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黄金の夜明けは迷いの霧を晴らす

amazon:[単行本] 恥知らずのパープルヘイズ -ジョジョの奇妙な冒険より-  上遠野浩平『恥知らずのパープルヘイズ -ジョジョの奇妙な冒険より-』を読んだ。
 荒木飛呂彦のライフワークである「ジョジョの奇妙な冒険」は、現在第八部「ジョジョリオン」がウルトラジャンプで連載されている。第一部から第六部までは週刊少年ジャンプに連載していたが、第七部から月刊誌のウルトラジャンプに移った。
 長期間、しかも掲載誌を移ってまで連載が続いているのには理由がある。単純明解なそれは、人気があるということ。多くの読者を獲得するほど人気があるのは、なぜか? これも単純。面白いからだ。しかし、ただ面白いだけか、というとそうではない。
 世界観、舞台設定、人物造型、台詞まわし、展開もさることながら、絵柄といいコマ割りといい擬音といい、すべてが独特。荒木飛呂彦印としか云えないスタイルが、多くの読者を魅了している。面白い漫画ならば他にもあるし、それらは読まれている。しかし「ジョジョの奇妙な冒険」には、荒木飛呂彦による作品という、他の漫画にはない、唯一無二の価値がある!

 このたび、「ジョジョの奇妙な冒険」第五部の「黄金の風」スピンオフ作品が上梓された。コマ割りと視線誘導で動きを読ませる漫画の、特に肉体や"スタンド"の躍動を描く「ジョジョの奇妙な冒険」の、独特な世界観を下敷きにした小説だ。格闘技を題材にとった小説ですら肉体表現の描写に違和感を覚えることがあるのに、このうえ"スタンド"を説明する必要がある。特に個々の"スタンド"について、それがどのような姿形を持ち、どのような働きをするものなのか、読者にイメージさせなければならない。これは困難を伴う仕事だ。作者はよくもまあ手を出したものだ。
 ここで簡単に説明すると、"スタンド"とは「幽波紋」と表される。どういうものかと云うと、超能力や超常現象に姿形を与えたものと理解してよい。サイコキネシスとは、人には見えないスタンドが物を動かすこと。遠隔操作できるスタンドの目を通して眺めたことを、目隠ししたまま答えれば千里眼と呼ばれる。発汗や体温の上昇、脈拍の変化を微細に測ることのできるスタンドなら、テレパシーを装うことが可能だ。人体消失も自然発火現象も呪いもスタンドで表現できる。日本の伝統的な演劇では、舞台上に立つ黒子が"見えないもの"と了解される。これは観賞するうえでの約束事だけれど、実際に起こったならば、不可視であることは即ち超能力と呼ばれるだろう。スタンドは黒子ではないが、人には見えずに、それぞれが特殊能力を発揮することを考えると、イメージとして黒子を思い描くのは大きく間違ってはいない。スタンドのすべてを説明するのに、どのスタンドにも黒子を当てはめるのは大間違いだけど。
 このように、本書を楽しむにはあらかじめ理解しておかなければならないことが多く、どう考えても「一見さんお断り」である。知らずに暖簾をくぐると痛い目に遭うだろう。店の奥から「無駄無駄無駄無駄無駄ァッ!」の声と打撃音が聞こえてくる。

amazon:[文庫] ジョジョの奇妙な冒険 30~39巻(第5部)セット  本書について語るうえで、本書だけでなく「ジョジョの奇妙な冒険」第五部についてもネタを割ることになる。未読でネタ割られたくない向きは、「戻る」を連打のこと。
 それではアリアリアリアリ、アリーヴェデルチ!

 本書の内容は、「ジョジョの奇妙な冒険」第五部「黄金の風」の後日談である。第五部を簡単且つ乱暴に纏めると、ギャングスターを夢みる少年が、女子ども相手に麻薬売買するマフィアに入り込んで、ボスを倒して取って代わろうとする物語。つまりギャング下剋上、成り上がり物語である。
 主人公ジョルノ・ジョバァーナ(本名は汐華初流乃)は勿論のこと、麻薬売買による利益を欲して組織の頂点にのぼりつめようというのではない。ジョルノ・ジョバァーナには夢があり、街から麻薬を一掃するためにボスを倒す。麻薬に汚染された街の現状を憂うブローノ・ブチャラティはジョルノの夢に惹かれて、彼のチームにジョルノを引き入れる。
 第五部終了の時点で、ブチャラティのチームで生き残ったのは三人。ジョルノ・ジョバァーナ、グイード・ミスタ、そして本書の主人公であるパンナコッタ・フーゴ。ただし、ボスの娘でチームの護衛対象だったトリッシュ・ウナが後にチームと行動を共にするので、彼女をチームの一員とするならば生き残りは四人となる。
 ブチャラティのチームは全員がスタンドの持ち主だ。生き残った四人はそれぞれジョルノがゴールド・エクスペリエンス、ミスタがセックス・ピストルズ、フーゴがパープル・ヘイズ、トリッシュがスパイス・ガールと名付けたスタンドを操る。
 本書の主人公であるパンナコッタ・フーゴのスタンド、パープル・ヘイズは人型をしていて、その両拳には合計六個のカプセルが付いている。そのカプセルには殺人ウィルスが詰まっている。このウィルスにひとたび感染すると、抗体を持たないあらゆる生き物は三十秒ほどで全身が腐って死ぬ。パープル・ヘイズの直接攻撃は防御も反撃も可能だが、破れたカプセルから撒き散らされたウィルスによる感染は防げない。また、パープル・ヘイズはそれ自体で自意識を持つが、それはフーゴの性格の一部分を反映したかのような凶暴性を持つ。
 さて、本書主人公のフーゴは第五部終了時点で生き残ったひとりだが、なぜ生き残ったかと云うと、彼は最後までチームと行動を共にしたわけではないのだ。最後の強敵に挑まなかったから死なずに済んでいる。
 当時のフーゴにしてみれば組織を裏切るなんて、それこそあり得ない。ボスに勝てるわけがない。ブチャラティは組織を裏切ることを決意したかもしれないが、チームの他のメンバーがそれについていくなんてどうかしている。死んでしまうんだぞ!
 ブチャラティのチームで途中で抜けたのはフーゴがひとりだけ。彼が負けるわけがないと信じていたボス、ディアボロはジョルノの進化したスタンド、ゴールド・エクスペリエンス・レクイエムによって終わりのない「終わり」を遂げる。フーゴにとってはあり得ないことが実際に起こったのだ。
 ここまでが第五部の内容だ。ジョルノ・ジョバァーナはボスの座についた。次に取り掛かるのは、麻薬の撲滅だ。

 組織は様々なチームを抱えている。ただ腕っぷしの強いのを揃えているのではない。かつてはジョルノ自身が戦ったような暗殺チーム、情報分析チーム。そして今やディアボロ時代の負の遺産である麻薬チーム。この麻薬チームのひとり、マッシモ・ヴォルペの殺害が組織にとって重要な案件のひとつとなっている。
 ヴォルペ殺害のために集められたチームの一員がパンナコッタ・フーゴだ。そして、ヴードゥー・チャイルドをスタンドに持つシーラEことシィラ・カペッツート、オール・アロング・ウォッチタワーを操るカンノーロ・ムーロロ。この三人が麻薬チームを追う。
 麻薬撲滅を掲げるジョルノが、なぜヴォルペ排除しなければならないか? ヴォルペのスタンド、マニック・デプレッションは生体反応を活性化させる。元気ハツラツにしてくれるだけなら害はないが、マニック・デプレッションが塩や水を"加工"することでその溶液は脳内麻薬の分泌を促す。これが麻薬となる。入手ルートもなにもない。もとはただの塩や水なのだから。そしてディアボロの虎の子だった麻薬チームには、思い込みや感情を定着させるスタンドのレイニーデイ・ドリームアウェイを持つヴラディミール・コカキ、他人を麻薬中毒の末期症状に引きずり込むナイトバード・フライングをスタンドに持つアンジェリカ・アッタナシオがいる。この三人のコンビネーションは、麻薬汚染の観点から非常に凶悪と云える。ヴォルペが精製する麻薬がアンジェリカの精神を冒し、それをコカキが定着させて、その状況でアンジェリカがナイトバード・フライングを飛ばすと、これが飛来した地域一帯はジャンキーの群れと化す。つまり、このコンビネーションが意味するところは、麻薬中毒症状の爆発的感染、パンデミックだ。
 本書で描かれているのは、生物学的な死を齎す感染(パープル・ヘイズ)と魂の死を齎す感染(マニック・デプレッション)との対決なのだ。ただし、パープル・ヘイズの感染有効範囲は半径約五メートル以内。マニック・デプレッションはチームで連係する場合、ナイトバード・フライングが飛び続けさえすれば有効範囲はどこまでも広がる。フーゴたちは圧倒的に不利だが、本書の展開をここで明かすと私が挙げたような事態には陥っていない。そもそもアンジェリカは末期症状に苦しむジャンキーだ。コカキは彼女の中毒症状による苦痛を定着させる必要はない。そのかわりと云うわけではないが、コカキは単独でフーゴたちに挑み、そして敗北した。こうなると麻薬チームのコンビネーションの脅威は消えた。チームリーダーは死に、あとは余命僅かなアンジェリカの羽をもいで、ヴォルペに迫るだけ。
 本体であるフーゴさえも死に至らしめる、パープル・ヘイズの殺人ウィルス。本来は生体反応を活性化させる、ヴォルペのマニック・デプレッション。殺すことしかできないフーゴは、ヴォルペを野放しにしておいたら失われることになる、多くの魂を救うためにその能力を使う。ドーピングの作用で身体能力を飛躍的に伸ばし、自らの肉体を凶器に変えるヴォルペは、生き残るために戦う。常に正解を求めて前に進めなかったフーゴと、破滅願望にも似た無気力無関心に浸って世の中を渡ってきたヴォルペ。互いに近しく感じつつも決して相容れなかった二人が、かたや理解に至って覚悟を決めて、かたや怒りに狂って感情を迸らせて、ぶつかる。

 前述したように、パープル・ヘイズは凶悪なスタンドだ。カプセルに詰まった殺人ウィルスは、感染範囲半径約五メートル以内にいる、抗体を持たないあらゆる生き物を三十秒ほどで溶かしきる。これはフーゴ自身も含む。この厄介なスタンドは自我を持つ。低劣で凶暴、且つ殺傷能力が桁違いに高いものだから、フーゴとしてもおいそれと出せない。ひとつ間違えれば大惨事となる。正しい場面での投入こそが求められるスタンドだ。
 だからフーゴは迷う。「これで正しいのか?」「間違えてはいないか?」と、考えに考えて答えを出す。安易な決断は自分と仲間を危険にさらしてしまうから。
 自分自身をも死の危険にさらすパープル・ヘイズと正面から向き合うことを避けてきた。パープル・ヘイズの自我が、フーゴにとって唾棄すべきものであることもその理由だ。スタンドがそれを操る人間の本質を反映するのならば、パープル・ヘイズの能力や自意識は自分の何を反映していると云うのだ?
 世界は勿論のこと、自分に対してさえ懐疑的なフーゴだったが、ひとつの出逢いによって人生が変わった。しかし、その人柄に心酔し、すべてを捧げるつもりだった人と道を違えた。未来と夢を託した人だった。それから続くフーゴの毎日は「なぜ?」の連続だ。
「なぜボートに乗らなかった?」
「なぜナランチャはあんなことを云った?」
 次々と頭に浮かぶ「なぜ?」と、いっかな答えを見出せない日々。やがて組織のボスの名が知れ渡るようになり、それはジョルノ・ジョバァーナがディアボロに勝利したことを意味して、フーゴはいっそうに混乱する。なぜ?
 裏切り者の汚名を着て、それをそそぐために麻薬チームを追跡する。そのさなかにも正しい解答を求める。フーゴを悩ませているのは、彼自身の問題である。他者の行動の理由についてこれを解こうとするのは、フーゴが自分のなかにある感情や行動原理について認識することなのだ。自分のなかにある答えに気付くことなのだ。
「なぜボートに乗らなかった?」乗らなかったのではない。乗れなかったのだ。ブチャラティの言葉によって無意識に待機を選んでいたから。
「なぜナランチャはあんなことを云った?」ナランチャはトリッシュと同じ痛みを経験したことがあり、トリッシュが抱いている怒りを自分のものとして感じられるから。
 自分が陥っていた無間地獄から這い上がったフーゴは、数々の謎を解くことで自分というものを改めて知る。そして、自分の本質を映し出すスタンドについても理解が深まる。今後、パープル・ヘイズと付き合うにはどうすればよいのかを知る。
 ジョルノ・ジョバァーナにせよ本書のパンナコッタ・フーゴにせよ、パープル・ヘイズの殺人ウィルスから生還するには決死の覚悟が必要だ。感染を辞さない行動が、死中にあって活路を拓くのだ。そしてフーゴのスタンドは進化を遂げ、パープル・ヘイズ・ディストーションとなった。本気になればなるほど殺傷力の高まるウィルスは、その殺傷力の高さ故に共食いを始め、それが理由で他に対する殺傷力が弱まってしまう。手加減をすればウィルスは死滅せずに殺傷力が高くなる矛盾。それがパープル・ヘイズ・ディストーションである。これがフーゴが付き合ってゆかなければならないスタンドであり、生きてゆくうえで感じなければならない世の中の矛盾への答えだ。

 上遠野浩平作品を読むのは本書で2冊目だ。私にとって読みやすい文章ではなかったが、よく練られた作品であることははっきりしている。第五部のスピンオフと思っていたら、第三部のアノ人の名前や第四部のアノ人の名前が出てきて、そのたびに「オッ!」と喜びの声をあげた。それにしても、まさか石仮面が出てくるとは! 石仮面はヤバイっすよ。この三文字を目にしたときは、「この先どうなっちゃうの?」と胸がときめいちゃったよ。パープル・ヘイズの殺人ウィルスと吸血鬼の再生能力との真っ向勝負? 実際はそんなことにならなかったんだけど。
 ホント、サービス精神がてんこ盛りの一冊だ。最終章で明かされた、ジョルノの本当の狙いは説得力があって、しかも「ジョジョ」ファンの膝を打たせるものだ。その直後の誓いの場面は大団円として相応しい。
 この記事の頭で心配していたスタンド同士の戦闘も肉弾戦の様相を呈するものではなく、イメージしやすいビットリオ・カタルディのドリー・ダガーが戦闘要員として用意されていたのが良かった。各章の最後でスタンド図鑑みたいに各人のスタンドが紹介されているのも、読んでいてイメージをつかむのに役立った。ただの戦闘に終始するのは本書のテーマではないから、スタンド戦が淡白なのは仕方ない。なんの問題もない。
 最後に私のお気に入りを挙げよう。カンノーロ・ムーロロと彼の操るオール・アロング・ウォッチタワーだ。彼とビットリオの肉を切らせて骨を断つ戦いは、絵で表現されるとおぞましくなるが、文字で読ませることでそれを薄めている。しかも微細に想像したなら、どんな残虐映像よりも惨たらしくなるのは確実。凄いと思ったよ。
 この気持ちをどう表現するかわからないが、実際に読んでもらうのが一番だ。「ジョジョの奇妙な冒険」第五部を既に読んでいて、且つ、パンナコッタ・フーゴの行く末について少しでも心を残している人ならば、本書を読むことを薦める。ま、三省堂書店神保町本店でのサイン会は盛況だったようなので、私がいうまでもなく多くの人が本書を読んでいることだろう。

 ここにフーゴはいる。ここにフーゴの夜明けがある。

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