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誰がために

 2010年は柳田國男の『遠野物語』出版百周年ということで記念事業が幾つも営まれた。特に東北はご当地ということで力の入れようが凄まじくて、斯界を代表する東雅夫氏もびっくりの企画が起ち上がったとのこと。
 仙台に拠点を置いていた出版社の荒蝦夷は、記念事業として杉村顕道の怪談全集と山田野理夫の東北怪談全集、みちのく怪談の名作集の刊行を企画。代表の土方正志氏からその旨を電話で伝えられた際、東雅夫氏は声をあげてしまったとか。そして「みちのく怪談プロジェクト」と名付けた企画を押し進めてゆくなかで、「本を出すだけではもうひとつ盛り上がりに欠けるかな?」と新たに怪談愛好家を巻き込む企画を思い立った。bk1で2003年から毎年催されている「ビーケーワン怪談大賞」をヒントにした「みちのく怪談コンテスト」である。

 さて、記事の続きを読んでいただく前に断っておかねばなりません。この記事で取り上げる事柄につきましては、引用を除くすべてが私というフィルターを通しています。なにぶん目詰まりしやすいフィルターなので、私の言葉に変換する際に意味を取りこぼしてしまったり、意味が変わってしまったりということがあるかもしれません。この記事についての文責はサテヒデオにあることを念頭に置いてお読みくださいますようお願いします。
 また、「みちのく怪談プロジェクト」については篠崎図書館で催された東雅夫氏の講演会の模様をレポートした記事でも触れているので、興味のある方はその記事を覗いてくださいますようお願いします。

 インターネットを介し、800文字で綴られる怪談という点では「ビーケーワン怪談大賞」と変わらないが、ここに〈みちのく〉という"縛り"を課することで創作のアプローチは「広さではなく深さ」と方法論に差異が生まれたのではないか。これは個人的見解だけど。ただし〈みちのく〉という"縛り"も、怪談だとかみちのくだとかいう枠組みをブッ壊すような書き手には関係のないこと。「オレが書くものは一から十まで怪の談だぜ! うひゃひゃひゃひゃあ!」って化け物は、800文字の制限だけを頭にとめておけばよい。
 人の皮に怪談が詰まっているような化け物はともかくとして、普通であれば800文字の怪談にどのような塩梅で〈みちのく〉を盛り込むのか頭を悩ます。いや、〈みちのく〉成分を盛り込むという考え方がそもそも間違いなのかもしれない。〈みちのく〉と分かちがたく結び付いた怪談こそが求められているのかも。ということは、〈みちのく〉とはなにかを考えなければならない。
「みちのく怪談コンテスト」における〈みちのく〉は、これをそのまま地理的に区分する呼称と捉えるのは間違いだ。視野狭窄に陥っている。これについては私が纏めるのを読んでもらうのではなく、「みちのく怪談コンテスト」公式ブログの2010年6月30日の記事、「〈みちのく怪談〉とはなにか!」を読んでもらうのが一番だ。この記事は前述の土方正志氏へのインタビューになっていて、そこで氏は〈みちのく〉をどう捉えるかを語っている。その部分をピンポイントで引用してここに提示しようにも、〈みちのく〉の言葉にはいろいろな解釈が許されることを土方氏自身が言及しているので、記事の一部を切り取ってここに並べるより記事を丸ごと読んでもらうほうが話は早い。記事をそのまま読むことで発言者の意図は正しく伝わるはずだ。

 土方氏のインタビュー記事によると、〈みちのく〉とは辺境であり一歩先にある異界である。つまりは「ここではない、どこか」が〈みちのく〉なのだ。怪談としては〈みちのく〉の内側からと外側からの視点に立ったものがそれぞれに語られるだろう。いずれの視点に立ったとしても、東北六県を作品の舞台にするのが原則。しかし、原則あるところに例外あり。東北怪談コンテストならともかく「みちのく怪談コンテスト」なのだから、〈みちのく〉についての拡大解釈はある程度まで許されるハズ。友達と連れだってはじめて自転車で遠出した先に到った場所も、人生という旅路の果てに辿り着いた境地も、そこが東北であろうとなかろうと〈みちのく〉たりうる。たとえ太陽系を遥か遠く離れていようとも。太陽系? ちょっと飛び出しすぎたかな?

 地震と津波、原子力発電所による被害によって一旦は死を迎えたのが〈みちのく〉ならば、塵芥のなかに鳳凰の如き生命力を宿して甦るときを待っているのも〈みちのく〉である。奇しくも東北出身の力士は土俵際に強いということを聞いたことがあるような、ないような。東北の人には粘り腰の気質があるのかな?
 ともかくも死と再生のサイクルのただなかにある〈みちのく〉への鎮魂と慰撫の気持ちを込めて、800文字の怪談に挑戦する。このちっぽけな行為によって復興の一助とする。とは云うものの、怪談を語り、コンテストに応募することでなにを成し得るというのか。被災地で苦労されている方、被災地の苦難を自分のことのように感じる方、そのなかには「怪談ごときが何の足しになる」と思われる方もいるだろう。「他人の不幸をおもちゃにしている」とさえ。でも私はこういうのも悪くないと考える。
 日本唯一の怪談専門誌『幽』の編集長、東雅夫氏がその公式アカウントでツイートした発言の一部に「怪談とは、忘れることをゆるさないという苛烈な思いに発する文芸なのだから」とあり、これに胸を衝かれた。たかが怪談だが、されど怪談だ。語ることで時間はあの日に立ち戻る。そのたびに亡くなられた方の冥福を祈り、復興への思いを新たにする。

 今日は2011年9月11日。あの日から半年が経った。この節目の日に「みちのく怪談コンテスト2011」の募集が開始された。第二回とせずに2011と付けることに意味がある。この年を忘れはしない、忘れさせはしない。苛烈な意思がそこにある。
 さあ、行こう。鐘を鳴らすのは今だ。

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