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血まみれ温故知新

「キャビン」公式サイト 「キャビン」を観た。
 失恋の傷心をかかえたデイナだが、どうやらこの週末は気分転換をはかれそうだ。友人のジュールスとその恋人のカート、カートとはアメリカンフットボールのチームメイトであるホールデン、そして変人のマーティ。彼ら五人の若者は、週末を大人の目の届かない別天地で過ごす。
 カートがいとこから借りたという山小屋がバカンスの舞台となる。
 楽しい週末への期待を胸に、若々しくも騒々しいキャラバンは目的地を目指す。給油に寄った雑貨屋で、彼らは自分たちの行き先が惨たらしい因縁を抱えていることを知らされる。店主から不吉な警告を受けるも、これを無視して五人は先を進む。
 山小屋は沈黙のうちに若者たちを出迎えた。森を背負う姿は廃屋一歩手前といったところであり、お世辞にも快適性抜群とはいえない風情。過去の因縁話を断片なりとも知ってみると、そこかしこに惨劇の痕跡を嗅ぎ取ってしまいそうな気さえする。
 とはいっても、ここまで来て雰囲気が悪いからと引き返すのは考えられない。せっかくのバカンスだ。楽しまなきゃ。
 覗き部屋の実態が明らかになり、その後、ジュールスによる淫猥きわまりない白黒ショーが開幕。その後、いきなり撥ね上げ扉が開いて、五人は誘われるように地下室へと降り立つ。そこは監禁と拷問に使われたと思しき部屋であり、否が応でも過去の惨劇を想起させる。また、この部屋には様々なアイテムが雑然と並び、五人はめいめいが興味をひかれた品を手にとる。
 デイナは一冊のノートに手を伸ばし、そこに書かれている内容を仲間たちに読み聞かせる。口にしてはならないと警告のあった文句を、マーティに制止されるもデイナは唱えてしまう。それが禁断の呪文とも知らずに!

 物語において見事なまでに完成された定型や定石は、それ自体が笑いを誘う。これらは、数多の作家が長い年月をかけて磨き上げた、物語を盛り上げるための最適ルートである。これに従ったからといって作品が必ずしも面白くなるわけではないが、ジャンルを代表する傑作を分析してみると当該ジャンルの定石に沿って物語が推移しているのに気付く。また、傑作がその成功によって新たな定石を生む。
 ジャンル特有の定石は、当該ジャンル作品を渉猟する愛好家にとっては、作品と出会うたびに交わされる約束事のようなものだ。あまりにも馴染み深いものだから、目にするだけで食傷気味になるほど。口の悪い向きは「陳腐!」と斬り捨てることだろう。実際に陳腐としかいえない例もある。これは、定石に問題があるのではなくて、定石を使ってつまらないものしか製作できない作り手に問題がある。
 いずれにせよ、作品の作り手と受け手の間に定石についての認識の差異が生じる。一方では作品を成功に導く方法論だが、他方では使い古されて喜劇性の高くなった記号にすぎない。
 かくして定石は「お約束」へと置き換えられ、「お約束」がふんだんにちりばめられているのを目にして、思わず知らず私たちは笑ってしまうのだ。

amazon:[単行本(ソフトカバー)] ナゴム、ホラーライフ 怖い映画のススメ (幽ブックス)  ホラー映画の定型のひとつに、殺戮を題材にとるものがある。少人数からなる集団が殺人鬼によって一人またひとりと殺されてゆくという、ただそれだけの内容だ。このタイプの作品は、流血と悲鳴とで観客に歓喜と興奮を齎すものであり、その目的を果たすだけならば練りに練った脚本もドル箱俳優も必要ない。衝撃的な映像づくりこそが製作陣に求められる仕事である。これさえ達成できれば目標を果たせる。費用対効果の高いジャンルといえる。
 また、ホラー映画全般においては、安っぽさも味わいのうちと好意的に受け取ってもらえる、チープであることが魅力のひとつである、というような風潮がある。そもそもがこのジャンルは、予算においてB級のそれしか与えられないのが普通だ。安っぽく感じられるのならば、それは製作費をかけられない現実が作品に反映しているにすぎない。「安っぽい」のではない。「安い」のだ。
 悪趣味な刺激に満ち、比較的低予算で製作できる。現代のグランギニョル的作品は、それだけに粗製乱造の傾向を免れない。それすらも悦び歓迎するのが(たとえ悪口雑言をもってして迎えるとしても)、ホラー映画に魅入られたファンである。粗悪品とわかっていながらそれを受け入れてくれるのだから、映画制作者にとってファンとはありがたい存在だろう。
 一時期のブームに対して昨今のホラー映画事情を鑑みると、需要に対する供給が少なすぎるとの思いがある。ファンは常に飢餓状態にある。もはや糞も味噌も区別はない。味わえるだけ幸せだ。
 そしてまた、新たに惨劇が幕を開ける。

amazon:[Blu-ray] 13日の金曜日  先に「少人数からなる集団が殺人鬼によって一人またひとりと殺されてゆく」殺戮系ホラーについて触れた。これは「ホラー映画」の頭に、ケチャップだのスラッシャーだのカウントダウンだのといった単語が付いてその内容を示してくれる。つまり、「血がドバドバとスクリーンを染め(さながらケチャップをふりかけるように)、登場人物が殺人鬼(スラッシャー)によって次々に(カウントダウンでもしているが如く)惨殺される」という内容だ。
 ここで登場する殺人鬼は、なにも人間に限定するものではない。人間であろうと人外であろうと殺戮の限りを尽くす点で何らの違いはなく、この存在に関わった者にとっては大いなる脅威にほかならない。殺人鬼が青春を謳歌する若者たちを襲うというのが、このタイプの作品の定石だ。殺人鬼が複数の場合もあるのだが、だいたいにおいて単体で行動する。
 大量殺人を犯すという点で、「殺人鬼」と呼ぶより「殺戮者」とする方が意味としては正しいかもしれない。しかし、「鬼」という字に彼らの存在としての本質が窺えるので、この記事では「殺人鬼」とする。
 一方に殺人鬼があり、これに対して殺人鬼に襲われる者がいる。ここではじめて二者の関係が成立する。そこで、ここからは「殺人鬼被害者の会」のメンバーについて述べる。

amazon:[Single, Maxi] 若いってすばらしい  殺人鬼に追われ惨殺される。この集団の特徴は、「若い」ということだ。若いということは、生命力に満ち、理性よりも衝動が勝り、何かにつけて経験が不足している。他者への競争心を抑えられず、集団心理に流されがちなのも、一個の人格が完成されてないことが理由として挙げられよう。まして、日常からの離脱を目論む彼ら。羽を伸ばしたとしても、些少の迷惑行為をしたとしても、鬼の首をとったかのように責めるのは野暮というものだ。ただし、犯罪行為があったならば話は別だ。相応の報いを受けねばならない。
 集団にはこれを動かすリーダーが存在する。若者の集団におけるリーダーシップは、スクールカーストにおける序列がそのまま敷衍されがちである。本作「キャビン」ではカートがこれにあたる。ヘレニズム彫刻のように美しくも恵まれた身体を持ち、作中の描写からアメリカンフットボールのクォーターバックと思しいカートは、たぶん大学アメフトの花形選手なのだろう。きっとジョックに違いない。
 ジョックの隣にはクイーンビーが座るものだ。少なくとも、体力と性欲の旺盛な若者には、まして美丈夫ならばなおさらに恋人がいるだろう。カートにも恋人はいて、これがジュールスだ。ジュールスはカートに気に入られようと髪を金色に染めるし、目前に迫ったバカンスに躁狂状態にあり、その様子からは知性を欠片も感じさせない。しかし、そんな彼女が医学部に籍を置いていることが後に知れる。実は才媛なのだ。
 アメリカの学校社会で頂点に君臨するのは、ガリ勉タイプではなく、脳まで筋肉でできているようなマッチョなタイプだ。カート自身はただのスポーツ馬鹿ではないが、その彼が文武両道の頼もしきチームメイトと評価しているのがホールデンだ。彼が集団の理性と知性を担当する。
amazon:[Blu-ray] キャビン  どのような集団にも、そこに異分子が紛れ込むことは少なくない。グループ内のルールから逸脱しておきながら、それを咎める者を詭弁で煙に巻く。作中に登場するマーティは、スクールカーストではナードに属するようにも思われるが、枠組みを無視できる存在でもあるようだ。つまり、境界の住人である。
 そして、「殺人鬼被害者の会」に咲く、可憐な一輪の花こそが物語の主人公だ。ヒロインに求められるのは、役柄に相応の美しさと処女性だ。「キャビン」ではデイナがこの役割を果たすのだが、彼女自身は妻子ある男との恋愛に破れたばかり。それでも、儚さの雰囲気が漂わなくもない容姿は、処女性を有しているといえなくもない。
 本作における「被害者の会」は五人。カート、ジュールス、ホールデン、マーティ、デイナは、その役割からそれぞれを「戦士」、「淫乱」、「学者」、「愚者」、「処女」とカテゴライズできる。この五つのキャラクターが揃うこと、これこそが殺戮を描いた物語における定石だ。
 旅先にあって非日常を楽しんでいた彼らは、「淫乱」の殺害を契機に、次元の異なる非日常へと足を踏み入れる。もはや冗談では済まされない。なにしろ命が懸かっている。下手すると死ぬよ。いや、殺人鬼は殺すつもりだけど。「殺すつもり」なんてものではなくて、「殺す」ことが彼らの存在意義なのだ。「そのようなもの」としてのみ、存在することを認められている。だから「鬼」なのだ。
 一言で個性を表すことのできる若者たちと、殺すことが存在意義である殺人鬼。この図式を裏返すと、「無惨に殺される」ことでその存在を認められる者もいる、ということだ。

 定型、定石、お約束。つまりこれらは、関連する物事が儀式と化していることを意味している。そして、この「儀式化」こそが、本作を語るうえで鍵となっている。

 さて、「キャビン」について語るつもりが、その本質を云々する前段階で、この分量。思いつきをダラダラと垂れ流すのはいつものこととはいえ、このままこの記事を続けてしまうと、「長い! 飽きた!」とページを閉じられかねない。既に遅きに失している可能性は高く、今更ながら気を遣ってみる。
 というわけで、改めて「キャビン」については記事にします。「儀式化」についてはその記事で述べます。これに懲りずに、拙ブログを訪問してくださいませ。

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