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「パシフィック・リム」公式サイト  ギレルモ・デル・トロ最新作、「パシフィック・リム」を観た。ちなみに2D吹替版とIMAXの3D字幕版の両方を。
 吹替版は、ロン・パールマンの声を芸人ケンドーコバヤシが務めていて、その点に違和感を覚えたものだが、それ以外は満点といえるキャスティング。「ちゃんとわかっている」配役に、ただただ唸るのみ。いちいち挙げることはしないけれど、役柄にピッタリの声優起用に感謝したいくらいだ。そうではない作品も市場に出回っていて。
 吹替未経験の芸能人を抜擢することで良くも悪くも話題になる。マスメディアに取り上げられることで周知を図るという手法は有効なのだろうし、そのために旬の芸能人を起用するというのも理解はできる。しかしそのせいで作品自体の価値を減ずるのは本末転倒だ。ありがたいことに、本作にそのようなことはない。
 字幕版は、視覚的な情報量という点において日本語が優れていることを再認識する契機となった。漢字・ひらがな・カタカナが混在することで、一般名詞や固有名詞の区別ばかりではなく、未知の概念であってもなんとなく意味を捉えられる。便利だねえ、日本語。
 日本語字幕の利点だけではなく、俳優本人の科白まわしを楽しめ、チャーリー・ハナムやイドリス・エルバが慣れない日本語を操ったり、菊地凛子演じる森マコが心中を吐露する際に日本語を話すのが効果をあげているのだけど、吹替版にはそこのところが表れておらず、監督としては日本語が話されることによる心象を描きたかったに違いない。これを思うと、完璧に近い吹替版に瑕疵を見つけてしまう。残念だ。

 さて、日本のポップ・カルチャーを好きだと公言するのが、本作の監督であるギレルモ・デル・トロ。日本の怪獣特撮映画やロボットアニメ、漫画から大いに影響を受けたこのメキシコ人は、デビュー以来、着実にキャリアを積み重ねてきた。その甲斐あって「自分の観たい特撮映画」に、ハリウッドの潤沢な製作資金を注ぎ込むことができるのだから大したものだ。

 書きたいことが多すぎてアレやコレやと書いてるうちに、ネタを割るだの割らないだのが頭から抜け落ちてしまって、なんだかんだでいろいろと明かしてしまった。書き直すのは億劫だし勿体ない。
 というわけで、ものすごくネタを割っているわけではないけど、そういうのを厭う向きはこのまま「戻る」をクリック!

 本作を観た知人が評して曰わく、「テレビアニメの総集編みたい」と。
 なるほど。膝をたたいた。
 全十三話だかのアニメ番組が好評につき劇場用映画として製作される際、全体をギュッと凝縮した内容になることがある。個々のエピソードは、あるものはバッサリと削られ、省かれ、改変の憂き目にあう。一個の作品として考えれば全体の結構を優先すべきであり、作中で採られなかったエピソードはそれが無くても支障はなかったのだろう。しかし、個々のエピソードの積み重ねこそが作品全体を通してのテーマを裏付けたり、微細な描写においてこそ魅力や現実感が伴ったりするのであって、それらが作品の世界観を形成しているのは確かだ。
 全体を生かすために部分を切り捨てる。仕方のないことだけれど、やはり遣る瀬ない。世界を削ぎ落とすことにほかならない。映画版の監督は、このことを心に留めてエピソードの取捨選択をしなければ、ファンの愛する作品とは別物ができあがってしまう。取捨選択において監督はそのセンスが問われるのだ。
 私自身は本作「パシフィック・リム」に不満を覚える点はあれど、その一方でそういったことは仕方がないと納得もしている。個人的に「怪獣映画は足もとが大事」を掲げているので、日常を侵犯する脅威に関する描写の少なさに不満を覚えてしまう。また、個々のエピソードの弱さにも不満があるけど、それぞれを目一杯に描けないよな。なにせ総集編だから。
 いや、背筋を駆け上がる恐怖、空前絶後の絶望というものは、ともにスクリーンを通して実感できるものなのだけれど、皮肉なことに「ギレルモ・デル・トロならもっとやれるはず!」との思いが強くて、だからなんとなく物足りなく感じてしまう。期待値の高さが招いた悲劇といえよう。
 ギレルモ・デル・トロは立派なオタクであり、サービス精神旺盛な好事家特有の出し惜しみしないところは好感を持てるのだけれど、はっきりいって131分にいろいろ盛り込みすぎ。結果として個々のエピソードがおのずと希釈されることとなって、やはり総集編の弊害を感じざるを得ない。どうしても薄味になってしまう。
 尤も、総集編じゃないんだけどね!
 こうなると、ディレクターズ・カットがあることに期待をかけるしか。三時間くらいの大作になってもいいから完全版を出してほしい。絶対に買う!

amazon:[大型本] パシフィック・リム ビジュアルガイド (ShoPro Books)  太平洋の海底に突如として生じた時空の裂け目。そこから出現したのは、人類がこれまでに遭遇したことのないレベルの脅威。巨大生命体、KAIJU。
 次々に現れる巨大怪獣に太平洋沿岸の国家は環太平洋同盟を結成。巨大人型兵器「イェーガー」を開発し、これをもって怪獣に対抗する。戦果を挙げるイェーガーによって安心を得た人類は、心底震え上がったはずの脅威をスリル満点の娯楽へと捉えなおした。操縦士は救世の英雄の如く持て囃される。かくして未曽有の危難を人類は克服したかに思われたが。
 アラスカ沖に出現の怪獣を迎撃するべく、ヤンシーとローリーのベケット兄弟はジプシー・デンジャーに搭乗する。現場に到着した彼ら、そして通信を受ける司令部の面々が驚いたのは、自分たちが相手にしなければならない怪獣の大きさ。これまでに襲来した怪獣とは比較にならないほどの巨大な体躯を持ち、その重量に相応しい膂力をそなえて。人類が異世界からの脅威に対応したように、KAIJUもまた人類の攻撃に対応したのだ。
 ジプシー・デンジャーは満身創痍の状態で、「ナイフヘッド」と名付けられた怪獣を屠った。ただし、成果と比べて損害は甚大だ。それは機体にのみに生じたのではなく。正パイロットであり、ローリーの兄であるヤンシー・ベケットが命を落とした。ブレイン・ハンドシェイクによってヤンシーとの間で感覚と記憶を共有していたローリーは、兄の絶命を己のものとして体感する。
 それは生涯忘れられない記憶であり、心に深く刻まれた傷である。
 ローリーは生還した。それだけでも奇跡というものだ。本来は二人一組で操縦するイェーガーを、ローリーは兄の死の直後に単身操縦したのだから。しかしこの事件以後、ローリー・ベケットはイェーガーを操縦することはなく、彼の姿は対怪獣防衛策のひとつ、海岸線防護壁の建設現場で見られるのみ。油と埃に汚れて壁にとりつくところを見ても、誰もローリーのかつての栄光を思い描くことはないだろう。

 落日が迫るのは、かつてのイェーガー操縦士ばかりではない。イェーガーそのものが社会から取り残されつつある。
 導入後しばらくは怪獣を圧倒していたイェーガーだが、攻撃に対応して進化を遂げる一方の怪獣に敗北を重ねるのが現状。現時点では、イェーガーの運用について疑問視する声も囁かれて。否、状況はもはや疑問視のレベルではなく、環太平洋同盟は計画そのものの停止を決定した。今後は太平洋を取り囲むように、「命の壁」を建設し、これによって怪獣への防御とする。
 人類は攻撃の意思を失った。守りに徹することで損害を最小限に食い止める。ひとにぎりのヒーローによって、まして得られるかどうかも定かではない平和など当てにはできない。確実に手に入れられる平和こそ、心底から求めるものである。
 耐えて忍んで生き残る。最後まで生き残った者が勝者だ。
 この考え方の本当のところは危機管理意識の欠如に他ならず。事実誤認のまま下された決断は不幸を招くだろう。

 怪獣への対策として人類が選んだのは、自らが怪物となること。イェーガーはそれ自体が怪物なのだ。特に初期のイェーガーは原子力を動力源としていて、この点で核によって生まれた怪獣を想起させる。ゴジラだ。ゴジラの脅威を人類は克服したと捉えるべきか、ゴジラの脅威が人間社会によりいっそう近寄ったものと考えるべきか。
 いずれにせよ、核の脅威を身中に抱えた怪物を排除し、怪物に頼らない平和の構築に邁進するのは理解できる。ヴィクター・フランケンシュタインも己の生み出した怪物をその手で破壊しようとしたではないか。
 異界へと逃亡した怪物を追う者がいる。その一方で、自分たちの生活圏から逃れて今後も脅威とならないのなら放置するのを選ぶ。本作でギレルモ・デル・トロが選んだのは?

amazon:[Blu-ray] パシフィック・リム 3D & 2D ブルーレイセット (3枚組)(初回数量限定生産)  目を覆わんばかりの状況にあって、滅びゆくイェーガーと運命をともにする者あり。かつては自らイェーガーを操縦して怪獣と激闘した、環太平洋防衛軍司令官のスタッカー・ペントコスト。彼は、イェーガー計画の終了を前に最後の作戦を強行する。後ろ盾を持たない彼らは自らレジスタンスを標榜し、最終決戦にそなえる。
 作戦の骨子は以下の通り。
 千キロもの核弾頭を背負わせたイェーガーを時空の裂け目に飛び込ませてタッチダウン! 怪獣の通路である時空の裂け目を爆破するというもの。これが成功すれば、怪獣の脅威は過去のものとなる。人類に平安が訪れる。
 作戦自体はシンプル。ただし、その実現はとてつもない困難が伴う。ハーマン・ゴットリープ博士が述べるところでは、彼の計算によると怪獣の出現頻度は上昇の一途をたどり、その間隔は狭まっている。やがて怪獣は二体同時に出現するだろうし、それらを撃退したところで次は三体同時出現が待っているはず。その次は四体同時の襲来が予測される。
 時空の裂け目は怪獣襲来時しか出現しないので、攻撃の数少ないチャンスとはつまり、怪獣襲来の真っ最中ということになる。それこそアメリカンフットボールそのままにエース以外のイェーガーが自ら壁となって敵の攻撃を遮り、エースによる栄光のタッチダウンまでの進路を確保しなければならない。
 核弾頭を運ぶのは機動力に勝るストライカー・エウレカだ。オーストラリアが誇る第五世代のイェーガーに搭乗するのは、ハークとチャックのハンセン親子。老練なハークと若さの迸るチャック。いずれもイェーガー乗りとしての誇りを胸に抱いているが、チャックは若いだけに廃棄へと追い込まれたイェーガーの状況に怒りをくすぶらせている。その怒りは未熟なイェーガー乗りへと向けられて。ヘタクソが足を引っぱりやがって、ド畜生!
 ストライカー・エウレカを護衛するのは中国のクリムゾン・タイフーンとロシアのチェルノ・アルファ。それぞれタン兄弟とカイダノフスキー夫妻が操縦する。ここにローリー・ベケットとその相棒が搭乗するイェーガーが加わり、計四体によるチームが結成される。
 香港に残るイェーガー基地。閉鎖の時が迫る、通称「シャッタードーム」でローリーは思いもかけない再会を果たす。彼が搭乗するイェーガーは、今やロートルの感は否めない第三世代。今ではチェルノ・アルファと二機だけとなった原子炉搭載のアナログマシン。かつてのベケット兄弟の愛機、ジプシー・デンジャー!

 挫折や復讐、使命に親子関係の葛藤。主要登場人物それぞれがドラマを背負っていて、それらに新奇なところはまるでない。定型にすぎる嫌いがあり、誰も彼もが正真正銘の手垢まみれだが、それがどうした。面白ければ文句はない。
 ただし個々のドラマに関して感じるのだが、尺の関係からか掘り下げが十分ではない。「もっと深く掘り下げればキャラクターが立つのに」とは思うのだけれど、これは無責任な無いものねだり。
 ドラマの種を植えて、満開とはいえないまでもちゃんと咲かせただけでも大したものだ。伏線はきちんと回収されているし、それぞれに通過儀礼を果たしている。薄味なのは否めないが、作品そのものを全否定するほどに低い完成度というわけではない。
 でも、薄味エピソードの中にあって、怪獣オタクのニュート・ガイズラー博士の物語はケチのつけようがない。完璧だ。

amazon:[単行本] 怪獣文藝 (幽ブックス)  他者からは研究対象への傾倒ぶりを馬鹿にされ、研究成果は決して認めらず、学説を発表したところで相手にすらされない。
 研究に没頭すると外界に関する認識を遮断する。社会性などというものは興味の埒外にあって、精神活動に何らの寄与も果たさない。他人が社会性とやらを後生大事に扱うのは構わないし止めもしない。だから、自分への社会性の強要は御免蒙る。そんなもの、私の人生においては不必要だ。
 ニュートの気概は世の中のオタクから共感を得られるだろう。この人物に血肉が通っているのは、彼を作り上げたのがギレルモ・デル・トロだから。むしろニュート・ガイズラーこそ、ギレルモ・デル・トロその人の分身なのだ。このメキシコ人映像作家は、日本の怪獣特撮映画やロボットアニメ、漫画の熱烈なオタクだ。世界中でこのタイプの少年少女が舐めてきた辛酸を、彼もまたきっと味わってきたのだろう。スクールカーストの最低辺に棲息していた青春時代。自分の愛するものに没頭することで喜びを得て、自己実現を図っていた。
 他人の半生を勝手に決めつけすぎているだろうか?
 ま、いいや。
 そんなギレルモ・デル・トロは、今や世界を代表する映画監督のひとり。日本のサブカルチャーから受け取ったものが、それだけがすべてではないにしても、彼の作家性に大きく影響を及ぼしているのは確かだ。そんなギレルモ・デル・トロを、オタクだからということで馬鹿にする者などどこにいようか。
 だから、オタクを馬鹿にする行為への、しかも興味の対象が荒唐無稽で子どもっぽい「怪獣オタク」を馬鹿にすることへの、筋金入りの怪獣オタクからの意趣返しが、本作には盛り込まれている。
 自分の話を聞いてもらいたいのがオタク。できることなら自分が興味を抱くものへの理解と共感を得たいし、それでいて「真髄に触れているのは己ひとりのみ」という根拠無き優越感に首まで浸かっている。称賛が欲しいし、栄光に浴したい。何より強く願うのは、「自分は間違っていない」 という実感だ。
 ニュートは大冒険のすえにこれらすべてを手に入れる。そのうえ、ついぞできるまいと本人も考えていたであろう親友さえも!
 ニュートとは反目しあう間柄だったハーマン・ゴットリープは、怪獣オタクの命懸けの行為のなかに己の姿を見たのだろう。ハーマンの自分の研究に関する姿勢はオタクそのもの。
 ニュートもハーマンもオタクといってもそれで飯を食っている(ギレルモ・デル・トロがそうであるように)。オタク活動と生きることは等号で結ばれているのだ。オタクが倫理的に許されないとかその活動が無意味であるとかいうのなら、オタクからの脱却というテーマがここで展開されるのだろうが、本作はそんな教条的な押しつけを許さない。自分が自分らしくあることの何が悪い?
 オタクを馬鹿にするな。

amazon:[単行本(ソフトカバー)] パシフィック・リム:イヤーゼロ  さて、火力として核爆発を扱うからには、日本人として受ける違和感を述べておかなければならない。
 二発の原子爆弾で戦争を終わらせた精神性が今も生きているのか。まさか、規模の大きな通常爆弾として捉えてないか?
 核爆弾が万能のデウス・エクス・マキナではないことは、核爆発によってではないけれど被曝したペントコストが身をもって示している。それでも敵の殲滅に核を使用するというのは、監督は日本人の痛みに無頓着なのかな、と。別に日本人に配慮する必要はないのだけれど、本作が日本のサブカルの影響を大いに受けて作られたことを考えると、核の一発で問題解決して「合衆国万歳!」を叫ぶ結末には違和感を覚える。
 熱狂する一方で醒めてしまう自分を感じる。ローリーやマコの健康被害を、そして海洋汚染を心配してしまう。この心の動きは恐怖に端を発しているのだろう。人智を超えた脅威に対する恐怖。
 それでいて、荒ぶる魂はこれを鎮めることで神として崇め奉る精神風土が日本にはある。怪物だろうが叛逆者だろうが体制の守護者にしてしまうシステムが日本にはある。これは怪物を手懐けることではなくて、むしろ血の滴る自らの肉を差し出して交わされる契約なのだ。その約款も知らずに契約を交わす愚か者にはいずれ契約不履行や一方的な破棄に対するペナルティーが課せられるだろう。
 ギレルモ・デル・トロはどうなる?
 レイ・ハリーハウゼンと本多猪四郎に本作を捧げたギレルモ・デル・トロだからこそ、彼に対する思いがなおさらに募るというものだ。

 いろいろと瑕疵はある。不満も残る。それでも、なにはともあれ日本の怪獣特撮映画とロボットアニメを自家薬籠中の物としたギレルモ・デル・トロ(ジプシー・デンジャーなんてそのまんまマジンガーZ。パイルダーオンにロケットパンチ、ブレストファイヤーまで完備。まさに空にそびえるくろがねの城!)。それがたとえサブカル好きな日本人からは首を傾げたくなる理解だとしても、潤沢な予算と当代随一の撮影編集技術を作品に投じることのできる彼こそが、今現在、当該ジャンルのトップランナーといえよう。
 本作を評して「期待はずれ」だの「こんなの全然駄目だ」だのと腐す向きがある。「ギレルモ・デル・トロはちっともわかってない」というわけだ。
 怪獣特撮映画は日本のお家芸。日本人監督こそ「パシフィック・リム」を撮るに相応しかった。このように主張する向きは、自らが推す監督に製作資金を提供すればよい。きっと期待に沿う怪獣特撮映画を完成してくれることだろう。私も楽しみだ。
 とはいうものの、子どもの夢のような企画を実現させて、日本円にして約190億円もの資金を引っぱり出せるほどの熱意と実績、完成度もさることながら興行の成功に期待を抱かせられる日本人監督とは誰だろう?
 才能豊かな日本人映画監督の名前こそ挙げられるが、190億円を集められるネームバリューはあるだろうか?
 作品は完成してはじめて批評の俎上にのる。野球と同じくタラレバは意味を成さない。「もし斯界の名手が撮っていれば」というのは、さぞかし甘美な夢想であり、尽きることなく空想を遊ばせられるだろう。でも、それだけ。酒の肴にはなってその場を盛り上げることはできても、その後、何の発展も望めない。
 いろいろ苦言は呈したけれど、本作の監督がギレルモ・デル・トロで本当によかった。心からそう思う。

amazon:[文庫] ラヴクラフト全集 (4) (創元推理文庫 (523‐4))  ギレルモ・デル・トロは「ヘルボーイ」の撮影に先駆けて、同じくアメコミに原作を持つ「ブレード」の二作目を監督している。これは「ヘルボーイ」の習作の意味合いもあったということだが、だとするとギレルモ・デル・トロという人物は、その外見からは想像できないくらいに用意周到であり、且つ、実にしたたかである。
 夢の実現のために目標を段階的に設定し、目標を達成することでキャリアの向上を着実に成し遂げる。作品を撮れば撮るほど評価は高まり、それにつれて仕事をするうえでの環境は望ましいものへと変化する。これもひとつの立身出世。功成り名を遂げて、そこで立ち止まらずに更に夢の実現へと邁進する。
 夢に向かってこれまで段階的に目標を達成してきているギレルモ・デル・トロ。ここから考えるに、本作「パシフィック・リム」も単に夢を実現させた、というだけではないように思われる。そこには深慮遠謀があるのではないか。
 手を抜いたわけではないのは勿論のこと、「パシフィック・リム」を己の映画人としての代表作となるべく全身全霊をかけての大仕事だったはず。それでも、ギレルモ・デル・トロは先を見据えていたのだという気がしてならない。
 つまり、ハワード・フィリップス・ラヴクラフト原作小説の映画化。ギレルモ・デル・トロが実現を念願してやまない、「狂気山脈にて」の製作を視野に入れていたのではないだろうか?
 そう考えると、「狂気山脈にて」映画化実現のために「パシフィック・リム」の興行的成功は絶対、ということになる。DVDやBlu-ray等の映像ソフトの売り上げも評価において加味されるに違いない。ということは、公開直後にして購入決定なのである。絶対的支持を大々的に表明する意味においての献身的散財なのである。皆も続くように!

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