものが多く、我ながら遅きに失したな、と。申し訳ない。

 参加してみて思ったのだが、やはり商品としての情報に乏しい、と。著者名と梗概だけでは購入意欲を喚起させるに弱いか、と。
 せっかく池澤春菜嬢を招聘したのだから、司会進行の任だけでなく作中の一場面を朗読してもらう等のパフォーマンスがあってもよかったのではないか。SF作品なら喜んで取り組んでもらえたのでは?
 とはいえ、初めての体験で胸躍ったのも事実。来年も催すようならば参加したいものだ。
 イベント後のサイン会は盛り上がったが、そもそもの予定だったとはいえ荒俣宏大先生がおられなかったのが残念だ。

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