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Deep Ones

 2008年の夏。スタジオジブリの劇場用長編アニメーション映画が公開され、それは日本全土を席巻した。あれから五年。まだ宮﨑駿はアニメを作っている。隠居はまだまだできそうにない。引退するつもりなど本当はないのかもしれない。

amazon:[Blu-ray] 崖の上のポニョ  静かなる調停の席。契約の締結は平和裏に為される。劇的に展開する破壊も創造もこの席には要らない。同じように、英雄譚として仰々しく飾り立てることも望んではいない。穏やかに、それでいて真っ直ぐに、調和と共生を望む心がここにある。
 だから、本作のクライマックスは緩やかな流れのなかに訪れるのだ。このうねりに海のような力強さを感じた。
 物語のなかで一番の盛り上がりを見せる場面は中盤に用意されている。ここにおいて世界は混乱の坩堝に叩き込まれる。やがて秩序の破壊は一旦は収まるけれど、終息というには程遠い。
 可及的速やかな問題の解決を求めて軍事的勝利を望むのではなく、時間は必要としても双方の歩み寄りによって導かれる外交的成功を選ぶ。つまり、そこには即時的な解決の方法は用意も提示もされない。幼い主人公たちは今後の人生において、その不断の努力を試され続けるのだ。
 どうしたものだろう、日本のアニメーション作品は。大変なところまで到達していたではないか。老いたりといえどまだまだ最前線を走っていたではないか、宮﨑駿は。
「崖の上のポニョ」を観た。

 宮﨑駿作品といえば飛翔と疾走だ。これらの表現には定評がある。この映像作家の生み出す「動き」には、アニメーションの持つ面白さがある。リアルとファンタジーとを併せ持つアニメ表現が本作には盛り沢山だ。
 本作に空中を飛翔滑空する場面は無いが、代わりに水中を浮遊潜航する場面があり、いっとき重力を忘れた。ポニョが荒れ狂う大海原を駆ける場面は、「これぞ宮﨑アニメの真骨頂!」と思わず笑みを浮かべた。
 また、本作ではポンポン船が海上を疾る。熱源さえあれば永久運動が可能なポンポン船に乗って、これを巧みに操るヒーローを私は他に見たことが無い。五歳児ながらも立派な海の男である。
 宗介の大冒険に目を細める一方で、リサの乱暴な運転に眉を顰める向きもあろう。しかし、これは宮﨑駿作品なのだ。女性ドライバーが神業的運転技術を有するのは、すこしもおかしくない。むしろ当然である。いわば約束事。「名探偵ホームズ」におけるハドソン夫人の爆走を知る身には、リサの走りはいささか物足りないくらいだ。
 リサの疾走にも意味はある。物語がはじまってすぐの場面、宗介とポニョの邂逅があった後にリサは愛車を駆る。この一連の流れによって、自宅から彼女の職場までの地理的特徴が描かれている。後から振り返れば、物語の主要な舞台はこの時点でちゃんと示されている。短い時間でこれを成し得た宮﨑駿は、やはり稀代のアニメ職人である。
 こういったところに語り手としての宮﨑駿の優れた点を見出せる。やたらと饒舌というわけではないけれど、要諦は決して外さない。否。むしろ、細部に関しては饒舌といえよう。
 たとえば、物語の主要な舞台のひとつ、崖の上の一軒家。この家の電気ガス水道事情を観客に示すのに、人間社会に疎いポニョに宗介が説明する体裁をとっている。これは巧い。物語世界を成り立たせているディテールを、さりげなくも着実に盛り込んで、しかも異人であるところのポニョを配することによって、日常に対する異化効果をも狙っている。さすがだ。神は細部に宿る。

 リサの運転ぶりに続いて、宗介の言動についても非難が起きている。
 宗介は両親の名を呼び捨てにする。これは宗介が自発的に呼び捨てにしているのだろうか。だとすれば宗介の両親は彼を許すまい。叱る様子がないところを見ると、両親が宗介の呼び捨てを許しているのだ。それはなぜだろうか。
 宗介の父親である耕一は内航貨物船の船長だ。仕事の現場は船の中、海の上だ。板子一枚下は地獄。これは昔も今もかわらない。
 つまり、耕一は命懸けの毎日を送っているのだ。万全を期していても事故の可能性を否定できない。生死にかかわるような事故すら想定しておかなければならない。万が一の事態を想定するのは最低限の危機管理。またそれとは別にして、航海中は家を空けなければならない。留守宅を守るのはリサであり、そしてリサを精神面で支えるのは宗介であると、特に耕一は考えているのではないだろうか。
 耕一もリサも宗介をただ子どもとしてではなく、一個の人間として扱うことを教育理念として掲げているのだろう。だから、嵐の夜に宗介を残してリサは家を飛び出せたのだ。だから、異種から共生を持ち掛けられたとき、これについての決断を五歳児に委ねることができたのだ。
 リサは理念に対してこれを堅持することに懸命過ぎる嫌いはあるが、教育成果は宗介の個性に現れているように思われる。宗介は五歳児にしてはしっかりしている。
 それに、そもそも宗介の躾はきちんと為されているように見受けられる。彼は誰に対してもきちんと挨拶のできる子どもだ。少なくとも両親以外の大人に対して、宗介が敬称を忘れることはない。

 所ジョージが声をあてたフジモトは、もともとは人間だが自ら進んで海の世界の住人となった。永い間、地上世界と没交渉であったならば、人の言葉を用いて意思の疎通をすることは稀だろう。だから、フジモトの日本語が下手になっていたとしても、何らの不思議はない。むしろ、これを狙っての所ジョージ起用と考えるのは穿ち過ぎだろうか?
 埒もない想像を巡らせるほどにフジモトの喋りは拙かった。人間の言葉を発することのない海の生き物たちばかりがスクリーンを埋めるなか、状況説明できるのがフジモトひとりという場面も作中にあったが、それだけにフジモトの独白がどうしても悪目立ちしてしまう。
 フジモトの煮え切らない話し口調に比べて、ポニョや宗介の言葉の強さはどうだ。一切の迷いを排した、プリミティブな気持ちの発露!
 ポニョが力いっぱいに「ポニョ、そうすけ、すき!」と放った言葉に胸を衝かれた。そこには衒いや虚勢といった不純物は微塵も感じ取れない。
 そもそもポニョにはブリュンヒルデという名前がある。北欧神話に因んだのだろうその名前を知らない宗介は、幼い直感によって彼女の本質をつかみ、「ポニョ」のひと言に集約した。他の誰でもない、たったひとりのための名前だ。

 さて、人間であることを捨てておきながら人間としての思考に囚われるフジモトは、常に先を見据えて行動する。将来の展望を語り、迫り来るタイムリミットにひとり焦る。作中、誰よりも人間らしい。日本人の生真面目さを捨て切れないようである。
 しかし、宗介とポニョは違う。五歳児の彼らにとって、大事なのは明日より今日だ。来たるべきタイムリミットよりも今が一番大事。今を懸命に生きる、力いっぱいに生きる。好きだという想いや守りたいという気持ち、そして冒険心を小さな胸のうちにふくらませて、そのときそのときの最善を尽くす。だから強い。迷いなく、いつでも前を向いている。
 ひまわりの家の女性陣も強い。彼女たちも今をそのままに受け容れている。若干名が未だに我を通すものの、これとて平穏に見える日常にあってはスパイスの役割を担っているといえよう。幼い命に慕われて老嬢たちは今日を生きる喜びの大きさを知っている。老いは、それそのものは魂を腐らせることはない。もしそんな状況にあるとするなら、それは老いとは別のところ、老いに付随した別の理由がある。

amazon:[単行本] ハム&ソーセージ大全 おいしい食べ方もわかる!  様々なかたちの命の強さがスクリーンを彩る。本作は生命讃歌に満ちている。このことは物語冒頭に現れている。本作でまず描かれるのは命の奔流だ。
 フジモトが賢しくも生態系の調和を保つ為の作業に従事する。自然に対して如何に接するかという今日的なモチーフが扱われているが、命の放つ美しさを私は愛でたい。
 生態系を調整するフジモトを尻目に愛娘は地上でハムの味を覚える。宗介とポニョは二人きりの冒険の最中に親子連れと出逢い、乳幼児が求める母乳の為にポニョはその母親にハム抜きサンドイッチを差し出す。
 食の連鎖が命を育む。命と命が繋がってゆく。
 命の円環から人間だけが自由であるわけがない。人も自然も同じ世界の一部だ。そして私の思考はフジモトの仕事に立ち戻る。
 何を理由としているかはともかく、フジモトの仕事自体は意義深い。人も世界の一部なら、その働きかけも生態系の一端である。すべてを掌握できるとの思い上がりを抱かず、自然のうちに生かされていると分をわきまえるのであれば、その行為に道理は立つ。
 フジモトの仕事の動機が、子どもたちの将来を思えばこそ、というものならば、彼の親としての愛情の示し方はたいそう好ましいものに感じられる。次代に生きる者のために今を生きる。これは、年齢を重ねることで至る境地だ。私の想像が的中しているのなら、フジモトはその一方的なやり方こそ賛否両論あれど、その愛情は疑うべくもない。彼もまた父親なのだ。

amazon:[文庫] 完訳アンデルセン童話集 1 (岩波文庫 赤 740-1)  アンデルセン童話の「人魚姫」は最後に悲劇を迎える。捧げた愛に応えてはもらえなかった人魚姫は、魔女の警告にあったとおり泡と消える。
 人間になることを望んだポニョもいにしえの魔法によって人間の体を手に入れる。これによってポニョが失ったものは多かろう。言葉を持たぬものとの精神感応もできなくなったろう。惜しめば幾らでも惜しまれる。
 失ったことを嘆くより新たに手に入れた喜びに目を向けよう。一番の喜び、宗介と一緒にいられることを今は喜ぶのだ。
 そうはいっても、この先を考えれば永遠の愛を信じるのは難しい。あるいはポニョは宗介に裏切られるかもしれない。異類婚姻譚の多くは結末に悲劇が待っている。この二人も悲恋の苦しみをやがては味わうかもしれない。
 今は、ただただ一緒にいたいという気持ちが強い。ポニョも宗介も一生を懸けた約束が交わされたことに気付いていない。約束は守るものという意識はあろうが、成長した後も今と同じように約束の重さを感じられるだろうか。もとは魚である女を宗介は愛せるだろうか。ポニョより惹かれる異性が現れないとも限らない。
 約束を交わしたのは宗介だけではない。ポニョもまた一方の当事者だ。陸の上で暮らすうちに厭なことにも遭遇するだろう。ポニョは人間に幻滅しないだろうか。宗介以外の男に目移りしないだろうか。
 リサはわが子とそのかわいい恋人が背負ったものの大きさを知っている。子どもたちの幸せな将来を守る為に、自分たち夫婦が果たさねばならないことの大きさを知っている。グランマンマーレとの語らいのなかで、リサは覚悟を決めたはずだ。グランマンマーレもまたリサと同じ立場だ。つくづく母は偉大だ。海は偉大だ。
 わが子かわいさに危険を彼らの前から排除することが、果たしてたったひとつの正しい方法だろうか。泡と消えるのか塵と果てるのか定かならぬポニョの明日を、宗介の愛を、親たちは見守ってゆく。なぜなら親だから。

 子どもたちの主観では今の延長に明日があるが、成長すればその時間感覚も変化する。今日が過ぎたら明日が来る。今日の幸福は明日の幸福を保障しない。それでも今日を生きるしかない。明日を迎えなければならない。
 本作はかわいいだけではない。優しいだけではない。父親の存在が稀薄な物語にあって、作者宮﨑駿の厳しさが折に触れて顔を覗かせている。

 宮﨑駿は幼い子どものために本作を作ったとのことだ。私は本作を映画館で観たのだが、観賞中、子どもたちの笑い声を幾度も耳にした。彼らは喜んだようだから、監督の狙いは当たったようだ。
 子どもが宮﨑駿から受け取るものと、彼らの親が宮﨑駿から受け止めるものとは、おのずと違ってくる。そもそも目線が違うのだ。見える景色も違っていて当然だ。少なくとも「崖の上のポニョ」は子どもの感性に訴えることができた。彼らは喜んだ。では、大人に物語の論理を納得させられただろうか。
 本作に関して様々な解釈が語られてきた。今後も議論百出することだろう。それは物語の構築性が弱いからだろうか。懐の深さを意味してはいないだろうか。
 しかし、101分は幼児には長過ぎ。座っていられないんだもの、彼らは。エンドロールを短くしたことも通常の体裁をとらなかったことも、これらは子供たちを飽きさせない工夫だったと気付く。最後に子どもたちの好きな歌で締めるなんて、サービス精神旺盛としかいえない。歌って笑って映画館を後にしてもらおうというところか。いやはや感服だ。

「風立ちぬ」公式サイト  現在公開中の「風立ちぬ」はどうなんだろう。零戦開発者の青春を描いたものらしいけれど、今のところ賛否両論が際立っている。絶賛と批判とがそれぞれに声高に叫ばれていて、良くも悪くも巨匠の作品だなあ、と。また、作品とは別のところでの宮﨑駿や鈴木敏夫の発言が痛ましいようだし。観に行くかどうかをまだ決めかねている。
 残念なのは、様々な発言でこちらに身構えさせてしまった点だ。政治色の強い内容の発言を不用意にしてしまうのは、自分ならばそれが許されると思っていることの証左だろう。主義主張は自由なれど、TPOをわきまえないのはいかがなものか。
 あるいは、問題提起の意図のもとにあえて発言したのだと強弁するかもしれない。いわば「崖の上のポニョ」のフジモトがそうしたように、次代に向けて成すべきことを為したというのならば、もっとスマートにできなかったのかといいたい(主張そのものが妥当かどうかは別にしても)。
 主義主張は作品に込めればいい。評価は受け手が下す。それを誘導すべく完成した作品についていいわけがましく云々するということは、それってつまり失敗作ということじゃないの?
 作品に不純物を混ぜるようなことをするなんて、耄碌したとはいいたくないけど、老いとは別のところで腐らせてしまったかな?
 作品本位で捉えられなくなっている現状は自分でも忸怩たるものがある。この点に思いが至っては自己嫌悪ではないけれど気分を損なう。ああ、映画館まで足を運ぶ気になれないや。縁があればいずれ観るときが来るだろう。

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