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角が立ったり流されたり

「捜査官X」公式サイト 「捜査官X」を観た。
 金城武とドニー・イェンが共演。日本でも活躍する金城武と、アクション映画好きならばその名を知らぬ者のないドニー・イェン。二大スターと表してちっとも大袈裟ではない。
 この二人が魅せるのは、ドラマか? それともアクションか?

 1917年の雲南省。山奥の村を二人の男が訪れた。見たところ武術家の二人は両替商を襲う。
 事件らしい事件の起こらない村に死体が出た。それも二体。いずれも異邦人のものだ。
 暴力に物を云わせて金を奪おうとした二人組は、しかし店に居合わせた紙職人の抵抗に遭い、そのさなかにいずれもが頭部に打撃を受けて、いずれも打ち所が悪くて死んだようだ。
 二人の死人が出る修羅場をくぐり抜けたにもかかわらず軽傷を負っただけで済んだ紙職人は、無我夢中で強盗のひとりにしがみついてそのまま放さなかったと語る。知らないうちに強盗が倒れていた、と。
 二人の変死があったことで村には知事をはじめ官憲の手が入る。
 検死のさなか、ある発見が。体に残った刺青から、この二人組が札付きの悪党で指名手配中の逃亡犯であることが明らかとなる。
 ここに至って紙職人は英雄になる。指名手配犯を二人も倒したのだから。彼自身は、懸命になって止めようとしただけと謙遜するが、悪い気はしないようだ。
 気の優しくて村内の評判も良い紙職人の名はリウ・ジンシー。彼に疑いの目を向けるのは、捜査官シュウ。

amazon:[コミック] 北斗の拳―完全版 (1) (BIG COMICS SPECIAL)  シュウは人を信じない。シュウには更生を見込んで罪を見逃した少年から裏切られた過去があり、その経験が彼に新たな人生観と鍼灸の知識を身につけさせた。
 供述より物的証拠を重んじるという捜査方針は、だからシュウにとっては当然の帰結だ。彼は死体と現場に残された痕跡から事の真相と犯人像を描く。これは、凡人は見逃してしまうような些細な点から真相に迫らんとするところに表れている。
 リウ・ジンシーが巻き込まれた事件の捜査でシュウが取り組むのは、まさにプロファイリングの方法論に則っている。
 プロファイリングとは、統計学的に事象を捉えることで犯罪捜査を行うことだ。これは、犯罪現場の痕跡から得られる情報を正しく解釈するということを意味している。たとえば足跡と歩幅、被害者の負った傷の位置から犯人の身長を割り出すということがあるが、これも統計学的な最大公約数から数値が導き出されるのだ。
 プロファイリングは犯人の身体的特徴のみを探り出すだけではなく、気質や性格といったものまでを看破する。事件を過去のデータを照らし合わせ、犯罪の種類や手法から犯人の人となりを類推する。
 プロファイリングを成功させるには、犯罪現場の痕跡を正しく解釈する観察眼が必要。そして統計学を基礎とするため、前提として膨大なサンプル数によるデータベースが構築されていなければならない。
 FBIはプロファイリングの精度を上げるため、犯罪者に対して面談や心理テストを実施し、データベースの充実を図っている。トマス・ハリス『羊たちの沈黙』に登場するハンニバル・レクターはシリアルキラーの象徴であり、捜査官クラリス・スターリングはその対話でシリアルキラーの行動原理や思考を彼から引き出そうとする。つまり彼女はハンニバル・レクターをシリアルキラーのデータベースとして扱っているのだ。
 シュウがプロファイリングに用いるデータベースは、これまでに携わった犯罪捜査の経験と、鍼灸術の根本にある人体理解の理論だ。
 本作が面白いのは、プロファイリングに経絡という東洋の概念を用いている点だ。データベースとして考えるのなら、数知れない臨床例を経て確立された鍼灸術はいうに及ばず、占いの類も本質は統計なのである。最近は手相占いがまた流行っているようだが、あれこそ統計学的な観点にある。「こんな手相をされた方は、健康や結婚、経済状態において○○のような傾向にあります」とするのが手相占いであり、これは過去から連綿と続く膨大な数のデータに支えられているのだ。
 そして占いと千里眼はまったくの別物である。プロファイリングもオカルトの一種のように捉えられているが、これも誤解である。
 とにもかくにも、シュウは自分なりのプロファイリング方法を編み出してこれを犯罪捜査に活用している。ユニークな探偵像といえよう。

 状況を把握するため、事件を構成する要素の一つひとつを解体する。まずは死体だ。
 死因もさることながらそれぞれの身体的特徴を頭に入れて、現場検証時に彼らの行動がどういったものかを時系列順に追ってゆく。ここでも経絡の知識がシュウを手助けする。そして浮かび上がる疑問。悪名を轟かせる二人が死んだのは、果たして偶然なのだろうか?
 次は犯罪現場の検証だ。
 強盗が押し入った現場は、床といわず柱といわず天井といわず、あらゆる場所に死んだ二人組とジンシーの足跡が残っている。
 また、直撃して穴を穿ったらしく、瓶の底に転がっていた歯をシュウは発見。強盗のひとりに歯の抜けた痕跡があることから、これはおそらく彼の歯だろう。ここで疑問。ガラス瓶を砕くでなく貫くほどの勢いで歯が飛び出るとは、どういう状況なのか?
 疑問が生じるのは、それらを解くうえで必要と思われる幾つかの点が不明のままだから。これら不明点を明らかにしさえすれば、きっと真相を解明できる。そして、事件の不明点は、いずれもリウ・ジンシーに関するものだ。
 彼はいったい何者だ?

amazon:[Blu-ray] 捜査官X  本作の前半はミステリだ。天才捜査官が自らの信条にかけて執念の捜査を敢行する。執念というより魅入られたと表現すべきか。
 関係者の人となりを掘り下げ、事件現場を緻密に検証することで、真相に肉薄する仮説をたったひとりで立てたことは驚嘆に値する。この点だけでシュウは"名探偵"の仲間入りを果たす。
 しかし、仮説の正しさを証明するために彼がとった行動は、法の番人から逸脱したものだ。エキセントリックに過ぎる。正義が実行されることを願うあまり、というには偏執的である。
 人治主義のまかり通る状況にあって「法と物を信じる」シュウは仲間内でも異端者扱いだ。妻にしてからが彼の味方とはいえない。これはシュウが妻の父親の不正を見逃さなかったからだ。偽薬を商いしていた義父は逮捕された後に自殺。娘は父親の罪を見逃さなかった夫を恨んでいる。
 本作で違和感を覚えるのはこういったところだ。
 身内だろうとなんだろうと罪を犯した者はそれを償わなければならない。そしてこれは法によって公正に為されなければならない。生まれや地位といった点で人によっては罰を免れるなんてことがあってはならない。法の前に人は平等でなければならない。
 法が力無き人の悲鳴を掬い上げられない実態があるのなら、現状に見合う内容へと法を変えればよい。法の不備を指摘して、それを理由に法を犯してよいわけではない。法の下に正義はあるのだ。
 しかし本作においては、時と場合において法を逸脱しても構わないような描き方が為されている。罪を憎んで人を憎まずといえば聞こえはよいが、その実体は個人がそれぞれの裁量で人を裁いている。司法とは関係のない一般人が、だ。
 立場や好悪が判断に影響を及ぼすのは一般的によくあることだが、それを司法における判断に反映させてはならない。個人的な事情を司法に持ち込まない点で司法に携わる者はプロフェッショナルでなければならない。
 シュウは人の善なるを信じず、法の下の平等を貫こうとする。しかしそんな自分を冷ややかに眺めるもうひとりの自分を幻視するのは、彼が本来持っている人に対する思いがどんなものかを雄弁に語っている。鍼灸で体と心を強く保とうとするのは、裏切られたことで傷付いた心を庇っているにすぎない。敢えて苦行を自らに課さなければまた情に流されてしまう。
 シュウの本性は、優しいというより情にもろいのだ。

 シュウは法と鍼灸術によって己の本性を矯正した。タン・ロンは父親によってその人間性を矯正された。
 ある事件をきっかけにタンは自分を見つめ直し、それまで属していた共同体から離脱する。自分を変えるにはこれまでと同じ環境に身を置けないと考えたのだ。
 タンが属していたのは「七十二地刹」という暗殺組織。彼はそのナンバー2の地位と実力を持っていた。構成員から教主と呼ばれる組織のトップはタンの父親だ。
 七十二地刹、否、父親からの洗脳が解けたタンは"家族"から離れて、新たに家庭を築く。誰かから押し付けられた法や論理ではなく、自ら決めた規範を人知れず守って生きてゆく。長年にわたって身に付けた必殺の功夫も封印して。
 突発的な事件に遭遇したことで、男はその封印を解く。それがどんな事態を呼び寄せようとも、ただ見過ごすことはできなかった。果たしてひとりの捜査官が自分に目を付けた。入念に偽装したというのに、シュウに自分が武術の達人であることを見抜かれた。これも縁のなせる業か。

amazon:[文庫] ブラウン神父の童心 (創元推理文庫)  ドニー・イェンの華の無さが遺憾なく発揮されて、それが作品の出来栄えに大きく寄与した本作。ジンシーがシュウに向ける屈託のない笑顔はまさに田舎者のそれで、これぞドニー・イェンの華の無さが為さしめるもの。この笑顔をフィルムに焼き付けた点において、まさにキャスティングの妙。
 対する金城武のシュウはまさに異端の人。シュウの装いは当時の捜査官の制服かと思いきや、然に非ず。だらっと裾の長い衣服は白く、たいていは帽子をかぶり、眼鏡をかけている。そのうえ、天気の如何にかかわらず、こうもり傘を手にしている。
 この外見を持ち、そして探偵としての能力が高い。これではまるでブラウン神父ではないか。
 朴訥な村人と病弱な捜査官。いずれも冴えない外見をしているが、それぞれに有している技能は尋常一様ではない。
 二人の俳優は、彼らが演じる男の凄みを放っている。
 そしてタン・ウェイだ。どことなく幼さの残る顔立ちで、しかししっかり所帯じみているところがエロい! 現在の幸せをぎゅっと抱きしめているようなところが、年齢相応にかわいらしい。

amazon:[単行本] 草枕 (ワイド版岩波文庫)  本作で描いているのは、シュウとタンの人間性の回復。そうはさせじと迫る過去との決別である。
 法に万能を求めても、それに携わる者が不正を行ってはその望みが叶うはずもない。シュウは公正な裁きを求めたが、当局者にその意思はなかった。かくして法の公正な執行は曲げられる。尤も、シュウのタン・ロンに対する思いは激しく、借金をしてまで私財を投げ打つところなどは彼の公正さも揺らいでいたといえよう。揺らぎを自覚していて、それを彼自身は認めたくなかったのかもしれない。
 タンは十年の間に得た居場所と生き方に己の本分を見出した。民族の怒りや誇り、父親からの期待とそれに応えんとする自らの息子としての思いというものは、心安らぐ日々と比較するべくもない。
 リウ・ジンシーとして生きた日々に後悔はなく、それを手放さなくてはならないとしても人を恨まず。ただ、無辜の人が理不尽に殺される事態を食い止めたい。韜晦の日々を生きてきた男が再び拳を握る。
 過去からの追跡者がジンシーを襲い、その不幸な再会のなかでこれに立ち会ったシュウは己の価値観に疑問を抱く。
 二人の男それぞれの生き方を映す鏡が現れて、この敵役を倒すことでそれぞれに克己が為される。この展開において男たちは己の身に付けた技をふるい、人事を尽くす。
 天命というにはあまりにも圧倒的な決着の付き方で、唖然とした。雨中の決闘は、ただ見た目の格好良さを狙った演出ではなかったのだな。

 ミステリとしてもアクションにしてもそれだけで全編を貫き通すほどの濃密さはないけれど、「中国」を良くも悪くも描いたドラマであるところに本作の醍醐味はある。族譜世系表や成人の儀等の中国の習俗は現代日本に生きる私には初めて見るもので、同じアジアにあっても両国には根の違うものがあるのだなあ、と当たり前のことを今更に感じた。わかりあおうと努力することを否定しないけど、わかりあえないことはいつまで経ってもわかりあえないよね。
 中国を描いた作品には違いないけれど、勿論、ミステリにもアクションにもそれぞれに見所はたくさんある。それらに魅力はあるのだが、印象に深く残るのは日本人として感じる違和感であり、これはとりもなおさず本作から滲み出る"中国らしさ"なのだろう。
 シュウの退場とジンシーの現状が意味するところに法治主義の敗北を見てしまうのだが、これもまた中国なのだろう。原則あれば例外はあるものだが、原則的に"例外扱い"を求めてくるしたたかさ。良いとか悪いとかで計れない国民性なのだろうな。それをわからずに同じアジアの民と思って迂闊に近付くと痛い目に遭うぞ、たぶん。

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映画:捜査官X from よしなしごと 2012-09-01 (土) 03:37
 どんな映画かも調べずにドニー・イェンと金城武が出ているという理由だけで見に行くことにした捜査官Xですが。
捜査官X from いやいやえん 2012-10-18 (木) 09:09
ドニーさんがかっちょいいアクションをみせてくれればそれで満足。 ドニー・イェン、金城武共演。のどかな山村に強盗が押し入り、犯人二人がそこに居...
捜査官X from 銀幕大帝α 2015-02-25 (水) 03:31
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