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地球を救うのは愛だってばよ!

amazon:[文庫] ラブ@メール (光文社文庫)  また、だ。
 また一回で書き切れなかった。今回は『ラブ@メール』だ。
 やはりアレか、愛を扱う小説について語るのがそもそも間違っていたのか。完全にお門違いか。「お前が愛を語るなんてチャンチャラおかしい」ってか。
 でもなあ、一旦、手ぇつけちゃったもんなあ。最後までやり遂げるしかないもんなあ。
 あ、もしかして作者に呪われているのかしらん。

 ある日、突然に"愛"が暴発した。第二次性徴期を迎えた者のほとんどが、男女を問わず"愛"に中てられて死んだ。幼い子供と僅かに生き残った大人が、人間社会が崩壊を来した世界に放り出された。
 二見健司と大熊晃一が人間社会の持っている強さを体現するならば、泉裕也と佐倉唯は個体としての人間の弱さを表現している。裕也は青二才、唯は妊婦。どちらも社会において庇護される存在だ。大熊と二見が"強き者"ならば、裕也と唯は"弱き者"だ。一方は安心して見ていられるけれど、もう一方はその行動のひとつひとつが不安を誘う。
 奇妙な縁で出逢った裕也と唯は、未曾有の出来事のなかでそれぞれが有していた人間関係を清算することになる。互いに残ったのは、縁がとりもつおかしな関係と母胎の中で育まれる生命。そして、想い。
 即席の家族は読者をジェットコースターに乗せる。裕也と唯が弱いことで読者は二人に対して親身になり、彼らの行く末を我がことのように案じる。だから、彼らの平穏と彼らの危機は、読者の感情を面白いように揺さぶるのだ。特に、唯の身に危険が迫れば、それが超自然的な脅威でなくとも、読者の心臓は凍りつく。オイ、唯は無事か? お腹の子は無事なのか?

 本作で為される"強き者"と"弱き者"との対比。"弱き者"の安全と危機。作者はそれぞれの場面を自在に展開して、読者の感情をコントロールする。そのうえでホラープロパーとしては、やがて訪れるカタストロフに向かって物語が盛り上がってゆくものと思う。祝祭とも云える大崩壊に向けて、心は浮き立つ。しかし、物語はそういうのとは違う展開を迎える。
 前回の記事の冒頭に、「ホラー小説、特に長編作品であれば、その構造としてミステリのそれを用いるという手法がある」と述べた。謎を解明することで、改めて恐怖が本質を伴って襲いかかってくる。これが謎解きを伴う恐怖の物語である。このような構造を持つ物語では、謎解きは物語の終盤で為されることになる。真相の衝撃とそれが持つ真の恐怖、その"鮮度"を保つにはあまりに早い段階で提示するのは御法度。恐怖を感じるのは短時間なのだから。
 しかし本作において、謎解きは中盤で為される。これがミステリならば、中盤で提示された推理は最終的には正しくないもの、未完成なものとして扱われる。云わば露払いだ。そして、中盤に提示された推理が色褪せてしまうほど、物語世界を揺るがすような推理が恭しくも献上されるものだ。それまで見えていた光景がガシャンと崩壊して、見る間に大伽藍が立ち上がってゆくのを歓喜のうちに見守る。これが、ミステリの醍醐味だ。
 本作は、二見が中盤に立てた推理を生け贄に捧げることをしない。二見の推理は大筋で誤りがなく、彼が指摘したモノは犯人に間違いない。だから、意想外のどんでん返しは起こらない。ミステリの観点からすれば、肩透かしもいいところだ。
 本作はホラー小説なのだから、真相が明らかになることの快感よりも優先されるべきものがある。そもそもの前提が異なっているのだから、ミステリとして読んだ場合、なんていうのはお門違いも甚だしい。
 ただし、ホラー小説が優先すべき恐怖感情についても、本作は期待を上回ることはない。これはなぜか?

 大量殺人と人間社会の崩壊をひとつの事件とし、その原因を犯人と見做す。二見はその推理で事件の全貌と犯人の正体を明らかにする。このたびはテロリストと名指しされる存在が、人類の発展と社会の形成においてどのような役割を担っていたのか、ということまで。
 二見がハートの形や運命の赤い糸を自らの推理の傍証として挙げるに至って、読者が感じるのは恐怖ではない。二見が語るのは、作者が物語世界について構築した法則だ。これは、よくぞまあこんなことを考えついたものだな、といった内容だ。読者は作者の着眼に感服することだろう。むしろ感服を通り越して笑ってしまうかもしれない。どうにもこじつけめいたところを無視できなくて、それだけにこの部分が滑稽に映ってしまう。
 ここまでが物語中盤に明らかとなる。真相が明らかになることの戦慄よりは純粋な驚きがわきあがり、恐怖よりはその滑稽さ故に笑いの衝動に駆られる。

 笑いまじりではあるものの、事件の真相が明らかとなった。犯人も判明した。今後は、今を生き残った人間に痛ましくも恐ろしい運命が待っていることだろう。人間の社会は、その最小の共同体である"家族"さえ構築を許されなくなる。この想像だにしない事態の招来には恐怖を覚える。また、この異常事態に対応すべく、対象を明確に求める愛を否定する、という信念を掲げる団体が物語世界で活動を活発にする。その団体は、名をベルルカングステンという。
 生き残る為ならそれが誤った方法論だとしても受け入れて、まずは多くの個体を残す。愛を捨てて生き残れるのなら、愛は今や枷でしかない。そもそも、人が今まで愛と呼んでいたものは、人外の存在から与えられた信号にすぎないではないか。あまりに馴染み深く、長い間に讃美し続けてきたものだから、受け入れるのに抵抗があるだろうけれど、個人に対する愛なんてものは人の誤解かもしくは執着でしかない。ただの幻想だ。
 大熊と二見の強さは、これまでの人間社会が有していた強さだ。そこには地域や民族といったものが、関係性に少なからず影響を及ぼし、社会の構造を決める。あるいは外見や信念が個人の関係性に大きく影響する。愛憎があり、好きだの嫌いだので片付けられないしがらみがあり、損益で結ばれる関係がある。
 集団で生きることで強さを得た筈が、人間は"個"を重要視するようになった。個の観念が発達して、全てが相対化される。そして、自我が肥大する。友好的な関係であっても、一方、あるいは双方の我執が強くなれば、関係性が壊れることもある。
 ならば、ベルルカングステンの目指す"人間のあり方"は正しいのか。正直なところ、疑問が残る。万物に対して何の隔てもなく愛をそそぐというベルルカングステンの題目自体は、文句の差し挟むところのないものだ。しかしその実現のために、個別に育まれる愛の放棄を求められるのは如何なものだろう。
 個々に対して抱く想いが社会に還元されるということも事実。個のあり方が社会に反映されて今日を形成したのだ。我欲や執着が人の歩みの原動力になってきたのは否定できないだろう。そういった生々しい感情を否定せず、かと云ってそのまま爆発させず、ゆるゆるとコントロールするのが社会の約款だった筈だ。ベルルカングステンの考え方は、約款が守られない状況にあって約款を教えるのではなく、感情をできるだけ小さく希薄にすることで爆発を未然に防ぐというものだ。火事の用心に消火訓練やその心得を子供に教えるのではなく、可燃物がなければ燃焼は起こらないということを原則にしているようなもので、そういう考えのもとに子供の組成を変えてしまうのだ。
 これを受け入れてよいものだろうか? 自らの母性愛が我が子を殺してしまう可能性に怯えて、母親は将来を選ばなければならない。彼女は判断を下すにおいて大いに悩む。

 犯人も事の真相も判明して、これらのことから今後どういう事態が待っているかということも導き出せた。問題に対する本質的な解決とは思えない策が提示され、いよいよ先行きは不安だ。
 何を指標として生きてゆけばいいのかわからない。これまでの社会通念は通用しない。衣食住を安全に確保するのが至難の業だ。生き延びることだけを念頭において、しかもそれが死ぬまで続くのだ。安息の日が来るのかすら定かではない。これは"不安"のレベルではない。絶望だ。
 それでは、絶望だけが残るのか?

 作者は社会のあり方に対して、ひとつの答えを出している。否、希望かもしれない。人は強くなければ生きてゆけない。優しくなければ生きていく資格がない。どこかで目にし耳にしたような言葉だ。
 裕也は生きるには強さが足らなかった。生き残る術を持っていた筈の笹野は優しいとは云えず、やはり物語から去ってしまった。ベルルカングステンは優しさを履き違えている。
 希望を誰に託せばよいのか?
『ラブ@メール』は人間社会の崩壊を描いた作品だ。作中では、大量死や理性を失った大勢の人間のおぞましい行動が描かれる。しかし、作者がこの作品で描いているのは希望だ。生きて明日に希望を繋げる"人の想い"だ。眼前の命を慈しむ一方で、その全てを信じて自分の想いを託す。"愛"は死に、そして"愛"故に希望を持つ。誰にも、何物にも強制されない"愛"を信じて。
 本作はホラー小説と単純にジャンル分けされない。読者の恐怖感情を喚起することに終始していない。本作で描かれているのは"愛"だ。ただし、単純に"愛"を礼讃するのではない。"愛"に絶望しているでもない。"愛"を問い直しているのだ。その証拠に、物語の最後には希望に満ちた展望が拓けているわけではない。感動的な再会が待っているとは限らないのだ。何が待っているかわからないから、用心の為に"強き者"が同伴している。それでも、不安ばかりではない。絶望が横たわっているでもない。
 そこには希望の兆しがある。あえかな希望であっても、それこそが読者の心には残るのだ、恐怖感情よりも。

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