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鐘の音を運ぶ夏風、福島へ

 本日8月8日は柳田國男の命日だ。これはTwitterで目にした情報で、これには己の不明を恥じるばかりだが、同時に情報の受発信が手軽になり即時性を持ち広範囲に及ぶことの凄さを改めて感じる。
 思ったこと感じたことをすぐさま世界に発信する。それが可能な社会となったことは素晴らしい。素晴らしいけれども、簡単に体裁を整えられるだけに熟成されないまま世に出ることも稀ではない。
 また、浸透と拡散にかかる時間も短くなった。じっくりと時間をかけて手間をかけて育てたものも奪われて喰い尽くされる。
 人の世は貪欲だ。次から次へと獲物を貪らずにはいられない。捕食から捕食までのスパンが短くなっている。
 こんな風潮にあって飽きさせない味というのは、それが味わい深いことを示してはいまいか? 繰り返し繰り返し玩味してちっとも飽きないというのは、それが本物だからではないか?

 2012年8月5日、江戸川区は都営新宿線篠崎駅からすぐの篠崎図書館にて、東雅夫氏を講師に迎えての講演会、「怪談 ~慰霊と地霊の文学誌~ 東京/福島のあわいに」が催された。前日は江戸川区の花火大会が行われたらしく、ひと足早い迎え火が盛大に焚かれたようだ。
 東雅夫氏が篠崎図書館で講演するのは、この夏が初めてのことではない。昨夏も8月27日に、「東北の怪談文芸 ~杉村顕道を中心に~」と題した講演を行っている。その際は数ヶ月前に起きた震災を振り返る意味合いが大いにあり、怪談の持つ慰霊と鎮魂、記録という役割について語られた。この講演については拙ブログで取り上げて、自分なりに纏めてある。
 それから約一年。強い日差しに痛みさえ感じる日曜日の午後、篠崎図書館に足を運んだ。

 このたびも講演内容を自分なりに纏めてみようと思う。そのなかであるいはミスを犯すかもしれない。誤字脱字はもとより記事の内容に事実誤認等あれば、それは東雅夫氏に原因があるのではなく、私の記憶違いか理解不足、文章作成能力の乏しさから生じたものであることを、ここに断っておく。
 また、講演内容をただ引き写すのではなく、自分なりの解釈を付け加えるので、ここで講演内容やその意図から外れてしまうかもしれない。
 いずれにせよ、この記事における責任は、その一切を私に帰するものとする。

amazon:[文庫] 怪談実話 無惨百物語 ゆるさない (MF文庫ダ・ヴィンチ)  東日本大震災復興支援として現在も活動を続けている「ふるさと怪談トークライブ」。これは、被災地復興支援を怪談文芸に寄り添って果たしてゆこうという趣旨で始まった。発起人は東雅夫氏。
 その関連イベントでは一本のビデオレターが上映される。東北を拠点に活動する怪談作家であり映像カメラマンである黒木あるじ氏の手になる、「みちのくからの手紙」と題された映像がそれだ。
 昨年の講演で上映されたのは、被災地の実態を人の目線に立って撮影した映像であり、東北に生きる者の肉声であった。映像から発せられるのは「これが災害の爪痕だ!」という叫びと、負ったばかりの傷から流れる血の匂い。そこには抱えきれないほどの痛みがあった。そして、やり場のない怒りがあった。
 あれから一年。黒木氏は新たに手紙をしたためた。
 講演冒頭に上映された「みちのくからの手紙 二通目」には、被災地を襲った理不尽な悲劇への怒りとはまた別の憤りが表れている。その怒りは、天災に向けられてはいない。
 それでは何に向けられているのか?
 そもそもが「被災地」という言葉が信用ならない。社会は十把一絡げに「被災地」とラベルを貼り、人々は個々の地域の実際を見ない。被災も復興も地域それぞれにその状況とあり方は異なるというのに。
 震災の悲惨な状況を伝えるシンボリックな光景には今も関心が寄せられ花を手向けられるが、塩とヘドロと瓦礫で均された土地は一顧だにされない。カメラのフレームの外にも震災の爪痕が残っている広がっている。そこには生活基盤を失って苦しむ人がいる。
 復興の合い言葉に「絆」を掲げるのは美しいしそうありたいと思うけれど、耳に心地好い言葉があるだけでは何も進まない。それに酔っているだけでは何も成し得ない。
 絆を絶たれた土地がある。過去に何度も災害に襲われて、そのたびに不断の努力によって再生を果たしきた土地だが、連綿と繋げてきた生命のリレーもこのまま手をこまねいていては断ち切られてしまう。本当に死んでしまう!
 震災から一年以上を経て、東北の地は尚更に悲鳴を上げている。

 遠野は昔から物流の要所であり、人の行き来が旺盛であるが故に、情報の集積地となった。その情報のなかには奇妙な話や不思議な話、怪異譚も含まれる。これらの談話を聞き取りによって蒐集したのが、柳田國男の『遠野物語』だ。
 人と物と情報の行き交う、流通拠点としての遠野は昔日のものではない。東日本大震災以降、遠野市は沿岸被災地後方支援都市を名乗って、様々な支援活動の受け入れと推進を図っている。
 この地に遠野文化研究センターが創設された。人と物と情報とを集積し適材適所に振り分ける。遠野文化研究センターの活動内容は、遠野の土地柄と果たしてきた役割をそのまま反映している。
 遠野文化研究センターの掲げる「三陸文化復興プロジェクト」の活動には、三本の柱がある。
 全国から図書の寄贈を募り、被災した学校図書館や公立図書館へ届ける「献本活動」。
 被災施設が所蔵していた文化財を回収し、洗浄・修復して返却する「文化財レスキュー」。
 シンポジウムや出版物の刊行を通じて被災状況を伝え、支援の輪を広げる「情報発信」。
 東北の地はただ悲鳴を上げているだけではない。

amazon:[単行本] 遠野物語と怪談の時代 (角川選書)  本邦において怪談といえば夏。夏といえば怪談の季節だ。花火に夏祭りに盆踊りも夏の風物詩だが、これらは慰霊と無縁ではない。
 釈迦の弟子の故事にはじまる盂蘭盆会にわが国古来の祖霊信仰が結び付いて、そこに精霊や新仏にさらには無縁仏までを迎えて、彼らに供物を捧げ冥福を祈るというかたちができあがった。迎え火と送り火、彼岸の住人とともに過ごす日々と、彼らとともに楽しむ踊り。
 死者も踊る。踊りは死者による身体表現である。これは夢幻能や歌舞伎に見られる、慰霊と鎮魂を基底とした宗教儀礼の性格を、盆踊りが今もなお有していることを示している。
 盆踊りでは踊り手が笠や手ぬぐいで顔を隠す。これは個人の特定をさせないためである。彼岸から帰ってきた霊も此岸に生きる者も分け隔てなく踊りを楽しむには、わざわざ顔を晒す必要はない。
 ところで、歌舞伎や映画において夏の時期に上演・上映されるのは、幽霊を題材にとったもので、同じ演目を毎年のように繰り返す。これは日本に特徴的な事柄であり、世界的にこのような興行は考えられないという。私たちが幽霊話を毎年繰り返すのは、つまりは盆踊りと同じである。幽霊の物語を我が身に置きかえて捉えることで、鎮魂の思いを新たにするのだ。
 踊ったり演劇にしたりして、私たちは死者との関係を持つ。死者との関係において、日本人ほど真摯に向き合っている民族は少ないのではないだろうか。
 2010年は『遠野物語』刊行百周年。東北を活動拠点とする出版社の荒蝦夷は、記念事業を「みちのく怪談プロジェクト」と名付けてこれに乗り出す。地方発信の出版物や企画は、関係者の予想を遙かに超える好評を博す。東北主導の怪談ムーブメントを盛り上げる「みちのく怪談コンテスト」の成功に、この機運を逃してはならないと関係者一同、大いに盛り上がった。翌年以降も続けよう毎年開催しよう、と。
 3月11日、東日本大震災。
 ようやく繋がった電話での会話中、荒蝦夷代表の土方正志氏は東雅夫氏に力強く宣言したそうだ。荒蝦夷が出版社として機能せず、それどころか出版事業を続けられるかの見通しさえ立たないまま、それでも「みちのく怪談プロジェクト」の続行を告げた。
 今こそ、東北の地において慰霊と鎮魂の文学である怪談が必要とされる。このことを、土方氏と東氏は出版事業に携わる者として、ともに使命と捉えたという。
 今やらなければならないことを逃げずにやる。弱音も云い訳も要らない。

 1987年8月5日、澁澤龍彦逝去。幻想文学ジャンルに多大なる影響を及ぼした巨人は、アンソロジー編纂においても業績を残す。その一冊『暗黒のメルヘン』は、澁澤龍彦の偏愛的作家の手になる作品を纏めたもの。澁澤龍彦印の名アンソロジーということだ。
 一冊の本がひとりのアンソロジストを生んだ。東雅夫氏がアンソロジー編纂を志したのは、一冊の本のみがこれを決したわけではないが、『暗黒のメルヘン』は若き日の氏に小さくない影響を与えた。これは確かだそうだ。
 その『暗黒のメルヘン』には、埴谷雄高と島尾敏雄の短編が収録されている。
amazon:[単行本] 死靈 1945~95 (埴谷雄高全集)  大著『死霊』を代表作にもつ埴谷雄高と、夢を題材にとった傑作を数多く物した島尾敏雄。どちらも怪奇幻想文学の優れた書き手である。この二人は不思議と南相馬に縁がある。
 台湾に生まれた埴谷雄高は、本名を般若豊といい、その家系は相馬氏小高入りに従った家臣団の一員に辿り着くという。廃藩置県と四民平等、明治維新によって没落し苦労した一族ということで、豊自身は小高に暮らしたことはないようだ。
 横浜市で生まれた島尾敏雄は、大病の後に父母の故郷である小高で療養していた。療養が済んで横浜の自宅に帰ることになって、家族揃って敏雄を小高に迎えに来た。1923年9月1日、関東一円を襲った大地震、いわゆる関東大震災を島尾一家は免れた。とはいえ、横浜の自宅は全壊焼失し、それがために兵庫へ移転する。
 埴谷雄高も島尾敏雄も、人生の短い時間を南相馬で過ごしたにすぎない。それなのに両者ともに南相馬への愛着を終生持ち続けたという。
 ちなみに、埴谷雄高と島尾敏雄がそれぞれに小高で過ごした時期は重ならないけれど、島尾は珍しい姓を持つ般若家を知っていたそうだ。表札に「般若」とあれば子どもは驚く。「鬼の棲む家」という噂があったかもしれない。
 南相馬市小高には浮舟文化会館があり、会館内に「埴谷島尾記念文学資料館」が併設されている。貴重な資料が管理され開放されている点で、大変に意義深い施設なのだが、現在は休館が続いている。南相馬市が福島原発の20km圏内警戒区域に含まれたのが理由だ。
 南相馬市の警戒区域は今年4月より解除となっており、前述の荒蝦夷代表・土方正志氏は入域を果たしたとのこと。
 旧警戒区域内は、昼間は入域OKだが夜間はNG。残骸を処理しようと集積したところで、それらは被曝の危険性があるということで区域外へは持ち出せない。こんなことでは残骸処理はちっとも進まない。ボランティアも集まらず、復興は遅々として進まない。
 元通りの生活を望んでも、それが叶うかどうかわからない。将来を悲観した住人が入域後に自宅で自殺するという、どうにも痛ましい事件も発生しているらしい。
 そもそもは東京で使用する電力の発電を担っていたというのに、当の中央から見捨てられた。自分たちが何をした? どうして見捨てられなければならない?

amazon:[単行本] 「辺境」からはじまる―東京/東北論―  福島は二本松のあたりに、人を喰らうという鬼婆が棲んでいたそうだ。この地には「安達原」で知られる伝説が伝えられており、鬼婆の墓とも鬼婆自体を指すといわれる黒塚が、今も一本杉の根元に残っている。
 自ら「新皇」と称して兵を起こすも敗れた平将門。その死後、娘である五月姫は妖術を身につけ瀧夜叉姫を名乗るようになる。この瀧夜叉姫が反乱を起こしその拠点としたのが、かつて将門公の居城であった相馬の古御所である。
 勿論、これらは伝説だ。謡曲「安達原」にしても山東京伝『善知安方忠義伝』にしても、東北に都落ちした女性を描いている。果たせぬ悲願を抱き、そして討ち滅ぼされる点で、鬼婆と瀧夜叉姫の辿る道筋は共通している。
 広大な原野にチロチロと火の点る。人家の明かりと見るも、それは情念の炎だ、怒りに燃え上がる炎である。
 東北の地は蝦夷地と呼ばれた時代から、中央から搾取を受けてきた。そこに住まうは、まつろわぬ者たち。奪われて裏切られて恨みが骨の髄まで沁みて。歴史のそこかしこにそんな思いが刻まれて。
 奥州二本松藩士の三男坊が養子に出されたのは江戸の御家人の家。岡本敬之助は幕末において旗幟を鮮明にする。激動の時代を敬之助は佐幕派に属し、江戸を脱走して各地を転戦する。奮戦むなしく、時代の流れは彼を敗残者にする。
 四民平等は成り、武家は士分を取り上げられる。般若家がそうであったように、岡本敬之助もまた明治政府に奪われて裏切られる。
 敬之助の子は長じて小説家となり、岡本綺堂を名乗る。代表作のひとつとして挙げられる「半七捕物帳」は、アーサー・コナン・ドイルの「シャーロック・ホームズ」シリーズに刺激を受けて手掛けたものらしい。
 新時代の到来。それに肯んじない武家は、自分を取り戻すための紛争を起こす。しかし、時代は既に侍を求めてはいなかった。
 武家に生まれてまもなく、虎彦は群家に養子に出された。養父は会津藩家老萱野権兵衛の三男で日本郵船の最古参船長。養祖父にあたる萱野権兵衛こそは、藩主松平容保における戊辰戦争の責任を公に否定し、自らが首謀者と名乗りを上げた忠臣である。ここにも明治政府に切り捨てられた者がいる。逆臣朝敵と蔑まれた土地がある。今もこの地では長州出身者を目の敵にしているとかいないとか。
 群虎彦は長じて劇作家となる。彼の戯曲「鉄輪」は、丑の刻参りを題材としている。
 そして関東大震災。命拾いした島尾敏雄とその家族は、しかし家財一切を消失したわけだが、そのような境遇にあるのは彼らだけではない。あの日、すべてが灰燼に帰したのだ。既に作家活動をしていた岡本綺堂は麹町の自宅と蔵書を失う。
 江戸情緒あふれる作品を物してきた岡本綺堂だが、それも資料があったればこそ書くことができた。資料焼失となると、特に資料に忠実たらんとする作家ならば、時代物を書くのは難しい。そこで書き始めたのが怪談だ。特に資料が必要というわけではなく、幼い頃から親しんできた怪談だけに上手の語り口を活かせられる。
 岡本綺堂が怪談を書き始めた理由はもうひとつ。徳川の世は遠くなりにけり、そのうえ震災で一切がご破算となって、古き良き江戸・東京が失われてゆくのを作家は感じていた。かつての東京の面影を書き記す必要性を実感して、古い東京の記憶を怪談という器に盛ることを選んだのだ。怪談の持つ、記録としての側面だ。
 そして今。
 東日本大震災はまたもや東北の地に傷を刻んだ。また奪われて裏切られて、幾度目か知れない怨みが募る。月夜ばかりが夜じゃない。そもそも誰が東京の闇夜を照らしていた、と?
 奪うことが問題なのではない。奪っておいて何らの措置もとらず、自己責任においてどうにかせよと放置する。東北の人々が憤っているのは、裏切られたからだ。それもこれが初めてではない。だから、怨みが残る。
 怨みがそのまま口の端にのぼることもあれば、物語に織り交ぜられることもある。死者の無念として語られるなら、それは怪談になる。慰霊という意味合いは勿論だけれど、土地に根深く結び付いた思いを慰撫し鎮めなければならない。だから、「今こそ、東北の地において慰霊と鎮魂の文学である怪談が必要とされる」のだ。

amazon:[単行本] 聖家族  昨年の講演では、怪談の何たるかを東日本大震災被災地を中心に語り、仙台と所縁のある杉村顕道を取り上げた。このときは顕道のご息女をゲストに招いて、故人の人となりを語っていただいた。杉村家の不思議家系らしい摩訶不思議なエピソードに度肝を抜かれた。
 今年の講演は「怪談 慰霊と地霊の文学誌」と題して、人と土地の繋がりを見直すものだった。東京と福島の間には因縁がわだかまり、人々はこれを怪談のかたちで記録してきた。まつろわぬ者たちの思いが怪談として語られ、福島の歴史のなかに息づいている。そしてそれは現代も同じ状況にあるということを、東雅夫氏は示した。
 五十名ほどの聴衆を前にしての講演ということを考えると(規模の大小でモノの価値を決めるわけではないが)、まことに意欲的な講演内容といえよう。意欲的すぎて時間が足りなくなったのは、東雅夫氏としても忸怩たるものがあったろう。
 最後は駆け足となってしまって、尻切れトンボの感は否めない。アレもコレもと云いたいことが多すぎて、90分ではとてもじゃないが語り尽くせない、といった様子。そこには東雅夫氏の熱意のほどが窺えるも、聴衆のひとりとして「もっとお話を伺いたい」と思ったのは確かである。そしてそれは私ひとりではなかったはず。
 東日本大震災を起点として、怪談のあり方やその可能性を見直す機運は、現在進行形で静かに盛り上がりを見せている。怪談は、霊を慰め鎮魂の祈りを捧げるとともに、土地に刻まれた歴史を後世に伝える役割を担う。
 被災は過去のものではなく、復興にゴールはない。前を見据えて進むにしても、「忘れはしない忘れさせはしない」という強い思いがある。この言葉を現実のものとするためにも、怪談の精神を広く世間に知らしめる必要がある。
 多くの人が怪談への理解を深め、怪談に親しむ。そんな状況を招来するため、まずは大いなる一歩として、怪談伝道師たる東雅夫氏は来年もまた篠崎図書館で講演するしかないッ!
 ザ・牽強付会!

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