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真実は光の如く輝いて

「ダークナイト ライジング」公式サイト  バットマン。
 マスクを被りケープを身に纏う男は、ゴッサム・シティの守護者だ。この不法の自警市民は、街を犯罪から守る活動に勤しんでいるのだが、そのためならば法律を逸脱するのを躊躇わない。ゴッサムに平和が訪れるのであれば、己が汚名を着ることさえも厭わない。
 街に混乱を齎す事件が起きた。狂った道化師が出現して黒い毒を吐き散らした。被害は甚大、死者多数。そして、事件は痛ましい結末を迎える。
 それから短くない時間を経て、しかしその間も街の病根は治療されないまま、いっそう根深いものとなる。症状は死病のそれとなって表面化し、事態は既に手遅れであるように思われる。
 絶望のなか、それこそ死んだように生きてきた男にとって、己の死は恐怖ではない。自らを死兵として危地に向かわせることに寸毫の迷いもない。
 しかし、今のゴッサム・シティに、ケープを纏った十字軍騎士は必要なのか? 市民はヒーローを求めているのか?
 よしんばヒーローが現れたところで、そこに希望はあるのか?
 これらの問いに対する答えが、「ダークナイト ライジング」に提示されている。
 クリストファー・ノーランが紡いできたバットマンの物語は、本作をもって結末を迎える。ヒーローの誕生と敗北を描いた前二作。前作から八年後の物語世界を用意して、作家が提示した答えとは?

 伝説の壮絶な終幕。この記事では、そのネタを壮絶なまでに割ってしまう。
 真相を伏せたまま語られるならそれにこしたことはないけれど、語りたい事柄を語ろうと思うと文章をコントロールできなくなるのがこの私だ。困ったものだよ。
 加えて今回は文章量が多い。通常の記事の二倍もの量を要する。もっとコンパクトに纏められないかね。困ったものだよ。
 だから、本作をまだ観てない向きは、そして長い文章を読みたくない向きは、これ以上読み進めないほうが良い。ここはひとまず「戻る」をクリック!

amazon:[Blu-ray] 【初回生産限定スペシャル・パッケージ】ダークナイト(2枚組)  ジョーカーがゴッサム・シティを混乱に陥れたように、ベインもまたゴッサムに混乱を齎す。奇しくも物語冒頭に覆面を被って登場した両名だが、一方は社会の混乱を望み、もう一方は混乱した社会への死の粛清を目論む。
 ジョーカーはその行動の果てに社会が崩壊しても、それはそれで構わないというスタンスだ。自分が楽しむために社会もバットマンも必要だと考える。散々弄んだ結果として壊れたなら仕方ないし、飽きて要らなくなったらそのときは壊すだろう。
 ベインは違う。
 ラーズ・アル・グールの遺志を継ぐ。この一念がベインを動かす。
 ベインにとってゴッサム・シティは滅亡に追いやらなければならない標的だ。その崩壊は結果ではなくそもそもの目的である。
 堕落した都市を世界から抹消する。「影の同盟」の理念は、組織が首領もろとも消滅した後も生きている。価値観の異なる者の存在を許さず、実力行使によって敵を排除、あるいはその暴力によって恐怖心を生ぜしめ、これを利用して支配下に置き、目的の達成を図る。
 テロリズムだ。
 ラーズ・アル・グールがそうであったように、ベインはテロリストなのだ。爆発をよく用いるという点で共通しているが、ジョーカーとは本質において違いがある。
 テロリストが綿密に計画を練り上げ、じっくりと時間をかけて実行に移している。ゆっくりとナイフを突き刺す。骨と骨との間を探り当て、内臓まで突き通す。その組織の士気は、強力なリーダーシップによって死をも恐れないほどに高まっている。
 誰がこの武闘集団に勝利することができる?

amazon:【ムービー・マスターピース DX】 『ダークナイト ライジング』 1/6スケールフィギュア バットマン  ヒーローは信念を持ち、それを曲げないだけの力を持ち、力を空回りさせないダけためにその使い方を心得ている。力を有し使い方を知悉しておきながらも、その魅力に取り憑かれて道を見失ったときには、信念が杖となって肉体を支えてくれる。そして闇の中を希望が道標となって点り、精神を奮い立たせて正しい道に導いてくれる。
 現在のブルース・ウェインは、"杖"に縋って立ち歩く。八年前のハービー・デントとの対決で負傷したのだ。その"傷"は未だ癒えていない。
 事件以来、ブルースは大した運動をしてこなかっただろう。八年のブランクは、勝負勘を失わせるに足る。
 もうゴッサム・シティにバットマンはいない。
 ハービー・デント殺害の汚名を濯ぐ機会もその必要もないまま、バットマンは姿を消した。ゴッサム・シティはかりそめの平和を享受し、その一方でブルース・ウェインは屋敷に引き籠もって暮らす。
 ウェイン家に仕える執事は、生まれたその日からの主人であるブルースの生活ぶりを危惧する。
 バットマンの活動は意義あるものだったし、その成果は尊いものではあるけれど、今やその使命から解放されたのだから、自由に生きても構わないはず。否、もう好きに生きるべきなのだ。
 世界に名だたる富豪であるから人並みにというのは難しいかもしれないが、愛する人と結ばれて子をなして家庭を持つ。ウェイン家のためでなく、勿論のことゴッサム・シティのためではなくて、自分自身のために生きてほしい。
 平凡な日常に自分の居場所を見出せないでいるブルースに、アルフレッドは危機感を抱いている。命懸けの修羅場に舞い戻りたいのではないか、死にたいのではないか、と。
 事実、ブルース・ウェインはバットマンのコスチュームを引っ張り出して活動を再開する。
 ベインはそれを待っていた。

amazon:[文庫] 映画は父を殺すためにある: 通過儀礼という見方 (ちくま文庫)  圧倒的な力の差をもってしてバットマンに勝利するベイン。「影の同盟」を潰滅させた男には、かつてその手で潰した組織の理念が最終的に勝利するところを、じっくりと見せつけなければならない。
 ベインがブルースを投獄したのは、かつて自分が囚われていた、「奈落」と呼ばれる牢獄。
 ブルースも自分と同じく信念の徒であることを知るベインは、ブルースの肉体を破壊し、信念が"杖"として役立たない状況に置いて、希望を吹き消して精神の塔を瓦解させる。そこまでしなければこの男は"折れない"ことを、ベインはわかっていた。
 ブルース・ウェインを"折る"。これは復讐であり、計画の一環である。
 希望が眼前にちらつくから絶望は深くなる。「奈落」が最悪の牢獄であるのは、そこに希望があるからだ。見事なまでにポッカリと口を開いている。
 最悪の牢獄を標榜する割に、「奈落」の構造は単純だ。巨大な縦穴である。内壁には手掛かりがあり、挑んで登れないものではない。事実、ひとりの子どもが脱獄したという。
 ならば、自分にもできるはず。ブルースは寝そべったまま故郷の最期を見届けるつもりはない。今こそ闘いのときだ。
 まずは破壊された肉体を治し、まるで通用しなかった力と技を取り戻してベインに挑む。その結果、自分が死ぬことになっても構わない。死ぬのは恐くない。
 ブルースの固い覚悟は、しかしまるで心得違いだと指摘される。地下世界に隠遁する賢者との邂逅だ。
 悪徳の後継者による地下世界への追放。そこで偉大なる叡智に触れ、悪漢の因縁を伝え聞く。英雄たるべき主人公は勝利のための力に目覚め、信念を新たにする。そして主人公は地上へと帰還し、最後の対決を迎える。ブルース・ウェインが辿る道程は、ゴシックロマンの定型そのものではないか!
 シリーズ第一作「バットマン ビギンズ」においてクリストファー・ノーランは、「主人公の通過儀礼の達成」を主軸にして現代のゴシックロマンを完成させた。これについては「バットマン ビギンズ」を取り上げた記事、「信念を闇夜に照らして」で触れている。
 それなのに本作でも同じ軌跡を用意しているということは、そこには意味があるのではないか。
 もしや、ブルース・ウェインの通過儀礼は完成してなかったのではあるまいか? もしくは、次の段階へ移行するには新たな試練が必要なのでは?
 確かにブルース・ウェインは大いに心得違いをしていた。それを正さなければならない。正しい選択が通過儀礼を成功させるのだ。

amazon:【ムービー・マスターピース】 『ダークナイト ライジング』 1/6スケールフィギュア ベイン  ラーズ・アル・グールはゴッサム・シティの滅亡を企図し、その計画のさなかに命を落とした。その仕事を遂行するのは、正当な後継者だ。
 ブルースが「奈落」で得た情報をもとに到達した真相。それは、脱獄した唯一の人物こそラーズ・アル・グールの実子であるということだ。
 父の仇であり、「影の同盟」を裏切って潰滅させたブルース・ウェイン。この男には真の絶望を与える。そして退廃の象徴であるゴッサム・シティには、それに相応しい滅亡を!
 ベインが活動拠点に置いたのは、ゴッサム・シティの地下だ。「奈落」での生活がそうであったように、ゴッサムの地下には鬱屈した念が溜まっていて、ちょっとした刺激を与えるだけでそれが噴き出しそうになっていた。
 犯罪件数こそ少なくなって日常は平和を装ってはいるものの、「持たざる者」は常に抑圧を感じていた。懸命になって働き、汗を流して生きる糧を得て、しかし自分の人生そのものが搾取されていることを、「これが当たり前なんだ」と弁えなければならない。どうにも不公平だ。けれど我慢しなくてはならない。
 もしも、それが許されるのならば、怒りを声に出して拳を振り上げたい!
 ゴッサム・シティには爆発するための力が充満しており、そして「持たざる者」は市民の多数を占めている。まさに巨大な火薬庫である。
 そこに火を点したのがベインだ。
 中性子爆弾を使っての脅迫。専門家によってそれが本物であると証明させ、危険物であることの信憑性を高める。直後に専門家をあっさり殺して爆弾解除の見込みを絶つ。同時に自分たちの危険性を明示する。自分たちが殺人に対する忌避感の薄い集団だということを市民の脳裏に刷り込んだ。
 市長を暗殺し、警官隊を地下に閉じ込める。市民を善導する可能性のある者や組織には最初に退場を願ったわけだ。だから、バットマンは邪魔だったのだ。だから、トーマス・ウェインの忘れ形見は邪魔だったのだ。
 バットマンとしてもブルース・ウェイン個人としてもその能力は無視できないほど高く、何より市民への影響力は大きい。市民を支配する言葉はひとつ。ベインの発する言葉だけであるべきだ。ゴッサム市民は、ベイン以外の口から発せられた言葉に耳を傾ける必要はない。
 暴力に基づいた強権とそれによる思想強制。現代のアメリカ合衆国にファシズムが台頭した。
 ベインの掲げた題目は言葉面だけなら耳に心地好いが、銃口を突きつけての脅迫であることにかわりはない。それでも日々の不満を爆発させる理由付けにはなって、市民は無政府状態を受け入れてしまう。
 誰も生産活動を行わず、水や食糧、生活に必要な電気やガスの供給をアメリカ合衆国政府から受ける。まるで雛鳥だ。口を開けていれば親鳥が餌を運んでくれる。
 ゴッサム・シティに従来の搾取の構造はなくなった。市民全体が等しく乞食である。経済格差はなくなり、それに伴って社会的地位も通用しなくなる。個人資産は意味をなくした。誰もが「持たざる者」だ。
 経済格差がなくなり、個人がそれぞれに担うべき役割もなくなった。責任を負う者はなく、ただ声高に権利を主張するのみ。人は「個人」であることを辞めて、匿名の「市民」であることを選ぶ。
 ベインは「個人」を殺したのだ。そして生まれたのが、巨大な「ゴッサム市民」。まさに現代における「フランケンシュタインの怪物」だ。ちなみに、ベインとフランケンシュタインの怪物というのは奇妙な共通点を持っていて、詳しく言及するとネタを割ってしまうのでそれをしないけれど、二者の間には興味深い符合がある。実に面白い。
 こんな怪物が長く生きられるはずもない。ベインはこの怪物を殺すつもりだが、当の怪物はそんなことを考えもしない。永遠の命を手に入れたとでも思い込んでいるのだろうか?
 ゴッサム・シティ内部にも、この事態を憂う者が少なからず存在する。
 かつて法のもとに治安を守り、正義を執行していた者たち。
 警察官。

 仲間の多くは地下に捕らえられ、地上で活動するにもベインの策略によって市民の間には警察排斥の気運が高まっている。危険だ。
 そんな逆境にありながら、己の警察官であることに誇りを持ち、その職責に使命を感じる者たちが、蟷螂の斧を手に巨大な怪物に立ち向かう。
 目的はひとつ。怪物を解体し、「個人」を取り戻すのだ。それには中性子爆弾を無効化しなければならない。
 ベインの失敗は、ジェームズ・ゴードンを始末し損ねたことだ。警察官は精神的支柱を失わずに済み、レジスタンスとして地下活動に勤しむことができる。
 それでも希望は見えない。ゴッサムには、街を守ってきたヒーローに石を投げつけて、虚名のもとに平和を獲得した経緯がある。偽りの栄誉は真相の暴露とともに地に墜ちて、今は自分たちが希望を点すしかない。その資格があろうとなかろうと、怪物を弊すには希望を取り戻さなければならないのだから!
 新人刑事は法と組織の枠組みのなかで人事を尽くす。正義の絶対を信じ、それを信じるしかない社会に生きているから。枠組み自体が枷となることもあるという本部長の言葉は、若い彼にとっては正しい判断を下せなかった者の云い訳にしか聞こえない。若者らしい決め付けで、彼がゴードンの言葉の意味する本当のところを理解し実感することは、この時点では叶わなかった。
 若者はごく近い将来に、本部長が味わった苦悩を、身をもって体験することになる。

 死を恐れないのは決して勇気ではない。蛮勇は自己満足の自慰行為。
 本当の勇気は、生き残るために生命を爆発的に燃焼させることにおいて示される。命を捨てるのではなく、命を信じるところに勇気は宿る。
 死にたがる者は勇者ではない。ベインに代表される、爆弾を抱えて死を待つような者は、だから当然のように勇者ではない。死地を求めてバットマンの出番を待ち焦がれていた、かつてのブルース・ウェインも勇者ではない。
 地下世界で偉大なる叡智に授けられた真理。再び鍛え上げた肉体と技。信念は肉体を支え、研ぎ澄まされた精神は希望を見出す。
 死ぬためにここを脱出するのではない。死に場所を求めてゴッサムに帰るのではない。自分を生きるために成すべきことを為すだけだ。
 正しい判断のもとに試練を乗り越えて、旅立ちの時は来たれり。ブルース・ウェインはバットマンを取り戻す。

 さて、これまでも本作の内容に踏み込んできたけれども、ここからは真相によりいっそう肉薄するつもりだ。
 つまり、本気でネタを割る。シャレにならないくらい割っちゃう!
 再び申し上げるけれども、まだ「ダークナイト ライジング」を観てないという向きは、ここから先は読み進めないことをお勧めします。まずは映画館に足を運んでください。その際は、「バットマン ビギンズ」と「ダークナイト」を復習して、それから本作を観るのを推奨します。
 さあ、用意はよろしいか? 全力で「戻る」をクリックだ!

 先入観は人に真相を見誤らせる。
 ベインは「奈落」から生還し、「影の同盟」に加入した。「奈落」の脱獄に成功したのは、ラーズ・アル・グールの実子のみ。ベインは「影の同盟」を破門されたが、ラーズ・アル・グールの遺志を継いでゴッサム・シティ滅亡計画を進めている。
 これらは間違いではない。しかし、真相を伝えてはいない。
 真相に到達するための伏線はちゃんと用意されている。本作のミステリ的側面を評価するとき、クリストファー・ノーランが「メメント」を生み出した作家であることを思い出す。自明と思われた事柄が偽りであることの驚き。ミステリ好きとしては嬉しくなるね!
 前作のジョーカーを想起させる冒頭での登場と口許の異状、そして演説の妙。クリストファー・ノーランは前作「ダークナイト」をミスディレクションに使ったのだ。ベインはレッドへリングである!
 真犯人はタリアだ。
 ラーズ・アル・グールの子という出自や、「影の同盟」を引き継ぐ立場にある思いは、本作にミステリ的仕掛けが施されているために、最後になるまで本人の口から明かされることはない。この点で人物描写の掘り下げが足りないというのは否定できないし、本作の数少ない不満材料のひとつではある。
 母親と自分を捨てるかたちとなった父親に対しては、その生前には恨みしか抱けなかったが、死んだ後には愛おしさも胸に湧きあがるというもの。そして、その死に責任のあるブルース・ウェインへの復讐心も。
 亡き父の遺志を継ぐ。ゴッサム・シティを滅亡させ、その実現に"バットマン"ブルース・ウェインの道具と資産を使う。守護者を気取る愚者の武器でゴッサムを破壊する。なんとも皮肉ではないか!
 ゴッサム・シティが荒廃し滅亡の道を歩むところを、裏切り者に逐一見せつけて、復讐を完成させる。
 最終的に中性子爆弾が爆発して、退廃の街は跡形もなくなる。こうして「影の同盟」の物語は決着するのだ。
 決着をつけるためにタリアは来た。ブルースも戻らなければならない。それぞれの始まりの街、ゴッサム・シティに。
 ラーズ・アル・グールと「影の同盟」はゴッサム・シティでその命脈を絶った。トーマス・ウェインもまたゴッサム・シティで命を落とした。滅亡と再建、対照的な思いを向けてはいたものの、どちらもゴッサム・シティに囚われていた。
 その決着をそれぞれの子がつける。
 自分を生きる。父親の妄執に囚われたまま、それをできるだろうか?
 ゴッサムから脱出しなければ、父親の呪縛から解き放たれたことにはならない。ゴッサムに拘っていては人生の次なる舞台に立てない。
 問題は、決着の内容だ。決着をどうつける?

amazon:[ハードカバー] The Art and Making of The Dark Knight Trilogy  季節は冬になっていた。刃はゆっくり潜り込んで、かなり深くまで達していた。タイムリミットはそこまで迫っている。
 弁護士もなければ罪状認否も認められない、ただ魔女裁判が執り行われるだけの場で、被告人は「追放」と「死刑」のどちらか一方を選択せよと迫られる。
 確実な死が一方にあって、もう一方には生存の可能性がある。ならばイチかバチかに賭けて「追放」を選びたくなるというもの。人情として理解できる。そこに罠がある。
 処刑の内容だが、「追放」は凍った河川を向こう岸まで歩いて渡るというものだ。自分の意思で街を出て行くわけだが、これが実は難しい。無事に渡河に成功すればよいが、氷が割れて水没したら即座に凍死する。比喩表現でなく「薄氷を踏む」を実行しなくてはならない。踏み出す一歩ごとに生死をかけた選択を強いられる。
 地獄だ。
 ジム・ゴードンは裁きの場で、裁判官をもって任じるジョナサン・クレインに「死刑」を求める。「殺せるものなら殺してみろ」と迫ったわけだ。
 これまでの「被告人」は、自ら「追放」を選んで渡河に失敗し、命を落とした。自らの意思で死んでいったと解釈できなくもない。
 だから、市民は「裁判ごっこ」を続けられてきた。自分の手を血で汚してないから。
 しかし、ここに「死刑」を求める者が現れた。誰が執行する? 誰が死刑執行人を務めるのだ?
 この選択は、ゴードン畢生の一手である。
 八年前、ジョーカーは無辜の市民と囚人とをそれぞれ爆弾を仕掛けた船に乗せて、それぞれに起爆スイッチを託した。スイッチを押せばもう一方の船が爆発する。スイッチを押せば自分たちは助かる。さあ、どうする?
 ゴッサム市民は無辜であろうと囚人であろうと、大量殺戮を自らに許さなかった。殺人の忌避はその場に立ってみると想像以上に人を苛む。万が一にも人に殺されることがあるとして、でも人を殺すのは御免蒙る。
 相手の姿を目視してない状況でさえ起爆スイッチを押せない市民が、その手で隣人を殺せるのか?
 ゴードンは、市民が刑の執行を躊躇うことを見越して、そのうえで人民裁判の是非を市民一人ひとりに問うたのだ。匿名の「市民」として人の生死を弄ぶのではなく、名前を持つ一個人が「死刑」という名の殺人を犯すのだと、事の本質を突きつけた。鼻面を殴りつけて彼らを目覚めさせるつもりだ。
 これは「ゴッサム市民」という巨大な怪物を解体して「個人」を取り戻すという、ゴードンの狙いに適っている。勝負を決する妙手となり得たのだけれども。
 スケアクロウの方が一枚上手だ。
 クレインは、ゴードンの選んだ「死刑」を受け入れて、そのうえで方法は「追放」によると宣告。市民の手を血で汚さない裁きを下した。「自分で死ね!」と告げたのだ。
 ゴードンの完全な敗北である。
 いよいよ巨大な怪物となった「ゴッサム市民」は、その自重により崩壊寸前となる。個々に危機感を募らせるも、監視社会では自分を生きることはできない。押し隠して日々を過ごすうちに逃げ場はなくなり、終焉が訪れるのを待つばかり。死に体である。
 匿名の「市民」からそれぞれが名を持つ「個人」を取り戻さんと活動してきたゴードンやブレイク。その懸命な活動も空しく、彼らの身に死の危険が訪れたとき、夜空に輝く蝙蝠のエンブレム!
 ヒーローの帰還だ。

 人が道に迷ったとき、希望が道を照らし出す。行く手に希望が輝いて、信念がその杖となって、人はまた前に進む。
 今、ゴッサム・シティに希望が点った。それに照らし出されて、人々の心に燻っていた炎が激しく燃え上がる。
 希望は人の心にある。己が炎こそ道を照らす。
 だから、人は皆ヒーローなのだ。その行為が人に希望を与える。そして希望が人をヒーローへと変える。
 ヒーローはバットマンだ。
 ヒーローはキャットウーマンだ。
 ヒーローはジェームズ・ゴードンだ。
 ヒーローはジョン・ブレイクだ。
 ヒーローはルーシャス・フォックスだ。
 ヒーローはピーター・フォーリーだ。
 ゴッサムに暮らすすべての人はヒーローである!
 希望を絶やさない。前に進む。自分を生きる。ヒーローはそこにいて、ここにいる。闇の中にしか存在しないわけではないのだ。
 だから、バットマンは陽の光のもと、その姿を現した。もはや闇の騎士ではない。長い夜は明けた。街は希望に満ちている。

 ブルース・ウェインは、「奈落」で本当の勇気がどういうものであるかを悟った。死ぬことの敗北を知った。
 ならば、彼のとる行動はひとつ。死ぬための戦いはこれを否定する。人は生き残らなければならない。希望を次代に繋いでゆかなければならない。
 タリアとベインは覚悟においてブルースに負けている。生き抜くことの困難を避け、安易に死に逃げ込もうとする彼らが、捨て身だからと勝てる道理はない。
 困難を克服して諦めることをしない。倒れても敗れても立ちあがる。それがヒーローであり、その姿に人は希望を見る。
 終幕の狼煙をあげてバットマンは去る。ゴッサム・シティは、もうバットマンを必要としない。記念碑を建立して、彼を過去へと追いやった。
 市民一人ひとりの心にヒーローは存在する。蝙蝠の姿を模した希望がある。
 それでも街が特定のヒーローを求めるならば、そんな危機的状況が訪れたならば、バットマンの精神を継承した男が現れる。
 法と組織の枠組みが万能の力とならずに枷となることを実感した男が、不法の自警市民となって街の守護者となる。
 枠組みは必要だ。それを否定してはベインとかわらない。ただし、枠組みからこぼれてしまう痛みや悲しみ、そして叫びを掬いあげるには、枠組みの外に立ち位置を持たなければならない。バットマンがそうあったように。
 ロビン。
 新たなヒーローの名前だ。

 作中で気になったのは、中性子爆弾について、である。本作に登場する中性子爆弾は、あたかも威力の大きな通常爆弾くらいにしか扱われてなくて、その描写からアメリカ人は現在に至ってもそんな認識でしかないのかという驚きがある。日本人としては残念でならない。
 これまでに観てきた、広島や長崎を描いた映画やドラマ、読んできた体験記が脳裏にちらついて、いろいろと心配してしまう。
 心配性の気味があるとは自覚しているけど、ゴッサム・シティに暮らす人々を憂うのは止められない。彼らは大丈夫なの?
 日本とアメリカ。当事国同士の間でさえも、どうにも埋めがたい認識の溝があり、それを目の当たりにして据わりの悪い気持ちになる。その点が本作の数少ない瑕疵として映った。

 男はゴッサムを去った。女との約束を果たした。
 これで亡父の呪縛から自由になれた。本当のところは呪いではなかったかもしれない。自分が闇雲に囚われていただけかも。しかし、これで肩の荷がおりたのも実感としてある。だから、これでよかったのだ。
 仮面に貼り付いた作り物の笑顔ではなく、心からの笑みを浮かべる男を見て、老いた執事は夢が実現したのを実感する。もう思い残すことはない。
 男はようやく自分を取り戻した。

amazon:[Blu-ray] ダークナイト トリロジー ブルーレイBOX(初回数量限定生産)  クリストファー・ノーランによる「バットマン」シリーズはここに完結した。見事な終幕であった。
 エンドロールを見送りながら震えたのは、私の裡にある希望が共振したからだ。私のなかのヒーローが目覚めたからだ。
 三部作のすべてが傑作であり、三部作を通して描かれたテーマが秀逸であり、その説得力は比類なきレベルにある。
 これでシリーズも終わりかと思うと残念だが、これ以上続けても現時点での完成度を維持できるかわからない。今でさえハードルは天井知らずなのに、これ以上となると着地点をどう設定してよいか見当もつかない。
 クリストファー・ノーランはこれで「バットマン」から離れるが、次もアメリカンコミックのヒーローを描く。さすがに監督は務めないようだ。ザック・スナイダーに任せるとのこと。
 次に取り上げるのは、これもまたDCコミックのキャラクターだ。アメコミの代表的存在、スーパーヒーローの中のスーパーヒーローだ。
 そのヒーローは「鋼鉄の男」の異名を持つ超人、スーパーマンだ!
 これは今から楽しみである。
 ひとつ要望がある。ジョン・ウィリアムズが生んだあの名曲、「スーパーマンのテーマ」を劇中に流してほしい。耳にした途端、たぶん泣くと思う。

amazon:[ハードカバー] Cover Run: The DC Comics Art of Adam Hughes (Adam Hughes Cover to Cover)  本シリーズを振り返ってみると、数少ない女優陣のなかでアン・ハサウェイが最も美しかった実感がある。ヒロインを演じたケイティ・ホームズもマギー・ギレンホールも魅力的だったし、本作のマリオン・コティヤールも芯のしっかりした美女を体現してはいたけれど、奔放でありながらも慈悲深いアン・ハサウェイには敵わない。
 こんなことはわざわざ特筆することではないのだけれど、彼女に胸を撃ち抜かれちゃったので、これはもう仕方がないのだ。
 アン・ハサウェイってこんなに魅力的だったっけ? 垂れ目による流し目効果絶大か? 最終兵器か?
 他のキャストの素晴らしさは改めて云うまでもなく、だから触れないけど、アン・ハサウェイだけは一言述べておく必要を感じた。
 アン・ハサウェイはかわいい!
 いやあ、「ダークナイト ライジング」のあまりの衝撃に脳がやられてしまったようだ。最後がアン・ハサウェイ讃歌になってしまうとは、お釈迦様でもわかるまい。
 記事を締めるにあたって何かそれらしい言葉を捻り出さねば。このままでは終われない。

 ヒーローは死なない。死なないからヒーローなのだ。

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映画:ダークナイト ライジング from よしなしごと 2012-09-30 (日) 18:46
 2005年のバットマンビギンズから再スタートしたノーラン版バットマンシリーズ3部作もいよいよ最終章。ダークナイトの記事です。
ダークナイト ライジング : 大人仕様のヒーロームービーの完結篇 from こんな映画観たよ!-あらすじと感想- 2012-10-19 (金) 20:19
 オリンピック、始まりましたねぇ。夜更かしされている方も多いかもしれませんね。本日は、そんなオリンピックに負けない”熱い”こちらの作品を紹介します。 ...
ダークナイト ライジング from 銀幕大帝α 2012-12-08 (土) 12:36
THE DARK KNIGHT RISES/12年/米/164分/アメコミヒーロー・アクション/劇場公開(2012/07/28) −監督− クリストファー...
ダークナイト ライジング from いやいやえん 2012-12-11 (火) 13:59
「バットマン」シリーズ3部作の完結編。 重厚な雰囲気は変わらずですが、前作「ダークナイト」が凄かったので、本作でどう締めくくるのかと期待がとにか...

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