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男の花道

amazon:[Blu-ray] 【Amazon.co.jp限定】グラン・トリノ ブルーレイ スチールブック仕様(完全数量限定) 「グラン・トリノ」を観た。
 ああ、クリント・イーストウッドだよ!
 かつてクリント・イーストウッドの吹き替えは山田康雄がやっていた。「荒野の用心棒」も「ダーティハリー」も「マンハッタン無宿」も「ガントレット」も「アルカトラズからの脱出」も「ダーティファイター」も「ルーキー」も「ハートブレイク・リッジ」もその他のクリント・イーストウッド出演作品において、彼の口からは山田康雄の声が発せられていた。
 本作を観て思う。今のクリント・イーストウッドに山田康雄はどんな声を当てるだろうか、と。
 クリント・イーストウッドがかつて演じた男たちは、"撃たれたら撃ち返す"を信条に、自警主義を地で行っていた。だから、銃声はクリント・イーストウッド出演作品の通底音であった。
 今は違うようだ。違うようだというのは、最近のクリント・イーストウッド作品を観ていないから、実際はどうなっているのかわからないのだ。つまらない感傷にすぎないけれど、山田康雄の声を発しないクリント・イーストウッドを見たくないのだ。だから、「許されざる者」を最後に、クリント・イーストウッドの出演作品を観ていないような気がする。
 本作を観る気分になったのは、傑作の呼び声が高かったからだ。山田康雄にこだわっていた気持ちが薄らいできたことも影響しただろう。それでも映画館に足を運ばなかったのは、なぜだろうか? やはり、クリント・イーストウッドはテレビで観るものだという頭があったのかもしれない。映画館の吹き替えは、たとえそれがあったとしても山田康雄の声ではないものな。
 山田康雄の声ではないクリント・イーストウッド主演作品。本作は面白かったのか? それとも、やはり物足りなさを感じるものだったのだろうか?

 どいつもこいつも気に食わない。最愛の妻が亡くなったことも、その告別式にふざけた服装で参列する孫どもも、青二才のくせに説教を垂れる神父も、隣家の東洋人も、何もかもが気に食わない。
 現在は移民ばかりが住むようになった地域に、ウォルト・コワルスキーは住んでいた。フォードの工場で五十年間働いてきた男は、気難しくて癇癪持ちであり、身内ですら顔をあわせるのを敬遠していた。
 移民を嫌うウォルト自身もポーランド系移民だが、彼はアメリカ合衆国市民であることに誇りを持っている。それは彼の自宅を表から見ればすぐにわかる。玄関先は常に星条旗を掲げてあり、前庭の芝生はいつもきれいに刈られている。そして、ガレージにはアメリカが誇る名車、72年型グラン・トリノ。それなのに長男は選りにも選って日本車の販売を一生の仕事に選んだ。
 何もかもが気に食わない!
 気に食わない奴と関係を持つことを嫌うウォルトだが、このところ千客万来の様相を呈している。いずれも望まぬ客だが、だからと云って銃を持ち出して追い払うほどでもない。ただし、自慢のグラン・トリノを盗みに入ったり丹精している芝生に入ったりしなければ、だが。

 この気難しい老人は、その性格故に一族からも地域社会からも食み出している。彼が気安く話し掛けるのは数少ない友人たち。彼らはいずれもウォルトと同じく移民の生まれで、そしてウォルトと同じく手に職を持っている。出自や肩書きは関係なく、自分の技術で生きてきた男たち。彼らの関係には互いに対する敬意がある。だから、時に耳を疑いたくなるほどの悪口雑言を浴びせたり浴びせられたりしても良い関係を保っていられる。
 苦難を持ち前の自警主義によって乗り越えてきた男が、しかし自分の生き方が齎した結果を振り返って苦悩する。それと同じ頃に男は病を得て、自分の持ち時間の残り少ないことを自覚する。残された時間を思う時、未来ある若者と知己を得たことで自分が世界に偉大なる業績を残せることに気付く。それは隣家の少年に象徴される明日への希望だ。移民であろうとアメリカ合衆国で誇りを持って生きてゆく者に幸あれかし。アメリカのスタイルだけを真似るのではなく、アメリカの精神を正しく受け継がんとする者の為に、残り少ない時間を使おう。そう決めたことで男に訪れた穏やかな日々は、しかし暴力によって侵されてしまう。
 隣家が銃撃され、スーが襲われた後、怒りを湛えたヤノヴィッチ神父がウォルトを訪ねる。燃え上がる怒りと自分の立場との間で葛藤する神職の男を見て、ウォルトははじめて自分を語る。朝鮮戦争当時に自分が何をしたのか、を。
 ウォルトの苦悩の深さに神父は諭したのは、上官や作戦が彼に殺人を命じたということ。やむを得ない状況だったのだと神父は慰める。もっと酷い作戦を遂行した者もいるが、彼らは神に許されているのだから、あなたも安心してよい。
 神父の言葉にウォルトが返したのは、上官に命じられたのではなく自分の意思でそれを行った、ということだ。これは聞きようによってはウォルトが戦時に非道な所業を行っていたように受け取れるが、実際はそうではない。ここでウォルトが云っているのは、私が前述したことだ。つまり、自分の生き方を通したことで、その結果として他者に死を齎した事実、その過去。

amazon:[Blu-ray] ダーティハリー アルティメット・コレクターズ・エディション  ウォルトを見ていると、これまでクリント・イーストウッドが演じてきた男たちを思い出す。社会的にはアウトローで通っているが、ひたすらに無法というわけではない。生きてゆくうえでのきっちりした指針が自分のなかにあり、それから外れるようなことは決してない。そして、自分の道理を通す為なら、どんなに無理と思われることでもやってのける。代表格は「ダーティハリー」のハリー・キャラハンだ。自分のスジを通す為に上司命令や服務規定を無視することも珍しくない。刑事という立場上、法の後ろ盾があるにもかかわらず時にこれを逸脱するのは、「正義」よりも「ヴィジランティズム」を優先する開拓時代の自衛思想がハリーの背景にあるからだ。
 自分の生き方を通してきた男が老境に至って辿り着いたのは、自分の生き方に対してどう決着をつけるか、ということの答え。これまでは銃を握って飛び出せばそれで話は済んだ。何発、何十発の銃声と転がる死体。これで問題は解決できた。しかし、憎悪を積み重ねてゆく復讐の連鎖の果てに何が残るのかを考えて、男は自分なりの決着をつける。これまで自ら銃弾となって悪に向かっていった男が、後に続く者の為に盾となることを決意する。その思い、いかばかりだろうか。
 若い頃は一匹狼を気取っていた男も、年齢を重ねれば後進の面倒をみなければならなくなる。組織に所属するならばこれもやむを得ない。これについては「ルーキー」や「ハートブレイク・リッジ」で、個性的な新人教育を確認することができる。かつての作品と同じように、本作で男は少年を鍛えた。
 また、女性ながらもスジの通った態度には一目置くのは相変わらずだ。隣家の女性陣に対して、男が時に素直な態度をとるところなどはいつか見た光景であり、そんなときに浮かぶ男の表情はいつか見た顔だ。
 本作の何を見ても思い出されるのは、男がかつて見せた雄姿の数々。悪罵のかわりに銃声を轟かせ、握った拳をふるう姿。愛犬をトラックの助手席に乗せている、ただそれだけのことで「デイジー、右だ」の幻聴が響く。また、最後の対決に赴いた際、夜の闇に佇む男の姿に「許されざる者」における襲撃を重ねた。そして、ストレッチャーに横たわる男が「喧しいなぁ」と起き上がるのを、心のどこかで期待した。

 アクション映画にて主人公が悪役を成敗する。ずっと抑圧を強いられた主人公が、最後は派手にブチ殺す。そこに大いなるカタルシスがある。クリント・イーストウッドの作品群はそうだった。堪えに堪えて、辛抱できなくなって爆発する。憎むべき敵に慈悲はいらない。スジを通す為に自分の手で決着をつける。
 朝鮮戦争に従軍したウォルトも自分の生き方を通す男だ。彼が犯した殺人は、自分のスジを通す為のものだったのだろう。本来ならば誇りと共に思い出されるものの筈だが、実際はその思い出に苦しめられている。それは、そこに"正義"を見失っていたからだろうか。
 時代が変わったのではない。社会が変わったのではない。命は命だ。このことに今も昔もない。

 ようやく懺悔をしに教会を訪れたウォルト。彼の言葉を聴く神父は、しかしその内容に驚く。あのウォルトが小さな浮気とケチな脱税、息子たちとの折り合いの悪さを悔いているとは。
 これらについて、ウォルトは心から懺悔している。しかし、神父はもう知っているのだ。ウォルトが挙げた事柄とは別に、戦時に行った殺人について夢にみるほどに彼が苦悩していることを。
 ウォルトは、自分が犯したことの結果について、神に救ってもらおうとは思っていない。自分の為したことの責任は自分でとる。これも彼の通すべきスジだ。
 だから、ウォルトはひとりで出撃したのだ。

 ウォルト・コワルスキー、最後の戦い。それまでの場面において、銃を手に取ったり殴り付けたりと、ウォルトにとって腕に覚えの決戦場に立つ際、静かにドラムロールが流れることに気付く。そして、最後の決戦においても、勇壮な気持ちにさせるリズムが老いた戦士の心を駆り立てる。
 男は自分の生き方を変えられなかった。決戦の地に立たずにはいられなかったのだ。そこに戦術的勝利はないというのに。
 男はこれまで自分の生き方を貫き通す為に、それに反するものと戦ってきた。考えてみれば、このことは自分の価値観を銃弾に込めて相手に押し付けていたにすぎない。暴力には状況を即時的に変えるだけの影響力がある。しかし、暴力で解決できることの本質的に少ないことを、今の男は誰よりも知っている。
 だからこそ、ウォルトは最後の武器に自分の命と誇りを選んだ。ガタのきた命だが、盾の役目くらいは充分に果たせる。大切な友人たちを守る作戦に、誇りはこれまでで一番の輝きを放っている。
 単身乗り込んだウォルトはその無謀を揶揄される。スミスとウェッソンを引き連れていなくとも、このとき男は誰よりも強かった。アメリカ合衆国の誇りある市民であることと今こそアメリカの正義が為されることを信じているが故に、男の足取りは死刑台に向かう罪人のそれとは違っていた。
 早撃ちの右手が握っていたのは、誇りの象徴であるジッポーライター。そこに輝くのは第一騎兵師団の紋章。この誇りある騎兵を時代遅れのドン・キホーテと笑う勿れ。

 今を生き、そして明日を生きてゆくタオ・ヴァン・ローは名車グラン・トリノを駆る。古き良きアメリカの上に彼は生きている。そして、そのことをタオ自身、知っているのだ。

 クリント・イーストウッドという映画人を思うとき、本作の位置付けがわかる。この素晴らしい作品は、彼の俳優人生の集大成なのだ。そしてクリント・イーストウッド自身のコメントによれば、本作で俳優業から引退するとのことだ。さもありなん。
 だからこそ思うのだ。ウォルト・コワルスキーことクリント・イーストウッドの花道を、山田康雄の声で飾ってほしかった、と。

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グラントリノ from 映画に耽溺 2014-09-26 (金) 13:35
人を喪うということはなんというものなのだろう。世の中には「癒し」という言葉があるが「癒されない」という事実もある。「哀しんでいいのだよ」と赦された場所でぽ...

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