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今日もどこかでデビルマン

「北のカナリアたち」公式サイト 「北のカナリアたち」を観た。
 東映創立六十周年記念作品ということで、本作は主演の吉永小百合をはじめとする日本映画界の綺羅星が出演する。永遠の映画スターである吉永小百合が演じるのは、北海道は離島の分校に赴任してきた教師。その後、彼女はある事件をきっかけに島を去ることになるのだが、二十年後に当時の教え子が起こした殺人事件を契機として島へ戻り、教え子たちと再会を果たす。その六人の教え子たちの成長した姿を演じるのは、実績も申し分のない若手俳優。森山未來、満島ひかり、勝地涼、宮﨑あおい、小池栄子、松田龍平。いずれも日本映画界を背負ってゆく人材だ。ここに石橋蓮司と柴田恭兵に仲村トオル、里見浩太朗といったベテランが脇を固めて、キャストは盤石だ。
 スタッフも監督を阪本順治、撮影を木村大作が務めることから、東宝の"本気"が窺える。冬の北海道が見せる険しくも雄大な景色を、日本映画界を代表するカメラマン、木村大作に撮らせるのだ。これが本気でなくて何であろう。ただ一点、心配なのは脚本だ。
 本作の原作者としてクレジットに名を連ねるのは、湊かなえ。この作家の作品は、複数の主観にひそむ悪意と保身と無自覚が織り成すアラベスクが魅力だ。それは長編や連作短編で真価を発揮する。本作は連作短編集『往復書簡』のうちの一編が原作なのだという。『往復書簡』は未読なので本作と原作小説との比較はできない。知らないことは幸せだけど、ある事実を知っているものだから、本作に一抹の不安を覚える。。
 本作の脚本を担当したのは那須真知子だ。夫婦で「デビルマン」を凄まじい作品に仕上げたと話題になった那須夫妻の奥方だ。怖いもの観たくなさで、かの問題作を未だ観てない。あまりの悪評に怖じ気づいてるのだ。
 さて、本作は「北のデビルマン」になってしまっているのか?

 本作は公開前である。冒頭に述べたように東映創立六十周年記念作品であり、キャスト・スタッフともに日本映画界の重鎮・中堅・若手が顔を揃えた大作だ。期待する向きも多かろう。
 この記事を読んでくださる方に前もって承知してもらわなければならないのは、私は「北のカナリアたち」を持ち上げることをしないということ。否、しないのではない。できないのだ。これまでも作品に多少の瑕疵があったところで敢えてそれを上回る魅力について言及してきた私だが、本作については"瑕疵"のレベルではない。もういろいろと無理なのだ。
 だから、「腐すレビューは読みたくない」という向きはこれ以上読み進めないでいただきたい。本作を好きだという人も、まだ観てない人も。というのも、これから私はネタを割ります。低い評価を下すにしても、その理由をきちんと述べるためにはネタを割ることも已むを得ないと考えます。このことから結末を含む本作の解体を辞さないつもり。
 とまあ、いろいろありますけれども、上記に該当する向きがこれ以上読み進めるのはお勧めしません。あるいは、気分を害しかねませんので。さあ、「戻る」をクリック!

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 物語が進むにつれ大きくなる疑念。かつての教え子たちの証言によって過去の出来事が鮮明に立ち上がるという構成は"湊かなえ印"といえる。しかしこの作家の特徴は、作中人物それぞれの立場や心情が彼ら自身に見えなくさせていた事柄を、主観を積み重ねることでそれぞれの人物が思いがけずとも情報の補完を為し、最終的に真相へと到達するというものだ。一見すると単純な因果の上に成り立つ出来事に対して、複数の主観による"真実"を示してゆくことで、人間というものの奥深さを浮かび上がらせる。これは、黒澤明の傑作を想起させる。
 だから、本作は21世紀版"湊かなえ印"の「羅生門」なのだろうと期待していたわけだ。しかし、これは裏切られる。観客は主人公とともに教え子たちとの邂逅を果たし、そこで過去の痛ましい出来事の全貌が明らかとなる。ただし当事者や関係者の証言内容に食い違いがあるわけではなく、それどころか意想外の真相が待っているわけでもない。ただ単に作中においては自明とされている事柄を川島はるの行程とともに追体験しているだけ。これでは湊かなえ作品を映像化した意味がないではないか。私が「北のカナリアたち」に寄せていたのは、阪本順二が湊かなえ作品にひそむ毒をどのように映像化するのかという興味であり期待だ。第一に湊かなえ作品だから本作を観る気になったのであって、阪本順二監督作品だから吉永小百合主演だからというわけではない。それなのに"湊かなえ印"とは程遠い内容なんて!
 予想していた内容と違うからという理由で作品を批判するのは間違いだ。作品として面白ければ文句はない。期待していた面白さをそなえていなくとも、それにかわる魅力があればその点を評価すべきだ。
 本作は一種のロードムービーだ。老境に至った女性が、かつての教え子たちを訪ねてゆき、最終的にはかつて成し遂げられなかった最後の授業を果たす。再会とはいえそこには二十年の歳月が横たわっている。教え子たちもれっきとした大人だ。それぞれに変化があって然るべき。
 二十年の歳月が人にどのような作用を齎すのかということを、教え子たち本人に近況を語らせて提示する。また、これらの"告白"はそのこと自体が彼らの救済に繋がっている点で本作の見所なのだが、それを前面に押し出すには如何せん尺が足りない。二時間強の映画ではなく連続ドラマの体裁なら成功していただろう。六人分の二十年は長すぎる。そして、この二十年という時の流れが主演女優に流れていないのが問題である。
 吉永小百合という女優は扱いが難しい。日本を代表する映画スターだから"そのように"遇すればよいのだけれど、そういう芸能界におけるお約束や扱いを作品内に持ち込むのはナンセンスといえよう。しかしそれが罷り通るのが吉永小百合をはじめとする大女優である。本作で吉永小百合は主人公の四十歳と六十歳をそれぞれ演じるのだが、実際のところこれがどちらも厳しい。二十年の違いがヘアスタイルのみというのは如何なものだろう。間違い探しじゃないんだから。
 年若い役者を老けさせるには皺を描いたり髪を白く染めたり皮膚にたるみを作ったりすることができるが、年老いた役者を若返らせるのは難しい。化粧だの照明だのでどうにかできる年齢差でなければ尚更だ。そして今の吉永小百合にとっては四十路の役柄は現実離れしている。彼女の演技力云々ではなく、立ち振る舞いや声に実年齢が現れている。彼女は年齢相応のそれらを身につけたのだから、これは人として当たり前なのだ。挙措の溌剌さや声の張りを失ったとはいえ、吉永小百合という女性は年齢相応の美しさを有する。このことを称賛することはあっても悪し様に云う者はおるまい。
 それなのに日本映画界は、この大女優に滑稽なまでの若返りを求める。これは明らかに間違いだ。もはや演技ではなく仮装となっている。「日本映画界の大スター」という幻想を共有しない者にとってみれば、ただのコスプレにすぎない。東映創立六十周年記念作品に相応しく永遠のマドンナを担ぎ上げたかったのかもしれないが、担いでおきながら恥をかかせる結果となっては逆効果だろうに。
 担ぎ上げたのは日本映画界を代表するカメラマンも同じだ。冬の北海道、しかも海沿い。雪と吉永小百合のコラボレーションを撮らせたかったのか、木村大作が撮らせろと迫ったのか知らないが、そのせいで話の筋がおかしくなっている。否、誰のせいでもなく脚本が狂っている。

 さあ、ここから先はもはや容赦はせぬ。これまでも手を抜いていたわけではないが、「北のデビルマン」を叩きに叩くことになろう。ヒットポイントがゼロであろうと手加減はしない。
 これ以上は見ちゃいられないという向きは「戻る」をクリックだ。

amazon:[文庫] 往復書簡 (幻冬舎文庫)  川島夫妻は夫・行夫の死病が発覚し、余生を穏やかに過ごすために妻・はるの故郷にやってきた。はるは分校で教鞭をとり、そこで六人の生徒を受け持つ。ふとしたきっかけから吃音の生徒が張り上げる声に歌唱の素質を見出した女性教師は、生徒たちに合唱の楽しさを教える。最高の娯楽を与えられた子どもたちは、これに熱中する。六人の小さな合唱団はみるみるうちに上達し、その年末に催された自治体のクリスマス会では住民から拍手と賛辞を受けるほど。翌年には全道の合唱コンクールに出場するというレベルにまで達する。
 コンクールを間近に控えて独唱を任されていた女生徒の声が出なくなった。心因性のものだろうということで、行夫が気晴らしのバーベキューを提案、これを実行に移す。岩場で行う楽しい食事のひとときは悲鳴によって引き裂かれる。結果として行夫は死に、はるは間男と逢い引きしていたと噂されるようになり、ついには島を去る。
 ここで事実関係を整理してみる。

 川島夫妻、島に移住する。同時に妻・はるが岬分校に赴任。
 岬分校の生徒が合唱を始める。
 はる、阿部と出会う。
 岬分校、全道の合唱コンクールへの出場が決定。楽曲の独唱は安藤結花が担当する。
 結花、札幌で行われるコンクールについて別居中の父親に電話連絡をする。
 生島直樹と結花、親のことで仲違いをする。この後、結花は歌えなくなる。
 バーベキュー。はると阿部の逢瀬。事故。行夫、死亡する。
 はる、阿部との関係を噂され、村八分となる。
 はる、島を出て行く。

amazon:[Blu-ray] 【Amazon.co.jp限定】北のカナリアたち (特番20分~30分映像特典付き) (完全限定生産版)  二十年前の出来事は、約めてしまえばこんなものだ。時系列順に並べると、中年女性が故郷に帰って仕事に充実感を得るも、その一方で夫婦関係に問題を抱える。そこに新たな出逢いがあって不貞の恋に溺れる。実際に海で溺れ死んだのは夫で、ちょうどそのとき間男と密会していたのがバレた中年女性は追われるようにして故郷を後にする。おやおや、急に生々しくなったな。考えてみると、この三角関係においてセックスを感じさせない吉永小百合という存在は凄いな。枯れている、というのとは違う。聖性?
 とにかくこうして並べてみると、いろいろと引っかかってしまう。
 はるが阿部と出逢う冬、行夫の病状は進んでいる。かといって本人は治療に前向きではない。自分の死を覗き込んでひとり懊悩している。それ自体はどうこう云うつもりはない。それもひとつの生死のあり方。川島行夫はそういう人間なのだ。問題は、思ったより長く生きるはずだったのだな、ということ。二十年後にはるは結花に告げる。夫は余命半年だった、と。あの時点でまだ半年も余命が残されていたと診断されたのか? それとも結花に告げた内容は、彼女を慮っての嘘か? 少なくとも余命半年と宣告されて島を訪れたのではないということは確かだ。行夫は半年以上の期間を島で生きている。
 ちっとも病気に見えない柴田恭兵。介護疲れがあるのかどうかさえ定かではないが、女房はよその男に走っている。それと知りつつ何も云わないが、この男に何か展望はあるのだろうか。結花が海に落ちたとき、「頭が痛い!」と云って子どもを見殺しにしたほうがよっぽど盛り上がったろうに。
 妻より先に逝く夫というモチーフに脚本家が拘ったのか、行夫には妙に神聖視されているようなところがある。彼に対して現実離れした印象を拭えない。
 死ぬ死ぬ詐欺が溺死して、はるが島を去るまで、彼女は島中から白い目で見られたとのこと。ここで重要となるのは、はるはどれくらいの期間を耐え忍んだのか、ということ。
 結花が合唱コンクールについて父親に電話したのは夏。しどけなく眠る母親が下着姿であったことと扇風機が二台あったことからも、これが理解できる。それからほどなくして直樹と喧嘩。声が出なくなり、バーベキューへの流れとなる。だから、バーベキューは夏だろう。ここで公式サイトを訪れると、バーベキューを夏の日の出来事として記載してある。やはり夏だ。となると、はるはその後の半年ばかり島で耐えていたことになる。針の筵だったろう。よくもまあ耐えられたものだ。
 しかし結局、川島はるは島を去った。生徒を放って逃げ出した。なにしろ他に教師のいない分校である。はるが去ったら子どもたちはどうなる? こんな中途半端な時期にかわりの教師は見つかったのか? まったくもって無責任である。だから、彼女は教師を辞めたのだろうが、だからといってそれは何の贖罪にもならない。石を投げつけられたところで減刑は叶わないだろう。
 悔恨と贖罪。これが川島はるの二十年後の行動原理となる。しかし、それに対する懊悩が窺えないのが問題である。そこのところは観客各自で慮ってほしいとでも云いたげ。

 なぜ秋ではなく学年の変わる春ではなく冬に島を離れたのだろう?
 夫は死に、男は去った。このうえ自分まで島を出て行けば、男のもとに飛んでいったと噂されるのは避けられない。私はともかくこの地で生きてゆく父親を思えば軽率な真似はできない。こう考えるのが普通だと思う。どんなに辛くても今の状況は自分が招いたものだとの自覚はあるはず。
 情熱に荒れ狂う時間は過ぎ去ったのだから、理性的で且つ責任ある行動に立ち返ってもよいだろうに、川島はるは島を去った。妻としてよりも教師としてよりも娘としてよりも女であることを選んで、疲れて逃げた。
 自らも望まぬ別離は冬、それも雪景色が似合うとばかりに島を去る時期は決められのだろうか?

amazon:[DVD] 告白 【DVD特別価格版】  作中に登場する人物すべてに共通しているのは、彼らの背景の薄っぺらさ。過去の出来事について口頭で説明するだけで、二十年の時の質量をまるで感じさせない若者たち。彼らはそれぞれに事情を背負っているようだが、それらについての掘り下げというのが浅い。人物描写の余地はいくらでもあるというのに、設定をただなぞるが如きものにとどまる。尺の問題はあるけれど、人間が描かれずに終わるというのは、本作のような人間ドラマにおいては本末転倒。
 小学生の頃に喧嘩して以来、ずっと口を利いてこなかった二人が、恩師に再開した後に抱き合って「好き」って、発情期か! 恋愛感情が芽生えたのはいつ? それをどうやって育んだ?
 職場に不倫相手の妻が娘とともに現れて面罵する。実は彼女は高校時代からの親友で、なんて聞かされてもこちらは知ったことではない。「かつての先生と同じことしてたんだな、アタシ。あの頃、そんな先生に怒りを覚えていたのに」とでも云いたいのか。別にどんな心境を吐露しようと構わないが、こちらは矢継ぎ早に繰り出される情報を整理するのに精一杯。君の悔恨までは背負えないよ。
 これらの情報というのは、目から入るものではなくて耳から入る言語情報が専らで、つまりは説明科白というわけだ。視覚情報でストンと納得させてくれれば文句もないが、残念ながら映像のフォローはない。良くいえば役者の演技に託している。悪くいえば役者に丸投げ。
 本作の鍵となる鈴木信人は吃音のうえに両親不在、祖父との二人きりの貧乏暮らし。苛めの被害に遭いそうなものだが、六人きりの分校という環境が幸いしたのか、松田勇がちょっかいをかけるくらいで問題になるほどには虐げられていない。吃音自体は珍しくないとはいえ、幼いながらも信人の劣等感を刺激していただろう。だからといっていきなり叫び出すというのは、他の何らかの疾患を疑うべきだ。百歩譲って、その言動が小学生くらいまででおさまったのだとするならそれで納得しよう。長じてからも同じ行動をとっているのはどういうことだ?
 鈴木信人は生贄だ。純真無垢な存在であり続けることを求められた結果、社会人らしさを身につけることなく殺人を犯す羽目となった。傍から見ると共依存でしかない関係を純愛と祭り上げられ、お約束のように悲劇に見舞われる。それ自体は問題ではない。その後に誰もが納得するカタルシスが約束されていれば。
 抑圧の先に待っているカタルシス。それが偽「サウンド・オブ・ミュージック」だ。

amazon:[Blu-ray] サウンド・オブ・ミュージック 3枚組ブルーレイ&DVD&デジタルコピー (初回生産限定)  僻地の分校に赴任した女性教師。彼女は生徒たちに合唱の楽しさを教える。この筋立てとそこかしこに歌の場面が盛り込まれていれば、ジュリー・アンドリュース主演の名作映画を思い出す。二つの作品には設定等に差異が見られるけれど、「女こどもに歌を歌わせる」という乱暴すぎる内容紹介には合致する。
 ジュリー・アンドリュースを吉永小百合に置きかえたなら、という夢想は魅力的だったかもしれないが、実際は処理すべき事案が多すぎてどうにも無理矢理な感が否めない。その忙しないままに突入したクライマックスも無理筋ここに極まれりといった感じで、「サウンド・オブ・デビルマン」になってしまっている。なんだデビルマンって。ファンタジーということかよ、オイ。
 移送途中に回り道という荒唐無稽。確かにファンタジーだ。そこに少しでも説得力を持ち得たとするならば、それは石橋蓮司の役者としての力によるものだ。これには唸ったが、展開そのものには苦笑い。感情を優先して制度を蔑ろにすることを人間らしいと称揚するようでは、司法は立ちゆかない。感動させたいがための横紙破りでは醒めてしまうのがわからないのだろうか。脚本家本人が酔っていたのか?
 作中では朗らかに歌う子どもたちと彼らを率いる教師の姿が描かれており、それは幸せの象徴として映るが、その一方でひとつの死を契機に歌声の消えた日々があったはずなのに、これについては描かれてない。だから、あって然るべき対比が全く活きてこない。これが描かれていたなら、はるが島を去ることに説得力を付与できたろうに。残念だ。

 撮りたい映像や場面を、ただ繋ぎ合わせているだけなのが本作だ。設定を血肉にできていないため薄っぺらな人物が跋扈するのが本作だ。見せ場ばかりを拵えるのに気を取られ、ドラマの礎石となるべき人物描写がなおざりになってしまっていることに脚本家は気付かなかったのだろうか? 否、脚本家だけではない。監督はどうなんだ?
 川島はるは未亡人となって二十年。今も左手の薬指に指輪をしている。結局、はるの気持ちは夫に向けられているわけだが、それが愛なのか情なのか、それとも謝罪や悔恨といった彼女の罪悪感に根差した感情なのか、あるいはそれらすべてが混然となったものなのか窺えない。三角関係を生々しくも現実感を伴うように描かなかったことで、川島はるの気持ちを忖度できない状況を作り出している。
 はるから指示を受けた信人はともかくとして、他の五人が母校に集った理由がわからない。各々にそうするだけの理由があるのだろうが、それが見えてこない。寂れた村の廃校に集まって殺人犯と唱歌を歌うだけの切実な理由がまるで見えてこない。信人のため? はるのため? 自分のため?
 再三繰り返すけど、人が描かれてないのだ。これは厳密に云うと、物語の用意した器に盛るには人物描写に不足があるということ。欲張ってアレもコレもと手を伸ばすのはよいが、それぞれの練り込みが足らないために中途半端な印象を受ける。その割を食ったのが作中人物だ。
 物語の筋立て自体に文句はないが、これを真っ当に描くには構成から考え直さなければならないだろう。逆にいえば、本作には良作になるだけのポテンシャルがあるということだ。勿体ない。

amazon:[DVD] デビルマン  最後の授業を終えて、暫しの別れが訪れる。フェリーを見送る五人の若者とひとりの老女。別れを惜しみ、再会を約して激励の言葉を発する。最後に吉永小百合が放ったのが、「みんな、あなたが好きだから!」。
 正直、噴き出した。一時期、毎日のようにテレビCMで見かけた韓国人俳優の科白と重なり、耳にした途端、彼の拙い日本語がありありと脳裏によみがえって失笑。件のCMは、お笑い芸人が揶揄するくらいに唐突で意味不明なフレーズだったのだが、それをこの場面で用いる脚本家の感性に驚いた。私とは合わないとつくづく感じましたよ。
 ここまで読んでくださった方には申し訳ないけれども、吉永小百合の最後の科白を明かしてしまった。この豪速球を笑わずに受け止められるか、自分との勝負です!

 ここまでくると、「デビルマン」に興味を抱いてしまう。ただし、文句というより怒鳴りながら観ることになりそうで、当分は避けたいところである。
 本作がメモリアルな作品として製作されるくらいなのだから、今日もどこかで「デビルマン」のような作品が撮られているのかもしれない。このことは誰も知らない、知られちゃいけない。

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Comments:2

2013年3月 5日 00:56

原作では生徒と夫の2人が川に落ちて、先生は救おうとして川に入ったがぼうぜんとしたまま…。その理由は先生は妊娠していたから…という理由だったと思います。
「北のカナリアたち」というタイトルで「北の零年」を思い出しました。あの映画でも、吉永小百合の夫が渡辺謙で「無理ありすぎ」と言われていたような…。(うろ覚えです)

サテヒデオ 2013年3月 5日 20:41

羊様
 コメントくださいましてありがとうございます。
 わが子の命を最優先する母親。そういうことならば、そこに教師でも妻でもなく母親としての本能を主人公の人となりに感じられたはずです。ヒロインに命を見殺しにさせなかったのは失敗でしょうね。
 命を天秤にかけることのジレンマをこのドラマから取り去ったのは、やはり吉永小百合ありきの脚本でしょう。吉永小百合といえど、さすがに妊婦はキツイ。
 日本アカデミー賞の授賞式が迫ってますが、本作は箸にも棒にもかからないでしょうね。むしろ、そうでなくては日本映画が死んでしまいます。もう死んでる?

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