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アール・ブルックスは静かに暮らしたい

amazon:[DVD] Mr.ブルックス 完璧なる殺人鬼 (特別編) 「Mr.ブルックス 完璧なる殺人鬼」を観た。
 ケビン・コスナーとデミ・ムーア。はっきり云ってしまうと、いささか旬の過ぎた感のある映画俳優だ。その二人の名前が並んでいるのを見て、本作の出来にあまり期待しなかった。かつてのスターが新境地を拓けないまま再浮上できない様を目にするのが心苦しかったのだ。改めて振り返ると、本当に失礼な話だ。蓋を開けてみて驚いた。予想以上に面白い!

 紙箱メーカーを興して二十年、アール・ブルックスは商工会議所の選ぶ「今年の顔」となった。その夜、パーティの余韻に浸る妻を残して、アールは自分の工房にこもる。準備を万端ととのえた後、先刻目星をつけた標的の家へと向かう。
 アールには抗い難い欲求があり、この二年間はこれを我慢してきたのだが、この夜、とうとう禁忌を破ってしまった。
 アール・ブルックスの密かな快楽、それは殺人行為によって齎される。
 ベッドで快楽を貪る男女に対して気軽に声を掛け、一発ずつの銃弾を見舞う。快感が全身を駆け巡るなかで、ふと気がつけば窓はカーテンが開かれたまま。目撃された可能性が頭をかすめたが、それすらどうでもいいような気がした。
 ポートランド市警察殺人課のトレーシー・アトウッドは殺人現場の様子を見て確信する。このところ鳴りを潜めていた連続殺人鬼が再び現れたのだ。奴は殺人現場に被害者の親指と血でもって指紋を残し、自分の犯行であることを証明する。このことから世間はこの殺人鬼を「サムプリント・キラー」と呼んでいる。サムプリント・キラーは"被害者の親指の指紋"をあえて捺してゆく以外、犯行現場に痕跡を全く残さないので、警察はこの連続殺人鬼について何らの犯人像を描けていない。
 トレーシーは以前からサムプリント・キラーを追っていたが、ここしばらく奴による殺人事件は起こっていなかったことから、既に死んでいるか別件で刑務所に送られているかしているものだと考えていた。身辺の整理に手間取っているさなかに、手強い事件が続いてくれるものだ。トレーシーは夫との離婚が難航しており、これに加えて彼女がかつて逮捕した連続殺人鬼の脱獄が重なり、サムプリント・キラーの捜査に専従できない状況だ。
 アールの娘のジェーンが、彼女が大学生活を送るパロアルトからいきなり帰ってきた。退学したいのだと云う。将来を見据えて父親の会社で働きたい、と。タクシー代も持たずに帰ってきた娘の云い分を完全に信じたわけではないが、アールはいつものように娘を受け入れる。
 娘の帰還と前後して、アールは見知らぬ男から突然の来訪を受ける。男はスミスを名乗り、アールの写っている写真を彼に見せた。その写真の被写体はアール。サムプリント・キラーが行った殺人の現場に立つアールが、今まさにカーテンを閉じようとするところが写っている。あの夜、一瞬危惧したことが現実となってしまった。
 てっきり恐喝されるものとばかり思っていたが、仮名スミスの要求は金ではなかった。彼の要求は、アールの次の殺人に同行したいというものだ。殺人の様子を現場で見てみたい。

 突然に登場して「どなた様?」と疑問を抱かせたマーシャル。よくよく思い出すと、冒頭のアールの独白に割り込んでくるのがマーシャルだ。最初から二人は一緒にいたのだ。
 マーシャルを演じるのはウィリアム・ハート。本作のケビン・コスナーは凄みがあるけれど、ウィリアム・ハートの存在感も凄い。アールとマーシャルのやり取りが絶妙に面白いのは、二人の演技によるところが大きい。アールとマーシャルが下世話な冗談を云い合っては笑う様子は、二人を付き合いの長い友人に見せる。或いは秘密を共有する仲間に。
 アールとマーシャルは一部で反目しつつも、価値観を共有する共犯関係にある。当然だ。二人の人格はアールのなかに存在するのだから。二人が時に見せる反目は、だからこれはアールの心中における葛藤なのだ。
 今、「二人の人格」と表現したけれど、アール・ブルックスは多重人格者ではない。アールとマーシャルのどちらが上位人格というわけではなく、二人は対等の関係なのだ。これはどういうことか? マーシャルはアールが処世の術として生み出した、危機管理のための存在だと思われる。自分が殺人鬼であることを秘匿すべく、自分の行動に細心の注意を払わねばならないアール。些細なミスが破滅に繋がることを承知している彼は、自分ひとりが観察し考えることの限界をも知っている。だから、対話形式を用いることで自分の至らない点を浮かび上がらせ、それを補完するという方法を選んだ。その対話相手がマーシャルだ。
 アールの殺人歴とともにマーシャルとの付き合いが始まり、今では自ら意識することなくマーシャルが顔を覗かせる。アール自身が意識の上にのぼらせていない様々な情報を携えて、彼に危険信号を送っているのだ。危険な兆候が現れているぞ、と。
 価値観を共有するのも道理。アールの一般的でない価値観とそれを行動に表す目的のためにマーシャルは生まれたのだから。彼らが反目するのは感情と理性の葛藤にほかならない。
 ひとりの人間の内的活動を二人の役者を用いることで表現するのは、今となっては特に目新しい手法ではない。それでも本作が成功しているのは、ちょっとした仕種が見事な同調を為している、ケビン・コスナーとウィリアム・ハートの演技によるところが大きい。
 アールとマーシャルの関係において、マーシャルは嫌がるアールに殺人をけしかける。マーシャルがアールの危機管理装置として働いているのならば、マーシャルが殺人をけしかけるのもまた危険信号である。殺人行為を忌避する姿勢は見せるものの、いざとなるとアールはその心のままに人を殺す。冒頭のダンサーカップル射殺直後に見せたアールの表情、あれが殺人快楽症アール・ブルックスの素顔だ。このとき、二年ぶりの"その瞬間"とは云え、カーテンが開かれていたことに気付かないほどにアールは昂っていた。危機管理装置として存在するマーシャルがしばらく機能していなかった。本当ならば入室直後にはカーテンが開かれていることに気付いたはず。そこで殺人をとりやめて帰っていたはずなのだ。何もせずに帰宅するのを許さないほどアールの殺人欲求が理性を上回っていた。このとき殺しておかず、もっとずっと後になって禁断症状のあまり冷静な判断力を欠いたまま殺人に取り組んでいたら、もっと大きなミスを犯していたかもしれない。こう考えると、マーシャルの進言はやはり正しかったと云わざるを得ない。
 殺人鬼は賢く立ち回らなければならない。でなければ、逮捕されてしまう。そうなると、殺人を続けられない。本作には賢くない殺人者が二名と殺人ワナビーが一名登場する。それらとの対比でアールがいかに賢明で洗練されているかがわかる。それを支えているのがマーシャルの存在であることも。アールが大きなミスをしでかさないように監視するマーシャルの存在があったればこそ、アールは数多くの殺人現場を少しの証拠を残すことなく立ち去れたのだ。
 マーシャルの存在と彼の持つ高い知性と下品なセンス、それらはそもそもがアール自身にそなわっているものだ。このことがアール・ブルックスの人物造型に深みを与えている。真面目な企業家にして良き夫、物分かりのよい父親。そして、殺人鬼。なかなかに複雑な人物ではないか。

 殺人に対する美意識ならばアールのそれを際立たせる事例が幾つも登場する。
 そのひとつが作中に登場するもうひとりの連続殺人鬼、"ハングマン"ことソートン・ミークスだ。殺人の動機や方法に大きな違いがあるミークスとアールとの対比が実に面白い。ミークスの登場する場面やその結末はアメリカンニューシネマを彷彿とさせ、その生き様は破滅の美学すら感じさせる。一方で、アールには本質的に破滅の美学がない。それでも、あることがきっかけで自分の行く末についてアールは悩みに悩む。死を選ぶようにも見えたけれど、最終的に彼が選択したのは生きること。自分が自分であること。
 その決め手となったのは、生まれてくるかもしれない孫の存在。小さき生命を想えばこそ、彼は生き続けることを望んだのだ。これは年頃の娘を持つ一般的な父親の胸のうちと何ら変わるところはない。
 二人の殺人鬼、ミークスとアールの違いは、ミークスは怒りと反抗を殺人行為へと昇華させ、アールは悲哀と苦悩を感じつつも日常のアクセントとして殺人を嗜む。
 殺害の標的として選ぶ相手の条件について、アールが仮名スミスに教え諭す場面がある。足がつく可能性のある知人は殺さないのは合理的な理解の及ぶ範囲内だが、標的をあたかも"恋愛における運命の相手"であるかのように熱っぽく語るのは、さすがに共感できない。アールが他者に対して熱弁をふるうのは珍しい。自分の秘密を知られたことは不本意ながら、このことによって心情をマーシャル以外の他者に吐露する機会を得られたことを、アールは心のどこかで喜んだのではないか。
 アールの熱に中てられた仮名スミスは、サムプリント・キラーの凄みを改めて実感したことだろう。関係を続けてゆくことの危険性も。
 標的との関係において、そこに怨恨はなく損得勘定もなく、ただその相手を殺してみたくなったから殺す。面白そうだから殺す。ミークスが自分を裏切った者を感情の赴くままに手にかけるのとは、大きな違いがある。
 ミークスが自称芸術家ならアールは頑固な職人である。ミークスが自分の作品をやたらと飾り立てる一方で、アールは一分の隙もない仕事を成し遂げる。ミークスが表現そのものが芸術だと声高に叫ぶならば、アールは芸術の域に達した工芸品を差し出す。ミークスは自己顕示欲の塊であることに対して、アールは名より実を取るリアリストだ。
 職人好きな日本人ならば、派手だが完成度に難のあるミークスの殺しより、アールの不要物を削ぎ落とした殺しを好むのではないだろうか? 殺しをそもそも好むかどうかは別にして。
 作中、アールが自らの主義や嗜好に反した殺人を行ったのは、家庭の安寧を守るためだ。娘の不始末を尻拭いするために犯した殺人は、アールにとってはひたすら不本意だった。マーシャルはリスクを最小限に抑えるよう提言するが、アールはこれを聞かずに自らの美意識に反する仕事を完遂する。
 一度は娘に自分のしたことの責任を果たさせようと考えたアールだったが、自分の特異な嗜好を受け継いでしまった娘に対して引け目を感じ、結局は彼女を庇うことを決める。
 娘が生まれる前からアールは恐れていた。自分の嗜好が子供に受け継がれてしまうことを。本作に登場する、もうひとりの"賢くない"殺人者は、ジェーン・ブルックスだ。
 殺人衝動を時に抑えられないアールは、自分の行為を楽しみたくはない。一種の中毒であると考えて、だから依存症の会に参加して、内なる衝動と折り合いをつけてきた。しかし、ジェーンは違う。父親に甘やかされ守られてきたのが原因か、解決能力のないまま問題を引き起こす。自分の欲求に衝き動かされ、後始末もできない。そのツケが妊娠や殺人容疑となって自分に降りかかっても、そんな事態になってさえ自分でどうにかしようとは考えない。殺人者としてのみならず、ひとりの人間として成熟していない。
 マーシャルは警告している。ジェーンの目的がアールの会社ならば、次の彼女の標的はアールだ、と。自分自身から発せられた警告を無視して、将来に自分を殺そうとするかもしれない娘を助ける。事業に成功し、殺人においても実績を重ねるアールだが、育児においては失敗してしまった。このたびの選択も間違いかもしれない。

 今回、デミ・ムーアは割を食った。彼女が演じるトレーシー・アトウッドは、如何にもハリウッド映画というような女性捜査官だ。私生活では離婚協議がうまくゆかず、仕事面では腕利きだが暴走が過ぎる。刑事物にあり勝ちな人物造型。
 アールが家庭人である部分で悩むのに対して、トレーシーは首尾一貫して戦う姿勢を崩さない。どのような状況に追い詰められても、彼女は自分の信じる道を真っ直ぐ進む。
 物語の主人公として申し分のないトレーシーだが、本作では狂言回しの役回りしか与えられていない。本作がハリウッド映画として彼女を必要としたのは理解できる。完璧なアールが追い詰められて派手なアクションを披露することはない。その前の段階で対処するのがアールである。本作が地味な作品にならないように招請されたのがトレーシー・アトウッドだ。彼女は役割をこなして銃声と流血とアクションをひとりで背負ってくれた。
 トレーシーが捜査官として優秀であることは、勘だけではなくプロファイリングや地取り捜査の描写で示されているが、結局はアールには行き着くことができなかった。それどころか、アールにいいように弄ばれてしまう。追い詰めるはずが罠を仕掛けられる皮肉。その結果、殺人の嫌疑をかけられ、ミークスに引導を渡す役割を担わせられる。
 トレーシーが真相を知ったなら、さぞかし屈辱を感じることだろう。手がつけられないほど暴れまわるかもしれない。

 アールが殺人鬼であることを知る者のない今、秘密は保たれ、彼は枕を高くして眠れるはずが実際は悪夢にうなされてしまう。自分を殺そうとその機会を狙う者とひとつ屋根の下に暮らしているからだ。マーシャルの警告を無視して、自ら危険を放置しているからだ。
 アール・ブルックスは成功者であり完璧なる殺人鬼ではあるが、父親としては凡庸過ぎるほどだ。ジェーンが後の禍根とならぬことを祈ろう。

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Comments:3

aj 2011年12月27日 15:20

はじめまして!
記事に関係のないコメントで恐縮です。
もし宜しければ相互リンクして頂けますと幸いです。

突然の申請で申し訳ございませんが、是非ご検討下さい。
当方、主に映画やアニメブログになります。

タイトル
【ジャンル別映画・時々深夜アニメ】30歳A型独男の「今日はな~に観よっかなぁ~」

URL
http://ajfour.blog.fc2.com/

宜しくお願い申し上げます。

サテヒデオ 2011年12月27日 20:31

aj様

 コメントをくださいましてありがとうございます。
 拙ブログをお選びいただきましたこと光栄に存じます。
 ただ、今のところどなたとも相互リンクをさせていただく心づもりではないのです。せっかくのお申し出ではありますけれども、ご辞退させていただきます。
 いずれリンクページを開設しましたら、必ず掲載させていただきますので宜しくお願いします。

aj 2011年12月31日 09:11

ご丁寧にご対応いただきまして、誠にありがとうございます。
とんでもございません。私の勝手にご返信頂き、かえってお手間を取らせてしまいまして申し訳ございません。

リンクページ等開設された際には、お声をお掛け頂けますと幸いに存じます。

それでは良いお年をお迎え下さいませ!

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