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動物学的大幻想

amazon:[game] とびだせ どうぶつの森  2012年、今年最後の散財はニンテンドー3DS LLとそのゲームソフト、「とびだせ どうぶつの森」だ。任天堂の携帯ゲーム自体、これまで手を出してなかったので、ゲーム機本体とゲームソフトだけでなくACアダプタ等の周辺機器も買わざるを得ず、だからちょっとした金額になってしまった。衝動買いではないつもりだが、正直にいうと情熱的にすぎたかもしれない。衝動買いじゃなく情熱買い。情熱買いってナニ?
 この12月は「ダークナイト ライジング」と「アベンジャーズ」の映像ソフトをも購入し、この時点で既に尻の毛まで毟られているというのに、そのうえ福沢諭吉が複数人レベルで吹っ飛ぶオモチャを買ってしまった。あたかも下着を脱いで自ら尻を晒しているようなものだ。おかげでお尻はつるつるタマゴ肌!
 これらの消費行動も日本経済にいくばくかの貢献をしたと思えば、なんてこともないんだけれど、とはいえ、やっぱり財政的にパンチのある買い物だよね。いろいろ理由をつけてはいるけど、ホントのところ、どうしても欲しかったんだよぅ。

 というわけで、話題のゲームに夢中な毎日である。ゴリゴリに遊んでいる。現実の生活に支障をきたすほどにゲーム世界に入り浸り。もはや現実と虚構との境目すら危うくなってしまっている。というのは嘘。なんだかんだで忙しくしていて、つい二日前までゲームを楽しむ時間をとれずにいた。楽しみにしていた桑原弘明展も結局は行けなかったし。ここにきて、ようやく根をつめて遊べるようになった。たかがゲームなのだから根をつめてまで遊ぶ必要はないんだけど、されどゲームなのよね。
 このゲームは3D対応ということで、どのくらい立体的に見えるものか期待していた。3D映画とは異なり、飛び出してくるようには感じられず、奥行きがあるように見られた。裸眼でこのように見られることに不思議を覚えたが、意外に簡単に脳が騙されることに驚いた。私ひとりの脳にのみ起きる異状ではないので、個人的不安にとらわれることはないけれど、このままで大丈夫か、人類!?
 任天堂自慢の立体視は、見ているうちに目が疲れてしまって長時間の使用は耐えられない。これについては任天堂も推奨してないのだから、眼へ悪影響は推して知るべし。子どもを相手の商売で、この点どうなの、とは思うが、これについては保護者が責任を担うべきなのだろう。なんでもかんでも企業が負う必要はない。気に入らなければ買わなければよい、買い与えなければよいのだ。
 それはそれとして、3DSの魅力は立体視だけではない。「すれ違い通信」といって、3DSを携帯する者同士が接近遭遇を果たすと、自動的に通信機能が働いて情報のやりとりが為される。名刺を配って歩くようなものである。そのうえ、歩数計の機能まで搭載しているのだから、常に3DSを持ち歩けと命じられているようなものだ。命令されずとも持ち歩きますけどね。ハッ、携帯ゲーム機とは表向きの顔で、実は国民一人ひとりの行動を監視するための道具なのでは?
 まあ、ゲーム機ひとつに対してこんなふうにあらぬ妄想が暴走するほど、ニンテンドー3DS LLと「とびだせ どうぶつの森」を買ったことに興奮しているわけだ。「浮かれてる」といって間違いはない。

amazon:[単行本] Scope  だいたいにおいて私はこういう箱庭的世界が好きなのだな。先に述べた桑原弘明氏の作品世界も精巧なミニチュアあってこその面白さがある。きっちりと作り上げられた世界が、それを収める匣の中に光を差し入れられることでそこに時間の流れが生まれる。この驚きもまた桑原弘明作品の魅力だ。
 桑原弘明氏の匣は、鑑賞するのに覗き穴から中を窺うかたちになるのが楽しい。この姿勢が、その行為が他人にはいえない密かな愉悦であるかのようで、なんとも気分を盛り上げてくれる。ただし寂しくもなるのだ。眼前で繰り広げられる世界の開放に対してどんなに感動しても、私たちはそこに足を踏み入れられやしないのだ。私たちはあくまで窃視者であって匣の中の住人ではない。このことを覗き込むその姿勢のうちに気付かされてしまう。
 そして「とびだせ どうぶつの森」も同じである。私たちは自分を投影したキャラクターを作り上げてそれを操作するのだが、そうしたところでゲーム内の村で生活しているわけではない。生活の基盤はここにある。この現実世界に。そして、「とびだせ どうぶつの森」はこの世界に包含されているのだ。「とびだせ どうぶつの森」に、よしんば現実世界と地続きの遊びがあり他者との交流があるとするなら、それはすれ違い通信と歩数計機能に表われている。持ち歩くだけでゲーム世界に干渉することとなるこれらの行為には、覗き込もうとする意思もなければゲームをしている実感をも伴わない。誰かとすれ違うのも歩くのも、実生活におけるただの移動にすぎないのだから。  ゲーム操作という働きかけを考えると、「とびだせ どうぶつの森」を遊ぶことは桑原弘明的作品世界へのアプローチよりはいくらか能動的かもしれない。「とびだせ どうぶつの森」はそれを遊ぶのに、それが気軽にできてしまう点で正しくゲームである。そして、桑原弘明氏の作品は鑑賞ということの面白さを味わえるということで、こちらも正しく芸術作品なのだ。精神活動においてはどちらがより深くまで作品世界に入り込めるかはわからない。こればかりは人それぞれだから、ね。
 ゲームを遊ぶ者がその世界をデザインすることと、作者によってデザインされた世界を玩味すること。意味合いが大きく異なるこの二つの事柄。それがどうであろうとも、それぞれを十分に楽しめる人間という存在。改めて考えてみるに、人類ってユニークな種だよねえ。
 ああ、それにつけても桑原弘明展に行きたかったなあ。行くべきだったよなあ。ああ、悔しいッ!

amazon:[game] シムシティ (Amazon.co.jpオリジナル 「都市セット(フランス)」ダウンロードコード& 初回特典:『シムシティ ヒーロー&悪党セット』付き)  というわけで、最近は「とびだせ どうぶつの森」を遊んでいるのだけれど、新米村長の仕事のほとんどが狩猟採取というのはいかがなものか。村内を駆け回って果実をとったり釣りしたり浜辺で貝殻を拾ったり。それらをリサイクルショップで売ってローンを支払う。これらの行為や、樹木を揺すって銭が落ちるのを拾ってネコババするなんていうのは、ダンボールハウスの住人のすることではないか。蜂の巣を落として反撃を受けるなんてのも稀なことではない。世知辛い世の中だねえ。
 村長などと呼ばれておだてられてはいるが、実際のところは雑用係である。ま、現実の自治体首長もその本質は雑用係といえなくもないのだから、これはこれで間違ってないのかもしれない。でも、このままだと私腹を肥やす悪徳政治家を目指す向きには不評を買うかも。つまり、収賄の楽しみがない。「越後屋、黄金色の菓子を食うてみたいものじゃのう」という台詞を吐いてみたいものだ。また、「この土地は御上が召し上げることと相成った。早急に立ち退けい!」等と畜生どもを弾圧することも、このゲームではできそうもない。
 圧政ということでは、エリザベート・バートリ風の搾取もなかなかに魅力である。他の自治体から「串刺し村長」と恐れられるというのも嬉しい。夢ばかりふくらむけれど、畏怖の念を抱かせる吸血鬼村長の存在を自社の商品に認めないだろ、任天堂は。
 実際のサテヒデオの治世とは次のようなものだ。今のところ、サテヒデオは公共事業の完成に私財をなげうつ清貧村長になってしまっている。ゲーム世界をデザインするつもりがゲーム世界に使役されている実態。これでは本末転倒じゃないかッ!

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Comments:2

tenmama 2012年12月31日 09:24

桑原弘明さんのお名前初めて知りました。
精巧なミニチュアを作られる方なのでしょうか??

ともあれ、とびだせどうぶつの森、楽しそう!
私もいつか!!と気合いが入りました☆
3DSの機能でよくわからないことも多いのですが
これから勉強をしていきたいと思います。

サテヒデオ 2012年12月31日 23:10

tenmama様
 コメントをくださいましてありがとうございます。
 桑原弘明氏の作品を説明するのは難しいです。百聞は一見に如かずとはその通り。こればっかりは実際に体験していただかないことには理解しがたいのではないでしょうか。毎年十二月に銀座で個展が催されますから、これに足を運んでいただきたい。是非とも!
 そして「とびだせ どうぶつの森」! これは見た時が買う時です! 私は待ってますよ! 新兵器の投入は間近です。
 
 2012年はいろいろとコメントを頂戴しましてありがとうございました。2013年もどうぞ宜しくお願い致します。

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