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神頼みより安上がり

amazon:[Blu-ray] ゼア・ウィル・ビー・ブラッド  ダニエル・デイ=ルイス主演、ポール・トーマス・アンダーソン監督作品の「ゼア・ウィル・ビー・ブラッド」を観た。
 十九世紀末、ゴールドラッシュに沸いたニューメキシコ州。ひとりの男が地面を掘っていた。男はひとりですべての作業をこなしている。ある日、坑道を墜落した男は、意識を取り戻してすぐに、最前の発破における成果を見つけて満足する。金だ。そのとき、男の左足の骨は折れていた。
 二十世紀初頭、男はカリフォルニア州にいた。数人の部下を従えて、男の獲物は黄金から石油に変わっていた。見事に石油を掘り当てた男たちだが、作業の最中に事故が起こる。その事故でひとりの男が死んだ。彼には赤ん坊がいた。
 月日は経ち、今も地面を掘り続けている男は、石油屋として名を成していた。男の名はダニエル・プレインヴュー。
 ダニエルの行く所、常に少年の姿があった。ダニエルは土地の買収工作に赴くときに少年を必ず伴う。そして少年を自分の息子と地域住民に紹介する。可愛らしい少年「H.W.」の存在は、ダニエルの演説の効果と相俟って、石油屋としての仕事を捗らせる。
 次なる石油産出地を探すダニエルの前に、ひとりの青年が現れた。青年の名はポール・サンデー。 彼は石油の出る土地の情報とひきかえに、金を要求するのだった。イザベラ郡リトル・ボストン。ポールが売ったのは彼の生家の情報である。
 ダニエル・プレインヴューはリトル・ボストンの地で彼の人生を揺るがす出来事と対峙する。

 本作の主人公ダニエル・プレインヴューが物語に登場した時、彼は地面の下にいた。物語の最初の登場人物は土から生まれたのだ。肋骨ならぬ足の骨を折ってまでしてダニエルが得たものは生涯にわたる伴侶ではない。女性よりも彼の人生に付き纏うもの、決して裏切らないそれは、財産だ。
 小さな共同体に現れたランドマーク、天に挑みかかるが如く聳えるはダニエルの油井櫓である。我が世の春を謳うダニエルを見舞った炎上事故は、不幸なことにH.W.から聴覚を奪った。この時からダニエルとH.W.の間に会話が無くなった。塔の倒壊と言語の不一致が物語に現れた。
 サンデー家の兄はあるモノを売って財産を成した。ポールが売ったのは石油産出地の情報ではない。彼は故郷を売ったのだ、弟を売ったのだ。ダニエル・プレインヴューは腹違いの弟と名乗る男を撃った。そして、兄弟となることを神の御前で誓った相手を討った。本作は兄が弟を斃す物語なのだ。
 ダニエル・プレインヴューにとって大地は全てを与えてくれる。かけた手間にちゃんと応えてくれる。ダニエルが身を立てたそもそものはじまりは測量技術の修得だ。長い間、大地と関わってきたダニエルは、土と信頼で結ばれている。大地はダニエルの数少ない味方だ。
 ダニエルが気を許すただひとりの存在だったH.W.だが、不幸な事故によって聴覚を失ってからは意思の疎通が難しくなる。これによって二人の関係に変化が生じ、期を同じくして弟を名乗る男がダニエルの前に現れる。
 ヘンリーとの血の繋がりに強い結び付きを信じたくなったダニエルがH.W.を遠ざけたのは、ひとつにH.W.とは言葉が通じないことの空しさを感じたからだろう。立派な若者に成長したH.W.に敵対することを宣言するのも、息子として育ててきた男の手話を不快に感じていたことが大きな理由だろう。H.W.の言葉が理解できないのだ。それは実のところ世代間に横たわる感覚の違いであり、父と子の関係に現れる男同士の葛藤なのだが、こういうことがダニエルにはわからない。意志の疎通をしようにも、交わすべき言葉を失ってしまった。

 リトル・ボストン駅から「羊の道」を行くとサンデー牧場に到る。そこには迷える羊の導き手が信者を神に捧げようと手ぐすねをひいて待っている。
 ダニエルの成功に惹かれてひとりの男がリトル・ボストン駅に降り立つ。ダニエルの弟として彼の仕事を手助けする腹積もりだ。
 イーライにせよヘンリーを名乗る男にせよ、労働から遠い生き方を選ぶ。彼らが担保とするものは言葉だ。ありがたい説教に、涙を誘う身の上話に、彼らの上客は気前よく報酬を支払う。
 自ら土にまみれ身を粉にして働いてきたダニエルは、仲間や家族を大切にして彼らに不自由をさせてこなかったダニエルは、小さな共同体に経済発展を齎したダニエルは、しかし今度もまた選ばれなかった。彼にとってそれは生きてきたことの意味を否定されたこと以上に許せなかった。
 羊を生け贄に捧げなければならないのか!
 こちらの努力には見向きもしないで、ただただ己の欲するところを求めるのか!
 だから殴った。何度も何度も殴った。人類最初の殺人が撲殺だったように、それがさも兄が弟を殺すたったひとつの方法であるかのように、ダニエル・プレインヴューはボーリングのピンを振り下ろした。

 ペテン師たちの上客とは誰か?
 ダニエルが相手をしているのは何か?

 神だ。

amazon:[単行本(ソフトカバー)] 旧約聖書 (図解雑学)  最後の場面、屋敷地下のボーリング場にひとり座り込むダニエルをイーライが訪ねる。イーライは、その身なりからは想像できないほどの窮状に立たされているらしい。神から預かった言葉も市場経済の論理には敵わないとのこと。
 泣き崩れ、神を呪うイーライにダニエルは云い放つ。「お前は神に選ばれなかった!」と。大地の恵みを受け取ってもらえなかったことが余程悔しかったのだろう。
 働かずに口先だけで生きる者が神に選ばれたことに納得できない。だからといって、ただ諾々と神の御心のままに生きることは、己のなかの荒ぶる魂が許さない。
 神に挑むにあたってただ冒涜するなら、それは異端者のレッテルを貼られるだけ。かといって、神そのものと戦うことはできない。ダニエルが攻撃の矛先を向けたのは神の代理人と信者たち。
 自分で働こうとしない羊飼いの鼻先に儲け話をちらつかせ、乗ってきたところで梯子をおろす。経済的困窮に陥った神の忠実なる僕は、ついに神を呪う。
 導き手無くしては自らの所在も定まらぬ迷える羊に対しては、大地に眠る羊たちの血を吸って彼らを痩せ細らせる。羊の血とは石油である。羊は放っておいても神に搾取される存在だ。これを横から奪う。
 石油をミルクシェイクと喩えて、ストローでチュウチュウ吸い尽くすと豪語するダニエル・プレインヴュー。石油は血であることから、ダニエル・プレインヴューとはつまり吸血鬼なのだ。そして、キリスト教における吸血鬼の扱いを考えると、ダニエル・プレインヴューの人物像がはっきりと見えてくる。

 本作を説明するのは難しい。旧約聖書にモチーフを求めていることは乏しい知識からも理解できるが、それらから何を読み取るべきか?
 本作は知恵を得たことで楽園を逐われたアダムの物語だ。
 本作はジグラットの倒壊とともに孤独を知ったニムロド王の物語だ。
 本作は嫉妬と瞋恚の感情からアベルを殺したカインの物語だ。

 本作は、神に挑み続けたダニエル・プレインヴューの物語だ。父と子の葛藤の物語だ。

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