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親が盛る毒

amazon:[DVD] 少年は残酷な弓を射る 「少年は残酷な弓を射る」を観た。
 世界中を旅してきた作家が写真家と結婚して子をもうける。その後、ニューヨークで暮らすことは子の成長に悪影響を及ぼすと夫が主張。妻はこの街を愛するものの、息子の遅れ気味に感じられる成長があるだけに夫の意見に強く否定できず、一家は転居する。
 大きな邸宅に広大な庭、だからといって過疎地にあるわけでもない。一家が越してきたのは、育児を考えるなら申し分のない環境だ。まさに城かと見紛うような屋敷で彼らのかわいい息子は健やかに育った。というわけではない。発話が遅くて、いつまで経ってもオムツが取れない。食べ物で遊び、悪戯は一人前。母親にとって息子とはいつもどんなときも手のかかる生き物だ。
 時は流れて、主人公は朽ちかけた狭い家にひとりで暮らす。そして、安っぽい旅行会社に職を求め、かつてのキャリアからは考えられない仕事に従事する。常に人目を気にして縮こまり、帰宅すれば精神安定剤をワインで呷る。ささやかな住まいと愛車には赤い塗料がぶちまけられ、道行く女性にいきなり殴られるも「私が悪いのだから」と、主人公は彼女らの瞋恚を引き受ける。

 冒頭のトマト祭りから全編にわたって、本作では赤が基調色となっている。無論のことだが、これは血を示している。
 流れる血。
 この「流れる血」というのは流血をのみ示すものではない。血統、母子の間の断ち切れない絆をも意味している。

 世界中を股にかけて活躍するエヴァは再会したフランクリンに請われて結婚する。エヴァの妊娠は、生理周期を確認せず避妊もしないままの性交によるもの。そして産まれた息子は、エヴァを家庭に閉じ込める存在となった。乳幼児が手のかかる存在なのは当たり前であって、それについての覚悟もなしに物事を進めるカチャドリアン夫妻が異常である。社会に出てキャリアを積んできた男女としては甚だしく無責任な選択といえよう。彼らは「選択してない」というかもしれないが、選択しないこともひとつの選択である。
 何らの展望もないまま家庭生活に入ったエヴァに、気の休まる時間はなかった。思うままに世界を渡り歩いてきたエヴァにとって、ケヴィンとは思い通りにならない生活の象徴だ。異文化、他言語の地域ですら味わったことのない苦難が、ケヴィンとともに過ごす時間には感じてしまう。
 妊娠・出産・育児のどれもが初体験であり、そのいずれの場面においても小さな生命の事情が優先される。これまで自身がスポットライトを浴びてきたエヴァとしては、いきなり主役の座を追われたようで、しかし自分を追い落としたのがわが子だけにうまく気持ちをおさめられない。ケヴィンがかわいげのある天使ならまだしも、自分のいうことをきかない怪物とあっては、正直なところ世話をする甲斐がない。
 どうしてこんなことになったんだろう?

 奔放な生き方を仕事に結び付けることで自己実現を成してきた女性が、結婚と出産によって行動に制限がかけられるのを、家庭に閉じ込められているのを、皮膚感覚として実感する。ここは自分の居場所ではない、囚われてしまった、と。
 自分の思い通りの生活ができない、このままでは自分が思い描いていたような人生を送れない。だからといって育児放棄するくらいに無責任な母親にはなれない。もしエヴァが無責任であることに無自覚でいられたなら、彼女は自身が思い悩むほどに育児について背負い込むことはなかっただろう。母親としての事の良し悪しはともかく。
 育児の苦労に辟易しているのを当のケヴィンに無意識のうちに気取られ、そこからこの母子関係は歪んだのだろう。その歪みを矯正することなく歳月を重ねたことが、最終的に悲劇的な出来事として帰結した。このことはエヴァに責任がある。ただし、エヴァひとりの責任ではない。むしろフランクリンがエヴァの足を引っ張っている。この男はダメな夫でありダメな父親だ。

amazon:[CD] 断罪! 断罪! また断罪!!  フランクリン・カチャドリアンという男は、男の愚かしい側面ばかりをその身に貼り付けている。写真家として成功しているのだろうし、人が羨むほどの財産もあるのだろう。でもダメ男だ。
 彼を演じるジョン・C・ライリーの取っつきの良さがフランクリン・カチャドリアンの本質を隠しているが、この男の罪はかなり重い。己の罪に対して無自覚。そもそもが自らの行為に罪があるとは考えもしない。確かに、法律に照らせばフランクリンの行為に刑事罰を与えられない。しかし世の中の既婚女性からは猛烈なバッシングを受けるだろう。必ずや女の敵と認定されるはず。
 再会した想い人を情熱的に掻き口説き、結婚まで漕ぎ着ける。二度と離れることはない、と永遠の愛を誓うところは自己陶酔を感じられるが、それ自体には何の罪はない。問題があるとするなら、将来の展望を何らも提示しなかった点だ。少なくとも作中にそんな場面は見られなかった。これについては二人の間で会話が交わされていたのが、尺の関係で私たちには示されなかっただけなのか? ならば、妊娠についてはどうだ?
 エヴァの妊娠と出産については前述したが、情熱と快楽のままに避妊を怠った結果がケヴィンである。エヴァにとっては望まぬ妊娠出産かもしれず、事実、妊婦教室に通うエヴァの顔には居心地の悪さが色濃く滲んでいた。仕事を持ち、キャリアを重ねる女性が母親になることを選ぶのに慎重になるのは尤もである。反対に、勢いでそれを決めることもあるだろうし、結果としてそれが良かったというケースもあるだろう。同じように、妊娠・出産・育児のいずれもがキャリアの枷となると実感する女性がいても不思議ではない。
 産んでよかったと思えるのなら、それだけで幸せである。抱えていた不安や悩みもいずれは消え失せる。それどころではなくなるからだ。いよいよ、育児という名の戦争が始まる。戦争とはいえ愛するわが子と敵対するわけではない。育児が戦争である理由は、生活を育児一本に絞れないからである。日々の暮らしにおいて生じる家事一切を放棄してよいのなら、いくらでも乳幼児の相手を務められる。実際は家事と育児に追われる一日を日々繰り返すのだ。それが何年も続く。まるで消耗戦だ。まして第一子ならば毎日が初体験の連続。勝手がわからないから緊張を強いられ気疲れするばかり。心身ともに疲弊し士気の下がった軍隊が勝つというのは難しい。そもそもが戦いの覚悟も準備も不足しているエヴァである。彼女がジリ貧に陥るのは目に見えて明らかだ。
 ケヴィンの生育状況に不満を覚えたか、フランクリンは大都市で子育てをすることの難しさにニューヨークでの生活に見切りをつける。そして、世界有数の大都市から離れることを決める。エヴァとしてはこの地を離れたくないのだが、ケヴィンの状態が状態だけに夫の意見に強く拒否できない。かくしてカチャドリアン家はニューヨークを去ることとなる。ここでもフランクリンは妻を家庭に閉じ込めるように物事を運ぶ。それでいて彼自身はこのことに無自覚だ。世界を自由に飛び回っていた社交的な女性に正反対への生活スタイルの変更を強いるのだから、フランクリンはエヴァが納得するまで話し合いをしなければならないところを、この夫婦が理性的な会話を交わしている場面はついぞ見られない。フランクリンが正論めいた言辞で己の考えを押し切っただけ。
 育児の苦労は妻に押しつけて、気の向いたときだけ父親としての旨みを味わう。エヴァが積み上げてきた親子関係を壊しておいて、それが何を齎すか考えもしない。エヴァとケヴィンの間の約款を白紙に戻し、ルールの再構築に寄与することはない。そのくせ、さも自分は家庭を顧みているというような立場を気取って、最前線で戦っているエヴァに偉そうに説教をたれる。フランクリンのこの態度に世の母親は怒りを覚えることだろう。
 ここに断言する。カチャドリアン家の癌はフランクリンだ。

amazon:[単行本] 初めての育児―新生児から3才までの育児が月齢別にわかる! (たまひよ新基本シリーズ)  エヴァとケヴィンの関係が好転することなく数年の歳月が流れた。二人の間には、息子とのコミュニケーションに悩む女性と母親への反抗心を隠さない幼児という基本的な関係性ができあがっていた。エヴァにとってみればわが子の反抗は理由も意味もわからない。なぜ普通の子のように育ってくれないのか。肉体的な成長が遅いなら遅いで、なぜ母親を頼ってくれないのか。ちゃんとした子に育てようと努力してるというのに。
 育児の日々は、わが子を思うままに操ることを目的としてあるのではない。子が思い通りに育たないことは、母親が努力を怠ってよい理由にはならない。育児の苦労は代償を求めるたぐいの性質でない。エヴァはケヴィンに無償の愛を注いだだろうか?
 エヴァの顔には、思い通りにならないことの嫌気ばかりがありありと浮かび、ケヴィンは幼い頃から母親のそんな顔ばかりを眺めてきた。あるいは、「豚もおだてりゃ木にのぼる」ではないが褒めてその気にさせようと意図する、不自然に喜色を浮かべる母親の顔を。
 ケヴィンには言葉が遅くて力が弱いという特徴があったかもしれないが、そのかわりに卓抜なる洞察力をそなえていた。彼は次第に母親を試すようになる。悪戯をしてはその反応を見るというものだが、その最たる行為において彼自身も予想だにしなかった出来事が起こる。ケヴィンは骨折を負ったのだ。
 オムツのとれないケヴィンのその後片付けにうんざりするエヴァ。オムツを取り替えた直後、ケヴィンは糞を漏らす。故意の排便に憤ったエヴァは息子の体を乱暴に扱い、その結果としてケヴィンは左腕を骨折してしまう。過失とはいえ幼児の腕を折ってしまい、児童虐待の罪に問われるものと動揺するエヴァ。ここで彼女はとんでもない罪を犯す。
 ケヴィンが大人たちに吐いた嘘。自分の不注意で怪我をした、という作り話に乗ってしまったのがエヴァの罪だ。彼女は正直に真相を明かすべきだった。自分を悪人にする勇気がエヴァには必要だったのに、彼女は保身に走ってしまった。嘘や誤魔化しが禁忌であると子に教えなければならないはずの親がそれをせず、あまつさえ子の嘘に便乗して事なきを得る。これでは清く正しく美しくなんて躾られるはずがない。露呈しなければ嘘も誤魔化しも許されるということを、エヴァは身をもってケヴィンに教えてしまったのだ。
 わが子の腕を折り、その嘘に便乗したことでエヴァはケヴィンへの負い目を感じることになる。そしてケヴィンは母親の内面に生じた変化を見逃さない。エヴァはケヴィンを脅迫者へと変えてしまった。犯罪者を生むこともまた罪だ。

 本作の原題は「We Need to Talk About Kevin」だ。カチャドリアン夫妻は彼らの息子について話し合いを持たなければならなかった。それを行わなかったことが、彼らにとって罪といえるほどの大きな間違いであった。

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