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あるいは死でいっぱいの海

「トライアングル」を観た。
 主演はメリッサ・ジョージ。辛気臭いヒロインだと思っていると、そのキャリアに「30デイズ・ナイト」がある。あの吸血鬼映画でジョシュ・ハートネットと共演していた女優ではないか。本作とはイメージがまるで違うので気付かなかった。
 メリッサ演じるヒロインはなにしろ内向きのキャラクターであり、その気持ちが伝わってこない。なにやら思い悩むところがあるようだけれども、その様子が鬱陶しく、苛々しながら観ていた。ただし、いざ行動するとなると動きは機敏だし迷いは見られないしで意外に感じた。どんな人物造型なんだ?
 ヒロインが何を抱えていて何を思い悩んでいたかがわかるのは終盤。それらがわかるとそれまでの行動にも思い当たる節が。なるほど、そういうことね。

amazon:[DVD] トライアングル  ジェスは自閉症の息子と二人暮らし。ある晴れた土曜日、彼女は自分が働くダイナーの常連客からヨットクルージングに誘われていて、息子とともにヨットハーバーへ行く準備を。
 ヨットハーバーにトライアングル号が停泊している。船主のグレッグが出航の準備を整えていると、旧友のダウニーとサリーの夫婦、そしてサリーが連れてきたヘザーが現れた。この友人夫婦とは長い付き合いだ。独身の身を案じてくれているのだろう、サリーは招待するたびに女友達を紹介してくれるのだが、あいにくこちらにはその気がない。彼女には悪気がないだけに困りものだ。特に今回はジェスを招いているのに。
 そこへヴィクターがジェスを伴って現れる。ヴィクターはグレッグの居候で、若いけれども操船を任せられるくらい頼りになる男だ。その彼がジェスを「おかしな女」と云う。失礼な奴だが、そう云われてみると確かに浮かない表情だ。しかも、彼女は息子のトミーを連れていない。
 出航してしばらくは快調に走っていたトライアングル号だが、突然にぱったりと風がやむ。間の悪いことに、こちらに向かって黒い雷雲が恐ろしい勢いで迫ってくる。
 激しい風と波に襲われてトライアングル号は転覆。
 嵐が去り、転覆したヨットにとりついてみると、ヘザーの姿がどこにもない。サリーは姿の見えない友人を心配をするが、それどころではない。このまま助けが現れなければ全員が死んでしまう。
 すると、そこに豪華客船が姿を現す。アイオロス号と書かれた船体から視線を甲板に移すと、そこに人影が。
 助かった!
 五人はアイオロス号に乗り込む。

 アイオロスはギリシャ神話に登場する。本作では「風の神」として、且つ、「岩を山に押し上げる苦行を永遠に繰り返した」と語られ、その罰の理由をサリーは「死神を騙してこの世に居座った」と述べる。
 風の象徴として鴎が大空を舞い、ヨットは帆に風をはらんで進む。そこにアイオロス号が登場する前触れとして風はやみ、波が凪ぐ。そして次に嵐が来る。本作では変異の前触れとして風を象徴する事象が描かれる。
 アイオロスの物語と本作とにリンクするものがあるならば、岩を山に押し上げるような苦行を永遠に続けるアイオロスの如き人物が物語に登場するのか?
 死神を騙して命を長らえようとした者は?

amazon:[文庫] 七回死んだ男 (講談社文庫)  本作の趣向を知り、同じ時間の流れを何度も繰り返すというならばと思い出したのは、『七回死んだ男』だ。
 西澤保彦『七回死んだ男』は、同一の時間経過を繰り返す体質の主人公を語り手にした、SF的設定を持つミステリだ。「同一の時間経過を繰り返す」とはどういうことかというと、これを『七回死んだ男』に則して説明するならば、大庭久太郎の身に起こる現象は「深夜零時を起点に二十四時間を遡って、これをこの後に八回繰り返す」というものであり、久太郎はこれを「反復落とし穴」と名付けている。一度落ち込んだら八回も反復を余儀なくされることからの命名だ。
 久太郎のこれはあくまで特異な体質が生む現象であり、彼自身が任意に起こすことはできない。ある日、いきなり「反復落とし穴」が起きてしまう。
 この「反復落とし穴」については前述の他にも幾つかの決まり事があるけれど、この記事はそれを語る場ではない。興味を持たれたなら実際に読んでみるのが一番。読めばきっと退屈させない。読んで損はない。これは折り紙付きである。

 さて、「反復落とし穴」にせよ、「同一の時間経過を繰り返す」という設定の上で重要なのは、「同じ時間の流れを繰り返していることを、その時間の流れのなかで認識している者がいる」ということだ。
 時間の流れが止まっていようと遡っていようと、そして同じ時間の流れを繰り返していようと、それを観察する者が存在しなければ、そんな現象はないも同然だ。私たちは通常の時間の流れの中で生きているのだから、今挙げたような現象があったところで「自分たちとともにある時間の流れ」の中にいる私たちはそれに気付かない。
 時間の流れが止まったり遡ったり繰り返したりする「時間経過の変異」を題材とした作品では、それを認識する作中人物が必要だ。この「認識する」には、自分を取り巻く時間がどう流れようと、連続した意識を持つことが前提である。これが重要。でなければ、時間の流れが止まったとか遡ったとか繰り返しているとかの状況を、通常の時間の流れと比較できない。

amazon:[DVD] サマータイムマシン・ブルース コレクターズ・エディション  同じ時間の流れを繰り返すことについては、タイムマシンで過去に遡ることを考えると理解しやすい。この場合、過去に何度立ち戻っても意識は続いたまま。肉体も精神も同じ、連続した記憶と意識を持ったまま、かつて存在した時間の流れの中に身を置く。タイムマシンを使ったことも、それは自分のなかでひとつなぎの個人的体験となる。
 タイムマシンで時間を遡る場合、しかもそれが近い過去であればそこには過去の自分が存在する。それが「反復落とし穴」のような「同一の時間経過を繰り返す」タイプの「時間経過の変異」とは異なるところだ。「反復落とし穴」では、午前零時になった途端、ゲームのセーブ地点までリセットされたように時間と空間が飛んでしまう。
 リセットされたことを知らないゲーム世界の住人のなかには初対面のような対応をする者がいるが、リセットを経てやり直しているプレイヤーにとってその場面は既に一度通った道であり、彼や彼女は既知の人物である。
 同じ時間の流れの中に、同一人物が存在するパラドックスをどのように処理するのかも、この手の作品の見所となる。同一人物であっても、タイムマシンの存在を知る前と後とでは時間に関する認識が異なるので、自分自身を前にしての反応も異なる。

 アイオロス号で起こる現象は、「乗り込んできたグレッグたちを全員殺すと、また彼らが新たに乗り込んでくる」というもの。それぞれの局面における条件をクリアすると新たな展開に移行する。新たな展開といっても次なるステージが用意されているわけではなく、アイオロス号を舞台にしてそれぞれに異なる勝利条件を達成するのだ。
 今、「勝利条件」と表現したが、本作はまさにゲームを眺めているような感覚がある。一度クリアしたゲームがそのまま二周目に突入するような感覚。先に述べた「反復落とし穴」にはゲームの最中にリセットされるような感覚があり、この点でアイオロス号とは違いがある。
 ジェスの一周目は生き残りを懸けたサバイバルゲーム。二周目は謎解きアドベンチャーゲーム。三周目は人を殺してまわるアクションゲームだ。つまり、ジェスはそれぞれの周回で"被害者"と"探偵"と"犯人"の役割を担うわけだ。
 これらジェスの三つの役割分担を破綻なく成立させるために、脚本はすごくよく練られている。ただし、ひと通り観終えて作品を振り返ると、幾つか平仄の合わない点があり、完璧な円環の見事な収束を求めるならば、それが完成していないことが残念ではある。

amazon:スーパーマリオ3Dランド  アイオロス号で起こる現象は、何度も「転覆したトライアングル号の乗員と遭遇する」ものだが、この現象が起こる条件は「ジェスを除いた四人が全員殺されること」である。つまり、「同一の時間経過を繰り返す」ためには周回のたびにグレッグたちは殺されなければならない。誰に? 勿論、ジェスに。
 ここからわかるのは、「岩を山に押し上げるような苦行を永遠に続ける者が登場するのか?」の問いの答えだ。つまり、ジェスがアイオロスだ。
 ジェスにとって容認しがたい出来事があれば、自分を除く四人を殺すことでやり直しがきくわけだが、その状況には問題が生まれる。上記の条件が満たされるとまたトライアングル号と遭遇して五人が乗り込んでくるのだが、その五人の中にはジェスがいるのだ。同一の空間に二体以上の同一人物が存在することになる。これを解決しなければならない。また、上記条件をクリアしなければ何も起こらないので、誰も殺されなければそれはそれで構わないではないかと思うのだが、ジェスは自ら手を血に染める。ジェスが殺人を犯す動機、つまり繰り返しを望む理由が不明なのだが、これらに対する解答を本作はちゃんと用意している。
 なぜ、ジェスは同じ時間の流れを繰り返そうと頑張るのか? 何が彼女にそれをさせるのか?
 この答えが提示されて、本作の凄みが明らかになった。それまでにトミーの身に何事かが起こったのは感づいていたけど、悲劇はトミーの身にのみ起きたわけではなかった。
 勿論、息子を虐待するあの女の死を悼むつもりはないし、その運命を変えるために行動するつもりもない。ただし容認しがたい出来事を改変するには、アイオロス号に乗り込んで繰り返しのメカニズムを発動させなければならない。そして繰り返しのメカニズムを発動させるには、グレッグたちを殺す必要がある。
 ジェスの懊悩はいかばかりであったろう。これから自分が犯さなければならない罪を思うと、自ずと表情も暗くなるというもの。ジェスがグレッグと会って早々に彼に謝るのは、これから自分が為すことへの謝罪であったのだ。

 本作で語られるアイオロスは、死神を騙して命を長らえ、その罰として永遠に続く徒労を強いられた。ジェスが永遠に続く徒労を強いられているなら、彼女は死神を騙して自らの命を長らえたのだろうか?
 違う。ジェスが何度も何度も救い損ねているのは、愛するトミーだ。彼女が死神を騙してまで甦らせたいのはトミーなのだ。
 このことが明らかになることで、本作は一段と凄みを増す。目の前の霧が晴れる。そして、ジェスに対する罰の重さを知る。そこには希望を眼前にぶらさげられて足掻く者の様子があって、これは傍から見るとまさに地獄である。
 物凄く練り込まれているので、結末に到って感動すら覚える。

 本作はセンス・オブ・ワンダーを感じられる作品だけれど、瑕疵がないではない。
 一方でペンダントやサリー等の累積するものがあり、その描写がこれまで繰り返された惨劇の途方もない回数の多さを示すのだが、他方でグレッグの死体等の処理のないままリセットされるものがある。この違いがなぜ生じるのかがわからない。説明されない。
 二周目と三周目はそれぞれの行動が前周までの軌道に影響を与えるので、定められたルート以外のことをしてはいけないのではないか?
 そもそも、ジェスがトライアングル号に乗り込むのは何度目なんだ? 何も知らない顔して実はすべて心得ているのなら、その振る舞いには疑問が残るぞ。
 ちりばめられた伏線を見事に回収しているのは素晴らしいけれども、一方でここに挙げたように平仄の合わないところが見受けられるのが減点の対象となる。面白いのは確かだが、諸手をあげてというわけにはいかないのが残念だ。細かい点ではあるけれど、こういうところがどうにも気になってしまう。
 よく云ったもので、「百聞は一見に如かず」。これはこの記事に限ったことではないけど、「トライアングル」は一度は観たほうがいい作品である。いや、ホント。
 本作はいろいろと瑕疵があるけれど、監督と脚本を務めたクリストファー・スミスは今後、要チェックかもしれない。

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