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子が射る矢

 原題「We Need to Talk About Kevin」の邦題として「少年は残酷な弓を射る」とするのは如何なものか?
 作中で、ケヴィン坊やがロビン・フッドの物語に夢中になる描写より前、長じてから彼が犯したであろう犯罪について、それがどのようなものかを仄めかしている。それがどういう種類のものでそれを為すのに何を用いたのかを、「少年は残酷な弓を射る」というフレーズは容易に気付かせてしまう。つまり、作品タイトルでネタを割っているようなものだ。こいつは配給会社のチョンボだろうよ。
 だいたい、そもそも弓は「引く」のであり、「射る」のであればそれは矢だ。弓が射られてピョーンと飛ぶ光景を見たことがあるか?

amazon:[Blu-ray] ロビン・フッド ディレクターズ・カット版(2枚組)  乳飲み子の頃から母親に対して反抗ばかりを繰り返すケヴィンだったが、幼い彼が母親にねだった唯一の事柄がある。幼子らしいその願いとは、ロビン・フッドの絵本の読み聞かせである。いつもは遊びに付き合ってくれる父親を相手にするのが、このときばかりは母親に絵本の続きをせがんだ。この場面のケヴィンには、それまでに見られた、母親に対する底意ある態度とは異なる、心底からの願望が表れている。エヴァは母親として求められていることの実感をはじめて得るのだった。
 この出来事の後、ケヴィンは弓矢に興味を持ち、わが子の歓心を買うことに無自覚なフランクリンは当然のようにこれを買い与える。
 幼い射手が心のうちに何を標的としていたのか。長じてから彼が起こした事件の凄惨な実態を知ってしまうと、これについていろいろと勘ぐりたくもなるが、実際のところは何もわからない。そもそも、母親が読み聞かせる物語のどこにケヴィンが惹かれたのかも不明だ。英雄譚に憧れを抱いたのか、武器としての魅力を弓矢に覚えたのか、夢中になって絵本を覗き込むケヴィンの表情からは彼が何を考えているかを窺えない。
 あのとき、ケヴィンは『ロビン・フッド』に何を思い、英雄の姿に仮託したものは何だったのだろう? 彼が射抜きたいと願ったのは、いったい何だったのだろう?

 ともあれ、ケヴィンは二つの武器を手に入れた。左腕の傷痕と弓矢。これらの武器を手に入れたことで小さな暴君はますます権勢を誇るようになる。息子の歪みを矯正すべくエヴァが企図したクーデターは、第二子の出産である。誰かの当て馬に子を成すことの異常に気付いてないことが、エヴァの家庭への観念が狂っていることを表している。夫婦の一方がここまで追い詰められているのに、二人の間で話し合いが持たれていないことも異常である。
 かつては、妊娠したらそのときにどうするか考えればよいとして、その後の生活に何の心構えを持たなかったカチャドリアン夫妻。今度の妊娠と出産は、エヴァひとりの陰謀である。フランクリンは蚊帳の外。彼は妻にとって今や味方ではない。フランクリンが頼りとするに足らない夫なのは、これまでの行動からそれと知れるが、それでなくとも次の一事でわかるというもの。この男は妻の変化に気付かず、妊娠の徴候さえも息子に指摘される始末だ。こんなことでは家庭内の重大な変化を見落とすのも無理はない。
 固まりつつある悪しき秩序をブチ壊し、真っ当な秩序を構築する乾坤一擲の手を打ったエヴァ。己の身命を懸けた彼女は娘を産んだ。あれほど嫌だった妊娠と出産に自ら臨んだのだから、それだけの見返りがなければエヴァとしても甲斐がないというもの。
 エヴァとケヴィンの関係に変化は訪れたろうか?

amazon:[DVD] 少年は残酷な弓を射る  姫の誕生によって暴君の立場は盤石とはいえなくなる。子どもであることや幼いことは絶対の優位を持ち得ないということをケヴィンは身をもって実感する。妹はそれらの他にも女児という魅力を持つ。たかが性差だが、これは決定的だ。父親が妹に夢中になっているのがわかり、それに伴って自分が顧られなくなってゆくのをケヴィンは気付く。ここにおいて、自分の権勢は父親の庇護のもとに成立していたことをケヴィンははじめて理解する。
 自分の無敵に対して疑いを抱いたことが契機になったものか、弓矢と向き合う時間の増したケヴィン。その腕前の上達と比例するように彼の外見は美しく変化を遂げる。幼少時、同年代の子より小さく非力だった体は、思春期の訪れとともに成長を遂げた。今のケヴィンは、しなやかな筋肉を秘めた肉体を有し、顔立ちは端正なそれとなり、凄みさえ感じさせる美しさを放つ。
 ケヴィン・カチャドリアンは、まさしく"美少年"である。
 健全な肉体には必ず健全な魂が宿るというわけではなく、思春期のただなかにあってケヴィンは未だ壊れたままだ。彼の母親に対する反抗心は依然として旺盛なままだが、それを表立ってあからさまにしないだけの小賢しさを少年は身につけた。これを果たして成長と呼ぶべきか。
 折に触れて息子から敵愾心を見せつけられるエヴァ。息子の絶対的権威を殺ぐために産んだ娘は、今やエヴァ自身の弱点となってしまっている。幼い娘はその兄による攻撃対象となった。これはエヴァにとって想定外である。まさか実の妹に対して攻撃を仕掛ける兄がいるとは、誰も思うまい。こうなってしまうと、エヴァはケヴィンの行動に対して常に目を光らせなければならない。いつケヴィンが妹を狙うかわかったものではないからだ。しかし、ひとつ屋根の下に暮らす状況にあって、四六時中監視するのは無理というものだ。
 暴君に対抗するのに正当な王位継承者を擁立した宰相は、権力をそぐことには成功したものの、政敵の反撃にあって擁立した王位継承者の命を狙われることになる。今や人質となった姫を守れるのは宰相ひとりである。そして、宰相が己に課した使命は果たされない。姫は重傷を負ってしまう。
 セリアは左目の視力を失った。強力な溶剤を浴びたのが原因だが、この容器を幼児の手の触れられる場所に放置した記憶はエヴァにはない。そもそも分別のつかないセリアがいるのに、保護者たるエヴァがそんな迂闊な真似をするはずがないのだ。彼女は母親として欠けているところが大いにあるけれど、一般的な常識や思慮に欠けているわけではない。ましてケヴィンの魔手からセリアを守ろうと気張っているのだ。間抜けなミスを犯すはずがない。
 セリアを見舞った不幸な出来事。これに関してエヴァが確信するのは、これがケヴィンの仕組んだものである、ということ。エヴァが疑うに、ケヴィンが為したのは容器をセリアの手の届く場所に置くという一事。ただそれだけなのだが、これが本当にケヴィンのしたことなら、れっきとした罠である。
 セリアにしてみると、いつもは触れるのを禁じられている物が手の届く所にある。本当なら母親に容器が出ていることを告げて、これを片付けてもらうべきだけど、今を逃したらこれで遊ぶ機会はもう訪れないかもしれない。セリアの思考をこのように読み取り、妹が取り返しのつかないことをしでかしてしまう蓋然性にケヴィンは賭けたのだろう。本当のところ、セリアがどうするかなんて、当のケヴィン自身にもわからなかったはず。ひょっとすると失明では済まなかったかもしれないし、あるいは容器には手を触れずに母親にそれが戸棚から出ていることを告げたかもしれない。そもそも、セリアが容器を見つける前にエヴァやフランクリンが片付ける可能性すらあった。このように、罠は発動しない可能性が高い。
 罠は、それが罠だからこそ確実性に欠ける。確実に仕留めるなら自分の手を下すべし。にもかかわらず、ケヴィンは罠を仕掛けるにとどめた。この点にケヴィンのセリアに対する関心の低さを読み取れるのだがどうだろう?
 ケヴィンの賭けは、彼自身、それが成功するも失敗するも頓着していない。賭けに勝ったなら達成感を得られるけれど負けたところでそれならそれで構わない、というスタンス。この程度の賭けなら、結果が思わしくなくてもそんなのは痛くもなければ痒くもない。
 もしかすると彼の賭けはこれがはじめてではなかったかもしれない。ひとつ屋根の下、罠を仕掛けるチャンスはどこにでも転がっている。
 いずれにせよ、セリアが左目を負傷し失明したことでフランクリンはエヴァに主婦失格の烙印を押した。かわいい娘が生涯にわたる傷を負ったことの責任を妻ひとりに押し付けた。これには保護責任を嘲笑う悪意を証明できないもどかしさはあるものの、エヴァとしてもセリアの失明にひどく心を痛める。同時に、実の妹に対しても容赦のないケヴィンを心底から恐れた。この結果を得るためだけに妹に対して非道な罠を仕掛けたのだとすると、ケヴィンは普通ではない。母親に心痛を与えんがため、妹の生死を危うくするような行為を平気で選ぶ。そんな人間がどうして普通であるといえようか。
 ケヴィンはサイコパスなのだろうか?

amazon:[単行本] マザー・グースのうた 第3集 だれがこまどりころしたの  ケヴィンの言動にサイコパスの徴候を見るのは難しくない。幼少期の言語の遅れや感情を表に出さない点も、ケヴィンがサイコパスとする仮説を補強する材料となる。とはいえ、これは素人の見立てにすぎない。尤もらしい事例を並び立てはするものの、これらをもってしても「ケヴィンはサイコパスである」と証明することはできない。
 一方に理解や共感の難しい個性があり、もう一方に何事もカテゴライズしなければ気の済まない知性がある。わからない事柄を「わからない」ものとして処理することのできず、己の理解の及ぶ範囲内に「わからない」ものを当てはめる。そうすることで「わからない」ことの内容は理解できたものと思い込む。こんな向きが存在するのだけれど、これは実に危険である。
 わからなければわからないものとしてそのまま受け止めればよいのだ。世の中、わからないままになんとなく付き合いのうまくいっていることが多い。たとえば、内部構造を知悉している電化製品がいくつある? わからなくても使いこなすことはできるものだ。
 サイコパスは心の動きが一般的ではないとか人として欠落したところがあるとか、聞きかじった知識を切り貼りして歪なコラージュを完成させる。それをもってして「サイコパスとはこれぞ人非人である」と強弁する姿は滑稽であり醜悪でもある。
 どうにもわからないからと、理解不能な対象を常識の領域へと引きずり下ろすことは、単に恐れを糊塗するのにすぎない。本質をつかむこととは異なる。その態度は恐れを克服するそれとは別種のものだ。
 よしんばケヴィンがサイコパスだとして、それがどうした。犯罪者のすべてがサイコパスでないように、サイコパスが全員犯罪者になるわけではない。
 ケヴィンは第一級殺人を、それも殺戮と呼ぶに相応しい人数を殺害した。その動機をケヴィンのサイコパスであるが故のものとするのは、一方ではそれが真相なのかもしれないが、もう一方でケヴィンの行動原理のすべてをサイコパスであることに求めて、ただただ思考停止に陥っているだけなのかもしれない。ケヴィンの罪には相応の動機があるのかもしれない。
 エヴァは夫と娘を喪った。これについて私は奇妙な考えを巡らさずにはいられなかった。ケヴィンはエヴァに自由を与えたかったのではないか、と。エヴァの人生が変わったのは、彼女が家庭を持ったことから始まる。旅行作家としてキャリアを積み重ねていればエヴァらしく生きてこられたのではないか。元凶はフランクリンだ。手のかかるセリアはそもそもがケヴィンへの抑止力を求められただけ。彼女こそ望まれた子ではなかったのだ。ケヴィンはこのように考えて、だから父と妹を殺したのかもしれない。
 ケヴィンは母親のために事件をおこしたのではないか?
 勿論のことだが、これはあまりに穿ちすぎというものだろう。しかし、万が一にもケヴィンに母親を思いやる気持ちがあったのならどうだろう? 思いやりを行動に移す際に間違った選択をしたにすぎないのなら(その点にケヴィンのサイコパスである所以があるのかもしれない)、どうだろう?
 最後に、一般刑務所に送られる直前の息子と面会をした母親がなぜあんなことをしたのか問うと、息子は「今となってはわからない」と答えるのみ。ここで母子ははじめて抱擁を交わす。

 美しい怪物が己の内面と真に向き合うには、短くない時間の孤独が必要だった。その母親が我が子を心から抱きしめるのも同じだけの時間と孤独を必要としたように。事件後、母子はそれぞれに自分ひとりの時間を生きるしかない生活を送ってきた。二人は孤独を通じて自らを省みて、互いを想うことでようやく親と子の関係を築くことができたのだ。
 幼いケヴィンが射抜きたかったもの、エヴァがまず最初に与えなければならなかったもの。胸と胸とを重ね合わせて相手に気持ちを届けることからエヴァとケヴィンは始める。抱擁によって、二人はようやく母と子になったのだろう。
 そう信じたい。

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少年は残酷な弓を射る from 象のロケット 2013-02-07 (木) 10:31
朽ち果てた一軒家に住む中年女エヴァ。 彼女は道行く女性から罵倒されたり殴られたりするが、「悪いのは自分」だと言い、相手を責めることはない。 …かつては世界...

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