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ジャンケンポンのアブダクション!

amazon:[DVD] フォーガットン 「フォーガットン」を観た。
 ヒロインを演じるのはジュリアン・ムーア。ジュリアン・ムーアという一筋縄でゆかない女優の、これはなかなかに一筋縄でゆかない主演作品だ。共演者は精神科医にゲイリー・シニーズ。これまたジュリアン・ムーア同様に一筋縄でゆかない俳優である。
 本作はとにかく驚くこと請け合い。百聞は一見に如かずということで、本当ならばこの記事を読むより作品を見てもらうのが一番なのだが、自分でもそれをわかっているのだが、「わざわざ観るのもなあ」という向きの背を押すつもりで記事を書く。

 ブルックリンに夫とふたりで住むテリー・パレッタは、未だ悲しみに打ち沈んだままである。一年と二ヶ月前の飛行機事故により、彼女は愛する息子を喪ったからだ。サムを忘れられずに、彼の写真やビデオを繰り返し眺める毎日。テリーのカウンセラーであるマンス医師や夫のジムは、彼女にサムを忘れさせようと努力している。
 ある日、死後手をつけないままにしているサムの部屋に入ったテリーは異状を発見する。サムのアルバムに写真が一枚も貼られていない。彼が映っている筈のビデオテープを再生しても画面には砂嵐。これをジムがしたのなら絶対に許さない!
 帰宅したジムに半狂乱になって詰め寄るテリー。ジムの連絡で駆け付けたマンス医師の語った内容を彼女は信じることができない。それはサムが最初から存在しなかったということ。テリーは流産のショックで精神が不安定となり、安定を取り戻すために息子が無事に産まれたという幻想を抱かねばならなかったのだ、と。
 写真やビデオに映っている筈のないサムの姿を視るうちはテリーの幻想は強固である。本来ならば段階的にサムの存在を消して、心と身体との調整をしてゆかねばならないところだけれども、彼女の心はサムの存在を信じているのに眼は姿を認識していない。これは危険な徴候だ。
 入院をすすめるマンス医師から逃げたテリーは、図書館で十四ヶ月前の新聞を閲覧した。飛行機事故などどこにも無かったような紙面がそこにあった。
 テリーの記憶のなかのサムには友達がいた。それは近所に住むローレンという名の少女で、彼女の父親はアイスホッケー選手だった。アッシュ・コレルは酒浸りの日々が続いていた。十四ヶ月前から。
 そう。ローレンもまた、サムと同じ飛行機に乗って事故に遭ったのだ。
 しかし、アッシュもまたジムのように自分は娘を持ったこともないと云う。それではなぜアッシュは酒浸りなのだ? 彼が酒に逃げる理由は何だ?
 警察に引き渡されたテリーを国家安全保障局の人間が割って入って無理矢理連行しようとする。そのとき、ローレンを思い出したアッシュがテリーを救い出す。
 ふたりの逃避行が、いや、追跡行がはじまる。子供たちを、その記憶を親から奪ったのは何者なのか?
 国家安全保障局がなぜ動いているのか?
 果たして子供たちを無事に取り戻すことはできるのか?

 はじめは心理サスペンスかと思った。冒頭の十分ほどでテリーの心の傷と記憶違いを提示。彼女に対する夫と主治医の対応の公正さを見るにつけ、本作は辛い現実と向き合えない女性の物語だ、と。彼女のなかの"真実"が崩壊を起こすか、あるいは虚構でしかない"真実"のなかで彼女は幸せに生きるか、そのどちらかの結末を迎えるものと思った。ハッピーエンドにせよバッドエンドにせよ、それなりの形にはなる、と。
 ところが物語はここで舵を大きく切ることに。
 表層を一枚剥ぐとそこには思いもかけない秘密があるとでもいうように、テリーがアッシュの家の壁紙を捲ったところで本作は様相を一変させる。この時点で本作は「死産のノイローゼから妄想を育んだ哀しい女性の物語」ではなくなった。物的証拠もないまま我が子の実在を叫ぶヒステリー気質の女性は消えて、そのかわり妻や患者に誤った認識を押し付けようとする男たちが気にかかる。ゲイリー・シニーズ演じるマンス医師はともかくジムは隠し事をしているようには見えない。彼が妻を騙しているとは思えない。

 テリーの妄想という疑惑は雲散霧消し、次に国家規模の陰謀が張り巡らされている疑惑が立ち上がる。強大な組織力を背景に主人公らを追い詰めてゆく国家安全保障局。ここからは主人公が自分のペースで行動できなくなる。
 不自由な状況の中で確かなこととして胸に抱いているのは、我が子の実在だけ。ここでテリーに疑問が生じる。「それが誰の仕業にせよ、なぜサムが生きていた痕跡を消そうとするのか?」あの子は死んでしまったのに!
 飛行機事故さえそんなことは無かったことにされている。そんなことが可能かどうかは問題ではない。なぜ死んだ子についての記憶が奪われなければならかったのか? 答えは単純。サムもオーレンも、子どもたちは誰も死んでないのだ。
 次に考えなければならないのは、誰がこんなことを為したのか為し得るのか、ということ。たとえ国家であっても、それが大国のアメリカ合衆国であっても可能なことと不可能なことがある。

 テリーの妄想という疑惑は消え、国家規模の陰謀説の彼方からトンデモナイ真相が現れる。それまでの展開から想像はしていたものの、あまりに荒唐無稽な真相を目の当たりにして、さすがに度肝を抜かれた。
 展開が次々に変化するのだが決してついてゆけないわけではなく、テンポの良い場面転換のおかげで寧ろ状況把握が容易い。急展開の転換点は科白によって為されるのではなく、あからさまな映像によって提示されるのが素晴らしい。圧倒的な説得力を持つ、否、力技といえる映像表現には笑いすら生まれる。
 映像表現について云うと、物語の進行上必要と思われるカットは適宜差し込まれている。特に鳥瞰のカットはそれ自体が伏線となっていて、真相が明らかになると「ああ、なるほど」と膝を打たせる。
 だからこそ、本作には唯一の解釈しかできない。裏に隠された真相なんて都合の良いものはない。画面に映ったことがすべてだ。

 本作は本当にトンデモナイ作品だ。題材はスーパーナチュラルといえばスーパーナチュラルだけどスーパーナチュラルにも程がある。「お前、ただただスーパーナチュラルと続けたいだけなんだろう」とお叱りを受けるかもしれないが、そうではない。これ以上内容に言及するとネタを割ってしまいそうなのでここまでにする。
 本作の脚本については、内容はどうあれその結構は評価できる。途中、御都合主義と捉えられるところがないではないが、最後の対決に至って語られたなかに"彼ら"の意図が明かされて、最後の最後で科白による説明があったことについては残念だけど、筋書きとしては発想の転換があって驚きを得られたし納得もできた。

 展開の激しさにも関わらず、テーマを母親の愛に貫いたことで物語の方向をブレさせなかったのは高評価だ。徹頭徹尾、愛。これについては主演のジュリアン・ムーアに恃むところが大きい。序盤の情緒不安定にしか見えない母親と、後半に入ってからの力強い母親とが矛盾せずにひとりの人物にそなわっている。いやはや演技巧者だねえ。
 演技巧者といえばゲイリー・シニーズ。この俳優が出てきたら気をつけなければ。善玉悪玉なんでも来いの人だからな。案の定、一筋縄ではいかない役柄を見事に演じている。この人とかクリス・クーパーとかレイ・リオッタとか、一癖も二癖もあるバイプレイヤーは作品に彩りを加えてギュッと締めるね。ウン。

amazon:[DVD] スティーブン・キングの悪魔の嵐  本作の顛末はホラー党には生ぬるく感じられるだろう。大山鳴動して鼠一匹ってカンジで拍子抜け。山を揺り動かすほどの突風が数度吹き荒んだけれど、否、それだからこそあの穏やかな結末になったのだろうとも思われる。
 本作のそれに比べてスティーヴン・キング原作の「ストーム・オブ・ザ・センチュリー」のオチは良かった。救いようのないほど悲劇的な結末で、本作にもあれくらいガツンとくる結末を期待したのだが、それは叶わなかった。無いものねだりだけど、ネ。
 本作はサスペンスなんだかホラーなんだか、はたまたコメディなんだかはっきりしない作品である。このような内容だけに好き嫌いのはっきりと分かれるだろうけれど、私に限っていうと「こういうの嫌いじゃない」。

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