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バチェラー・ガール

amazon:[DVD] 譜めくりの女 デラックス版  楽器はピアノはおろか小学校時代に習った縦笛からして不得手な私。ピアニストの繊細な神経を理解も実感もできる筈がない。
「譜めくりの女」を観た。
 メラニー・プルヴォーはずっとピアノを続けてきた。実家は肉屋を営んでいて、はっきり云えば裕福ではない。
 今度、コンセルヴァトワールを受験する。これに合格できればピアノを続けられる。たとえ受験に失敗したとしてもピアノを続けていいと父親は云ってくれるが、そう云うわけにもいかない。だから、絶対に合格する。失敗できない。
 受験当日。着飾った受験生たちに混じって、メラニーの姿があった。そこに審査員が到着。そのなかに高名なピアニストの姿があった。サインを求めるファンに対して、彼女は「後で」と云い残して去ってゆく。
 運命を左右する試験。自分の実力を遺憾なく発揮するメラニー。試験特有の緊張感が部屋に張り詰めて、しかしそれは不意に破られた。先刻のファンが無断で入室し、ピアニストにサインを求めたのだ。そしてそれに応じるピアニスト。
 その様子を横目に見たメラニーは、心を乱してしまった。心の乱れは演奏に大きく影響を及ぼす。
 散々な結果と心の傷を残して、メラニーはピアノを辞めた。
 長じてメラニーはパリに住む。そして、ある法律事務所で研修生として働くこととなった。息子の子守を探していた所長にメラニーはその仕事を志願する。仕事ぶりには所内で評価を上げている娘だ。彼はメラニーに子守を頼むことにした。
 子守の仕事の前に、ジャンはメラニーに云っておかねばならないことがある。ジャンの妻はピアニストだ。二年前に轢き逃げ事故に遭ってからというもの、彼女の精神面に脆さが見られる。子守をお願いするとは云っているが、実際の仕事は妻から目を離さないことだ。
 屋敷に着き、当のピアニストと対面する。彼女の名はアリアーヌ・フシェクール。メラニーもよく知っている人物だ。
 あの試験でファンにサインをしたピアニストだ。

 メラニーの母親は娘を「やると決めたらやる娘」と誇った。けだし慧眼である。メラニーは明確な意図を持ってアリアーヌに近付き、彼女の人生を完膚なきまでに破壊した。アリアーヌに自分の人生を奪われたと信じる女は、その仕返しをこれ以上ない方法で成し遂げた。
 コンセルヴァトワールの受験において、図らずもメラニーが試されたのはメンタルの強さである。闖入者の出現とアリアーヌの行為によって浮き彫りになったメラニーの精神面の脆さが、彼女の持つ技術力よりも審査員の印象に残ってしまったことだろう。これは減点対象だ。不測の事態にも動じずに音を紡げる演奏者が世界の大舞台で活躍できる。些細な出来事でペースを崩して運指を誤る者がピアニストとして成功できる筈もない。
 メラニーが人生を懸けた試験は、だからその審査において正当だったと云えるのかもしれない。彼女はなるべくして不合格になったわけだ。
 一方でアリアーヌも轢き逃げ事故に遭ってからというもの、舞台上で緊張するようになる。この緊張は良い意味での緊張ではなく、悪い意味の緊張、いわゆる「あがってしまう」というやつだ。そして、自らの演奏の出来不出来を譜めくりの仕事の巧拙に転嫁する。このように精神面の弱さを露呈するアリアーヌは、往時の輝きを既に失っている。
 復讐を果たす為に手段を選ばないメラニー。彼女に迷いはない。そもそもがアリアーヌのもとへと到る道程からして生半可な覚悟では辿れないものだ。法律を学ぶだけでなく、パリでも有数の法律事務所で研修することを認められるほどの成績を上げなければならない。そして彼女はそれを成し遂げ、ようやくアリアーヌの前に立つことが叶ったわけだ。まさに苔の一念である。
 ところでアリアーヌの轢き逃げ事件だが、その犯人は逮捕されたのだろうか? 邪推をすると、その犯人は未だ逮捕されておらず、今は被害者のすぐそばにいるのではないだろうか?

 ピアノを弾けなくとも夫の稼ぎで暮らしてゆけるアリアーヌ。その息子も家庭の経済状況を心配することなくピアノに打ち込める環境に身を置いている。
 彼らの境遇と比較すると、少女時代のメラニーにはピアノの他には何もなかったのがわかる。室内プールもテニスコートもなく、打ち込んでいたピアノはグランドピアノではなかった。彼女のすべてはアップライトのピアノにこそあったのだ。
 だからメラニーは許せなかったのだろう。ピアノを弾けることの幸福をわかっていないアリアーヌを。ピアノに全身全霊を傾けないトリスタンを。
 かつて、コンセルヴァトワールの試験会場に闖入者が現れた。この闖入者は受験生に対する悪意を持っていなかっただろう。自分の行為が受験生の演奏に対して悪影響を及ぼすなんて念頭になかったのだろう。彼女はそもそも受験生を見ていなかったかもしれない。高名なピアニストだけが彼女の視界に入っていたのかも。しかし、メラニーの復讐心はこの闖入者には向けられず、自分と同じ同じピアニストなのに無神経な振る舞いに及んだアリアーヌへと向けられる。想像力の欠如は時に罪となる。この場合、闖入者の罪よりもアリアーヌの罪のほうが重いのだろう、メラニーにとっては。
 今、フシェクール家に侵入者がある。侵入当初の彼女の標的はアリアーヌだ。かつての闖入者がサインを求めた相手だ。この侵入者の明確な悪意はやがて一家を崩壊に導く。一葉のポートレートと、そこに書かれたサインによって。
 サインによって復讐の端緒が開かれ、サインによって復讐の幕が下りて、始まりと終わりが見事に呼応するところは美しいけれど、あまりにきっちりと嵌まっているのが鼻につく。これは完全に個人的な好みなので、瑕疵とまでは云えない。
 ピアノを断念したメラニー。一旦は復活を遂げたが心の拠りどころを失ったアリアーヌは、今後ピアノを続けられるだろうか。二人ともピアノを諦めざるを得ない状況となった点も呼応している。
 個人的に特に面白いと感じたのは、メラニーがフシェクール家に入り込むところ。メラニーは力押しに屋敷内に侵入するのではない。彼女は家長たるジャンに招き入れられるのだ。招かれてはじめて邸宅に侵入することができるというのは、これではまるで吸血鬼ではないか。メラニーとアリアーヌとの間に一般的な性愛とは異なる関係が生まれたかに見えるところも、生殖行為を伴わない結びつきを持つ吸血鬼を彷彿とさせる。
 吸血鬼との交歓により通過儀礼は為され、かつての被害者は魔の眷属へと存在を変える。彼女の世界観は転換し、それまで身を置いていた世界とは相容れない自分を見付ける。ひそやかにパラダイムシフトは為され、こうなってしまうと新たな主人と共に生きてゆくしかない。
 払暁と共に吸血鬼は消える。魔に魅入られ、吸血鬼と夜に生きることを選んだ者がひとり残される。
 吸血鬼の下僕となり、且つ、主人に去られた者に安息の場は無い。

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