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海の向こうの青田買い

 2014年3月18日、平日に休みを獲得して、午後から新宿は日本出版クラブ会館へ。この日に開催された、とあるイベントに潜入する。
 そのイベントとは、「東京創元社 2014年新刊ラインナップ説明会」なるものだ。
 東京創元社が2014年に刊行予定のある出版物について説明する、との要約はイベント名そのままだけれど、これが本当のところだから過不足なく伝えるにはこの記述しかない。
 ミステリやSF、ホラー等の幻想文学ジャンルにおいて、早川書房とともに国内外の良質な作品を刊行し続けている東京創元社が、このたびこれを催すという。
 この手のイベントを開催するのは東京創元社にとって初の試みらしく、初物食いとしてはこれに参加することに喜びを感じるところだろう。
 本来、こういうイベントは書店員等の業界人に向けたものなのだろう。出版社としては、書店の「一等地」で自分のところの出版物を展開してほしい。だから、「こんな本が出ますよ」と発売する前にお披露目し、売り手たる書店員の興味をひこう、と目論むわけで。
 自動車メーカーが新車発表会を開くようなものだ。
 モーターショーがそうであるように、この手のイベントはその開催自体が話題となる。売り手だけでなく買い手もイベント会場に足を運び、一方が職業人らしく販売戦略を頭に思い描くならば、もう一方は趣味人の常として購入意欲を刺激される。
 ディーラーが売るのに積極的になるかならないか、ユーザーが買うか買わないかは別にして、いずれの立場にせよ、ほんの束の間でも夢をみさせられないようでは、その商品に魅力はそなわってない。とまあ、乱暴ではあるが、このように云えようか。
 実際のところ、自動車は乗ってみなければ乗り心地はわからないし、本は読んでみなければ面白いかどうか評価できない。乗る前だからこそ、読む前だからこそ、実体験を経ての評価が下される前だからこそ、そこに期待が生まれる。気持ちが盛り上がる。
 この考えを敷衍するなら、このたびのイベントを表するに、2014年の東京創元社における「夢の見本市」である。

amazon:[単行本(ソフトカバー)] 乙女の読書道  春一番の吹きすさぶこの日。飯田橋駅から徒歩十分ほどの道程を経て日本出版クラブ会館へ。
 会場は三階の鳳凰と名付けられた一室。席に着くや否や、受付で手渡された資料に目を通す。目についたのは公開間近の映画のチラシ。そして、ミステリドラマ専門チャンネルのそれ。
 かなりの分量を持つ「フェルディナント・フォン・シーラッハのメッセージ」を読み、刊行予定の出版物に関する資料を舐めるように読んでいると、いつの間にか開始時刻になったようで、女性の声が掛かった。
 視線を上げると、着物姿の女性が。見覚えのあるその人は池澤春菜嬢。声優にして読書家としても知られる彼女がイベントの司会を務めるとのこと。
 池澤春菜嬢は自他ともに認めるSF者。彼女のトリコロールはハヤカワ・創元・サンリオだという。
 思いがけない美人声優の出現に「東京創元社、奮発したなあ」と、その気合いの入れように失礼ながらも感心した。
 この抜擢は当たった。なにしろ喋りが巧い。一番良かったのは、場慣れしていること。
 職業上、時間内に言葉をおさめることに長けているのだろう。プレゼンテーションをそれぞれにこなしているであろう編集者と比較しても、ひと味もふた味も違う。また、荒俣宏大先生の講義と化した紹介コメントをバッサリ斬る豪腕ぶり。それはまさに"浮沈鑑"スタン・ハンセンのウエスタンラリアット!

 式次第は四部構成。
 まずは海外ミステリの新刊ラインナップから紹介が始まった。
 ここからは配付された資料を参照して、間違いのないよう気をつけなければ。

amazon:[単行本] ハリー・クバート事件 上  劈頭を飾るのはジョエル・ディケール『ハリー・クバート事件(仮題)』。七月の刊行予定なので今のところは仮題である。ちなみに上下巻での刊行。
 資料に躍るのは「ヨーロッパで200万部を超えるメガセラー!」の文句。幾つもの受賞歴が並び、「ヨーロッパでダン・ブラウンの『インフェルノ』をベストセラー第一位の座から引きずり下ろした」とある。このことやペンギンブックスが史上最高額で出版権利を獲得したことは、それ自体は作品の面白さについて何らの保証するものではない。
 これらの事実が意味するのは、多くの読書家がこの作品を読み、一方で出版社が大枚を果たしても自分のところで刊行したいと願った、ということ。
 話題の作品であるのは事実なのだろう。しかし、この手の海外作品にも稀にハズレがないでもない。やはり読んでみなければ自分なりの評価は下せない。
 そうはいっても期待しないではない。面白いと感じたのは本作の構成だ。第31章から始まって第1章で終わる変則的なそれで、クリストファー・ノーラン監督作品「メメント」に本格ミステリの魂を感じた身としては期待するばかり。
 その内容は、資料をここに引用すると、「デビュー作でミリオンセラー作家となったものの、その後1行も書けなくなった若手作家が、33年前に失踪した少女殺害容疑で逮捕された恩師でブッカー賞作家ハリー・クバートの無実を証明しようと、事件を調べ『ハリー・クバート事件の真実』という作品にまとめ上げる。はたしてその真実とは?」とある。
 屈託と謎のある主人公が、デビュー作品以来の執筆行動を起こす。そこに何もないわけがない。何かしらの秘められた動機があるのではないか。今、この時点でいろいろと想像を逞しくしてしまう。この五月に刊行を控えるイギリスでは、テレグラフ紙が「今年読むことになる最高に鮮やかで最高にゾクゾクさせる本になるはず」と本好きを煽るのも共感できるというもの。ゾクゾクしちゃうかも!
 四六判上製の上下巻というのが財布に厳しいかもしれないけれど、たぶん、きっと買ってしまうのだろうな。

amazon:[文庫] 養鶏場の殺人/火口箱 (創元推理文庫)  ミネット・ウォルターズの『養鶏場の殺人/火口箱』は創元推理文庫で刊行済みの一冊。
 惹句に「短くて読みやすい!」とあるが、これは作品の成り立ちから頷ける。「養鶏場の殺人」はクイックリード計画の一端として書かれたものだ。クイックリード計画とは、ふだん読書をしない大人に向けて、読書の楽しさを知ってもらう、という趣旨で生まれた。
 ちなみに本作は、イギリスで実際に起きた殺人事件を下敷きにしているとのこと。
 そして「火口箱」はオランダ読書振興会の依頼で書かれたものらしい。「強盗殺害事件を通して、小さなコミュニティーにおける偏見がいかにして悲惨な出来事を招いたかを描く」とあって、共同体の崩壊を描いた作品を好む私としては期待大。

 ダニエル・フリードマン『もう年はとれない(仮)』は創元推理文庫から八月刊行予定。
 惹句は「翻訳ミステリ史上最高齢(おそらく)のミステリ主人公誕生!」とあり、資料には続けて「この事件が、生涯最後の捜査になるかもしれない」とあって、なんとも切なくなる。
 主人公バック・シャッツは当年とって87歳。辣腕でならした名刑事も衰えが見られて。87歳は完全にお爺ちゃんである。ノルマンディー上陸作戦時、アイゼンハワー最高司令官から「何ひとつ頼るものがないときは君の銃を頼れ」との言葉を賜り、そのことがあるものだから、このロートルは87歳の高齢にもかかわらず357マグナムを携えて事件に挑む。
 そうそう。「この事件が、生涯最後の捜査になるかもしれない」と書いたが、シリーズ二作目が刊行予定とのこと。その作品でバック爺さんは88歳になっているらしい。米寿である。

amazon:[単行本] Q 上  ルーサー・ブリセットの『Q』上下巻は四六判丸フランス装で来月刊行予定。
 編集部によると、「世界16か国語に翻訳、世界で100万部を突破。『薔薇の名前』+『ダ・ヴィンチ・コード』+〈007〉」。
 面白いところの加算に加算を積み重ねて、結局は本当に面白いのか? ゴテゴテ盛り付けすぎると消化不良を起こしてしまう嫌いはあるけど、本作はどうだろう?
 本作がイタリア最高の文学賞であるところのストレーガ賞にノミネートされたのは、しかし必ずしも面白いことを保証しない。どれだけ疑り深いんだか我ながらこの性格を厄介に感じるところなれど、期待値は低く設定しておくに如くはない。
 本作の著者について記すと、これがややこしい。その名は「80年代にイングランドに実在したサッカー選手」だ。この無名選手の名を冠したルーサー・ブリセット・プロジェクトによって生まれた創造者の集団から、ボローニャ在住の四名のイタリア人の共著が『Q』である。
 こういう事情があるからなのか、前述のストレーガ賞のノミネートも辞退している。
 また、一種の覆面作家であるので、刊行時に本国イタリアでは著者の正体はウンベルト・エーコなのではないかと話題になったという。
 複数人による共著と覆面作家としての活動はミステリ大家を想起させる。こういう稚気は嫌いじゃない。ただ、作品もそうだけど、とにもかくにも山盛りなんだよねえ。ちょっと食傷気味。

amazon:[単行本] ペナンブラ氏の24時間書店  ビブリオマニアにはロビン・スローンの『ペナンブラ氏の24時間書店』がお薦めだろう。これも来月刊行予定。
 一時期話題になった『さおだけ屋はなぜ潰れないのか?』ではないけれど、どの町にも「よくまあ潰れずにいるものだなあ」と不思議に感じる店のひとつはあるもの。
 本作の舞台はそんな本屋。繁盛してるようには見えないのに24時間営業、怪しげな常連客を持ち、「存在しないはずの本」を取り揃える。日常に合っては瑣末な違和感。しかし気がついてみると心に引っかかる。
 奇妙な書店に再就職した主人公が友人と挑むは、暗号で書かれたそんな本たちの謎である。それは500年に及ぶ謎だというから壮大だ。

 既刊『犯罪』『コリーニ事件』がいずれも話題となったフェルディナント・フォン・シーラッハ。その最新長編が年末に刊行予定の『禁忌(仮)』だ。
 まずは資料から引用する。「ドイツ屈指の名家の御曹司にして写真家のゼバスティアンは、若い女性の誘拐・殺害の容疑で逮捕される。ゼバスティアンは「たしかに女を消した」と自白。だが死体は一向に発見されず」との概要の後に続くは「美と人間の本質、そして法というルールの陥穽を暴き出した衝撃作!」の心惹かれる文章が躍る。
 本作について翻訳者である酒寄進一氏が熱っぽく語ったことには、著者がそうであるようにゼバスティアンもまた共感覚の持ち主ということ。
 共感覚とは、文字や音に対して固有の色を感取する等の、通常のそれとは異なる知覚現象で、ゼバスティアンはそれこそ文字に色を感じる、という人物設定だ。
 シーラッハがどんな共感覚を有するのかは明かされなかったが、他者とは違う己を自覚することは日常茶飯事なのだろう。それが反映されているだろう本作にはおのずと期待してしまう。
 様々な色が横溢する世界に生きる主人公と、白黒をはっきりつける法治国家。ゼバスティアンはモノクロのシステムに挑戦するというわけで、このドン・キホーテの闘いとその行方が気になってしまうではないか!

 クルト・ヴァランダーを主人公としたシリーズが人気のヘニング・マンケルは、ノンシリーズの『北京から来た男』が控えている。七月刊行予定の創元推理文庫だ。
 舞台は、スウェーデン中部の小さな谷間の村。ある凍てつくような寒さの朝、村のほとんど全ての家においてその住民が惨殺されるという異常事態。十軒の家、十九の死体。スウェーデン史上最悪の犯罪だが、疑問なのは高齢者ばかりの過疎の村でなぜこんな惨劇が起きたのか、という点。
 死にゆく村に最後の一撃を見舞う意味はあるのかしら?
 十軒の家を訪ねて十九人を殺害する。その労力たるや並々ならぬものがある。その一大事業を遂行するに足る動機が犯人にはあるのか。
 本作はかかる動機の点で非常に興味深い。

 六十周年を記念しての新訳版が刊行されるのはパトリック・クエンティンの『女郎蜘蛛』だ。
 演劇プロデューサーのピーター・ダルース夫妻が活躍する「パズル」シリーズの一編。脚本家志望の娘にかけた情けが己の身を危うくすることに。不貞と殺人の容疑をかけられて、進退窮まるピーター。なんてこったい、どうすりゃいい?

 さて、「アガサ・クリスティ、ドロシー・L・セイヤーズ、ナイオ・マーシュとともに、英米では本格ミステリの四大女流作家と称されるビッグネーム」というマージェリー・アリンガム。彼女が生んだ名探偵キャンピオンの神髄が味わえる短編集が九月に刊行されるはず。
 創元推理文庫の『キャンピオン氏の事件簿Ⅰ(仮)』は、日本オリジナル編集ということだ。担当者によると、本書収録の「The Dog Day」が必読。
 古き良き時代の、それでいて日本の多くの読者にとっては新たな出会い。この名探偵はどんな魅力があるのだろうか? これも購入決定。

 海外ミステリ部門の最後は、マーガレット・ミラーの『悪意の渦(仮)』。これも創元推理文庫で、秋刊行予定。
 本邦未訳だった傑作がいよいよ刊行されるということで、「なぜ傑作なのに今まで翻訳されなかったのだろう?」との疑問は措いて。

 さて、資料を横目に眺めながら、東京創元社の今年の新刊ラインナップ、海外ミステリについて纏めてみたけれど、どうだろう興味を持たれただろうか。
 長すぎる。纏めきれてない。数々のお叱りの言葉が聞こえてくるかのようで。いや、ごもっとも。
 何と申しましょうか。「正確に」「過不足なく」ということに留意しますと、私の文章力ではこれだけの分量になってしまいます。やはり分不相応な試みだったか。

 参加者に配付の資料の中に500ポイントの図書カードが二枚があり、つまりは千円分の軍資金が得られたわけで。ただでさえありがたいのに、東京創元社創立六十周年記念の図書カード。もったいなくて使えない気分でいたのだけれど、これをただ持っていても東京創元社としては千円の配り損。
 千円の恩義に報いるには千円分の買い物をするしかない。勿論のこと、東京創元社の出版物を、だ。
 というわけで私が買ったのは、ミネット・ウォルターズ『養鶏場の殺人/火口箱』。ラインナップ説明会で興味を持った一冊だ。ついでに梓崎優『叫びと祈り』の文庫も購入。購入金額は千円を超過しており、これには東京創元社の策略に見事ひっかかったカタチ。
 こいつは参ったね。仕掛けにまんまとハマってそれでいて嬉しいというのは、ミステリの醍醐味そのままじゃないか!

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