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amazon:[DVD] フレイルティー 妄執 スペシャル・コメンタリー・エディション 「フレイルティー 妄執」を観た。
 ビル・パクストンといえば、ジェームズ・キャメロン作品の常連俳優だ。「ターミネーター」や「エイリアン2」にその勇姿を見ることができるし、「タイタニック」では情熱を持って伝説を追いかける男を演じている。
 ちなみに、ジェームズ・キャメロン監督作品ではないが、「プレデター2」に出演して殺られている。三大「人外狩人」の餌食となっている、ハリウッドの俳優の中でも稀有な存在だ。
 そのビル・パクストンが自ら監督し、「U-571」で共演したマシュー・マコノヒーを作中の語り手に選んだのが「フレイルティー 妄執」だ。ビル・パクストンも主人公の父親役で出演している。
 テキサス州ダラスのFBI本部にひとりの男が現れた。捜査官のウェズリー・ドイルがその男の話を聴くことに。ウェズリーによる聴取は、この訪問者自身が望んだことだ。
 男は、最近続発する殺人事件の犯人を知っているという。件の殺人鬼はメモを残しており、それには「神の手」と。ウェズリーは「神の手」事件の担当捜査官だ。
 男は自らをフェントン・ミークスと名乗り、連続殺人鬼は弟のアダムだと打ち明ける。いきなりの言葉にウェズリーが信用しないそぶりを見せると、男は身の上話をはじめる。
 1979年、フェントンは三歳下のアダムと父親との三人で暮らしていた。町の薔薇園の裏手に彼らの家があり、そこはもともと園丁の為に用意されたものだった。その家に彼ら家族は住んでいた。決して裕福とはいえないが、家族が三人で暮らすぶんには十分に幸せに暮らせていた。
 ある夜、フェントンとアダムが眠る部屋に父親が入ってきた。父親は興奮している。彼が話すには、天使による啓示があった。この世界に跳梁跋扈する悪魔を滅ぼすべく、天使から使命を賜ったとのこと。フェントンにしてみれば、「何をいっているんだ?」といったところだが、父親はこれ以上ないというくらいに真面目だ。冗談をいっている様子ではない。
 一夜明けても、父親は悪魔退治を口にする。そのうえで、このことは他言無用である、と。しばらくして父親は一挺の斧と一双の手袋を持ち帰る。これらも啓示に導かれて入手したのだそうだ。次々に「魔法の武器」は集まり、ついには悪魔の名簿まで手に入れた父親。どう判断したものかわからないフェントンだったが、不安ばかりが膨れ上がる。
 ある夜、その日は父親と映画を観に行く約束があったが、いつまで経っても父親が帰ってこない。諦めて就寝した息子たちだったが、物音にフェントンは起き出した。外には父親の姿と彼が担ぎ上げる大きな物体。まるで人間を袋詰めにしたような。
 これも起き出したアダムとともに、フェントンは悪魔退治の一部始終を目撃する。それはフェントンの目には殺人行為以外の何物でもなかった。

 雨の中、ウェズリーは父親の殺人行為を告白する男を乗せて車を走らせる。目指すは男の話していた薔薇園。男の供述が本当なら、そこには殺人の確たる証拠が眠っているはず。
 ミークスの告白はまだ続く。
 父親は殺人鬼だ。フェントン少年の悩みは深い。神からの使命だの悪魔退治だのと主張しない限りにおいて、父親はこれまで通りの良い父親だ。愛している。けれど、父親の抱く信仰心は、もはや敬虔と呼ぶには危険な領域に入ってしまっている。
 現実的に考えれば、神だの悪魔だのの実在を云々する時点でおかしいだろう。妄想の類だ。まして、父親の影響が弟に表れはじめたならば、これは見過ごせない。フェントンの怒りは父親と神に向けられる。
 神を信じず、加えて悪魔ではないかとの疑惑の残るフェントンに対して、父親は試練を与える。それは、庭に穴を掘らせるというもの。深く広い穴はその上を小屋で蓋をすれば地下室となり、そこは処刑室となる。掌の皮が剥けてもどんなに疲れても、決して神に祈らなかったフェントンが、まず最初にこの部屋に閉じ込められた。水しか与えられず、暗闇の中に放置された少年は、とうとう神を見たと父親と弟に告げる。

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 これは既視感。否、アレだ。ブライアン・シンガーの出世作、「ユージュアル・サスペクツ」だ。構造がまるで同じ。そして最重要な点までも同じときた。「語り」は「騙り」なのだ。
 本作の冒頭、猟奇的殺人が連続して行われているのを報じる新聞記事が流れるが、その詳細について私たち観客は何もつかんでいない。私たちは物語世界に固有の約束事を関知しない。この時点でモニターのこちら側で私たちが共有するのは、ひとつの思い込み。各々が個別に体験したことから身につけた常識は、すべての点において共通する、なんてことはあり得ない。ただし、一般的に共有できるものとの思い込みがあるからこそ、それに不文律としての効果があるのだ。
 私たちにとって自分の持つ常識と地続きにあると思われるのは、本作の父親のそれではなくフェントンの物語だ。父親の行為は悪魔退治ではなくて殺人、神から賜った使命は父親の妄想。フェントンの解釈は合理的であり、それだけに彼の父親の言葉は戯言にしか受け取れない。頑迷で無教養、否、狂気すら漂わせる男の言葉は、それが熱っぽく語られるほどに苛立ちと恐怖を覚える。この感覚的な拒否反応は、自分の立つ世界を揺るがすような論理を突き付けられて、本能的な防衛反応を起こしたのだ。
 相容れない考えは排除しなければならない。相手は実力行使に躊躇のない狂人だ。後手に回っては殺されてしまう!
 過激な論調になってしまうのは、それこそ悪魔の導きなのではなくて、狂信への防衛本能の表出なのだろう。恐怖心は他者と共有できる数少ないもののひとつかもしれない。恐怖の対象は異なるだろうけど。
 ビル・パクストン演じる父親の真実は何か? いうまでもなく悪魔退治だ。彼の世界は彼というフィルターを通してしか彼の内側で立ち上がらない。悪魔との疑惑のある者を彼が素手で触れたとき、そこに立ち現れる悪魔がどんな姿を有するのか、彼以外の誰もわかるわけがない。ただし、本作においては彼と感覚を共有できた者がいないではない。
 フェントンは神の声を聞いたわけでもなく、天使の姿を見たでもない。まして悪魔を感じもしなかった。しかし、その弟のアダムはこれらの現象を否定しなかった。これは、幼い少年が父親を愛するが故に調子をあわせたのか、特別な遊びと受け取ったのか、それとも本当に見たのか。三人家族のなかで、この小さな共同体においてはフェントンが異端である。それでは、フェントンこそが間違いを犯しているのだろうか?
 まさか、本当に悪魔だとか?

 本作でビル・パクストンの演じる、フェントンとアダムの父親は「父親」との役名しか持たない。だから、この記事でも梗概を書く際も、彼を父親と表記するしかなかった。困ったものである。しかし、困ったと同時にわかったことがある。神の使命を帯びた彼は何よりも父親なのだ。つまり、フェントンの物語は父と子の相克と解釈することが可能だ。エディプスコンプレックスの物語というわけだ。そうなると、この物語も理解しやすい。
 理解ができるといえば、保安官を手にかけた後に人を殺してしまったと苦悩の淵に沈んだ父親。この姿も理解可能だ。狂気のなかにもルールはある。あくまで当人にしか通用しないものだけれど。だから、父親の場合も儀式殺人を彼なりのルールに則って行っていると解釈することができる。共感はできないが、それでも理解しようとせずに思考停止に陥るほどではない。
 エディプス王と本作の父親、預言に影響を受ける点や最期に共通するものがある一方で、運命に対する姿勢に違いが見られる。いたいけな子を殺す狂気と見知らぬ他人を殺す狂気。判断を自分以外の存在に託しているという点で、狂気の質が違うだけか、はたまたどちらかが狂っていないのか。

 本作について興味深いのは、ビル・パクストンもマシュー・マコノヒーもテキサス出身であり、作品の舞台もテキサスであることだ。そこには、先住民との苛烈な闘争と、南北戦争では南軍に属した記憶が土地に刻まれている。二項対立の歴史があるといってしまうと単純化しすぎるきらいがあるけれど、神と悪魔の闘争になぞらえる点で、本作には背骨として二項対立の芯が通っている。
 白人とインディアン、南軍と北軍。どちらが善でどちらが悪というものではなくて、そこにある立場と価値観の違いも歴史の審判の前では参考証言にすぎないのかもしれず、時代の推移で判決は白黒反転する。その時々で正しいとされていたことが覆される。
 信念と相反する結果を受け入れざるを得なかった土地柄から住民が得たのは、戦って勝利を得なければ審判さえも受けられないことの実感か。たとえ被告人として法廷に引き出されようと、証言台に立たなければ潔白も正当性も叫べやしない。
 そんな土地柄にあって絶対の正義は、神だ。神と悪魔の二項対立は、紛れもなく神が正しい。神が善だ。これには一分の迷いはない。迷う必要がない。
 とまあ、テキサス州に行ったことのない私が云々したところで信憑性はないけどね。

 フェントンのフィルターを通してこの親子の物語を眺めると、狂った父親に翻弄された少年の姿を見ることができる。それでは、次にアダムのフィルターを通して見たなら、そこに何が浮かび上がるだろう?
 私たちはそれを目の当たりにすることになる。語られる事柄に変化はない。物語に登場する舞台設定も人物像もアイテムも同じだが、これらに付与される意味合いが変わる。殺人は悪魔退治に、被害者は悪魔に、凶器は神より賜った「魔法の武器」に。
 逆転の構図に立ちくらみを覚えるなかで、すべてを狂人の戯言と斥けられない自分に気付く。何が本当で何が嘘なのか、エンドロールが流れるのを眺めながら、後生大事に抱える常識を疑ってみる。

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