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おとぎ話は死んだ!

 好きな映画のハリウッドリメイク作品を観た。そのリメイク作品を語るのに「ハリウッドリメイク」ほど端的、且つ明確に云いあらわす言葉はない。
 潤沢な予算はギャラの高い俳優をキャスティングできる。また、撮影にも金をかけられるので、大掛かりなセットを組めたり贅沢なロケを実現できたりする。腕利きのスタントマンを雇え、CGは細部にいたるまで精度を上げられる。すべては調達できる資金の額が桁違いに大きいからこそできること。この点についてままならない日本映画を思うと、ハリウッドの状況は羨ましいかきりだ。
 今、「この点については羨ましい」と云った。しかし、莫大な予算をかけられるということは、裏を返すと相応の興行収入をあげなければならないということだ。金額が金額だけにヘタはうてない。コケる要素は徹底的に排除され、その過程で企画立案当初にはあったかもしれない冒険心は削ぎ落とされてしまう。採算度外視なんて蛮勇をスポンサーは求めていない。旨味があるから資金を提供する者がいる。映画製作は資金運営の手段として有効であり、それ以外のメリットがあるから産業として成立する。
 ハリウッドが今日の隆盛を誇るのは、アメリカ合衆国が広大な国土を有し多民族を抱え、しかも国として若いところに理由があるように思われる。そもそもは国家政策による映画産業の振興があったのではないか。地域や人種、価値観や信仰の違いに経済格差、なにからなにまで違う個人を集めても国にはならない。アメリカはそのはじまりから移民によって建国されたのだ。土地に根付いた愛国心は希薄。だから国家は国民に刷り込まなければならなかった。何を? 愛国心を、アメリカ合衆国が必要する正義を。
 なにからなにまで違う相手に抽象的な観念を伝えるのは困難が伴う。なにせ共通認識に乏しくて、伝えられた言葉にも実感が伴わない。送り手と受け手が同じ言語を使っていても、双方ともに相互理解が成立しているんだかどうだかさっぱりわからない。表情や素振りから忖度するにも、それらがどんな感情の発露だかわからない。わからないことだらけの状況のなかでたったひとつわかったことは、「コミュニケーションははっきりと、わかりやすく!」だ。どんなに些細なことでも、こちらの状況や要望を相手に伝えなければならない。慮ってもらおうとか以心伝心とかを期待するのは間違いだ。そういう国なのだ、アメリカは。
 伝えるべき事柄はきちんと伝える。それだけでも難しいのに、全国民に共通する認識を植え付ける。どれほどの難事業であろうか。しかし世界的な帝国主義隆盛の時代を、ましてや新興国家が生き残るには、まずは内なる憂いを取り除かなければならない。そこで用いられたのが"物語"だ。理解を促し実感を伴わせる手段として"物語"は有効だ。物語はその機能として、受け手に登場人物への感情移入をさせて、ついには同一化をなしとげる。物語のなかで登場人物が見聞きし経験したことを、物語の外に身を置く受け手に追体験させる。この「追体験」こそが重要なのだ。
 人は、自分の身に実際に起こったわけではない、作り物の出来事に対して、自分が起こすであろう行動を、心に浮かぶであろう気持ちを、物語のヒーローやヒロインの言動や心情のうちに示されて、これに共感を覚える。物語と同じ状況に置かれたならば、自分の意思において物語のヒーローやヒロインと同じ行動をとるつもりでいる。そして、この選択を内なる衝動に従った結果であり、あるいは理性でもって下した決断の結果だと自ら信じる。正しいアメリカの男たるもの、正しいアメリカ女性として、ごく当たり前のようにそなえている価値観によって為された選択だ。どのような状況においても、アメリカ合衆国市民である以上はかくあるべし、といった行動原理。これは生まれながらにしてそなえているものだろうか。建国以来、物語から指標として与えられて身につけたものではないのか? 刷り込まれたものではないのか? ここで云う指標とはアメリカ合衆国への愛国心だ、アメリカ合衆国市民としての正義だ。
 だから"物語"による刷り込みは、云ってみれば思想教育である。洗脳と断じるのは大袈裟にすぎるが、その危険がまったくないわけではない。アメリカの土地に住まう者をアメリカ合衆国市民へと"教化"するのに"物語"が使われた。そのことに目新しさはない。昔からよくある手だ。ハリウッドを語るにおいて重要なのは、"物語"に映画という新しいメディアが導入されたことだ。視覚と聴覚に訴えかけることで、情報の伝達力は段違いに向上し、観客に作中登場人物への感情移入と自己同一化を促す。"教化"を押し進めるのに、映画ほど適した方法はなかった。
 かくして映画産業の発展はアメリカ合衆国の国家政策となり、ハリウッドは政策上の重要な拠点となったわけである。

 政策として保護される産業は、いずれ既得権益という化け物を生む。政策がそもそも持っていた政治的理念より優先されるべきものがハリウッドの中心に巣食うようになった。今や映画産業は餓鬼畜生の如き強欲に衝き動かされるのみ。
 かつて映画産業を後押ししていたのは国策だが、いまや市場原理がその役割を果たしている。ウケるためには万人から理解され共感を得る作品に仕上げなくてはならない。観客は長い間の教化で愛国心とアメリカ的正義に染まりきっている。これらの価値観をただ単純に裏切る内容など歓迎されない。裏切るならそれをするだけの意味を付与しなければならない。はっきり理解できて、しかも納得できるだけの理由が。観客は映画を観る前にアメリカ合衆国市民であり、愛国心とアメリカの正義に燃えるアメリカ合衆国市民ははっきりしない状況に慣れていない。アメリカ合衆国市民にとって、すべては明らかにされなければならない。
 かくして"優等生"的な作品ばかりが生み出される。リメイク作品であっても例外ではない。祖国では云わずもがなの事柄でも、ハリウッドを経由した時点ですべてを明示しなければならない。
 さあ、ハリウッドリメイクの話題に戻ってきた! そうだ。私はハリウッドによるリメイク作品を観ただけなのだ。なぜ、こんな内容を長々と語ることになってしまったのか?

amazon:[Blu-ray] モールス  ハナシが大きくなりすぎて、自分でもどう纏めればいいのかわからないくらい。完全に迷走しちゃってるんだけど、要するに「モールス」はあまり面白くない、と。うわあ、呆気ないくらい簡単な一言。なぜこれを最初に云えないんだ?

 リメイク元の「ぼくのエリ 200歳の少女」がぼかしていたこと、明言を避けていたことを、本作では臆面もなく描き出してみせた。これにはびっくり。本気で呆れた。いやはや野暮だねえ。
 吸血鬼を扱った作品ではおなじみの約束事や、スクリーンをしっかり観ていればおのずとわかるようなことでも、いちいち説明が入る。幼児の手をひいて連れ出すのでもあるまいに、観客の理解力を信じてないかの如き説明の波状攻撃。観客が「これは何を意味してるのかしら?」と考えるより先に、「これはこういう意味なんですよ!」と説明してしまう。そこまでガイドしてくれなくてもいいですよ、わからなかったら自分で調べます。これを云う暇も与えてくれない。
「ぼくのエリ」は、吸血鬼にまつわる一般的とも云えない知識を、あえて暗示にとどめたことで作品内に深い闇を作った。観客は眼下にわだかまる闇と、そこにひそむ存在を、その息遣いを感じ取り、はっきりした脅威はどこにも明示されなくとも、背筋を悪寒がかけあがるのを実感する。その闇に光を照射したのが「モールス」だ。本作は作品そのものに薄っぺらさを感じない。ただし、闇に潜んでいたものを光のなかに浮かび上がらせようとしたことで、闇の深さがどの程度のものかを図らずも露呈してしまった。「モールス」は薄っぺらくない。薄っぺらくはないが、闇を闇のままにしておけば、人はそこに無限の深さを感じていただろうに。そこが野暮だと思うのだ。

 さりげない描写にひそむ"ナニカ"に気付いて、そのことに興奮したり嬉しくなったり。これもまた映画を観る楽しみだ。てんで見当はずれな解釈であれ、それが個人的体験としての映画観賞だ。たとえ脚本家の執筆意図から逸脱し、監督の演出意図をつかみそこねても、即ちそれが間違いとも云いきれない。正しく意図を伝えられなかった側に問題がある。だからって懇切丁寧に説明しなくてもいいと思う。コンプライアンスの義務があるわけじゃないんだ。
 映画を観て、そこに描かれているものが何を意味してるのかわからないことはある。でも二度三度と観ることで、あるいは時を経て相応の経験を積んだうえで観ることで、それまで気付かなかったことに気付き、目に入らなかったものが見える。それが嬉しい。自分のなかのキャパシティが大きくなった気がして、それも嬉しい。自分の精神的成長を映画観賞に寄り添わせる必要はないけど、絶対に否定されなければならないってこともない。人それぞれの楽しみ方がある。
「ぼくのエリ」に感じた闇を、息をつめて一歩ずつ進んでゆく心地。怖いけど、同時にわくわくする。予算の潤沢な「モールス」ではCGの出来が良すぎて、人工の光に晒されているようなもの。感心はするけど物足りなさも感じる。

 映画製作には様々な方法がある。ハリウッドの方法を否定するつもりはない。むしろハリウッド映画は好きだ。ただ、「ぼくのエリ」をリメイクした本作「モールス」は、「ぼくのエリ」が頗るつきに面白かったものだから、どうしても評価が辛くなる。変わりゆく世界から置き去りにされるエリの悲哀を、アビーの旅路には感じられないのが残念。クロエ・グレース・モレッツはかわいらしいけど、彼女の演じたアビーには来し方を窺えない。エリにはスラヴとしての出自があり、彼女が所持するものにロマノフ王家由来を思わせるアイテムがあった。はるかな過去より続く旅路を感じさせた。アビーにはそれがない。異邦人としての外見も過去を感じさせるものも与えられず、"今"に放り出されただけ。これもまた悲劇だけれど、吸血鬼の物語じゃないなあ。
「わかりやすく、よりセンセーショナルに」という方向性で作られた本作は、エリを戴くおとぎ話をより強力なおとぎ話が駆逐した結果なのだろう。そのおとぎ話の名は「ハリウッド」である。

 この記事はタイトル込みで、云うまでもなく与太話である。アメリカの市民に対する教化だとかハリウッドの成立だとか、そんなものは以前に聞きかじった冗談の上に冗談をコーティングしたにすぎない。ザ・与太話! この記事を本気にして余所で喋ると恥をかくことになるので要注意ですぞ。
 では、なぜこんな記事を書いたのか?
 これもまたおとぎ話。私が紡いだ、つまらないおとぎ話なのです。

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