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お先真っ暗

amazon:[Blu-ray] ロスト・アイズ 「ロスト・アイズ」を観た。
 製作に名を連ねるのはギレルモ・デル・トロ。「デビルズ・バックボーン」や「パンズ・ラビリンス」を監督し、このブログでは「ヘルボーイ」シリーズを取りあげた。
 この怪獣好きの映画人には製作者としても良作がある。「永遠の子どもたち」は怖いだけでなく切ない印象を残す作品で、私のお気に入りである。年明けにはギレルモ・デル・トロが製作だけでなく脚本も手がけた「ダーク・フェアリー」が公開される。これもまた期待大だ。
 さて、本作「ロスト・アイズ」の出来栄えはどうだろうか?

 雨の夜、ひとりの女性が自宅の地下室で首をくくった。その盲いた瞳が見据えたのは"悪魔"。彼女が乗っていた踏み台を蹴倒し、死出の旅路へとその背を押した"悪魔"だ。彼女が今生に留める最期の姿を、"悪魔"がフラッシュを焚いてフィルムに焼き付ける。
 同時刻、双子の妹は喉を締めつけられるような衝撃を覚える。自分を襲った衝撃に、彼女は姉の身に何事かが起こったのではないかと危惧する。
 翌日、夫とともに半年ぶりにサラの家を訪ねたフリア。一年前に失明した姉と同じように、彼女も進行性の視力低下を患っている。ストレスが症状に及ぼす影響は大きく、このたびの訪問においても姉の身を案ずるあまり発作を起こす。これは、視野全体が暗くなり、周辺が狭まるもので、主治医からは失明への危険信号のように告げられている。フリアが発作を起こしたことを知らない夫は、地下室でサラの首吊り死体を発見する。
 現場検証による警察の見解は自殺。何者かが関与した痕跡はなく、遺書こそ無いものの失明を苦にしたサラが自ら命を絶ったものと思われる。
 姉の自殺を受け入れられないフリアは、自分の発作を夫のイサクにも告げず、サラの身辺を調査する。

 この記事では、本作「ロスト・アイズ」を語るにあたって、ネタを割ることになる。本作をまだ観ておらず、物語がどのような展開を見せるのか楽しみにしている向きは、ここから先に進まないこと。
 繰り返すけれと、絶対にこれ以上は読み進めないこと!これは約束だよ。
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 本作は犯人探しの物語だ。姉の死に不審な点を見出したヒロインが単身謎を追うも、彼女自身が"真犯人"の標的となる。
 サスペンス作品によくあるパターンだ。それ自体は悪くない。ヒロインの無事を祈りながらも、彼女の追跡行にハラハラドキドキし、犯人の正体について推理を巡らして、事件の推移を見守る。この手の作品を楽しむ、これもまたパターンだ。もちろん、こういうふうに楽しむことが悪いはずもない。
 ヒロインの身になって物語の中に投げ出される。わけのわからないままヒロインとともに謎めいた世界を駆け抜ける。作品にのめり込めるかどうかは、ひとえにヒロインに感情移入できるかにかかっている。
 そこで本作のヒロインだ。これが全く感情移入できない人物で、やたらと苛々させてくれる。ストレスで目の前が真っ赤になる!

 人には行動原理というものがある。どんなに突飛な行動をとったとしても、そこにはその行動に至る理がその人物には存在し、それ故にたとえ本人が望まずともその行動は為されるのだ。これは好悪で捉えられるものではない。本人すら気付かない、行動を左右するスイッチがあるのだ。
 癖を考えてもらうとわかりやすい。無くて七癖という。何かの拍子に癖が出ている。他愛のないものや他者に注意されるようなもの、法に触れるものまであるだろう。いくら気をつけていてもいつの間にかしてしまっている。何がそうさせるのか、どんなスイッチが入るのか、心理学の分野で説明がつくものがあればつかないものもある。
 癖に限らず、人にはその行動を起こすに足る理があり、一見すると合理的な説明のつかないことでも、心の綾を解きほぐしてゆけば解答に行き着くこともある。
 物語の登場人物において、その行動原理について理解不能ということがある。映画を観たり本を読んだりしていて、登場人物に対して「なぜそんな行動をとる?」だとか「動くなって云われて、それを承知しておいてなぜ動く?」だとか「もう死ね!」だとか叫んだ記憶はないだろうか?
 私は本作を観ていて叫んだ。

 本作のヒロイン、フリアは苛立たせる天才だ。姉は自殺したのではないと信じ込むフリアは、死の真相を突き止めるべく姉の身辺調査をする。確かにサラの死には些細ではあるものの不審な点があった。それは認める。夫をはじめとする周囲の人間が自殺説に傾きすぎる嫌いはあるが、だからと云って自分ひとりで行動する理由にはならない。
 フリアとサラは一卵性の双子で、フリアがサラの死を感得したように二人の間には特別な絆があったのだろう。一心同体の姉が失明し、自分も同じ運命を辿るとあって、姉の死にまつわる不審点をそのままにしておけない気持ちは理解できる。姉の死を自分自身の問題と捉えるだけの理はちゃんと用意されている。しかし、頼るべき夫を欺き、自分の思うままに行動する理由が見当たらない。
 視覚情報を十分に得られないにもかかわらず、はじめて訪れる場所で危険を省みずに怪しい人物を追跡する。無謀にも程がある。案の定、追跡は失敗し、過度のストレスによって発作が起きる。
 これが若い女性ならば若さ故の無鉄砲として受け入れられなくもない。人生経験が不足しているが故の浅慮であり、そういうことならばまだしも納得できるのだ。しかし本作のフリアは未熟というにはトウが立ちすぎている。何も知らないわからないは通用しないお年頃。彼女を取り巻く状況が普通じゃないのは理解できるが、だからといって彼女の自分勝手でわけのわからない行動のすべてを容認する気持ちにはなれない。観ている者にこのように思わせるほど、フリアの行動とそれが齎す事態は悪化の一途を辿る。
 確かに、この手の物語ではヒロインを追いつめるのが定石ではあるが、フリアの場合は運命に振り回されるというより自業自得と云いたくなるところがあって、同情する気持ちにはどうしてもなれない。
 姉の死を自分の問題と捉えるならば、思うところを夫にきちんと話して、これを夫婦の問題と捉え直すべき。また、発作を起こしたことを隠さずに明かして、そのうえでどうしたいのかどうするのかを夫婦で話し合うべき。
 フリアが発作の件を隠していたのはイサクを思いやってのこととは思うが、隠して隠しきれるものではない。視力は悪くなる一方。すぐには気付かれなくとも、夫婦なのだからいずれイサクは気付く。そうなったときのことを考えないのか? フリアはやっぱりバカなのか?
 物事は理屈通りに進まないし、人は理性的に行動するわけでもない。それこそ自分でも気付かない行動原理に従って思いがけない行動に出る場合もある。よしんばそうだとしても、フリアの行動に納得できるものではない。そこには一貫性がなく、物語を展開するうえで必要だからそうせざるを得ないのが伝わってくる。製作上の都合が透けて見えるので、尚更フリアに感情移入できない。

 イサクがサラの死を自殺だと考えるのには理由がある。サラは角膜移植手術を受けていて、それが失敗に終わったのだ。失明したまま回復の見込みはない。移植に失敗したとなれば、将来に絶望して死を選んだとしてもおかしくない。
 サラの角膜移植手術とその失敗について、その事実をイサクがフリアに隠していたのは、彼女に余計なストレスを与えないためで、彼に妻を陥れる意図があったわけではない。イサクの行動原理は理解できる。すべてはフリアのためを思ってのことだ。彼女とその眼を慮って秘密裏に起こした行動が誤解され、真意とは違う解釈をされてしまう。
 イサクはサラの家の地下室で首吊り死体となって発見される。死後、サラとの関係を疑われ、自殺もやむなしとその死を受けとめられる。すべて誤解でしかないのだが、ここでもフリアの行動には疑問符がつく。
 サラの死には自殺と片付けるには不審な点があると真相究明に懸命になるのだが、イサクの死は自殺で納得する。車内で待機せよと云って出て行ったまま姿を消して、次に発見されたときは首吊り死体。どう考えてもおかしいだろうよ。たとえ自分の失明と機を同じくするからといって、夫が自殺したと云われてそれを鵜呑みにするなんて、姉の死に拘った人物とはとても思えない。

 失明したフリアは直後に移植手術を受ける。術後、主治医が入院を勧めるのを固く拒否する。帰宅するとまでは云わないけれどせめてサラの家で療養させて! 姉と夫が死んだ家にいたいと思うか普通?
 失明し手術を終えたたばかりの患者をひとりで暮らさせるわけにはいかない。フリアはサラ宅に滞在することを認められたが、それには条件があった。病院が派遣する介護人を受け入れること。そしてやってきたのはひとりの男。
 フリアは、介護人といえども見知らぬ男性を家に入れることを疎ましく感じ、彼を邪険に扱うも、その態度はすぐに改められる。視覚情報を得られないままの生活には予想以上の困難があり、男の献身的な介護にフリアの頑なだった心が開いてゆく。
 自力で生活できないのに病院を嫌がるなんてどうかしている。その気持ちを理解できない。何度も訪れてどこに何があるかわかっていたはずの姉の家でもどこに何があるかわからない。人の手助けがあってようやく「生活させていただいている」状態だというのに、それでも病院を避ける。要らぬストレスが眼にどのような影響を及ぼすかわからないというのに、わざわざ病院を離れるのだから、もはや処置無し。フリアは失明がどうのこうのではなくて、頭がオカシイ。
 この展開に作話上の目的があるのはわかる。フリアを介護人を名乗る男と二人きりにして緊密な関係を築かせ、後にこの関係の欺瞞を明らかにする。ヒロインをいたぶる目的はわかるけれど、だからといって無茶は駄目だ。そもそもが見えすいた展開なので、真相が明らかになったところで驚きがない。案の定といったところだ。

 サラとイサクの自殺、フリアの周囲で起こった変死は、すべてひとりの男の手によるものだ。
 サラの恋人と目され、「見えない男」と呼ばれ、あるいは"悪魔"と呼ばれる男。その正体を観客は比較的簡単につかむことだろう。一方に"悪魔"と呼ばれる男がいて、"天使"と名付けられた人物がいる。そうならば、姿を現さない"天使"こそ"悪魔"の正体だろう。
 誰からも認識されない「見えない男」は、まるでそれが当たり前のように無視される。唯一、盲人だけが男を認識し必要としてくれる。盲人が彼を必要するように、彼もまた盲人を必要としている。
 男は自分を必要とされ続けるために、角膜移植したサラの眼球に薬物を注射した。視力を取り戻すはずだったサラを絶望と怒りの淵に追い込んだ。サラを死に追いやった"悪魔"は、まさにこの男だ。そしてその魔の手はフリアにものびて。
 包帯のとれる日まで安静は絶対。医師との約束を破って瞼を開き、ものを見てしまえば、視力は回復するどころか今度こそ本当に失明してしまう。そして、やるなと云われたことをやってしまうのがフリアだ。
 物語も終盤になっていきなり隣家の娘が現れたのにも脱力させられたが、壁一面の写真も手垢にまみれていて何らの感慨も起きなかった。なるほどイカレてるねぇって。
 包帯をとって見えているのを隠すフリアと、フリアの視覚が回復したのか疑う男。その静かな攻防は心の琴線に触れたが、焼け石に水。既に怒髪天を衝く勢い。フリアに対する怒りというか脚本に対する怒りというか、とにかく憤懣やるかたなし!

 人に自分を認識されたいと願っていた男が最後に発した言葉は、「俺を視るな!」だった。母親に欺かれて人生をふいにした男は、予期せずして視線をモロに受けて、それに耐えられなかったのだろう。本質的に弱いものだから、男は逃げることしかできなかった。
 だから、人生の幕引きを自ら務めたのだ。
 この男の行動原理はわからないではない。弱さ故に暴力に恃むところは、類型的ですらある。目新しさが欠片もない。
 しかしフリア、この女は駄目だ。人じゃない。こういう女を味噌つけて頭からバリバリ喰らう化け物の映画を、ギレルモ・デル・トロには是非とも撮ってもらいたい!

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