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悪魔祓い血風録

amazon:[Blu-ray] REC/レック 2  ジャウマ・バラゲロ監督作品「REC/レック」は、閉鎖空間におけるゾンビの恐怖をP.O.V.(ポイント・オブ・ビュー:主観撮影)の手法で完成させた作品である。死すら安息に結び付かない屍人の襲撃が作中人物の視点で展開し、撮影者の悪夢のような夜を追体験させられる恐怖があった。まことにホラー映画らしいホラー映画だ。
 アパートの内部には正体不明の感染症とその患者が跋扈し、外には警察が建物を取り囲んでアパート内に居合わせた者の脱出を阻んでいる。
 鮮血とともに広がる凶暴性は感染症の症状との説明を受けたが、ただの病気ならばどうして患者は人を襲うのだろうか? いくら凶暴になったとはいえ、死んでしまえば襲うことはおろか動くこともできない筈が、ここではそんな常識すら通用しない。死亡を確認されたのに起き上がる、襲いかかる。何がどうなっているのか、さっぱりわからない。
 先刻まで心強い味方だった者が、ふと目を離した隙に感染症患者に噛まれてしまい、次には手強い敵となって襲いかかってくる。ここには気の休まる瞬間などありはしない。
 わけのわからないまま、ここで死ぬしか道は残されていないのか。否、死ねるのならば寧ろ幸せかもしれない。
 開幕からどんどんと速度を上げて物語は進み、観客に正気に戻る暇を与えない。
 登場人物の向けるカメラの前でゾンビを暴れさせる。この一発勝負のネタを娯楽作品として昇華させた点で、ジャウマ・バラゲロは評価されるべきだ。
 特に終盤で示唆される感染症の正体。ここで示唆にとどめたことが観客の想像をかきたてることとなり、それ故に恐怖は弥増すこととなる。
 そして、潔い最終カット。スクリーミング・クイーンが最後の悲鳴とともに退場し、物語は幕を閉じる。

 見事な結末とは別にはっきりしない真相。これは続編が作られなければ嘘!
「REC/レック2」を観た。

 気をつけてはいたが少なからずネタを割ってしまった。否、"少なからず"というレベルではないかもしれない。
 ここから先を読むのは躊躇われるという向きは即座に「戻る」をクリックすべきだろう。

amazon:[Blu-ray] REC/レック  本作は「REC/レック」の続編である。
 本作の開幕と閉幕は前作と呼応している。いずれも録画された映像のなか、アンヘラ・ビダルがそれらを告げる。また、P.O.V.の特性から撮影者が最後の段階まで無事であることも前作を踏襲している。そして、まず最初に登場する感染症患者がイスキエルド夫人であるところも、階段の吹き抜けを男が落下するのも、物語の途中でアパート内に新たに登場人物を迎えるのも、これらは前作に原型がある。
 しかし、観賞後の印象においては、本作は前作とは大きく異なる。
 前作はパニックを描いていた。正体不明の感染症と巨大権力による強制的な隔離が突然に降りかかり、その後に今までの恐怖が子供騙しであったかのような絶望に襲われる。叫び声をあげて逃げ惑うも、目指す出口はどこか皆目見当もつかない。
 まさしくパニックだ。
 本作においてもパニックは描かれるが、そこには恐慌の現場に理性と知性の光を当てようと懸命になる人物が存在する。教皇庁の人間であるオーウェンだ。
 オーウェン神父が語る、このアパートに広がる感染症の真相は、前作の終盤に仄めかされた疑惑を確固とした事実に押し上げた。ゾンビと化したように見える感染症患者は、オーウェンによると病気ではなく悪魔憑きの状態にあるとのことだ。
 そんなことを云われて本気にする者はいない。神父に随行する突入部隊の面々も混乱するばかりだが、彼らに混乱を齎したのは神父の発言だけではない。直前に目の当たりにした化け物じみた住人の姿とそれに襲われた同僚の変貌とが、百戦錬磨の彼らをしてパニックに陥らせたのだ。
 世にもおぞましい感染症の正体が悪魔憑きと確定した時点で、些か興醒めしてしまった。これで恐怖の源は正体不明ではなくなった。正体がわかれば対処法もおのずと明らかとなる。事実、神父はこの悪魔憑きに有効なワクチンを開発できると考えている。それに必要な"最初の少女"トリスターナ・メディロスの血を求めて、彼はこのアパートに足を踏み入れたのだ。
 医療や科学の分野を取り上げるなら「コンテイジョン」であったように中長期的なスパンで解決策を、つまりワクチン精製を講じなければならない。開発したワクチンが副作用のない、人体に悪影響を及ぼさないものか動物実験を繰り返さなければならない。しかし感染症の正体が悪魔憑きとなれば、次に待っているのは悪魔祓いだ。とはいっても、唾液や血液で広がる悪魔憑きだ。聖水だの聖書の言葉だの十字架だのと悠長に儀式を執り行う暇はない。噛まれる前に攻撃あるのみ。
 皮肉なのは、この事態を引き起こしたのは人体実験である点だ。悪魔憑き状態にあるメディロスに対するアルベルダ神父の実験が事態を悪化に導いた。教皇庁が悪魔を囲い込んで悪魔憑きを育んだのだ。ここに自然と人類と疾病の関係が二重写しになっているようで面白い。
 さて、神の御心のままに地獄の一丁目と化したアパートへ乗り込んだオーウェン神父。彼は神父でありながら悪魔に誑かされた羊を救わない。寧ろ、積極的に排除する。オーウェン神父は最大多数の幸福のためならば犠牲者が出るのも厭わない。彼は新たな犠牲者を出さない為に地獄に足を踏み入れたのだ。
 オーウェンが自らの信念を語る言葉に突入部隊の隊員たちは説得されてしまうが、神父の意思決定には疑問が残る。行動を共にする突入部隊の人員が大幅に減ってしまったというのに、それでも彼は作戦行動の続行を主張する。ここは一旦撤退して戦力を増強して再び攻め込むべきだろう。それ以前に、作戦の内容をチーム全体に周知しておかなかったことがそもそも間違いである。自分たちが相対するのがどんな存在か事前にわかっていれば、ララは弾切れなど起こすことは決してなかった筈だ。
 作戦に対する理解度が実際の作戦行動に与える影響は大きい。それとも、近所のコンビニで清涼飲料水を買うくらいに"楽勝"な作戦だと思っていたのか? 否、それはない。
 強い信念や篤い信仰心が、しかしそれだけでは通用しない事態が待っていることを知りながら、万全の対策を立ててこなかったオーウェンは責められるべきだ。悪魔憑きの脅威から子どもを救うために、という彼の言葉に大義名分はあるが、だからといって避けられる危険を回避しない理由はない。悪魔憑きを増やすことは即ち危険度を増すことに等しく、これは自明である。だからこそチームの中から悪魔憑きを出さないようにオーウェンは努めるべきだった。それを怠った時点でオーウェンに作戦指揮官の資格はない。

 さて、感染症の正体が悪魔憑きだということで思い付いたことがある。前作から気になっていたことだが、作中における悪魔憑きの潜伏期間がどんどん短くなっているのだ。噛まれたら必ず発症するのはともかくも、発症までの時間が短くなっているのには何か理由があるのだろうか?
 いろいろと考えた末、自分なりの解答を得た。
 脳から分泌される化学物質の血中濃度と発症までの時間に関連があるのかと考えた。興奮の度合いが増すほどに早く発症するのか、と。興奮したり逃げ惑ったりで血流が激しくなって、それが発症の時期を早めるのか、と。
 しかし一様に発症スピードが増すというのはおかしい。年齢や体格によって潜伏期間の長さには個人差があって然るべき。
 どうやらアパート内における悪魔憑きの人数が増えてゆくほどに、発症までの時間が短くなってゆくように思われる。悪魔憑きの発症速度は、神と悪魔との勢力闘争の趨勢を表していたのではないだろうか。つまり、その場においてキリスト教徒が多勢を占めるならば発症までの時間は長く、悪魔に誑かされた背教者が増えてゆくと発症までの時間が短くなってゆくのではないだろうか。アパート内におけるキリスト教会の敗色が濃厚となってゆくにつれ、事態は悪くなってゆく。
 これらは全て私の想像だ。実際のところはわからない。

 P.O.V.のフェイクドキュメンタリー手法は、映像に代わりばえのないのが欠点。これを改善しようとしたものか、本作では撮影者の交代が為される。この交代劇によって事件を多面的に捉えるという挑戦は成功しているが、その一方でそれまでの勢いを殺してしまっている。
 オモシロ動画を物することに情熱を燃やす少年たちや家族の無事を願う男、同僚を気遣う消防士。それぞれの目的が絡まり合って五人の新参者が地獄の一丁目に。彼らのように事態の重大さに気付いていない者を物語に加えるのなら、尚更に比較対象としてオーウェン神父のチームは事態の深刻さを把握していなければならない。ひとつの作品で同じ展開が繰り返されるのはさすがに飽きる。
 本作における撮影者交代は、いずれもが撮影機材の故障が契機となっている。オーウェンの撮影に対する拘りは、教皇庁への報告義務あってのこと。そのうえでカメラがどんどん破壊されてゆくのは、教皇庁の意図に反しようと企む悪魔の陰謀が成功しているのではないだろうか。
 予期せぬ闖入者は隠されていた進入路の封鎖を招き、その一方で重要人物の状態を明らかにした。前作において娘の為に薬を買いに出ていたとされる父親は、彼自身が感染しているかどうかということを留保されていた。つまり、感染症の脅威はアパート内のみならず、世界に広がりつつあるのではないかという、そんな地獄絵図を脳裏から払拭できずにいたのが、本作で無事な姿を見せたことはそれを打ち消すに充分である。オーウェン神父らがアパートに突入する際、妻子を想う優しい男の姿を見て密かに舌打ちしたものだ。その時点では後の展開について知る由もなかったから。

 二千年前に荒野で生まれたキリスト教は、布教活動の甲斐あって今や全世界に信者を持つに至る。その過程で土着信仰の神々が悪魔の座に貶められたのはよく知られるところである。土地に根付いた民族宗教と布教によって信者を増やす普遍宗教との性格の違いがそれぞれの神の行く末を決めてしまった。
 ならば、反キリストの勢力を強めることを目指そうではないか。
 世界に広がりゆく悪魔憑き。これについては本作の最後にそれが遠からず為されるであろうことが示唆される。
 伏線は張られていた。彼女が怪しいことは少なくとも観客はわかっていた筈なのだ。
 十一歳の少女から始まった悪魔憑きは、妙齢の職業婦人の姿を通じて世界に広がってゆくだろう。悪魔が得た肉体はマスコミ関係者だ。その姿や声はどこまでも届く。だから、彼女が選ばれたのだ。暗闇の牢獄に囚われ暗視装置でしか姿を捉えられない被写体では話にならない。
 物語は次の段階に入った。本作は大いなる飛翔の為の助走として必要だった。その意味において本作は高く評価できるが、ひとつの作品としては期待外れとしかいえない。
 勘違いをしてはいけない。私が抱いていた期待とはパニックのなかで絶望を味わうようなホラー作品へのそれである。本作はそのスタイルではなかったというだけであり、瑕疵があるものの、つまらないと切って捨てるほどではない。
 本作はオカルト映画としては評価できるのだ。これだけは明らかにしておかねばならないだろう。

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