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るるぶドラゴニア

 2012年10月30日、ハロウィンの前夜に神保町へ。目的は第53回神田古本まつりの企画、澁澤龍子女史と東雅夫氏による対談「澁澤龍彦と幻想文学」を拝聴すること。これは私の岐阜の友人(大の澁澤龍彦マニア!)が体中の体液を搾り出して羨ましがること必定な企画内容で、彼の切歯扼腕する姿を思い浮かべながら神保町を東京古書会館へと向かった。
 澁澤龍子女史といえば幻想文学の泰斗である澁澤龍彦の夫人。先だって『澁澤龍彦との旅』を著したこともあって、その宣伝を兼ねてというわけではないだろうけれど、うまい具合に時期が重なって企画が進んだのだろう。東雅夫氏においてはかつて氏が編集長を務めた「幻想文学」のインタビュー集『幻想文学講義』や近日刊行のアンソロジー叢書「世界幻想文学大全」が、いずれも澁澤龍彦と関係の深いこともあって、これらの奇縁が重なったことからも本企画は成るべくして成ったといえよう。

amazon:[単行本] 澁澤龍彦との旅  没後二十五年、鎌倉の澁澤邸は今もなお往時の姿をとどめている。これはひとえに未亡人の努力の賜物。篠山紀信撮影の写真で知られる書斎は、まさに澁澤龍彦の世界そのもの。その内面世界に入り込んだような気分になるらしい。
 この書斎、机こそ龍子女史が使うことはあるが、基本的に故人が使っていた当時のままに維持されている。こうなると一個のタイムマシンのようなもので、没後二十五年の時を経てさえ故人の存在を感じるとのこと。ただしそれは文学史上の偉大なる作家としての存在感であり、生活をともにした人のそれは希薄となっているそうだ。
 龍子女史が現状維持の難しさを語ると、それに対して東氏が「澁澤龍彦記念館とすべきでは?」と澁澤龍彦ファンの声を代弁する。これには「とんでもない」との返事が。鎌倉にはかの地に縁のある作家が多く、それぞれに記念館を建てたり私邸を記念館として改築したりするのは大変。まして維持するとなると費用を捻出するのが難問となる、ということらしい。鎌倉が数多の文豪に愛された土地柄で、それ故にいろいろと手一杯なのはわかるが、澁澤龍彦というネームバリューならば採算がとれるのではないかと思うのは、しかしこれは素人考えなのだろう。
 それに、記念館にしない理由の本当のところを澁澤龍彦夫人は語ってないのかもしれない。なにしろそこは自分たちの生活の場であったし、亡き夫を偲ぶ寄す処であるのだから。それを裏付けるようなことを龍子女史は述べている。
 鎌倉で記念館にするのが難しいならば、記念館の誘致に積極的な地域に建物自体を移築するというのはどうかという提案を、龍子女史ははっきりと否定する。あの屋敷は鎌倉に在ってこそ、という思いがある、と。屋敷の内外において、それがそれらしくあることに拘りを持つのであれば、記念館という建物の在り方に踏み切れないのもわかる気がする。
 ただし、これは私の頭のなかの道理。私が考えたようなことを龍子女史が胸に秘めているかは定かではない。ただの思いつきであって、実際はどのような心境なのか知る由もない。
 このように、このたびの対談内容はサテヒデオのフィルターを通しているので、このことを踏まえて読んでいただきたい。なにしろこのフィルターはポンコツなものですから、万が一にも事実誤認等ございましたら、それは発言者である澁澤龍子女史や東雅夫氏によるものではなく記述した私に責任があるとご承知くださいますよう宜しくお願い致します。

amazon:[単行本] 澁澤龍彦との日々  澁澤龍彦と龍子女史との出逢いは、仕事の上でのこと。澁澤龍彦は「芸術新潮」昭和44年6月号の特集においてエッセイ「魔的なものの復活」を寄せるのだが、当時の編集部にいたのが龍子女史である。二人とも鎌倉在住だったこともあり、若手の女性編集者が業務連絡等で接触を続けているうちに親しくなったそうだ。このときの特集は、団塊とそのすぐ下の世代にとっては直撃を受けたようで、龍子女史は後になってその世代の方に感慨深く告げられることがあったとのこと。
 さて、作家と編集者の関係はすぐに変化したようで、「魔的なものの復活」校了後には京都へ旅行に出掛けたという。龍子女史はこのときに稲垣足穂と会う。当時、稲垣足穂は『少年愛の美学』で第1回日本文学大賞を受賞した後で、龍子女史はこの作家を"そういう人"だと見做していたらしい。
 龍子女史は新潮社の編集者であったのにもかかわらず、本人曰く文学畑には疎かったようで。とはいえ、周りが周りだけにどういうレベルの「疎い」かは全く実感できない。対談で次々に挙がる名前の豪華なことに、聴衆から溜め息が洩れるほど。
 そんなビッグネームを招いていざ酒宴となると、厨房を預かる主婦は頭を痛めたとのこと。澁澤龍彦の酒は延々と続く「引き留め上戸」だったらしく、松山俊太郎氏などは龍子夫人にしてみればまるで「牢名主」。自ら「自分は犬である」というだけあって、軒先からワンと鳴いたというのだから驚く。このような逸話から、澁澤邸での酒宴は楽しいものであったことが窺える。一度、覗いてみたいものだ。
 その一方で、付き合い以外で外に飲みに出掛けることはなかったということだ。尤も、澁澤龍彦が龍子女史と再婚したのは不惑を過ぎてから。「それより前のことは知らないけれど」と付け加えていた。毎夜の如き寝酒は、仕事による頭脳活動を静めるためだったという。
 自宅ではパジャマ姿で過ごしたという作家は、そんな格好で毎日のように仕事に打ち込んでいた。作家にとって書きたいことがないという状態はなく、当然のようにスランプもなかった。
 そんな澁澤龍彦が洩らしていたのは「自分には持ち時間が少ない」ということ。『唐草物語』の1981年の頃から口にするようになったとのこと。龍子夫人からすると夫君は速読の域に達する読書家だったが、作家としてはすこぶる遅筆家であった。よって締め切りに追われることも少なくなかった。
 持ち時間が少ないとの作家の自意識に関して、対談後に聴衆のひとりから質問があった。それは、『唐草物語』以降、小説を物することが増えたのだけれど、何かきっかけはあったのかというものだ。龍子女史がこれに答えて曰く、その頃からというわけでなく誰も書いたことのない新しいスタイルの小説への模索を続けていた、と。そのことは、亡くなる直前の『高丘親王航海記』脱稿に「玉蟲物語」の構想が証明している。
 幻想奇譚において自己を表出するのは稀有なこと。己を語るに私小説のかたちをとらないで幻想のうちに描き出すことこそ澁澤龍彦の作家性を表している。
 ここで本田正一氏の所蔵する音声データが披露される。データは二つ。声の主はそれぞれ澁澤龍彦と中井英夫。亡き夫君の在りし日の声を聴いて、未亡人は「全然違う気がする」と一言。これには会場が沸いた。続く中井英夫の話す内容は、「文学とはひとえに文体である」という持論が展開されていて、表現に命を懸ける文学者の凄みが感じられた。
 また、1981年は『唐草物語』で第9回泉鏡花文学賞を受賞している。このとき、「ノーベル賞なら受けないけど、泉鏡花賞だから受けた」というような内容のスピーチをしたらしい。普段、云いたいことの全部は本に書いてあるので本を読んでほしいという考え方から講演も断るくらいで、スピーチをしない人なので大丈夫かと夫人は心配したが、何はともあれやり遂げたことに安心したらしい。
 ちなみに、第9回泉鏡花文学賞を『唐草物語』と同時受賞したのは、筒井康隆『虚人たち』である。

amazon:[文庫] 滞欧日記 (河出文庫)  基本的に出不精な文学者。しかし外出したら外出したで、力いっぱいに楽しんだそうだ。旅先ではむしろ真面目な生活ぶりだったとのこと。せっかく旅に出たのだからと精力的に動き回るのだそう。1970年のヨーロッパ旅行ではこの出不精が計画的に行動した。それは書物で読んで既知の絵画や彫刻を確認する旅路であり、見知った美術品の実物を観て「やっぱりイイ!」だの「画集で眺めていたほうが良い」だのと感想を述べていたとのこと。
 このように目的の明確な場合は行動が早いけれど、それ以外はのんびりとしたものだった。
 フランス文学の研究者であった澁澤龍彦だが、フランス語の習得は「読む」ことから始めたので「聞く」のはそれほど得意というわけではなかった。だから、眼前でフランス人が彼を馬鹿にしたとしてもそれに気付かない。それでも、理解できない言語が飛び交う状況にストレスを感じることがあったようで、そんなときは本屋に行ったという。フランス文学であれば店主すら知らないことでも全部わかるので、そのことに気を良くするのだ。稚気というかかわいらしいというか、どうにも親しみを覚える逸話である。
 澁澤龍彦の著作では旅の手続き等は自分がやったように書かれているが、本当は夫人が済ましていたそうだ。これは海外のみならず国内であっても同じこと。この家長は本屋以外ではあまり役に立たなかった。
 古本好きだが、だからといって何でもかんでも買い込むわけではなかった。「いずれ読むだろうから」とか「稀少本だから」とかいう理由で本を買うことはなく、自分に必要な本をしっかり吟味して購入していた。それらは執筆のための資料であることが少なくなく、いわば一種の実用書といえよう。だから、不要な本や無駄な本は持っておらず、無論のこと未読の本もなかった。積読本に囲まれている身としては耳が痛い。

 結婚してからというもの、日記こそつけないものの日々の備忘録として何かとメモを残していた龍子夫人。これは夫君の文筆活動に役立つようにと始めたもの。映画鑑賞等、二つの主観による情報の補完が意味を持ったとのことだ。まさに内助の功である。これはメモ書きだけに終わらず写真も撮りまくったそうで、そもそもの動機が動機だけに澁澤龍彦逝去の後には写真撮影をすることもなくなった。
 撮影は龍子夫人だけが専らにしていたわけではなく、澁澤龍彦もカメラを手に撮影に励んでいたようだ。ただし二人とも機械音痴で、思うような写真を撮れなかったとのこと。
 カメラはともかくとして、作家は家電製品について不要と考えていた。それは電話すら要らないというくらいで、あるとき龍子夫人が「自分が倒れた場合はどうするの?」と訊くと、「そんな一生に一度あるかないかわからないようなことのために、日常に電話が入り込むだなんて!」あり得ないと答えたそうだ。現在、龍子女史は家電製品のない生活を送っているとのこと。自分が故人に近付いたのかも、と笑うのだった。
 これまでに二冊、龍子女史は亡き夫君との日々を著しているが、これについて本人はきっと怒っているに違いないと考えている。生前から龍子女史の文章に口を出さずにはいられなかったようで、たとえそれが私信であっても添削するというのだから凄まじい。さすがに添削は上手かったそうで、送り先を羨ましく感じる。
 これまで澁澤龍彦との日々と旅について書いてきた龍子女史。第三弾の予定は、と問われて「予定は未定」と答える。否定的なニュアンスが込められたのは、これから書くとなるとそれは闘病記になってしまうのが理由だ。下咽頭癌を患い、声帯を切除した作家は、それ以後を筆談で過ごす。筆談で発した"言葉"の数々は今も残っているが、これは発表できないという。
 口から発せられた言葉は宙に溶けて流れてゆくけれど、筆談の言葉は紙上に凝固して残ってしまう。それは澁澤龍彦の言葉であり"肉声"ではあるが、著作物ではない。作家が何をおいても欲するのが文体だとするなら、澁澤龍彦が最期の日々に遺した"言葉"は作家の文体とは違ったものである。だから、龍子女史は澁澤龍彦の理解者としてそれらを発表するに忍びないのだろう。

amazon:[単行本] 幻想文学講義:「幻想文学」インタビュー集成  これまで澁澤龍子女史の話した内容を中心に纏めてきたが、それを引き出したのは東雅夫氏である。
 東氏は大学を出て一年目に「幻想文学」を創刊。その第一弾のインタビューが澁澤龍彦だった。これも奇縁が織り成した企画の実現であり、幻想文学ジャンルを盛り上げてゆこうと奮闘する若人への第一人者からのエールだった。この模様は国書刊行会から刊行された『幻想文学講義』に詳しい。
 日本で唯一の幻想文学専門誌と謳われた「幻想文学」は、1985年から「幻想文学新人賞」を創設。選者を澁澤龍彦と中井英夫が務めたが、1987年8月5日に澁澤龍彦が逝去したため、第2回をもって終了している。
 澁澤龍彦の晩年において交流を持った東雅夫氏だが、この作家からはじめて影響を受けたのは小学生の頃。自分が通ってきた道というのは、澁澤龍彦をはじめとする先人たちが切り拓いたもの。これを次代に繋げるべく東氏が携わったのが、ちくま文庫の「世界幻想文学大全」だ。『幻想文学入門』『怪奇小説精華』『幻想小説神髄』の三巻からなるアンソロジー叢書は、澁澤龍彦の二つの「幻想文学について」で始まる。
 澁澤邸の書斎に作家・澁澤龍彦が生きているように、幻想文学の血脈にも澁澤龍彦は生き続けている。『暗黒のメルヘン』に影響を受けた少年が胸を張ってアンソロジストを名乗るように、今日もどこかで怪奇と幻想に魅入られた龍の眷族が生まれているかもしれない。

 現在の澁澤龍子女史は、ペットとともに元気に暮らしているそうだ。かつて夫君とそうしたように旅行を楽しんでいる。イタリアや国内、その旅先はやはり故人とかかわりの深い場所を選んでしまうらしい。

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Comments:2

白猫 2012年11月 6日 07:23

澁澤龍彦さんの本は何冊か読んだ事がありましたが、奥様の事などは知らず、大変貴重なお話をフィルターを通して聞けて嬉しいです。

奥様の筆談の物についての考え方、旦那様を全力でサポートしようとする姿勢など、やはり物凄い人だなと、奥様の著作も読んでみたくなりました。

手の具合はいかがですか?
無理をなさらないでくださいね。

サテヒデオ 2012年11月 6日 19:36

白猫様
 コメントをくださいましてありがとうございます。
 このたびの対談企画は、拝聴できたことを喜びとする以外ありませんですよ。素晴らしい体験でした。三歩進んですべてを忘れる鳥頭なもので、こうして記事にすることでこのブログが備忘録の役目を果たすのは、私にとっても有用なのです。
 左手は大丈夫です。あの頃ほど酷使してないですから。でも冬が忍び寄ってますね。もしかしたら痛むかも。

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