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親であるということ

amazon:[DVD] フリーダムランド 「フリーダムランド」を観た。
 1999年、ニュージャージー州デンプシー市。アームストロング団地の住人は低所得者層の黒人である。デンプシー市警のロレンゾ・カウンシルは、相棒のボビーとともにアームストロング団地を担当している。ロレンゾもまた黒人であり、団地の住人からはビッグダディと呼ばれ、親しまれている。
 ある夜、病院にひとりの女性が現れた。両手を負傷した彼女はカージャックに遭ったと訴えているとのこと。病院でカージャックされたというブレンダの事情聴取をするロレンゾだが、よくよく彼女の話を聞いてみると、奪われた車には彼女の息子が乗っていると云うではないか!
 ブレンダの息子の名はコーディ、四歳児。ブレンダが云うには、コーディは病気で後部座席で眠っていた。それならば、カージャック犯がブレンダに同乗者がいることに気付かなかったのも頷ける。
 ただのカージャック事件がとんでもない事態になった。犯人逮捕よりも優先すべきはコーディの生還だ。犯人にとってみればコーディの存在は想定外。車を売り払うにせよ何にせよ、邪魔にしかならないコーディは、どこかで降ろされているに違いない。希望はある!
 しかし、事件を取り巻く状況が変わる。ブレンダが云うには、カージャックに遭ったのはアームストロング団地近辺とのことで、ここはただでさえ周辺からはスラムのように思われているのが、黒人が白人の子どもを誘拐したとなれば騒動となるのは必定。
 そのうえ、ブレンダの兄は隣接する市の刑事だ。刑事の妹が襲われて、結果として甥が連れ去られたとなると、身内意識の強い組織である警察はしばしば暴走してしまう。
 早期解決を果たさなければ、アームストロング団地住人への云われなき差別が助長され、それに伴って団地住人の不満が膨れ上がるだろう。警察と団地住人、双方の怒りが爆発したら暴動に発展してしまう!

 ロレンゾ刑事をサミュエル・L・ジャクソン、ブレンダをジュリアン・ムーアが演じている。二人とも、とんでもない映画にこれまで出演してきたので、本作は本格的なドラマなのか飛び道具のようなバカ映画なのかわからないまま、闇鍋気分で観てみた。箸が摘んだものは何だろうか?

 さて、この記事では「フリーダムランド」について、大いにネタを割っている。本作を観るつもりなら、その前に読むのは賢明じゃない。私なら引き返す。誰だってそうする。
 それでも読むという固い意志の持ち主はこの先を読み進むがよろしい。「あ、やっぱやめとく」という向きは回れ右!

 四歳の男の子が、ジャックされた車ごと消えてしまった。
 現場近くに低所得者層の、しかも黒人ばかりが住まう団地がある。きっとアイツらがやったに違いない。
 行方不明の子どもの伯父は刑事だ。身内の家族に手を出した奴は決して許さない。管轄外の事件だろうと構うものか。警察舐めるとどんな目に遭うか思い知らせてやる!

 団地内の学校で働く女性が車を奪われて、そのうえ同乗していた坊やまで行方知れず。
 それについては気の毒に思うけど、件の女性の兄が刑事とかで、管轄が違うのに乗り込んできやがった。なんだかんだ理由つけて団地の周囲を封鎖して、団地住人に犯人がいると決めつけてるじゃないか。証拠のひとつもあげちゃいないようだし、貧乏な黒人ってことで無条件に疑われるなんて間違ってる。
 気の毒に思っていたけど、あの女のせいでこんな目に遭ってるんだ。憎たらしいったらないね!
 このまま云われなき差別が続くようじゃ、こっちにも考えがある。

 幼い男児が消えて、それを契機に白人と黒人の、それも経済格差のある両者の対立が表面化し、やがて激化してゆく。
 アームストロング団地を担当しているロレンゾは事件解決と治安維持に奔走する。団地の連中のことなら誰よりも知っている。何事も持ちつ持たれつってやつで、表面上は友好関係を維持してきた。しかし、冗談を云い合ったり、頼み事をしたり引き受けたりしても、やはり自分は体制側の人間で、彼らとは違う立場にあるのだ。そのことを彼らもわかっている。警察と事を構える事態になれば、「お前なんか仲間じゃない!」って面罵されるだろう。
 団地の連中は日々、鬱屈した思いを抱えている。生活は豊かにならず、黒人差別はなくならない。ここに来て、警察と住人の対立というよりも、白人と黒人の差別に根ざした対立が表面化した。この騒動を放置できない。このまま騒動が中長期化すれば、とんでもない事態に発展してしまう。

 アームストロング団地の住人が憤っているのは、警察が最初から自分たちを疑っているから、というわけではない。かなり早い段階で団地住人全員が団地敷地内に押し込められ、自由な出入りを認められず、しかもこの処置に対する法的根拠を示されない。住人の不満を爆発させて、自分たちで犯人探しをさせようというやり方に、「自由になりたければリンチでも何でも方法は問わないから、自分たちで犯人を探して吊し上げるんだな」という真意が窺えて、まるで人間扱いされていないことに我慢ならないのだ。
 先人たちが命を懸けて手に入れた平等が、またしても踏みにじられている。なぜこんな目に遭わなければならない? やはり黒人だからなのか?
 騒動をおさめるには事件を解決するしかない。
 警察としては犯罪の温床となっているアームストロング団地の住人を、これを機に徹底的に叩きたい。近頃は有色人種の差別に対する風当たりが強いが、現に犯罪の多くは奴ら貧乏な黒人が行っている。今回は刑事の親族が被害者だ。これを有耶無耶にしたら舐められてしまう。
 ここはきっちり調教しなければならない。

 様々な立場にある者のそれぞれの思惑がその言動から窺える。ただひとり、ブレンダだけはその心のうちを明かさない。息子に対する愛情だけははっきりと告げるものの、肝心なことは話さない。息子があんなことになって動揺するのはわかるし、そもそもが精神的に強い人間ではないのだろう。ただし、いつまで経っても最初に供述した以上のことが彼女の口から語られないのは不自然だ。
 ロレンゾはブレンダが嘘を吐いている、何かを隠していると見抜く。ただ、何について嘘を吐いているのか、何を隠しているのか、それがわからない。こういう失踪事件では、高い割合で通報者が犯人ではあるのだが、ブレンダがこれまでに息子を虐待していたという話は聞かない。彼女が息子を殺してどこかに遺棄したわけではないのか?
 アームストロング団地住人の不満は日ごとに高まり、もはや猶予はない。何かしら手を打たなければならない。
 そこに現れたのが〈ケントの会〉のカレンだ。

 カレンが会長を務める〈ケントの会〉は、失踪児童の発見に勤しむ非営利団体である。その活動は、ある日突然いなくなり、そのまま行方不明となった子どもを捜索するもので、"残された者たち"によって結成された。会の名前にあるケントとは、カレンの息子である。カレンもまた未だ見つからない息子を捜している。
 子のいなくなった親同士、その痛みのわかる間柄だからこそ、カレンならばブレンダが隠していることを聞き出せるかと思って、ロレンゾは二人を引き合わせたのだが、これも成功しなかった。
 ならば次の手だ。足踏みしている状況ではない。
 カレンはケントの会でボランティアを募って、"フリーダムランド"の捜索を敢行する。フリーダムランドとは、打ち捨てられて今や廃虚と化した児童保護施設だ。廃虚ということで誰も立ち入らない場所となっている。ここは、かつて捨て子たちが集められて育てられたが、その一方で職員による児童虐待が行われていた。親に見捨てられ、職員には虐待され、ここに入った子どもが不憫でならない。
 ここにコーディはいるのか? カレンの問いが意味するのは、「ここにコーディを遺棄したのか?」ということだ。こんなに寂しくて、そして子どもにとって辛い歴史が積み重なる、そんな場所に息子を埋めたのか?
 違う! こんな所にコーディはいない!

 ブレンダにとってコーディはこの世のすべてだった。コーディは駄目な自分を特別な存在に変えてくれた。親兄弟からも疎まれていた自分を頼ってくれる唯一の存在。この子のために私は生きる。
 コーディと二人で生きてきたブレンダだったが、そんな彼女も母親であるからと云って女を捨てたわけではない。これまでコーディにしか向いてなかった目が、あることをきっかけに他の男を捕らえるようになった。その男には決まったパートナーがいて、その男はブレンダと同じように意志が強くなく、だから男との間に幸せな将来を望むべくもないが、それでも女の悦びを得ることができる。
 男が与えてくれるものとコーディが与えてくれるものとを比較できるはずもないが、久しく感じてなかった快楽を求めたとして、誰がブレンダを責められるだろう。しかも彼女は独身なのだ。
 あの夜、コーディの身に起きたことについて、それ自体はブレンダに責任はないが、それを招いた悪しき習慣については責任を免れない。いや、責任で語るようなことではない。そんなことではないのだ。
 母親として人として、幼い子どもへの影響を考えると、決してすべきではないことをしてしまった。この世の誰よりも何よりも大切な存在だったのに、疎ましく感じる瞬間があり、早く眠ってほしいからと云って、あんなことをするなんて!
 ブレンダのコーディに対する罪悪感は筆舌に尽くしがたく、彼女の弱い精神はそれを受け入れられなかった。もはや自分は特別な存在ではなくなり、以前のように胸を張って生きてはゆけない。手を負傷したので病院へ行き、刑事が現れたのでカージャックに遭ったと嘘を吐いた。
 受け入れられない事実を、それを受け入れられるようになるまで目を背ける。いずれ向き合わなければならないのはわかっているけど、今は無理。孤独を感じて寂しいから抱きしめてほしいし、精神的に疲れるから放っておいてほしいけれど、刑事に訊かれたから息子を喪ったことを話した。既に吐いてしまっていた嘘を壊してしまわないように、嘘の上に嘘を重ねて。
 自分の嘘が事態を悪化させるなんて思いもしなかった。昨日まで仲の良かった団地住人が、まるで悪魔を見るような目で私を睨む。また罪悪感に苛まれる。全部、私が悪いのだ。
 フリーダムランドという場所に連れて行かれた。多くの子どもたちの嘆きや悲しみや怒りや苦しみが建物に染み付いていて、与えられて当然の愛情は欠片すらも感じられなかった。こんな所にあの子はいない。愛するコーディをこんな酷い場所に置き去りにするわけないじゃない!

 ブレンダがコーディに対して罪悪感を持つように、ロレンゾもまた息子に罪悪感を抱いている。仕事を優先し、また仕事が仕事だけに息子に良い影響を与えられなかった。気づいたときには息子は前科持ち。今、ロレンゾが息子にしてやれることと云えば、刑務所に面会に行ってやることくらいしかない。会っても何を話せばよいのかわからない。だから冗談を云い合って時間を過ごす。
 悪いことをしたと思う。どうにかしてやれなかったのかと振り返る。

 コーディが見つかって、ブレンダはようやく現実に戻ってきて、すべてを受け入れる覚悟ができた。カレンは今日もケントを捜す。絶対に諦めない。ロレンゾは刑務所へ面会に出向いて、ようやく息子と正面から向き合う。父がいつものように冗談をとばさず、そのかわりに涙を流すのを見て、息子は戸惑う。
 たとえ子が先に死んだとしても、自分がその子の親であることにかわりはない。その苦しみを背負って生きている女性と、これから苦しみを背負ってゆかねばならない女性を知っている。自分には息子がいる、息子が生きていてくれている。生きている我が子とは二度と会えない彼女たちとは違うのだ。息子も自分も過ちを犯しはしたが、やり直すチャンスはまだ残されている。そのことが嬉しい。
 今、この胸に宿るは、息子対する感謝と謝罪。

 闇鍋は、どこかに置き忘れたような家庭の味だった。塩味が効きすぎている嫌いはあるが、これはこれでなかなか美味い。何が飛び出すか戦々恐々としていたのだが、まともな具材ばかりで却って肩透かしを食った。けど、不満はない。
 これからの季節、鍋を囲んでの団欒というのも悪くない。

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