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血みどろ地鎮祭

amazon:[文庫] ラヴクラフト全集 (1) (創元推理文庫)  世界の安寧を維持するには、絶対に失敗できない仕事というものがある。平和維持活動というと崇高なもののように聞こえるが、実際の活動には様々な種類があるようで、なかには反吐を催したくなる内容を有するものさえ。つまり、非人道的なそれに従事する人間も存在するようだ。
 シッターソンとハドリーは、彼らが所属する組織の活動において舵取りの役割を担っている。すべての部署はシッターソンとハドリーの指示のもとに動き、そこで得られたデータのすべてが彼ら二人へと上げられる。管理室は組織の頭脳であり、シッターソンとハドリーはそれぞれ左脳と右脳といえようか。
 目的を同じくする組織は世界中に存在する。その活動において長らく失敗を犯してないのは、アメリカ合衆国と日本に存在する組織だけ。そして、アメリカにおいて組織に成功を齎してきた最大の功労者が、管理室に陣取るシッターソンとハドリーである。
 組織に与えられた特殊活動の成功のために、最大多数の幸福のために、シッターソンとハドリーはときに非情なまでの指令を下す。ニタニタと笑いながら、酒を呷りながら。ここでは姿勢が問われることはない。結果こそが問われるのだ。
 今回も各部署は完成された仕事ぶりを見せ、ある意味では被験者といえる若者五人を予定通りに山小屋へと導いた。勿論、惨たらしい因縁があることを十分に匂わせて。ここで繰り広げられるのは彼らのバカンスではない。いにしえより連綿と続けられる「儀式」だ。
 覗き部屋の存在が明らかとなり、「淫乱」がエロチックなショーを披露し、いよいよ選択の時間がやってきた。「誰」が選ばれるかを全職員が見守るなか、「処女」が禁断の呪文を唱えた。これにて、祭壇に生贄を捧げる執行人が決定した! さあ、呪われたゾンビ一族、バックナー一家の登場だ!
「キャビン」を観た。

 さて、本作は現時点で公開中だ。趣向自体は予告編で明かされてはいるものの、それでも知りたくないという向きもあるだろう。それでいて私はネタを割るタイプである。黙っていられないのである。ペラペラ喋るのである。
 だから、まだオチを知りたくないなら、未知でこそ得られる驚きを存分に味わいたいのなら、速やかに「戻る」をクリック!

「キャビン」公式サイト  ジャンル作品に共通する設定や展開は、作品を面白くする手立てとして講じられるものだ。これらは作品の作り手にとっても受け手にとっても定型・定石と認識される。定型・定石は、作品を面白くすべく講じられるものであり、実際に作品を面白くする効果が認められることから、その定型・定石の活きるジャンル作品においてはおのずと用いられる。
 たとえば時代劇。「水戸黄門」や「暴れん坊将軍」等、かつての長寿番組では、全編にワンパターンと揶揄されるほどの決まりきった定型と定石が満ちていた。「水戸黄門」においては、大立ち回りの後の印籠は作中における問題解決の唯一の手立てなのでこれはともかくとして、八兵衛のうっかりも由美かおるの入浴も毎度の如く登場する。うっかりも入浴も、それが無くても物語の展開にはさほど影響はない。にも関わらずこれらの場面が挿入されるのは、そのこと自体に意味があるからだ。
 これらは定石というより儀式化したお約束であり、変化がないからこそ固定客がついていた。このことは「暴れん坊将軍」でも同じ。
 特に時代劇はそのターゲットが高齢者であり、彼らの多くは変化に不安定な心持ちを覚えるものだ。だから若者には陳腐なお約束としか受け取れない展開も、これを壊してまで新しいことを推進する必要がない。むしろ、規定路線を外れることこそを避けなければならない。長寿番組は、多くの視聴者に受け入れられるワンパターンを模索し確立することで、ようやく長寿たり得る。大いなるマンネリズムは、見方を変えると、盤石の安定感を誇るのだ。
 それをわかってなかったのか、石坂浩二を主演に据えた新生「水戸黄門」は、見事に玉砕した。
 ジャンルを代表する長寿番組の改変とその失敗が招いたわけではないだろうが、今や時代劇は死に瀕している。不況が叫ばれて久しく、現代劇より何かと製作費が嵩むということがあり、民法テレビ局においては新規でレギュラー番組を製作し放送するところはないのではないか。
 固定客ばかりを相手にしていては、そのジャンルはいずれ先細りする。市場を広げるべく新機軸を打ち出すというのは、決して間違いではない。だからといって個別のドラマでそれをしてしまうと、それまで番組についていた固定客を逃がす危険がある。石坂水戸黄門の失敗は、まさにこれが現実化したように思われる。
 新機軸を打ち出しつつ、従来の固定客を逃がさない。硬直化したジャンルを衰退から救うには、まるで正反対のことを同時に行わなければならない。ただし、これはジャンル全体でのことであり、ひとつの作品で実現する必要はない。
 ジャンルに特有の定型や定石を踏まえつつ、作中にメタ視点を取り入れることでこれらに新たな意味合いを付加する。「キャビン」が挑んだのは殺戮系ホラー映画における温故知新のひとつのかたちであり、しかもその挑戦は実に成功している。

amazon:[DVD] 番組誕生40周年記念盤 8時だョ!全員集合 2008 DVD-BOX【通常版】  当該ジャンルにおいては儀式化した「お約束」を、ならばいっそのこと「儀式」と捉えるというのはどうだろう?
 この逆転の発想が生まれた時点で、本作の成功はほとんど約束されたも同然だった。この閃きに相応しい映像を仕上げられたなら、きっとジャンルを代表する作品ができあがる。そして、「キャビン」は完成した。
 本作の成功は、先に触れたがメタ視点を導入している点が大きく関係している。
 悲劇と喜劇は、対象となる出来事との距離感によって決定する。悲劇とは関係者の主観であり、喜劇とは傍観者のそれだ。重要なのは、「主観」という点だ。時間・空間の物理的、あるいは精神的な距離が、出来事に対する主観を生む。過去の事件や遠隔地での事件、身近に起こった事件でもそれに対する当事者意識が希薄ならば、主観は事件を悲劇として捉えず、喜劇的要因に目を向けさせる。
 少年少女の悲恋を描いた「ロミオとジュリエット」も、見方を変えれば立派な喜劇だ。若い二人の死は、当人やその家族にとっては悲惨な心中劇かもしれないが、メロドラマに興味のない向きには「恋愛にトチ狂ったガキが暴走の果てに無駄死にした」喜劇でしかない。思い込みと勘違いによってカタストロフへと突っ走るドタバタ喜劇だ。よくよく考えたら、「オトコもオンナもヤリたいざかりの十代半ばだもんね」ってわけで、そりゃ性欲に飲まれちゃうよね。死者こそ出ているけど、でもコレって自業自得だろ?
 このように、主観によって事象の意味合いは変わる。主観に影響を及ぼすのが事象との距離感だ。本作においても同じことがいえる。
 デイナら若者五人と、彼らを監視し誘導する組織の連中とでは、山小屋を舞台に行われる殺戮の意味合いが違っている。二者を分かつのは、まさしく距離感である。「殺戮系ホラー」のただなかに身を置くデイナたちと、これを眺めるシッターソンとハドリー。ここに当事者と傍観者との違いがある。
 殺戮をモニターで眺めるシッターソンとハドリーの立場を描くことで、ここにメタ視点の導入が成立する。

amazon:[Blu-ray] キャビン  メタ視点を取り入れることで、本作はジャンルを俯瞰的に客観視することができる。「殺戮系ホラー映画」の定型や定石、つまりは儀式化された「お約束」をそれとして強調したうえで提示している。
 この「客観視」と「儀式化」を本作は設定に活かした。大いなる存在、「古きもの」とそれに供する儀式とすることで、「殺戮系ホラー映画」のジャンル全体を総括してみせた。つまり、ジャンルに特有の定型は儀式次第と捉えられる。そして、陳腐にすら感じられる「お約束」は、儀式として守らなければならない手順となる。
 まず、集団のセックスシンボルたる「淫乱」が殺される。性衝動のままに戸外だろうとどこだろうとセックスを求める彼女は、交歓の最中に惨殺される。「淫乱」殺害を皮切りに、血と悲鳴に彩られた儀式は本格化する。「戦士」「学者」「愚者」とそれぞれ順不同で殺されてゆき、最後に「処女」が対決のときを迎える。ここでの彼女の生死は問題ではない。儀式次第に沿った展開を遂げるかどうかが最重要なのだ。
 本作において儀式の完遂に全力を尽くすのは、管理室で指揮を執るシッターソンとハドリーだ。組織は儀式の遂行こそを目的として設立された。目的のためなら手段を選ばない。生贄への直接間接を問わない働きかけさえも辞さない。カートの体育会系なバカっぷりもジュールスのビッチ行為も、そのようにふるまうよう意識を操作されたものだ。実は二人とも「思慮分別に欠け、生贄に相応しい若者」というモデルから外れている。しかし儀式の期日は待ってくれない。道理を曲げてまで為さねばならないのなら、それが最大多数の幸福に繋がるのなら、手を汚すことに躊躇いはない。手は汚れるが切断されるわけではないからな。気楽なもんだ。
 かくして、神の視点を持つ存在を設定することで、メタ視点に意味が生まれる。「古きもの」とそれを鎮める者たちという図式に当てはめると、これまでのジャンル作品は遂行された儀式と位置付けられる。これらの儀式によって「古きもの」は渇を癒してきたとするのは、人類史の裏面を覗き込むようで面白い。また、「古きもの」は、それとは明言されていないけれど、クトゥルー神話をモチーフとしている。山小屋とその周辺でのみ展開していた殺戮系ホラーが、いきなり宇宙的恐怖(コズミック・ホラー)へと天井知らずの広がりを見せる。この衝撃が心地好い。
 しかも、メタ視点を成立させていた枠組みそれ自体を作中で破壊することによって、当事者と傍観者の境界を取っ払ってしまうところが素晴らしい。高みの見物を決め込んでいたシッターソンやハドリー、地球平和を担う組織の連中が、思いがけずも惨劇の渦中に叩き込まれる。管理していたはずの怪異に襲われて、ただただ蹂躙され尽くすのを待つ。かりそめの全能が、そのメッキを剥がされるのを自分のものとして実感する。そこにあるのは絶望。
 世界を侵蝕する脅威を描くことで、「キャビン」はホラー作品としての要諦をそなえる。見事だ。文句のつけようがない。

amazon:[Blu-ray] 【FOX HERO COLLECTION】エイリアン ブルーレイBOX(4枚組)(初回生産限定)  ところで、何はともあれシガニー・ウィーバーだ。「エイリアン」シリーズでヒロインを務めた女優が、デウス・エクス・マキナ然と登場する。本作での役柄を考えたとき、彼女のキャリアの齎すイメージがピタリと当てはまる。その符合があまりに見事なものだから、期せずして歓声が上がった。
 否、あれは笑い声だったか。
 本作は、儀式化したジャンル映画を揶揄する一方で、これを愛してやまないことを高らかに表明し、しかも娯楽として見事に昇華できている作品である。また、お約束を並べるだけ、あるいは裏をかくだけの安易な方法論を否定したうえで、ジャンルに対してひとつの回答を寄せている。
 本作の製作者が目を向けているのは過去のみに非ず。その目はむしろジャンルの未来をこそ見据えている。その姿勢は高く評価すべきものだろう。

 ところで、京都のアレは何だったのだろう? すごく気になる。

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