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鬼女の幸せ

amazon:[DVD] ブラインドネス  ジュリアン・ムーア主演作品「ブラインドネス」を観た。
 ジュリアン・ムーア主演と強調するのは、本作における彼女の役どころがとても"ジュリアン・ムーアらしい"ものだから。怒りの沸点が低く、感情の赴くままに行動するほど若くない。すべてに疲れて諦めて、流れに身を任せるほどには枯れてない。静かに着実に自分の居場所を勝ち取る、中年の既婚女性。
 ジュリアン・ムーア演じる中年女性は眼科医の妻として登場する。夫は決して悪い配偶者ではないが、仕事を家庭に持ち込む嫌いがあり、夫婦の時間を大切にしているとは云えない。医療に携わる者としては満点なのかもしれないが、妻にしてみれば二人で同じ時間を共に過ごしているのに孤独を感じる。自分の酒量が増えていることを夫は気付いていないだろう。現在の状況を不幸と嘆くつもりはないけれど、幸せでは決してない。
 何が原因でそれが発症するのか、どのような感染をするのかわからないが、普通ではない失明が広がっている。眼科医である夫も視力を失った。そして、これも理由はわからないけれど、自分は今まで通りに見えている。視力を保っている。わからないことだらけだけれど、今の私は他の誰よりも必要とされる人間だ。苦労も多いし幸福とまでは云えないけれど、不幸では決してない。

 ジュリアン・ムーア演じる中年女性のふだんの生活を想像すると、自宅以外での彼女の姿が思い浮かばない。日常生活を描かれなかった登場人物は大勢いる。彼女は夫と過ごす時間を描かれて、それが故に彼女の日常生活が希薄であることを感じさせるのだ。家事とその合間に酒を呷って、それから何をしている? 世界が白く染め上げられてゆく、このときまで彼女はどこにも存在しなかったのだ。
 彼女がただひとり視力を保っていられたのは、これは物語世界の要請だ。寓意を正しく観客に伝えるための、彼女は選ばれし巫女なのだ。本作は寓話であり、だからリアリズムは存在しない。物語についてリアルに感じられる点があるならば、それは観客にそれだけの理由があるのだ。よくよく考えてみると、ただディストピアを形成したいだけの設定と展開だ。これにリアルを感じられるなら、それはその人が物語に込められた寓意を切実に受けとめる状況にあるのだ。本作は白く曇ってはいるが、覗き込んだ者の心を映す鏡になる。
 目は見えないが生きている。視覚の喪失が急激に進んだため、慣れることも準備することもできず、ただ不安と苛立ちを覚える。空間把握も時間の経過もおぼつかない。衣食住のすべてにおいて、自分ひとりでこれを賄うことはままならない。
 視覚情報は死んだ。文字を含む記号の一切が無用の長物となった。信用できるのは口に入れられるものと手触りのあるものだけ。音も匂いもいまひとつ信用ならない。音や匂いの発生源が近ければ寄っていって手に触れられるが、手に届かないほど遠ければそれは存在しないのと同じだ。
 愚者が食糧の流通を一手に握ることで王を騙ったが、この治政に対する納税にセックスを求めたのは、たしかな手触りのあるものを求めるということで自然な流れである。ここで留意すべき点は、為政者は後継者を必要としたわけではないということだ。このハーレムは徳川幕府の大奥ではないのだ。彼らにとって女とは、交換経済の通貨単位でしかない。女が股を開いた瞬間、彼女たちは自分たちでも気付かないまま顔にドル記号の「$」を刷ったのだ。かくして経済のパラダイムシフトは為された。娼婦として登場した女性は私娼から公娼となり、彼女の自由意思は剥奪された。貨幣に自我は必要ない。一円玉が何を思うかなんて、誰も考えない。
 少し前にこの単語を挙げたが、本作はディストピア譚だ。不当に視覚を取り上げられ、衣食住を統制される。大いなる管理のもとに生活は縛られる。自由を取り上げられても、人々は新たな秩序と統制を求める。悪法も法のうち。どんなに酷い状況に陥っていても、そこから脱却しようとは思わない。経済において為されたパラダイムシフトだが、男性原理は捨てられないらしい。
 崇高な理念も複雑な政治も、それが許される環境でこそ弄んでいられる。圧倒的な現実のただなかにあって、そんなオモチャは役に立たない。現実的ということでは、男は女に敵わない。男は物語がなければ生きてゆけない。女は現実だけがすべてだ。これは妊娠出産からして云えることだ。自分の種という物語を信じるしかない男と、十月十日の現実に直面する女。そもそもの生き方が違う。良い悪いではない。違うのだ。
 大きな違いがある。だから、軋轢が生じる。男が後生大事に抱える幻想をブチ壊すのは、いつも女だ。男にとって物語がどれほど重要なのかわからないから、女は平気でそれをブチ壊すことができる。精神病院内部に建てられた王国を倒したのは女だ。女だからそれができた。
 ただひとり視覚を許された女が若かったら、もっと前の段階で暴力による王権簒奪が為されたかもしれない。そもそも彼女が巫女として共同体の頂点に立っていたかもしれない。彼女が力も気力も乏しい老女だったなら、諦めのなかで死ぬまで搾取され続けたかもしれない。彼女は中年であり、行動を起こし、それに呼応する女が現れた。そしてステージは次に進む。

 両腕を伸ばして抱き締められるだけの数の信徒を率いて、ただひとり視覚を許された巫女は行く。荒廃した街を約束の地に向かって。
 バックボーンの異なる七人が、まるで長年を共に過ごす家族のように、互いに思いやり慈しむ。女は思う。夫と二人だけで住むには広過ぎて空虚さえ感じていた自宅が、今は賑やかでとても満たされている。隻眼の彼が云うように、この暮らしがずっと続けばいい。自分ひとりで男女六人の面倒をみるのは大変な苦労だろうけれど、今は幸福だと断言できる。

 視覚を失ったことで世界はそれまでの秩序を捨てざるを得なかった。再び視覚を取り戻せたとして、一度捨てたものをまた拾えるだろうか? 目に見えるものにせよ目には見えないものにせよ、今や世界中に荒廃は広がっている。ここまで壊れてしまったら、何もなかったことにはできない。
 物語は問いを突きつける。圧倒的な現実を前にして、ねえ、これからどう生きる?

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